夢
俺はその日夢を見た。
不思議な夢だ。
俺の前にはいくつもの鎖で繋がれ、頑丈な鍵で閉ざされていた扉がある。
だが、そんな扉に今は綻びのように少し隙間が開いてしまっている。
なんだろうか。
この暗く、重たい空気は。
その禍々しい雰囲気に俺の本能が告げている。
絶対に中を覗いてはダメだと。
けど……。
結局夢の中の俺は本能に逆らい、扉の中を覗いてしまった。
扉の先にいたのは二つの小さな影だった。
影とは言ったものの、それらは何色にも染まっておらず白もしくは透明な色をしている。
しばらくその影たちの様子を伺っていると、それらは時間をかけて少しずつ己の体に、時に相手の体に色を付けていった。
似たような……いや、どちらも全く同じ色を。
しかしある時から似たような色をしてはいるものの、少し塗る色に違いが生まれ始めた。
他人から見たら些細な変化でしかないのかもしれない。
けど二つの影にとってはそんな些細な違いが許せなかったのか、わずかに二つの影の間に亀裂が生まれた。
だがそんな亀裂はすぐなくなる。
「つまりーーとーー君は全く一緒ではないということだよ」
「もっと相手のことをちゃんと見て、もっと理解してあげるだけでいいんだよ」
そんな何者かの言葉のおかげで影のうち一つが違いを受け入れようとしたから。
それからの二つの影は自らの色を押し付けるように相手に塗り付けることはしなくなった。
だけど、代わりに相手のことをよく見て、相手が手に取った色を自らも真似するように塗り始める。
そう……結局二つの影は捨てきれずにいた。
影同士で幼い頃から口にしていたあの言葉を……。
「俺はお前で、お前は俺だ」
自分と同じ感性で生きる人間がいるというのは本当に心強く感じるもの。
だから捨て切ることができなかった。
2人で1人……それが二つの影にとって当たり前になってしまっていたから。
そして……それは影がこれまで塗っていた色を全て塗り替えてしまうほどに黒く染め上げられた時でさえも変わることはなかった。
ある時、一方の影が一瞬にして黒く染め上げられる。
だがその影には光が残されていた。
弱く、淡い光……それでもそんな僅かな明かりのお陰で影は淡い黒で留まることができていた。
そしてもう一方の影は……そんな影の姿に自らも光となって照らそうとした矢先、
自らも黒く染め上げられた。
もう一方の影とは違って僅かな光さえも許さない、暗く絶望の闇のような黒に。
溢れてくる感情をぶつけることもできず、ただ絶望に染まり全てを失っていく……時に生きる気力さえも。
けどそんな影に手を差し伸べたのは、やっぱりもう一方の影だった。
「ーー。 お前が俺以上に辛い状況だってことはよくわかる。 でも……立てよ!! お前には俺が付いている!!」
「お前のことを一番に理解してやれるのは俺だ。 そして俺を一番理解できるのはお前だ」
「ーーの父さんが言ってただろ。俺たちが理解し合えばもっと強くなれるって!! だから立て、ーー!! 俺と一緒に立ち上がれ!!」
「俺たちは2人で1人だ。 1人で諦めるなんてことはさせねーぞ!!」
自らも淡い光のおかげで踏みとどまっている状態だというのに、それでも手を差し伸べようとする姿に黒一色に染まってしまった影に変化が生まれた。
その変化は決していいものだったとは言えないのかもしれないが。
なぜなら、影は自分がもうどうしようもない状態だとわかっていたにもかかわらず強引に前を向こうとしたから。
自分自身から背を向け、相手の淡い黒を自らに塗りたくることで誤魔化すことを始めてしまったから。
それが自らを傷つける諸刃だというのに……。
ーーーーという人間を押し殺し、ーーーーというもう1人の俺になることで無理やり立ち上がっただけ。
自分のない、偽りだけの人間として。
でも一つだけ、たった一つだけだったが自分を偽り逃げる日々の中でーー
「先輩っ!!」
光が灯ったような気がした。
自分の元から去ってしまった妹とどこか重なる後輩。
そんな彼女の声が、存在が、塗り重ね奥へと押し殺したはずの影本来の心に届きかけた…………。
だけどそう、届きかけただけでしかなかった。
結局はもう手遅れだった。
一点の光では照らすことはできないほど、淡い黒では誤魔化しが効かないほどに、影の心は壊れてしまっていた。
そして自分を偽り続けて数年……ついに崩壊してしまった。
子を守ろうとする親の姿に、親を守ろうとする子の姿に自然と目が向き、そんな親子を壊そうとする男の存在に隠れていた自分が現れる。
重ね塗った淡い黒色が剥がれ落ち、闇に染まった漆黒が全てを塗り替えた。
諸刃の切っ先が"俺"にも向き、容赦なく切りつけられた瞬間でもあった。
それがなにを意味するのか……。
気づいた時には全てが手遅れ……俺は"俺"を壊してしまった。
俺自身をーー
『俺はお前で、お前は俺だ』
ーーそして、もう1人の俺を。
……あぁダメだ。
これ以上は見ていられない。
俺はこの後に待ち受けているであろう光景から目を背け、固く閉ざされた扉の前から離れた。
これは開けちゃいけない記憶の扉だ。
奈美たちのおかげで向き合うことのできた家族の死、弱い自分とは違う……もう一つの俺の過去。
俺が俺のままでいたいのなら、今後二度と触れてはいけない禁断の扉。
俺は綻びできてしまった隙間がこれ以上広がらないことを願いながら、今はまだ固く閉ざされたままでいる扉に背を向けた。
『死ね!! 基山!!』
背後にある扉の方から聞こえてきたそんな言葉を最後に、俺は逃げるようにこの場を後にした。
♦︎♦︎♦︎
「はぁ……はぁ……はぁ……」
酷い頭痛の所為で俺は目を覚ました。
相当寝苦しかったのか息切れしてしまったように呼吸も荒れている。
ベッドの上で座り込んだまま呼吸が落ち着くのを待っていると、しばらくして少し冷静になれた気がする。
そして冷静になってようやく気がついたが。
「……あぁクソ……汗で身体中がびちゃびちゃじゃねーか」
一体どれほどの悪夢を見ていたんだろうか。
わからない、思い出せない。
どれだけ考えようが夢の内容を思い出すことはできなかったが、こんな状態になってしまうほどだ。
きっと思い出さない方がいいのかもしれない。
でもなぜだろう……気持ちを切り替えてシャワーでも浴びてこようと思うのに体が思うように動かない。
辛い、悲しい、心細い……様々な負の感情が俺の中で渦巻き、酷い虚無感に襲われる。
ピロン
不意にそんな通知音がなった。
目覚まし用に枕元に置いてあったスマホにラインかなにかからメッセージが届いたのだろう。
俺は視線だけをスマホの画面に向けると、
『すみません、先輩! 今日日直なの忘れてました……なので先に行きますね。。 』
なにやらスタンプと共にそんな奈美からのメッセージが表示されていた。
そうか、今日は1人か……。
その事実に少し孤独感が増したが、どこか安心したようにホッともする。
もし今この場に奈美がいたら、俺はプライドもへったくれもなく泣きついていたかもしれない。
頼るとは決めた、遠慮もしないと決めた。
だけど、だからといってなんでもかんでも相手に負担だけ掛けていたら、いつか相手を壊してしまうかもしれない……なぜかそんな嫌な予感を感じてしまった俺は、やっぱりどこかホッとしてしまった。
……俺は本当に成長できているのだろうか。
そんな一抹の不安を抱えながら、落ち着くまでただひたすらに時間が過ぎるのを待った。