78話・あなたの道と私の未来 1
私の願いは、確実にギルに伝わったようだ。
《月の満ち日に》
言づてにしては短すぎる手紙と共に現れたショーティーを見下ろし、あまりの残念さに盛大な溜息を漏らして肩を落とした。私の落胆に気づいてか、黒い子猫は視線を落としてしょんぼりしている。
伝わったのは方法だけで、もっとも重要な点である内容をどう書くかまでは、ギルの脳みそに届かなかったらしい。
私を追いかけてくる程度には時間を作れたようなのに、どうして一言しか書けないのか。想像力が乏しいのか、気遣いが明後日なのか。
「君のご主人は、ほんっとーに残念だわ。あんなに格好良くて男前なのに、なんでああも鈍感なのかしらー。特殊部隊の隊長となれば、並みの仕官より冴えた頭脳や勘の持ち主なんだと思ってたんだけど……」
私の手のひらより小さな紙片に書かれた一言。
月の満ち日に、何をどうするつもりなの? ここに来るの? まあ、それしかないわよね?
これじゃ、作戦中の偵察隊からの密書にしか見えないじゃない。それも要点のみの。まるで、敵同士なのに惹かれ合う禁断の恋のよう。でも、まったく甘さが微塵もないのが……ねぇ?
「うにゃ? ぐるにゃあ」
「あ、私が愚痴ってるって告げ口したら、君を嫌いになっちゃうかもね」
ウニャウニャと何かを言っているショーティーの口元に人差し指の先を押し当て、ちょっと脅しをかけて口止めをする。
カンテラの灯りの下、呆れたりにやけたりしながら、白々とした紙に書かれた癖のある文字を眺め、ショーティーをを抱いて静かな夜を過ごした。
頭に響く鈍痛とすっきりしない気分で、目覚めを迎えた。かすむ視界に見覚えのある天井が映り、重い瞼で何度か瞬きを繰り返す。
もやつく記憶の中では、森の中で天幕を張ってショーティーを抱きしめ眠りについたはずなのに、目が覚めたら自室のベッドの上って、どーゆーことだろう。
どちらかが夢? 野営が? それとも、この状況が?
嗅ぎ慣れた匂いのする部屋を目だけを動かして見回し、ちょっと埃臭い柔らかな手触りの毛布にそっと顔を埋める。
夢想放浪症に患っている……とかじゃないわよね。なら、ショーティーが巨大化して運んでくれた? うぅ~ん……それにしても、頭が痛い。心なしか顔を含めた身体全体が熱っぽくて怠い。
昨夜の記憶からいろいろな仮説を立てては否定を繰り返し、その度に思考が散漫になる状況に苛つく。もやもやする額の辺りと鈍痛に唸りつつ、手のひらで頬から額までを撫でて。
「あー……感冒に罹ったみたいー」
妙に手のひらも火照っているし、撫でた頬やこめかみの辺りはうっすらと汗をかいていた。その上に、呟きが思いきり掠れて喉に痞える。
どうやって家に辿り着いたのかといった疑問は後回しにして、まずは熱覚ましと回復剤を求め、鞄を探して上体を起こす。肘をついてそろりと頭を上げれば、ぐらつく視線の先に昨日別れた金髪の頭を見つけて息を呑んだ。
椅子に座った髪の男が、ベッドの端に伏せて眠り込んでいる。
……なるほどー。ここに私を運んだのは彼だ。そして、彼を呼んだのは、ショーティーね。
きっと、私は真夜中に高熱を出したのだ。朦朧とした意識で呻くだけの私を見て、ショーティーはギルに助けを求めたんだろう。
しかし、発熱するほどの体調不良にも気づかなかったって、これじゃ治療薬師失格じゃない。ううっ。
「ギル……ありがとう」
小声でそっと感謝を伝えてみる。
森の中で独りだったら、今頃どうなっていたか。
目覚めた私に気づいたショーティーが、トトトトッと軽い足音を立てて部屋の隅に置かれた籠の中から走ってくる。
「ショーティーも、本当にありがとう。大好きよ」
肘をついた私の前に、ベッドにポンと上がってきたショーティーをぎゅっと抱きしめる。
ギルの一部だからと拗ねて邪険にしてしまった愚かな私を、いまだ大切に思ってくれている温かく小さな毛玉。ざらつく舌が私の頬を撫で、私は代わりにショーティーの顎に指を滑らせる。
ひとりと一匹で密かな友愛を交わしていると、足のほうで椅子がギィと軋みを上げた。
「俺には感謝だけなのか?」
見れば、ギルが伏せた姿勢で顔だけをこちらに向け、私とショーティーを眺めていた。
私はあえて視線を黒毛玉に戻し、病熱とは違う熱さが首筋から上がってくるのに慌てた。
「昨日、ちゃんと告げたじゃない」
「昨日は昨日だ」
「……それって卑怯……」
思わず唇を尖らせる。
「なんだって?」
「私だけに言わせるつもりなのが、卑怯だって言ってるのっ」
下がりかけた熱がまた上り、絶対に顔は真っ赤になっている。このままじゃ火でも噴くんじゃないかってくらいに熱くて、毛布をかぶって隠れた。
「……熱を出して伏せっているリンカに告げても、きっと誤解する」
「何をよっ!?」
「平常に戻って思い出しても、高熱のせいで見た夢ではないかとか……」
毛布越しに、ギルが立ち上がって近づいてくるのがわかる。足音や床の軋み音や、珍しくも柔らかく優しい声。
やればできるじゃないっ。正体を隠してたのか、それとも私の指摘で改めたのか。
「だから、予定通りに月の満ち日まで待つ。それまでの間に回復してくれ」
「月の満ち日に作戦決行?」
「ああ」
ふわりと異質な魔力が私を毛布共々包むと慰撫するように熱を絡めとってゆき、汗ばむ首筋をひんやりとした涼しさが撫で、頭のもやもやした鈍痛までもが鎮まる。
「ギル……『漆黒の』異名は治癒能力まで持ってるの?」
毛布の上から抱き込まれているのはわかっても、何のスキルで癒されているのかまで察することはできない。ただ、ギルの纏う魔力が私を包んでいるのだけは感じ取れた。
トゥーリオ跡地で見たあの漆黒の禍々しい魔力とは異なり、小鳥の羽毛で触れられているような繊細さと優しさ。
「いや? 何もしていないぞ?」
「でも、なんだか楽になって――」
「それは、リンカの薬が効いてきたからだろう」
さらりと返ってきた答えに、私は「ん?」と首を傾げた。
「私、薬を飲んだ記憶がないんだけれど……」
「リンカは熱にうなされてたから覚えてないだろうが、俺が飲ませた」
……嫌な予感がする。このまま深く突っ込むと、また高熱が出そうな答えが返ってきそうな気がする。
だって、妙にギルの口調が明るく軽い。昨日はあんなに重い雰囲気の中で別れたっていうのに、なぜか機嫌がいい。
「薬はショーティーが見つけ出してくれたし、俺も見覚えがある物だったから安心してくれ。ただな、すんなり飲み込んでくれなかったんでな。リンカが俺にやってくれた方法を試させてもらったぞ」
「うあ……」
腕から抜け出そうとしたけれどがっちりと拘束されていて、出たのは毛布でくぐもった呻きだけ。
「役得だったな。礼を言うのは俺のほうかもしれん」
耳元辺りでこそりと甘く囁かれ、抵抗どころか硬直するしかない。
喉が腫れていなかったら、きっと森にまで響くような悲鳴をあげてただろう。
だから、頭の中で。
きゃーーーーーーっ!!
なんで覚えてるのよ! あの時、ギルは意識不明だったんじゃないの!?
このっ、卑怯者め!!




