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恋贄

作者: 九藤 朋

 金糸銀糸の縫い込められたずしりとした装束の重み。

 それを感じながらゆらゆらと輿に揺られながら少女は泉までの道のりを辿っていた。

 この村で尊ばれている清い水満ちる泉は、もう遠くはない。

 

 遠くはない。


 気掛かりなのは兄のことだ。

 村の若者に陵辱された妹の為に相手を殺した。

 どんな罪科を受けるのか。


 胸が苦しい。

 少女は金襴の胸元を押さえる。

 この苦しみは恋。

 この苦しみは愛。


 少女は兄を愛していた。

 兄もまた妹を愛していた。


 道ならぬ恋。

 

 禁忌を犯し、村の和を乱した。

 村では恋ゆえにそうなった者を泉に落とし浄める習わしがある。

 少女もまた、その例に洩れず泉に落とし入れられるのだ。


 ああ、けれど。


 何という良い陽気。

 春の微睡むような青い空。ほつり、ほつり、と浮かぶ白雲。

 鳥が飛び、蝶が舞う。


 こんな美しい日に死を賜るのも悪くはない。

 それも兄が少女にまでひた隠しに隠していた恋心を、ようやく知ることが出来たのだから。

 

 少女が恍惚としている時、輿の列が突如、乱れた。


 兄だ。

 如何なる手段によってか縛めから逃れた兄が、刃物を手に列の前に立っている。


「妹を返せ。贄なら俺がなる」


 やや落ち着きを取り戻した、列を先導していた長老が、首を横に振る。この長老からはいつも、どこか古びた装束の匂いがした。


「ならぬ。災いの禍根が贄となるのだ」

「――――返してくれ。俺の、妹を。俺の妹を」

「おぞましい。兄妹で通じるなど犬畜生でもせぬことぞ」

「黙れ!」


 振り回される銀の色は長老をも掠め。

 とうとう兄は少女の乗る輿まで迫った。妹の手を引く。

 少女は、兄のかいなに抱かれていた。もう二度と触れられないと思っていた温もりだった。


「兄さま」

「行こう」

「させぬ」


 列の人間たちが二人を囲む。もう容赦はならぬと刃は抜かれている。


 その時、紫色の風が吹いた。

 薫香のする清い風は、神気を帯びている。


 泉の主が、降臨したのだ。

 羽衣を纏い、首には勾玉や管玉が豪奢に連なる。


「騒々しや」


 主の女神は朱唇を大儀そうに動かすと、兄妹を一瞥した。


「そのほうらが元凶か。はよう定められた者は泉に降りてきや」

「女神様、お願いです。どうしても妹を連れて行くと仰せであれば、私も共にお連れください」

「禁忌の恋か」


 哀れじゃな、と女神は翳り帯びた呟きを落とした。


「のう、若者よ。そなた、妹の為に人ならぬ身と変化することを厭わぬかや」

「無論のこと」


 女神は微笑んだ。はっとするほど優美な笑みだった。


「それでは妾の随身(ずいじん)とおなり。さすれば泉に迎え入れよう」


 兄妹以外の村人たちは、固唾を呑んでこの遣り取りを聴いていた。


「左様なことは、許されませぬぞ」

「おだまり、長老。他ならぬ妾が良いと言うておるのじゃ」

「左様なことは、許されぬ!」


 長老の脇に控え、刀を構えていた男が、兄に斬りかかった。

 飛び散る鮮血は麗らかな春の日に映え。

 兄はごぼりと血を吐いた。


「不快なり」


 柳眉をひそめた女神は衣の長い袖をふわりと揺らめかした。


 ごぼり、ごぼり、血は止まらない。

 少女の絶叫も止まらない。

 虫の息で兄が言う。


「お前を愛していた。気持ちに知らぬ振りをして、すまなかった」

「兄さま、兄さま」


 事切れた兄の身体に縋り、泣き叫ぶ妹を眺め、女神は嘆息した。




 少女は気づけば泉の底にいた。虹色の光が射しこみ、淡い紫紺の泡が生まれる。

 小さな蟹が歩き、銀色の魚がちらちらと横切る、驚くほどの透明な水の中。

 兄がそこにいた。

 女神がその傍らでふああ、と小さく欠伸した。


「死んだ、筈では」

「左様。一度はな。ゆえに、妾の随身として蘇らせた。一度死んだ者を、如何に扱うも妾の自由であろう? 村人たちにはそう申し渡した」



 金糸銀糸が、途端に軽やかに感じられた。少女は兄の腕の中に飛び込んだ。

 しっかりと抱きとめられる。まだ兄からは血の匂いがする。

 けれど生きている。


「お前を愛している」



 兄が先刻告げた最期の言葉は、ほんの少し形を変えて、再び繰り返された。




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― 新着の感想 ―
[良い点] 沈めるために重いのだろう豪華そうな衣装の矛盾が、全体に響いているように感じました。それが禁忌の矛盾のようで。 色が目に浮かぶ描写が心にくいです。 [一言] 子どもつくらなければいいんじゃな…
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