救い
「先輩、もう大丈夫ですよ。 先輩は私の為に、十分頑張ってくれました。 私はもう大丈夫です」
ーー大丈夫? 俺が頑張った? ……だからもう奈美は大丈夫。
「もう仮面は付けなくていいんですよ。 仮面を付けてまで一人で背負おうとしなくていいんです。ーー」
ーーもう仮面を付けなくていい? だけど、俺は仮面がないと……。
「ーーそんな偽りの仮面を付けていても出てくる私の為に必死になってしまう、そんな仮面の下の先輩の側に私は居たいんです」
ーー仮面の下で絶望の闇を彷徨っていた本当の俺が、柚子と重なる奈美の為に気付かないうちに出てきていた? そして、そんな俺の側にいたい……。
「ーーでももう大丈夫ですよ。 先輩が辛く、しんどい時は先輩が安心するまで、私がいつまでも側に居てあげます」
ーーもう大丈夫。 いつまでも俺の側に……。
闇を彷徨っている俺に光が差し込んできたような感覚だ。
「…………もういいのかな。 父さん、母さん、柚子……俺は俺を許してもいいのかな」
そんな言葉が自然と出ていた。
当時小学六年生だった俺が、家族の交通事故現場にいたところで結果は変わらなかっただろう。
むしろ俺も無事では済まずもっと酷い結果が待っていたかもしれない。
しかし、もしかしたらなんて可能性を考えると俺は俺を許せなかった。
感情の行き場をなくし、負の連鎖に引き込まれていってしまった。
だけど、もう仮面を外していいんだろうか。
大切な家族を守ることのできなかった俺は、誰かを守ることのできる人間になれたんだろうか。
俺はもう許してしまってもいいんだろうか。
「許します。 他の誰がダメだと言っても、私が先輩を許します。 だから、先輩……もう楽になってください」
そう言って奈美は一層強く俺を抱き締めてくる。
闇を彷徨う俺に、光の中から差し出された奈美の手に引かれるように……。
そんな奈美の言葉に、思いに……俺を縛りつけていたものが壊れたような気がした。
「あぁぁ……俺は……助けられなくて、守ることがでぎなぐて…………ずっと、づらくて……苦しくで…………でも、やっと……」
「はい、もう大丈夫ですよ。 お疲れさまでした、先輩」
これまで俺が抱えていた闇が零れ落ちるように涙を流す俺を、俺が落ち着くまで奈美はそのまま抱き締め、背中をさすってくれた。
「……あの、俺はいつまでこのまま基山の手を掴んでたら……」
「晴人……あんたは少し空気を読みなさい。 アホ!」
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「ありがとう。 もう落ち着いた」
俺が抱えていた思いと涙を一通り流し終え、そう口にする。
俺の抱えるものが全て吐き出せたわけではない。
しかし随分と心が軽くなった。
「まったく! いつまで基山の手を掴んだままでいなきゃいけないのか困ったよ!」
そう言って秋山が俺の手を離した。
「色々悪かったな。 今回は助かったよ」
「本当だよ! 未だに手のひらヒリヒリしてるんだからなー! でも、戻ってきてくれてよかったよ」
ニシシと秋山が笑う。 そんな秋山を押し退け、本田が俺の前に来る。
「お帰り、圭! ……それとも初めましてって言った方がいいのかしら?」
「ふん、どっちでもいいよ。 そんな大きく変わったりなんかしない。 ただ、少しだけ前を向いて生きるだけだ」
「……へー、でもそんな恥ずかしいセリフを言っちゃうくらいには、変わっちゃったのねー」
「んなっ⁉︎」
ニヤニヤと笑いながら俺から距離を取ろうとする本田を追いかけようとするが体が動かない。
顔を下に向けると奈美が未だに、俺を抱き締めたまま固まっていた。
「おい、もういいぞ奈美。むしろ離れてくれ。 恥ずかしくなってきた」
「…………」
なぜか離れてくれない。 それどころかなんの反応もない。
「奈美? おーい、奈美ちゃーん?」
「えへへ……先輩の匂い……」
……。
「離せ奈美‼︎ こらっ! さらに力入れんな‼︎」
「やめてください! こんな機会早々ないんですから!」
「ちょっ! なんだその力⁉︎」
いやいやと頭を振りながら、俺の背に回した手に力を入れてくる。
俺は空いた手で無理矢理剥がそうとするのだが、小柄な奈美のどこにそんな力があるのか、引き離せない。
「なんだが奈美ちゃんの性格まで変わっちゃったみたいね……」
「いいなぁー。 基山変わってよ」
他人事のように外野から本田と秋山がそんなことを言ってくる。
「お前ら……他人事みたい言ってないでなんとかしろよ」
「すみません、秋山先輩にこんなことすることは絶対にないです」
「わかってるよ! わかってるけど悲しくなるからストレートに言わないでよ」
普段の秋山がされているように、俺の話を無視して会話をしている。
こういう時はいつも、最後は本田がフォローしてこの流れを終わらせてくれる。
だから俺は助けを求めるように本田の方を見る。
目が合った本田は、「仕方ないな」という風に溜息を吐いた。
「はいはい、みんなそろそろ落ち着きなさい。 奈美ちゃんも圭から離れて。 そこで腰抜かしてる男をどうするか決めなきゃ」
そんな本田の言葉に、
「あぁ、そういや忘れてたわ」
「先輩のことに必死でどうでもよくなってました」
「そういえばそうだったねー」
俺、奈美、秋山はこんな状況を生み出した張本人である男の存在を思い出した。
「あんたたちねぇ。 特に奈美ちゃんが忘れてるのはダメでしょ」
「あはは、すみません」
誤魔化すように笑いながら奈美がようやく俺から離れた。
「ふぅ……さてと」
奈美から解放された俺は腰を抜かしている男に近づく。
奈美、本田、秋山は何も言わず、俺の次の行動を見守っている。
俺はその三人に「大丈夫」と微笑み掛け、視線を男に戻す。
「よいしょ……おい。 話を聞く余裕はあるか?」
男に目線を合わせる為に、俺はしゃがみ込み話し掛ける。
「な、なんだよ……」
声が震え、すっかり怯えきった様な表情をしている。
「俺は正直、お前が許せない。 冷静になったとはいえ、お前のことをこの手でぶっ潰してやりたいって気持ちは変わんない」
「ひ、ひぃぃぃ」
俺のぶっ潰してやりたいって言葉にさっきの記憶が蘇ったのか、さらに怯え後退ろうとする。
「……でもな、直接手を下すのはやめておいてやるよ。 そんなやり方をしても悲しむ奴がいるからな。 そんな俺の姿に心を痛めてくれる奴がいるからな」
「……先輩」
俺は目線を一瞬だけ奈美に向けた後、再び男を見る。
「だけどお前のしでかしたことはしっかりと償ってもらうぞ。 このことは学校側に全部伝えて然るべき報いは受けさせる。 それがお前にとって吉となるか凶となるかは知らんが、自分のしたことを後悔して生きていくんだな」
「あっ……あっ……ぼ、僕はただ……」
なにか言おうと口を開こうとする男に、俺は最後に顔を近づけ、
「もし再び俺たちの前に現れることがあるなら、今度こそ俺の手で容赦なくぶっ潰してやるからな。 そんな機会がないことを願っているよ」
そんな俺の言葉に、男は完全に口を閉じた。
その後、俺たちは先生を呼びに行き、事の事情を全て話した。
事情聴取などで結構な時間を取られたが、時間も遅かったこともあり、男の処理も含めて事後処理を全て大人たちに任せ、俺たちは帰路についた。