基山圭
「はい! お待たせしました!」
力強くそう言った背の小さい方の奴……奈美が俺と秋山の方にやってくる。
そして掴み合いをしている腕と腕の間に入り込んできた。
「……原田ちゃん? なにしてるの?」
「辛そうにしているとこ、すみません。 もう少しだけそのまま先輩を抑えててください!」
「……まじで?」
「まじです!」
俺と秋山の間に入ってきた奈美は、俺の正面に立ち、真っ直ぐと俺の目を見つめてくる。
「なんだよ」
「……」
奈美は俺の言葉を無視し、しばらく俺の目を見つめ続けてくる。
そしてなにか意を決したように、俺に抱き締めてきた。
…………。
「は?」
ーー意味がわからない。 なにをしているだこいつは……。
抱き締めてくる奈美を剥がそうと手を動かすが、秋山にしっかりと掴まれている為、俺の抵抗は意味をなさない。
「なんのつもりだよ。 おい、聞いて……」
「先輩、もう大丈夫ですよ。 先輩は私の為に、十分頑張ってくれました。 私はもう大丈夫です」
ーー………………。
まるで母親が子どもを安心させるように、俺の背中に回した手をゆっくりと動かし、「大丈夫」と言ってくる。
「もう仮面は付けなくていいんですよ。 仮面を付けてまで1人で背負おうとしなくていいんです」
ーー………………。
「私が側に居たいと思う先輩は"優等生"の仮面を付けた先輩でも、"不良"の仮面を付けた先輩でもないんです。 そんな偽りの仮面を付けていても出てきて、私の為に必死になってしまう、そんな仮面の下の先輩の側に私は居たいんです」
ーー………………。
「私と出会う前の先輩の過去になにがあったのかはわかりません。 でもきっと、その時の先輩が私が側に居たいと思う"本当の先輩"なんだと思います」
優しい口調で話しを続ける奈美に、俺はなにも言えない。
「先輩がなにを恐れているのか、なんでそこまで過剰な行動をしてしまうのかはわからないです。 でももう大丈夫ですよ。 先輩が辛く、しんどい時は先輩が安心するまで、私がいつまでも側に居てあげます」
ーー………………。
奈美の言葉が俺の心に沁み回っていく。
闇の中に光が差し込むように。
俺は仮面を付けることで気付かないフリをし、本質という名の"本当の自分"というものから逃げていた。
逃げ続けなければ耐えることなんてできなかったから。
「…………もういいのかな。 父さん、母さん、柚子……俺は、俺を許してもいいのかな」
気づいたら俺の口から、そんな言葉が出ていた。
この世で一番守りたい思っていた最愛の家族を亡くした日……その日から俺は自分を恨み、憎み、自分の弱さに嫌気がさした。
だからこそ俺は"優等生"の仮面を付けることで"偽りの基山圭"を生み出し、それを演じることでこのことから逃げていた。
だけどあの日、仮面の中で絶望という名の闇を彷徨っていた"本当の基山圭"が顔を出した。
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ミーティングを終えた後、用を足しにトイレに行った。
全国大会ということもあり、出場チームの選手の家族や、学校単位で応援に来ているところもあって、観客が多かった。
足早に上手く間をすり抜け、無事トイレに着いた俺はさっさと用を足し終え、手を洗ってトイレの外に出た。
『おい‼︎ ざっけんなよ‼︎』
『本当にごめんなさい!』
部屋に戻ろうとする俺の耳に、そんな声が聞こえてきた。
通り道なので、その横を通りすぎる時にチラッと様子を伺ってみる。
『俺は今から試合なんですけど? なぁ? こんなアイスクリーム塗れのユニフォーム着て、試合出ろって言うのか?』
『ごめんなさい、ごめんなさい』
小さいお子さんが持っていたアイスクリームをぶつけてしまったらしい。 その子の母親と思われる女性が必死に謝っている。
ーー選手の奴は可哀想だけど、この人混みじゃ仕方ない感もあるよなぁ……まあ、逆にこんな人混みの中であんな小さな子にアイス持たせてたらこうなる可能性もあるってことは頭に入れとくべきだったんだろうけど。
親子の方が悪いとは思いつつ、適当なところで折り合いつけてもらいたいものだ、なんて他人事のように思い横を通り過ぎようとした。
ーー親子……か。
ズキッ
『ッ! ……?』
子どもの為に必死に頭を下げる母親を見て、なぜか頭痛がした。
俺も試合前なのに体調不良とか勘弁してくれ、なんて思いながら部屋に戻ろうとする。
しかしそんな俺の横で、思っていた以上に頭に血が上ってしまっていた選手の怒鳴り声が響き渡った。
『謝って済むわけねーだろうが‼︎』
『痛ッ⁉︎』
男が母親の足を全力で蹴った。
行き場をなくした怒りの感情が暴力として出てしまったみたいだ。
『おがーーぢゃーん⁉︎』
足を蹴られ、痛そうに膝をついている母親の元に子どもが泣きながら駆け寄ろうとしている。
『てめーもだよ‼︎ クソガキ‼︎』
男の怒りは収まることなく、今度はその駆け寄ってきた子どもに対しても足を振り上げた。
ズキッ
そこで俺の意識はなくなっていた。
意識が復活した時には、目の前にさっきの男が鼻や口から血を出して倒れていた。
なにがあったのか周りを確認しようと体を動かそうとしたが、警備員と思われる人に羽交い締めにされていて身動きが取れなかった。
そこで俺は気付いた。
俺が……いや、仮面の下に隠していた"本当の基山圭"がこの状況を生み出したということに。
親子や警備員の証言や、男の怪我が見た目ほど酷いものではなく軽傷であった為、大きな事件とはならず済んだ。
しかし、暴力行為があったということで両チーム出場資格剥奪となってしまった。
俺の軽はずみな行動のせいで、夢の全国という舞台を去らなくてはいけなくなった為、チームのみんなは怒り狂っていた。
チームメイトの1人が、俺が伸してしまった選手と同じように怒りの感情の行き場をなくし、まだ突起のすり減っていないスパイクで肩を殴ってきた。
当たりどころが悪かったのだろう、スパイクの刃が俺の左肩を切り裂いた。
俺はその後、怪我を隠すよう1人その場を後にした。
ーーそう。 これは俺が"本当の基山圭"から逃げることのできなかった罰なんだ。
そう考えて。
後日、病院に行くと思いのほか傷が深かったにも関わらず、処置を怠ったことで俺の左腕は二度と肩から上には上がらないと言われた。
そして、過度に激しい運動も今後は控えるようにと。
俺は左肩と共に、"優等生の基山圭"という仮面も失った。
"優等生の基山圭"に寄ってきていた人間は皆、手のひらを返したように仮面を失った俺から離れていった。
その結果、居場所をなくした俺は学校にも全然行かなくなった。
それに伴い、俺の悪評はどんどん拡大していっていた。
そして、そのことを知った俺は……今度は"不良の基山圭"という仮面を付けるようにした。
高校に入学してからも"不良の基山圭"を続けた。
以前の仮面とは違い、多くの人間は俺に寄ってこなかった。
ーーこれなら俺は今度こそ"本当の基山圭"から逃げ続けることができる。
都合がいい、そう思っていた。
しかし、世の中甘くはなかった。
中学時代の後輩が同じ高校に入学してきており、俺に接触してきた。
始めは"優等生の基山圭"が諦めきれないのだろうと思い、そんな人間はもういないと拒絶した。
しかし、その後輩はそんな上っ面な人間じゃなく、"本当の基山圭"を信じ、側にいたいと宣言してきたのだ。
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