壊れた男
「ハァ……ハァ……正解か」
三階の奥にある元音楽室の前に着いた俺は、自分の考えが正解だったことを確信した。
小部屋自体が防音となっている為、声や物音は聞こえはしない。
しかし、教室の扉が開きっ放しになっている。
教室に入り、小部屋に繋がる扉に手を掛けた瞬間……ズキズキと頭が割れてしまいそうになるほどの頭痛と共に、今度は破裂してしまいそうなほどドクンドクンと心臓が高鳴り始めた。
ーーあぁ……やばい……意識がまじで飛びそうだ……。
なぜ意識が飛びそうになるほど朦朧としているのかわからない。
意識が飛ばないよう歯を食いしばり、そして扉に掛けた手に力を入れる。
ーーくそったれ……俺のことなんかどうでもいいだろうが! 今は奈美を! 奈美……奈美っ‼︎
「奈美っ‼︎」
扉が壊れてしまいそうな勢いで力一杯開く。
ーーギリギリ間に合った……のか?
小部屋の中に入りながら様子をみる。
椅子に縛り付けられた奈美と、その奈美の後ろで歪な笑い顔を奈美に近付けようとしている男が俺の方を向いた。
「せ、先輩っ‼︎」
「ッ! あなたは!」
泣きそうになりながらも嬉しいそうな声で俺を呼ぶ奈美の声と、良いところを邪魔されたのか怒気を孕んだような男の声が重なる。
俺は男の方を無視して、奈美に話し掛ける。
「奈美、大丈夫か?」
「大丈夫です……縛られた以外はまだなにもされてないです。……でも遅いですよ、先輩‼︎」
こんな状況なのにもかかわらず、奈美は大丈夫と言って普段と変わらない感じで返してくる。
「そうか。 遅くなって……悪かったな……ハァ、ハァ……ぐっ⁉︎」
「先輩っ⁈」
酷い頭痛と激しい心臓の鼓動に思わず呻き声が出しながら壁に寄り掛かる。
そんな俺の様子に、奈美が心配するかのように悲鳴にも似た声をあげる。
奈美が一先ず無事だったのには安心したが、俺の方がすでに限界に近かった。
ーー本当になんだよこれ……あぁ、クソ……やばい、これは本当にもう意識が……。
「よくわからないですけどぉ〜なんかつらそーですねぇ! 基山せ〜んぱ〜い!」
そんなすでに立っているだけで精一杯の俺を見て、男の方がニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべながら話し掛けてくる。
「ぐぅッ⁉︎ ……ハァ、俺を……知っているのか……?」
「そりゃあ知ってますよぉ。 あなたみたいなゴミ人間はこの学校では有名ですからね〜」
男の声を聞いていると痛みがさらに激しくなっていくような気がする。
「はは……俺がゴミ人間なのは……否定しないけどよ……ハァ…………俺もお前のことは知ってるぞ」
「へぇ〜、なにを知っているんですかぁ〜?」
依然として気持ちの悪い顔を向けてくる男に対して、俺は馬鹿にするように口角を上げる。
「あぁ? 人の教室にまでストーカーしてきたあげく……こうして人攫いまでやっちまうような……俺以上のゴミ人間だってな……」
「はあ? うざ……というかストーカーとは酷い言い草ですねぇ。 僕はただ、僕の愛する彼女をあなたのような野蛮なゴミ人間から守る為に見守っていただけですよぉ〜」
ーー本当にクソ野郎だな。
「ハァ…………ハァ…………」
思っていることが口からでない。
目の前の男の話を聞くにつれて、俺はまともに話すことすらできなくなっていく。
そんな俺の様子に、男は俺が動けないと踏んでさらに饒舌に話し始めた。
「あなたが悪いんですよぉ? ……本当なら今頃、僕と彼女はバスケ部の仲間として青春を謳歌していたはずなのに‼︎」
「な、なにを言って……」
奈美がなにか言いかけたが、男は遮るように話を続ける。
「それなのに……あなたのようなゴミが僕の愛する彼女を脅して、自分の側に置こうとしてたから! ……だからこうして、僕が彼女を救うと決めたんだ!」
「…………」
男の聞くに耐えない迫真の演説に俺はなにも返せない。
もう呼吸が荒くなっているのかもわからない。
頭痛も心臓の鼓動の音も感じなくなり始めている。
それなのに意識は落ちていこうとしている。
まるでなにも感じることのできない、そんなどこまでも続く闇の底へと落ちていくように……。
「そ、そんな! 私は先輩に脅されてなんていないです! 私の方から先輩に……」
「うるさい‼︎ 僕はこの目で見たんだ! 君たちが二度も言い争っているところを! そして今週になって君は急に態度が変わって……」
俺がなにも言えない代わりに奈美が男の話を否定したが、悪手だったらしい。
男は急に怒りを奈美にぶつけ始めた。
しかし男は言葉を止めると同時に、怒気を急に収めた。
そして今度は再び気持ちの悪い笑顔を奈美に向ける。
「そうだよ! このゴミに脅されて仕方なくやっていたんだろ〜。もう大丈夫だよ、僕が助けてあげるよ……だからね? 僕に反抗するような態度は許さないよ……」
「ひっ⁉︎」
下卑た笑顔のまま、男は奈美を殴ろうとしているのか右腕を振り上げた。
防音の小部屋に激しくなにかを殴った音が響き渡った。
それと同時にそのなにかが壊れたような音が……。
俺はその音がしたと思われる方にゆっくりと顔を上げる。
顔を上げた先にあったのは……備品として置きっぱなしにされているホワイトボードが殴られた衝撃で割れている光景と……血を滴らせながら固く握ったままでいる俺の右手だった。
「あぇ?」
そんな光景を確認した後、気の抜けたような声を出した人間の方を見る
そいつは右腕を振り上げたまま固まっていた。
「なぁ。 お前……生きてる価値ねーよ」
いつの間にか先ほどまで俺を苦しめていた頭痛も心臓の高鳴りも完全に治まっていた。
そして血を流している右手からも痛みを感じない。
そう……もうなにも感じない。
なにもわからない。
ただ、目の前にいる人間を……今生きていることを後悔するぐらいにグチャグチャに捻り潰してやりたい。