大人と子ども
「鷲尾楓の知り合いだ!」
なんとも関係の薄そうな回答になってしまったが、実際そうなのだから仕方ない。
「知り合い? ただの顔見知りってことかな?」
「はあ? そんな奴が一体なんの用だよ」
俺の回答に疑問を頭につけながら男2人がそう言ってくる。
だけど、今俺が用のある人間はこいつらじゃない。
「悪いな、あんたらは少し黙っててくれないか?」
俺の言葉におっさんの方はなにか言い返してこようとしたが、もう1人が再び肩に手を置いて止めてくれた。
俺はそれを確認して、視線の先を鷲尾に向ける。
ーー今、優先すべきは鷲尾だ。 こいつはここで俺が止めてやらなきゃいけない。
「おい、鷲尾。 いつまでそうやって固まっているつもりだ? お前が望んでいる自分ってのはそういうのじゃねーだろ」
ここまで来た以上、遠慮なんてするつもりはなかった。
はっきりと言いたいことを言う。
まるでかつての俺自身に語り掛けるように、ストレートに思っていることを伝える。
「き、基山君……ど、どういうことですか? 私が望んでいる自分って」
俺の呼び掛けにここまで固まり続けていた鷲尾が、俺の言った意味がわからないといった風に反応する。
「いいんだよ、そういうわかってないフリをするのは。 自分を偽ろうとしてんじゃねーよ」
「ッ⁉︎」
俺の言葉に鷲尾が目を大きく見開いた。
「お前が自分を変えようとしてんのはわかってんだ、今さら誤魔化そうとなんてすんな」
「わ、私は別に……」
「お前の今やっていることの先にはなにもねーぞ。 そんな方法じゃなにも変わったりなんかしない」
鷲尾がなにか言おうとしたが、俺はそれを遮って言葉を続けた。
そう、全部伝えてやる。
現実を教えてやる。
俺と同じ失敗をさせない為にも。
「……基山君に一体私のなにがわかると言うんですか」
鷲尾はボソッとそう言った後、俯いて下唇を噛みながら体を静かに震わせている。
「たしかに俺はこれまでのお前のことは全然知らない。 けど、今お前がやろうとしていることの結末だけは知っている」
「なんで……なんで……」
鷲尾は内気な人間だ。
抱えているものを自分から吐き出そうとはしないだろう。
だから自分1人で間違った方法を取ろうとしている。
ーーだったら俺が吐き出させてやるしかねーだろうが。
「どんなに自分を偽ったところで、今のお前自身から逃げることなんでできねーよ。 お前の望む変化はそのやり方じゃ手に入れられないぞ」
「そ、そんなこと……そん……な」
そうだ、自分自身から逃げたところで、それは変化なんかじゃない。
そんな現実を突きつけられ、鷲尾は自分を抱きしめるようにベッドの上で身を丸めた。
ーー逃げさせちゃだめだ……弱い自分を受け入れさせなきゃいけない。 変化はその先にしかないんだ。
そう思って、俺はたたみ掛けようとする。
「鷲尾、お前の……」
「今はそこまでにしとけ小僧」
しかし、俺の言葉は途中で止められた。
「お前の言っていることはなんとなくわかる。 これでも1年近く楓のことはしっかり見ていたからな」
俺の言葉を遮ってそう言ってくるおっさんの方を見る。
おっさんは真剣な顔をして俺の方を見ていた。
イケメン男も黙って横にいるおっさんと俺のやり取りを聞いている。
「でもな、そんな無理やり引き出させるようなやり方はどうなんだ?」
「……あんたにはわかんねーよ。 自分が嫌いで仕方ないって気持ち」
正直、この2人に関してはもう無視してもよかった。
鷲尾に手を出すことを止められた段階で、俺がこいつらをどうにかする必要なんてなかった。
だけど俺はムキになったように返してしまった……まるで反抗期の子どものように。
「鷲尾を救ってやることのできるのは、同じ苦しみを知っている俺じゃな……」
だけど、これも遮られ最後まで言わせてもらえなかった。
「おい。 大人舐めてんなよガキ‼︎」
「ッ!」
橘という男のさっきまでとは違う、それ以上の迫力に思わず俺も怯んでしまう。
「自分のことが好きで、毎日毎日幸せなだけで生きていけるほど世の中甘くねーんだよ!」
目の前の大人の言葉は俺に重くのしかかってきた。
「期待ばかり掛けられて、それに応えられなかったら馬鹿息子だの……まあそれはお前に愚痴っても仕方ないか」
そんな男の愚痴に俺はハッとしたように目を見開く。
程度の差はあるにしても、この男が言うように俺だけが辛い過去を持っているわけではない。
そんな当たり前のことを気づかされた。
鷲尾が俺と同じ方法を取ろうとしているのだとしても、俺と鷲尾では周りの環境や色々なものが違う。
なのに今の俺はそんなことも考えずに、知ろうとしなかった。
「自分が嫌いな気持ちがわからない? 楓を救うのは俺? ガキの狭い世界だけで物事を決めてんじゃねーよ。 突っ走って自分のエゴをぶつけてんじゃねーっての」
俺は家族を亡くしてから、偽りの自分を作ることで1人の大人になった気分でいた。
だがこの男の言うように俺は学校という狭い世界の、さらにごく一部の環境でしか生きてこなかった。
ーー俺のしたいことは結局"俺が救ってやりたい"という、正義の味方に憧れた子どものようなエゴでしかない。
それを自覚し、俺は悔しさを噛みしめるように歯を食いしばり黙ってしまう。
「先輩……」
俺が黙ると、先ほどから背中にいる奈美が心配そうに声を掛けてきた。
俺は顔だけ動かし、奈美を見る。
ーーこいつは俺の狭い世界の中に入ってきて、それで俺を救ってくれた。
今度はベッドの上でうずくまっている鷲尾に目を向ける。
ついさっき俺自身が言ったように、俺と鷲尾はただの知り合い。
彼女の世界に入れていないのに、俺の言葉が届くはずがなかった。
ーーなにやってんだよ、俺……。
「ッ……クソッ」
爪が食い込み血が出るんじゃないかというくらい、手を握り締める。
そんな俺を心配してくれる奈美は、俺の服を掴みながら一歩前に出てきた。
「どうしてそこまでの考えができるのに、こんなことしちゃうんですか!」
奈美は大きな声で男たちにそう言う。
そうだ、鷲尾の件では目の前の男は立派な大人なのかもしれない。
けど、強姦未遂に関してはまた別だ。
俺はいつまでも打ちひしがれているわけにいかないと顔を上げ、再び男たちの方を見る。
「あ? こんなことってなんだよ」
俺の視線の先にいる男は、奈美の言っていることがいまいちよくわからないというように困惑しているみたいだった。
「未遂に終わったとはいえ、拉致、強姦のことです。 私を襲った男みたいに頭がおかしいってわけでもなさそうなのに、なんで!」
「ちょっ、ちょっと待て! はぁ? 拉致? 強姦? 一体なんのことだ!」
男は本当に意味がわからないと焦ったようにしている。
「言い訳なら先輩が呼んだ警察の人にしてください!」
そんな男に奈美がトドメを刺すようにそう言い切った。
「警察だと⁈ どういうことだ! おい、ちゃんと説明しろ!」
説明を要求してくるが、奈美は言葉通りもう聞き耳を持たないつもりなのかなにも言わない。
そんな奈美の態度に男は頬をピクピクと動かしながら俺の方を見てきた。
「……あんたらの通話の内容を聞いちまったんだよ。 上玉だの、ヤレるだのって会話をな」
「あ……バ、バカ野郎‼︎ なんで部屋の中での話のことまで知っているのかは置いておいてやるとして、拉致強姦ってのは誤解だっての‼︎」
俺は仕方ないと事情を説明すると、男の顔をさっきよりも引きつったようにし、誤解だと言ってくる。
そのタイミングで外からパトカーのサイレン音が聞こえてきた。
「はは、さすがにこれは参ったね。 僕は楓さんと知り合ったのは今日が初めてだから、なにも言わないでいようと思ってたけど……うん、これはさすがに」
おっさんを宥めてから沈黙を続けていたイケメン男も顔を引きつらせていた。
「僕の悪役っぽい感じで話してみてよっていう無茶振りが裏目にでちゃったね……どうする、和久?」
「どうするもなにも、やってくる警察の人にはきっちり説明して帰ってもらうしかないだろ」
2人で顔を見合わせながらそう話し合ったあと、同時に大きな溜息を吐いて、俺を見てくる。
「あのな小僧。 誰かの為に行動のできる人間ってのは嫌いじゃねーけどさ、視野を広く持て。今回の撮影も楓のご両親にきちんと許可をもらってるに決まってんだろ」
「……は?」
「つまりね、これも君の……子どものエゴによる勘違いだってことだよ」
スタジオの扉は開きっぱなしにしているからよく聞こえる。
階段を上ってくる数人の足音が……。
俺はそのタイミングで自分の失敗を認識した。
ーーこっちも"俺が"っていう暴走なのかよ……。
「事情は大人の俺たちが説明してやるから、ガキのてめーらは叱られて反省しろ」
俺と奈美はこの後すぐに突入してきた警察の人たちにしこたま怒られた。