再会、そして……
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振り返るとそこに居たのは、中学時代の俺の後輩……原田奈美だった。
俺は奈美の存在を認識すると奈美に背を向け、自分の校舎にある下駄箱に向かって走り始めていた。
奈美から逃げるように……いや、得体の知れないなにか別のものから逃げるように。
なぜ奈美がこの学校にいるのか、なぜ奈美が俺のことを未だに「先輩」と呼び、声を掛けてきたのか。
ーーそんなことはどうでもいい。
俺は無我夢中で下駄箱に向かって走った。
靴を履き替え、急いで学校を出ようとした。
しかし、2年の校舎に戻るというタイムロスの間に先回りして待ち伏せをしていたのだろうか、校門には奈美がすでに待ち構えていた。
そのまま奈美の横を走り抜ければ、追いつかれることもなく振り切ることはできるだろう。 しかし、今逃げ切ったところで同じ高校に通う以上、今後も奈美と遭遇する機会はいくらでも生まれてしまうだろう。
ーーそれなら今、逃げたところであまり意味はないか。
俺は足を止めた。
改めて奈美を見ると、先回りする為にここまで全力で走ってきたのだろうか、少し息を乱している。
「はぁ……はぁ……すぅ〜〜はぁ〜〜」
奈美は俺が逃げることをやめたと察したのか、落ち着く為に深呼吸をし、一息入れたところで俺を真っ直ぐ見つめてくる。
「先輩、少しお話ししませんか?」
「はぁ……まさか同じ学校に入学しているとはな。 それで、なんの用だ?」
奈美が深呼吸をしている間に、俺は俺で奈美との再会で動揺していた心を落ち着けていた。
ーー大丈夫だ。 もう落ち着いてる。
冷静になった俺は冷めた目で奈美を見つめ返す。
「ッ⁉︎ ……ふぅ、単刀直入にいかせてもらいますね」
俺の視線に一瞬怯んだと思ったが、もう一息入れると顔を引き締め直した。
「先輩、すみませんでした!」
「……あ?」
腰を曲げながら急に謝ってくる奈美の姿に俺は困惑する。
しかし奈美はそんな俺の様子を無視し、再び俺を見つめ直し話を続けた。
「私はあの日のことをずっと後悔していました。 あの日一番辛かったのは先輩だったはずなのに」
「……」
奈美はまるでこれまで溜め込んでいたものを吐き出すようにゆっくりと口を動かす。
奈美の言うあの日とは、俺が中学3年生の時の部活で出場した全国大会初日のことだろう。
「それなのに……周りの人たちはただただ先輩を責めるだけで、理由もわからないまま……一方的に離れていって……」
「……」
話していて辛くなっているのだろうか、どんどん奈美の言葉に力がなくなっていっている。
ーーあの日、あいつらがしたことはなにも間違っていない。 責めて当然だ。 離れていって当然だ。 俺はそれだけのことをしてしまったのだから……。
「そしてそれは私も同じ……でした。 先輩から目を背け、誰の助けもなく壊れていく……先輩の助けになってあげることができなくて……私、わた……し……」
「……」
話している途中で後悔という名の重りに耐えれなくなってしまったかのように徐々に言葉が続かなくなっていき、最後には泣きそうになりながら俯いてしまった。
俺はそんな奈美の姿を見て、どこからか込み上げてくるものを感じた。 でも……感じただけだ。
奈美が後悔することなんて何も無い。
仮にどんな理由を俺が持っていたにせよ、奈美や元チームメイトの彼らにとって俺という存在は恨むべき対象でしかない。 とてもじゃないが奈美の言う助けというものを受ける資格なんかはなかった。
「奈美、顔を上げろ。 俺にはお前に謝られるような理由を持ち合わせていない」
そんな俺の言葉に奈美は目に涙を溜めながら、バッと勢いよく顔を上げた。
「そ、そんなことないです! 先輩はいつだって私のことを助けてくれました!……それなのに、私は何もできずで」
たしかに俺は他の奴よりもどこか奈美のことを目に掛けていた。
きっとあの日までの俺は奈美の助けになれてあげられていたのだろう。 しかし今はそれが逆に奈美を縛りつけつけてしまう鎖となってしまったのだろう。
ーーなら俺が取るべき行動は一つか……。
「奈美……俺はもうあの日の出来事から、過去から逃げた。 もうそれで完結した話なんだよ。 だから今の俺に助けなんてものは必要ない」
言葉が淡々と出てくる。
「で、でも……」
それでも食い下がろうとする奈美に俺は言葉を続ける。
「奈美は抱えていた思いを、そして謝罪を口にしてくれた。 けどそれはもう必要のない無価値なものでしかなかった。 奈美の抱えていた後悔はもう終わったんだよ」
「……そうじゃない、そうじゃないんです」
俺が言っていることは違うというように、奈美は首を横に振りながら「そうじゃない」と繰り返す。
「違わない。 俺と奈美を繋いでいた錆びた鎖は解かれたんだよ。 だからもう、俺たちはただの他人だ。 俺のことなんかは忘れて、一度しかない高校生活を楽しめ」
「そ……んな、忘れてって……どうして」
ーーそう、これでいいんだ。 これで……
これで間違っていないと本気で思う。 だけど顔を暗く沈めていく奈美の姿にどこか心が痛んだ気がした。
ーーわからない。 いや、わからないままでいい。
痛む心を無理やり押し込め、俺はさらに口を開く。
「奈美が慕ってくれていた"優等生の基山圭"という人間はもうどこにもいない。 あの日で死んだんだよ。 今ここに立っている俺はそいつの抜け殻……"不良の基山圭"だ。 別の人間なんだよ」
「……あ」
自分で言ってて思う。 こんなのはただの詭弁でしかないと。 けどそんなことはどうでもいい。
奈美を鎖から解放させる為に、周りから忌むべき存在となっている今の俺と関わらせない為に……俺は奈美を拒絶する。
「今の俺と奈美を繋ぐものはなにもない。 同じ学校に通っているだけの、ただの先輩と後輩でしかない。 日陰に生きる今の俺には奈美という人間は眩しすぎる。だから俺の為にも、奈美の為にも……俺たちはこれでお別れだ」
「……」
はっきりと拒絶を口にする。
奈美は俺の拒絶になにも言えなくなってしまったのか俯いたまま黙っている。
ーーこれで間違っていない。 間違っていないはずだ。
まるでなにかに言い聞かせるように心で「間違っていない」と言い続け、奈美に反応がないことを確認した俺はその場を後にしようとする。
「……ありがとうな」
"優等生の基山圭"という人間がもういないということを知らなかったとはいえ、同じ高校にまで入学して。 そして俺に手を差し伸べようとしてくれた奈美にお礼を伝える。
そして俺は奈美の横を通りすぎ、学校からでた。
学校の外にでると、バスケ部と思われる集団が学校周りを走っていた。
ーーはぁ、さすがにクサすぎたかな。
帰宅時間からずれていたとはいえ、こうして部活などで多少なりとも人通りがあったことを認識し、自分のクサイセリフに少しだけ後悔した。
その後は特になにがあるわけでもなく、俺は家に帰り着いた。
俺の家は一戸建てということもあり、マンションやアパートとは違い近隣の生活音などはほとんど聞こえてこない。
孤独感を増長させるように、静かな空間だった。
俺はリビングに置いてあるソファーでくつろぐように横になった。
静かな空間に身を任せていると、先ほどの奈美とのやり取りを思い出してしまう。
俺は改めて冷静に、先ほどのやり取りを客観的に考え始めた。
俺は不良と呼ばれる人間、そして奈美は二週間もしないうちに校内で噂が流れるほどの人気者。 俺たち2人が相まみえることは許させない。 だから、あれで間違っていない。
しかし考えれば考えるほどなぜか心がズキズキと痛む。
中学時代、俺に積極的に構ってきていた奈美の姿が頭に浮かぶ。 純粋な目で、時にあざとく……いつだって俺に後ろをついてくる奈美の姿が。
そんな捨てた過去を思い出してしまったからだろうか、俺はソファーから離れ、ほとんど入ることのなくなってしまった和室に足を運ぶ。
そして和室の角にポツンと置いてある仏壇の前に座った。
「父さん、母さん、柚子……久しぶり。 全然顔ださなくなっちまってごめんな」
俺の父親、母親、二つ年下の妹は俺が小学生六年の時に交通事故により他界してしまっていた。
以前の俺は毎日のようにその日あったことを話しに家族の前に訪れていた。 しかし、"優等生の基山圭"でなくなったあの日から、どんな顔をして家族の前にこればいいのかわからなくなってしまい訪れることはほとんどなくなった。
「前にみんなに話してた雰囲気が柚子によく似た奈美って後輩いたろ? 今日その後輩と再会したんだ。 俺の助けになれなかったって、ずっと後悔してたんだって……俺と同じ高校にまで入学してきてさ」
今日、ここを訪れたのは奈美との再会による単なる気紛れだ。
それなのに前と同じように今日あった出来事をポロポロと話してしまう。
「はは、ほんとアホだよな。 みんなもそう思うだろ? 俺のことなんて忘れちまえばいいのにさ、突き放せばいいのにな。 高校生っていう大切な時間を俺なんかの為に使おうとしてさ……人間いつその時間がなくなっちまうのかわかんねーってのに……ほんと、アホだよ」
言っていて心がどんどん苦しくなる。
こんな感情を抱く人間はもう壊れてしまったというのに、もういなくなってしまったというのに。
「くそ、なんだってんだよ。 はぁ……今日はなんだが色々と不調だ。 俺はもう後ろを振り返ることも、前を向くこともしないと決めたのに……こんな息子で、兄で、ごめんな」
その言葉を最後に、俺は家族の前から離れた。