鷲尾楓
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今日も私はHRが始まる時間よりも早くに教室に入った。
しかし、土曜に女優業のお話を詳しく聞かせてもらった所為で、この土日はテンションが上がってしまいなかなか眠れず、いつもと比べると少しだけ遅くに学校に着いた。
私が教室に入ると、案の定普段とは違ってすでに多くのクラスメイトの人たちがいました。
そして珍しく基山君も秋山君も登校していたことには驚きました。
それを横目に確認した私は自分の席に着いて、鞄から用具を取り出す。
そうして視線を下に向けていると、なにやら周りからどよめいたような声が聞こえてきました。
「なあ、少しいいか」
私の机の前に立った誰かがそう言ってきたので、それが私に向けられた言葉だということはわかる。
「えっ?」
顔を上げると目の前には基山君がいました。
私は声を掛けてきた基山君に困惑しましたが、周りの人達もそれは同じようでどよめきがざわつきに変わりました。
「え、えっと……き、基山君な、なにかな?」
声を掛けられた以上、無視するわけにもいかないので私は答えます。
ただ、急なことでおどおどとした感じになってしまった。
基山君はなにか考えているのかしばらく黙っていましたが、意を決したように口を開きました。
「鷲尾……俺と友達にならないか?」
私はその基山君の言葉に頭が真っ白になってしまいました。
その言葉は紛れもなく私が欲していたものであったから。
でもしばらくして落ち着いてきて、冷静に考える。
ーー嬉しい。 こちらこそよろしくお願いしますと言いたい!
基山君がなぜいきなり友達にならないかと聞いてきたのかはわからないです。
でも本当に嬉しかった……。
ーーだけどまだダメなんです。
基山君を"不良"と呼ばれるようにしてしまったのは私の所為……だからそんな弱い私のままではダメだと、基山君の手を取ってはダメだと心が訴え掛けてくる。
「ご、ごめんなさい!」
そして私は頭を下げて、基山君からの誘いを断った。
ーーあなたの優しさに助けられてばかりじゃダメなんです。 もう少し、もう少しだけ待っていてください……。
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「少しお時間いいですか?」
基山君からの誘いを断った次の日の授業後、今度は基山君とよく一緒にいる1つ年下である原田奈美さんが私の元に訪ねてきた。
始めは昨日のことに関して、なにか言われるのかなと年下の子相手に少し体を強張られせていました。
「昨日はうちの先輩がアホをやらかしたみたいで、すみませんでした」
そう言っていきなり頭を下げてきた原田さんに私は目をパチパチと瞬かせ、変に感じていた緊張を解いた。
昨日のことというのはあっていたけれど、まさか原田さんが謝ってくるというのは予想外だった。
「い、いえ……私が断っちゃったことなので気にしないでください」
「うーん、でも怖かったですよね。 あの先輩が急に友達になってくださいって」
原田さんは申し訳なさそうな表情をしながら、頭を上げた。
原田の言葉に私の体は一瞬ピクッと反応した。
きっと「あの先輩」という言い方は"不良"ということを指しているのだろうと感じた。
ーー違う、私は知っている。
基山君は不良なんて呼ばれるような人じゃないことを、基山君は優しい人だってことを……。
そう思った時、私の中に少し黒い感情が生まれてしまう。
ーー私は原田さん、あなたが羨ましい。基山君の側にいれるあなたが。 本当なら私も彼の側に……ッ! 私は一体なにを考えているの!
そして黒い感情が生まれると同時に、自分への嫌悪感もまた出てくる。
「あ、あなたにはわからないですよ。 基山君は私の所為で不良と呼ばれるようになってしまったのに……そ、そんな私じゃ、まだ仲良くはできない……です」
だからつい、そんな言葉が口から出てきてしまう。
そして、そう言ってしまう自分自身にさらに嫌悪感が増す。
「ご、ごめんなさい」
私はこれ以上原田さんといることで、増加し続ける自分への嫌悪感に耐えることができなくなってしまい、一言謝ってこの場を走って後にしました。
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次の日からも時々、原田さんが接触してきたことと、女優としての仕事の日程がメールで送られてきたこと以外は特別なにも変わらない日が続いた。
そして、ついに私が変わることのできると信じて待っていた日が訪れた。
私は伝えられていた日曜日、事務所となっている駅付近のいつもと同じビルに入りました。
今日、会社自体はお休みみたいで建物の中はとても静かでした。
そして私のマネージャーである橘さんの専用階となっている、5階まで上がる為にエレベーターに乗り込む。
ビル内に人がいない為、エレベーターは一気に5階まで上がっていく。
ドアが開くと目の前には、いつもと変わらない笑顔で橘さんがわざわざ出迎えにきてくれてました。
「おはよう、楓! 今日はいつもの仕事とは違って個人的なものだから緊張せず楽しんでやっていこうね!」
「は、はい! よろしくお願いします」
私は橘さんに連れられて、普段入るのことの滅多にない橘さん専用となっているスタジオの部屋に入った。
中に入ると、年は20代前半くらいに見える爽やかそうな男性が1人待っていました。
「やあ、君が鷲尾楓さん? 今日はわざわざ僕のわがままに付き合ってもらっちゃってごめんね」
爽やかそうな見た目の人は爽やかな感じで挨拶をしてくれる。
この人がきっと、別の地方に住んでいるお金持ちの方なのだろうとわかる。
「こ、こちらこそよろしくお、お願いします」
私は緊張したように言葉を詰まらせながら、ペコっと少し頭を下げる。
「ふふ、そんなに緊張しなくてもいいよ……とはいっても僕も少し緊張しているから人のこと言えないんだけどね」
私の緊張を和らげてくれるように優しく微笑みながらそう言ってくれる。
その後、男の人は「あっ!」と声を上げ言葉を続ける。
「ごめんね、僕の自己紹介がまだだったね! 僕の名前は小宮山優一、和久とは10年くらいの付き合いなんだ」
「えっと、改めて私は鷲尾楓と言います……あの、和久さんというのはもしかして?」
「あー楓ちゃん、それは俺のことだよ」
自己紹介の時に出てきた聞きなれない人の名前に疑問を返すと、普段とは違う言葉使いで橘さんが答えました。
「うん、やっぱり和久はその喋り方の方がしっくりくるよ、電話でもその感じだと僕としては嬉しいんだけどな」
「無茶言うなよ、優一。 昔、それで親父からは小宮山さん家の息子にタメ口とは何事だって叱られてんだから」
いつもと違う橘さんの雰囲気に私は思わず笑ってしまう。
「あはは、お2人とも仲がいいんですね。 な、なんかこう……楽しんでいるって感じで」
笑うとともに、そんな思ったことを口にする。
しかし、私の言葉にお2人の表情が少し曇った。
「まあ仲がいいのは否定しないけど、僕たちにも色々あるんだよ」
「そうそう、俺たち2人とも社長の息子って立場で色々抱えているんだよ、楓ちゃん」
さっきまでの楽しげな雰囲気とは一変して、どんよりとした空気が流れる。
「あ、あの……えっと、すみません……」
私はなにか触れてはいけないものを触れてしまった気がして謝ると、お2人は気を取り直したように笑顔になってくれる。
「謝らなくていいんだよ、楓さん! 今日はそんなストレスを発散させる意味も含めたプライベートな遊びみたいなものだから!」
「そう、だからこんな俺たちの遊びに付き合わせっちゃって、ごめんね」
フォローしてくれるようにそう言ってくれるお2人に、今度は私の心が曇る。
ーーむしろ私の方こそごめんなさい。 私が変わる為なんて、そんなことの為にお2人を利用するような真似してしまい……。
そう、私は今日で変わる。
その為にここにやってきた。
どんな役で、どんな演技をするんだろうと、私は今日ここで今の私を捨てる。
演技で生み出された私をそのまま持ち帰るんだ。
そうして始まった撮影。
ちゃんとした台本などはなかった。
なんでも素人たちらしい自然な反応やアドリブがあった方が面白いものが撮れる気がするとのことで、小宮山さんの指示で一場面毎に動画撮影をしていくみたいです。
私は今の自分を心の奥底に押し込んで、真っ白な状態に小宮山さんが指示する色をつけていって新しい自分を生み出そうとする。
大まかな内容を聞いた後、動画のワンシーンを撮る為に私はまずはスタジオに用意されているベッドに横になった。
ーー今ならなんでもできる気がする。 なんにでもなれる気が……。
そしてスーツの上着を脱いだ橘さんが私が横になっているベッドの近くに寄ってくる。
それを確認した小宮山さんが撮影用のカメラのスイッチを押そうとしたタイミングで……。
「そこまでです!」
そんな女の子の声と共に、スタジオの扉が大きな音を立てて開かれた。
私は扉の方に目を向けると、声の主である原田さんと彼女を見てげんなりとしている基山君の姿がありました。
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