不調
奈美からの宣戦布告を受けたその週末、俺は普段以上になにもやる気が起こらずひたすらに惰性に過ごした。
奈美の言う俺の本質というものがなにかはわからない。 ただ、奈美の宣戦布告を聞いてから俺の中に不思議な感覚が生まれた気がする。
それは不気味な歪さのようなものであり、それでいて心が暖まるような安心感。
そんなモヤモヤしたものを抱えたまま、土日が終わり月曜を迎えてしまった。
俺は今日も朝早くに目が覚めた為、朝から学校へ向かう。
学校へ向かう途中もずっと同じことを考え続けていた。 そんなボーッとしながら歩く俺の後ろから、
「せんぱーーい!」
その考えごとの原因である奈美が、俺に追いつく為に小走りしながら声を掛けてきた。
「おはよーございます! 朝から会えるなんて今日は良い日かもしれませんね!」
なんて嬉しそうに話し掛けてくる。 来週から覚悟しとけとかなんとか言ってたし、さっそく実行に移し始めたのだろうか。
「奈美、俺に話し掛けてくるのはやめろ……学校でのお前の立ち位置が辛くなるだけだ」
奈美の姿を見て、どこか安心している自分がいる。
その所為だろうか、拒絶の言葉に力がないのが自分でもわかる。
当然そんな力の入っていない拒絶で奈美が引き下がることはなかった。
「そんなの関係ありません。 私は私の好きなように高校生活を楽しむだけです! 」
「はぁ」
俺は「もう好きにしろ」というように溜息を吐き、学校に向かって歩くのを再開する。
ーーなんだか二年生に上がってから溜息ばかり吐いている気がする。
「ふふ、この土日なんですけどね……」
一緒に登校を始めると、奈美は嬉しそうに週末あった自分の話を始めた。
一方的に自分の話をする奈美に「へー」とか「そうか」なんて相槌しか打たなかったが、それでも嬉しそうに話を続ける奈美を見て、どこか懐かしく、ホッとするような気持ちになった。
つい先日までは拒絶し関係を終わらせようとしていたのに……そして今もそれは間違っていないと思っている。
それでもこの状況にやはり安心している自分がいるのもまた事実だった。
そのまま学校についた俺たちは校舎が違う為、途中で別れる。
「それじゃあ先輩、また後で!」
別れ際にそう言ってくる奈美に背を向け、軽く右手を上げるだけで返事をした。
そのまま何事もなく教室に入り自分の机の方を見ると、すでに秋山がいた。
「あっ、基山おはよー」
「ん」
気が抜けている所為か、挨拶ですら適当になる。
そんな普段以上に素っ気ない俺の挨拶に思うことがあるのか、秋山が不思議そうな顔をしながら俺の方を見てくる。
「なんだよ」
「いや? なんか少し嬉しそうな顔してるなーって! 土日で良いことでもあった?」
「……は?」
やはり妙なところで勘のいい秋山は、俺の挨拶ではなく俺自身に疑問を感じたようだった。
「うーん、普段よりなんだか穏やかな表情をしてる気がする」
秋山が俺を観察しようと顔を近づけて、俺の顔をまじまじと見てくる。
ーー近い。 鬱陶しい。
このまま変に勘付かれても面倒だし、そもそも男に至近距離でガン見されても嬉しくもなんともない。
調子がでないが、とりあえず普段と同じように秋山を遇らう為に口を開く。
「あぁ、いいことあったぞ。 金曜にズル休みしたお前をどう弄んでやろうか考えてたら、楽しいこと思いついたんだよなぁ」
「……怖すぎるんですけど」
そんなこと全く考えてなかったけど、それっぽくニヤリと笑いながら言ってみると、どうやら効果覿面だったらしい。
秋山は俺の観察をやめて自分の席に戻り、そして机に伏せて寝る体勢に入った。
それを確認した俺も秋山と同じように机に伏せ、そして眠り始めようとした。
しかし午前の授業中はなかなか眠りに落ちることができず、途中で寝ることを諦めた。
暇だし秋山を使って暇つぶししようと思い、秋山の方を見ると心地よさそうによだれまで垂らして寝ていた。
自分でも理不尽だとは思うがなんだか腹が立ったので、丸めた消しカスを寝てる秋山に投げ続けることで暇をつぶすことにした。
「あの? さすがに陰湿すぎません?」
授業中は全然起きなかった癖に昼飯の時間になった途端目を覚ました秋山は、自分の周りに大量に散らばっている消しカスを見てそう言ってきた。
「わるいな、お前の寝顔に腹が立ってよ。 この消しカスもほんとは全部お前の耳の穴に入れるつもりだったんだが、なかなか入らなかったわ」
「……耳がゾワッってなったよ! っていうか寝顔に腹立ったって理不尽すぎでしょ」
秋山はものすごい勢いで耳をさすりながら、興奮したように言ってくる。
俺はそんな秋山の反応に満足した。
「耳の穴にってのは冗談だ。 丸めたそばから適当にそっちの方に投げてたから安心しろ」
「なんだ、よかった……じゃないよ! どっちにしても最悪だし、しかも寝顔に腹立ったって方は冗談じゃないのかよ!」
ーーアホの癖にこまけーな。
「……声に出てるよ?」
不本意だが秋山と普段と変わらないやり取りを続けることで俺は普段の調子を取り戻すことができた。
できればこのまま今日1日終わればいいななんて思っていたが、そんな甘くはなかった。
廊下の方がなにやらザワザワし始めた。
なんだか猛烈に嫌な予感がする。
……嫌な予感というのはよく当たるというが、しばらくするとザワザワの根源となっていた奈美と、なぜか一緒に本田が俺のクラスに入ってきた。
「先輩、一緒にご飯食べましょー!」
「だってさ、圭! せっかくだから私も一緒に食べようと思って付いてきちゃった!」
朝と同じく嬉しそうな顔をしている奈美と、ニヤニヤと笑う本田の登場に本日二度目の溜息が出てしまう。
「ちょっ⁉︎ 基山、あの子じゃん! やっぱり知り合いだったのかよー」
奈美の登場にさっきまでのやり取りが頭から飛んでいったのか、秋山は驚いたように言ってくる。
そんな秋山とそれを無視する俺のところに2人が弁当箱らしき物を手に近寄ってこようとする。
が、途中で止まった。
「うわっ! 晴人の席汚すぎじゃない? まともに授業を受けててもこんな量の消しカス出ないわよ」
「あっ、この前の失礼な人! ……高校生にもなって消しカス遊びは子どもっぽいのでやめた方いいですよ?」
「あっ! 忘れてた……ってか待って⁉︎ これは基山が……ん? 失礼な人ってなに?」
本当に頭から飛んでいたみたいだ。
秋山は1人忙しなくバタバタしている。
「はいはい、言い訳はいいから早く片付けなさい。 こんな汚い席の近くでご飯なんて食べたくないわ。 存在自体が失礼な失礼晴人君?」
「ひでー、基山覚えとけよ! あと優子も人の苗字を変な変え方すんじゃねー」
俺はそんな3人を尻目に鞄から取り出した菓子パンの封を開けて一足早く食べ始めた。
俺と秋山の周囲の席の人間は昼飯を食堂や他クラスに食べに行くことが多いので、そいつらの座席を使わせてもらい4人で昼飯を食べ始めた。
もちろん秋山が掃除をしてから。
「へー、圭と奈美ちゃんは中学時代の先輩後輩だったのね! どおりで!」
「はい、優子さんと初めて話した時に少しだけ騙すような形になってしまいごめんなさい」
ーーこの2人、いつの間に下の名前で呼び合う仲になったのだろうか。
そんなどうでもいいこと考えながら、俺は会話には参加せず1人黙々と食べ進める。
「気にしてないわよ、圭だって知り合いじゃないとか最初言ってたし」
「優子も奈美ちゃんと知り合いだったならちゃんと教えといてよー」
奈美と一緒に飯食うことが嬉しいのか、秋山のテンションがやけに高い。
しかし、そのハイテンションは女性陣2人の手によって長く続くことはなかった。
「晴人に奈美ちゃんのことを教えるわけないでしょ。 今だって奈美ちゃんが仕方ないって許してくれたからここに居させてあげてるんだからね」
「すみません。 秋山先輩に奈美ちゃんと呼ばれるのは抵抗があるので、苗字で呼んでもらっていいですか?」
「……二人とも俺の扱い酷すぎじゃないですかね」
本田は言わずもがな、奈美も速攻で秋山の扱い方をマスターしたようだ。
ーーん? 気の……せいか?
その時、俺はなにか視線を感じた。 視線を感じた先に目を向けてみたが特に不自然な点はなかった。
まあいいかと視線を手元に戻そうとした時に、奈美と目があった。
「先輩、もしかして迷惑でしたか?」
少し悲しそうな顔をしながら聞いてきた。
先週までの俺だったら間違いなく「迷惑だ、帰れ」と言っていただろう。
だけど朝と同じように奈美が側にいることにどこか安心している所為でそんな言葉は出てこなかった。
「……正直よくわからん。 ただ、よろしくはないかもな」
「え?どういうことですか?」
そう言いながら俺は目線を奈美から外し別のところをみる。
「まあそうね。 面白そうな展開に見逃してたけど、あまりいい空気じゃないわね」
本田は俺の目線の先に気づいたらしい。
俺の目線の先には俺たちの方をチラチラと見ながらなにか話している奴らがいた。
奈美はそいつらに背を向けているから気づいていないが、楽しげな雰囲気では一切なかった。
「奈美、明日からはまた自分の教室で食べろ」
「まだ時期尚早だったってことよ、奈美ちゃん」
「うーん、わかりました……でもまた一緒にお昼食べましょうね!」
俺と本田の2人から言われ、しぶしぶといった感じで諦めたかと思いきや、ただでは転ばなかった。
「フ……あぁ、またいつかな」
俺はそんな奈美の姿勢に思わずクスッと笑って、そう答えていた。
言ってから自分の口から出た言葉に驚く。
それは奈美も同じだったようで目を見開いて固まっている。
「なになに? 圭はデレ期入ったのかしら〜」
「……ちげーよ」
ニヤニヤと言ってくる本田に苦しい返しをする。
ーーはぁ、ほんと調子狂う。
心の中で本日三度目の溜息を吐く。
「そういえば晴人、あんたやけに静かね。 どうかしたの?」
「ん? いや、なんでもないよ」
途中から秋山はなにも話さなくなっていた。 その秋山は本田に問われたことになんでもないと返した後、俺の方を見てきた。
「基山は気づいてたよね?」
「……まあな」
さっき奈美が迷惑かどうか聞いてきた辺りの時、他の奴の奇異な視線とは別に憎悪や殺気にも似た嫌な視線があった。
そんな視線は俺に向けられていたものだったし特に気にはしていなかったが、秋山はそのことを言っているのだろう。
「なによ男2人でわかりあったように」
「先輩?」
俺と秋山の会話に女性陣2人はよくわかっていないらしく、頭にクエスチョンマークを浮かべている。
「まあ大丈夫とは思うけど、基山も原田ちゃんも気をつけなよ?」
「なんでもない。ほら、もう昼飯の時間も終わるし2人ともさっさと教室に戻りな」
「「?」」
最後に変な空気になったが、強引に話を終わらし2人を自分たちの教室に帰した。