74話・帰国 そして感傷
カルミア王国を離れる日、やっとシェルク様に再会できた。
私が王都に戻るのと入れ替わるように、シェルク様は宰相様の要請を受けて、保護局の再生事業のために本拠地へと向かった。それを聞いた私は「解体ではないんですねぇ……」と呟いてしまい、旧トゥーリオ跡地の報告をまとめていた政務官を苦笑させた。
シェルク様との再会は叶わず、エマさんとも顔を合わせる暇が取れずに帰国することになって、私は残念な気持ちを引きずりながら王都を後にした。
それも、リンゼル公領の港で晴れた。
多忙を押して見送りにいらしてくださったシェルク様の顔を見た途端、私は何も話せなくなってしまう。喉が詰まり、一緒に涙が溢れ出す。別れの挨拶をと唇を開いたのに、出たのは嗚咽だ。
幼い子供のようにあられもなく泣きだしてしまった私を、男性にしては嫋やかな腕がやんわりと抱き締め、優しく背中を叩いてあやす。
「……そんなふうに私の前で泣くものではないよ。帰したくなくなる。いっそのこと私の養女になるのはどうだね?」
そんな戯言めいた提案に、私の涙はぴたりと止まった。
驚きのあまり目を見開いてシェルク様を仰ぎ見ると、天の遣いのごとく慈愛に満ちた微笑があった。どこかで見た覚えが……ああ、これはロンド婆ちゃんが月のきれいな夜に、ぐずる私にさまざまな物語を聞かせてくれていた時の――。
「私は『月の魔女』ロンドの娘です。死ぬまで彼女の娘のままで……アーデルベルトの『翠の魔女』でいたいと」
「フフッ……それは表向きのようだな? もう知っているよ。猟犬が番犬に変化したことを。それも、とびきり獰猛な」
相変わらずシェルク様はギルに目を配っているらしい。その《目》の厳しさが、問題なんだけれどね。
「はい。あまりにも獰猛すぎて、お仲間まで怯えさせているようです。なので、本人がきっちりと自覚して調整できるまでは、対の異名持ちとして見守っていきたいと思ってます」
「対だから……なのか? リンカ、すでに貴女は自由なのだ。己の思うように生きなさい」
「それは……」
言葉が続かない。
何をもって自由というのか。母を亡くし、養母のロンド婆ちゃんも世を去り、その時から私は自由になったはず。
もしかして、血の禍根?
「これから先、異名は特殊能力者の区分に置かれる。だが、以前のような扱いは禁止される。保護局も名を変え、魔法使いも含めた登録者仲介組織に生まれ変わる。我らは、我らの力を求める者に手を貸す――それを成すだけでよいのだ」
「能力だけを……?」
「そうだ。上辺の美しさなどに惑わされる者たちなど、勝手に滅べ!」
神の代行は、手入れのされた白い指を折って拳を作り、似合わない宣言をする。私はまだ乾き切らない涙を拭い、声を上げて笑った。
ロンド婆ちゃんと共に保護局を拒絶したシェルク様が、生まれ変わる組織の先頭に立つなんて思いもよらなかった。
でも、本来はそれが正常な形なんだ。
他者が管理するのではなく、魔力を持ち、それを使って能力を行使する者たちが生きる場所。
「今度は、楽しむために来訪させていただきます。もちろん、最優先でシェルク様にお会いするために」
「ああ。そうしてくれ。ただし、番犬は連れて来ぬようにな?」
私は、それに答えることなくシェルク様を見つめた。
初めて出会った時の、神々しい人形のような冷たい印象はすでに薄れている。血の通わぬ神の遣いから、今は温かな魔力を纏う生身の人間に見える。
それでも、お付きを連れた純白の先見の君は、この先も別格扱いのまま過ごすことになるだろう。永い時を過ごしてきた彼は、すでに人の理から外れているから。
最後に別れの抱擁を交わし、私は船上の人となった。行きとは違う軍の厳つい艦船に。
同じ船に乗り込んだはずのギルとは、なんと船がアーデルベルトの軍港が見えてきても会えずにいる。
私を護衛しながら罪人を捕縛するって任務は終了したが、護送の任が残っている。相手は単なるゴロツキじゃなくて、人の精神を操る能力をもつ『光の』異名持ちなのだから、厳重警戒が必要なのは納得してる。
でもさ、休憩時間もないの? ちょっとくらい顔を出してくれてもって思う私は我が侭?
「悪いわねぇ~。隊長ったらねぇ、こーんなに高い書類の山に囲まれちゃってぇ、ろくに休みが取れない立場に置かれちゃってたのよぅ」
下船準備をしていた私の所に、乗船の時も案内に来てくれたファミーナさんが現れた。
たぶん……期待に輝いていた私の顔が、彼女を見た瞬間にあからさまに気落ちしたのに気づいたんだろう。目を三日月型にして笑みながら、訊いてもいないことを教えてくれる。
「そーですか」
「そうなのよぅ。それに、まだお仕事中だしぃ? 特殊第四の隊長が女性客のお部屋を、こそこそ訪ねていけないでしょう? ここは、いわば職場よ? どこを通っても巡回兵の目につくからねぇ」
「そーなんですかー。へー」
理解していても、寂しがり屋の私の乙女心が拗ねて、平坦な返事しか出てこない。
それでもファミーナさんは気分を害することなく、その豊かで張りのある豊満な胸に私を抱えた。
……なんだろう。ここのところ、なぜか抱き締められてばかりいる気がする。
「なんで誰彼なく私は抱きしめられてるんでしょーか? 一番抱きしめて欲しい人には会えないのに……」
旅立ちからずっと私の側には誰かがいた。嫌も応もなくだったけれど、独りになることなく困難を越えて帰ってこれた。
慣れていたはずの孤独を久しぶりに身近に感じると、堪らなく寂しさを覚えるものなのね。
「素直な良い子に、隊長からの伝言。『港に着いたら、旅立つ前に泊まっていた宿で待っていてくれ』だそうよ」
「え?」
「確かに伝えたわよ~。またねぇ~」
え? あ? ねぇ! それだけ!? ちょっと!
急激に上昇した血圧と一緒に真っ赤な顔になった私は、混乱のあまりファミーナさんを止めることさえできずに、整えたばかりの寝台に蹲った。
艦船が、帰還の合図の笛を鳴らす。




