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7話・完治のお礼を告げる瀕死の色男 1

2話更新

 冷えた頬にかかっていた金色の前髪を掻き分けると、その横顔にかすかな記憶の断片が反応した。

 これが仰向けだったら、すぐに思い出しただろう。

 名前も教えられず、患者ですらなかった男。


「隊長さん……」


 濡れた地面にうつ伏せた蒼白な横顔を見下ろして呟く。

 今回の大逃亡の要因になった、あの呪魔創傷を負っていた政府軍の部隊長さんだった。


「なっ、なんで、こんなとこにいるのよ!」


 大声で怒鳴りながら逞しい体を仰向けにかえし、片手で戦闘服の襟を開いて胸や喉を開放する。

 残った片手で空間倉庫マギ・ボックスを探り、魔素(マナ)中和剤を詰めたマスクを取り出して隊長さんの口に押し当てた。

 そこへショーティが狙ったように彼の胸に飛び乗ると、絶妙なタイミングのジャンプを始めた。

 浅かった呼吸が深くゆっくりとした深いものに変わり、胸筋の上下が目視で確かめられるまでになった。

 なんて賢い猫なの! さすがは治療薬師の愛猫。


「呼吸安定。脈も大きく振れだした……」


 次は、件の呪魔創傷の確認だ。

 手荒に装備の腹部を開くと、アンダーをたくし上げた。


「あ、傷口はきれいになってる……。でも、治ったわけじゃないのに、何やってんの?」


 傷の表面はもう薄い皮膚を張り、少しだけ赤みを帯びたきれいな傷跡になっていた。でも、まだ内傷までは完治していない。

 通常の治療は、呪いを解呪したら後は魔創傷同様に傷口を開いたまま魔性が抜けるまで待って、それから傷の縫合になる。

 そこで手順を間違えると、魔性を含んだ内傷がまたじわじわと化膿しはじめる。

 その証拠に、薄く張った皮膚を指先で撫でるとわずかに盛り上がっている。

 ほんと何をやってんの? 軍の治療士は……と、呆れるしかない。

 

 ところで、この巨体をどうするか。

 ここまできたら、私の実家に運んで治療のやり直しをするしかないのは決定だ。

 何をしに来たのか知らないけれど、緊急措置はしたんだから後は勝手にやってくださいってわけにはいかない。このまま放置すれば、彼の魔創傷は重魔素(ハイ・マナ)によって悪化する。早く安全な場所に移動して、再治療しなきゃね。

 けれど、小柄で痩せっぽちな私が、この大きな隊長さんをどうやって家まで運ぶか、だ。

 方法はある。あるが、あまり積極的に使いたくない。


「あー……。地獄の時を堪えるしかないか!」


 自棄ぎみに気合を入れるために叫ぶと、マギ・ボックスから飴玉のような水色の丸薬をひとつ摘まみ出した。親指と人差し指で作った丸くらいの大きな飴。

 口に入れた直後に吐き出さないよう糖衣してあるが、驚異の不味さの前では気休めにしかならない。

 これを口内でゆっくり舐めながら溶かし……。

 溶かす!! 


「うあー……」


 名付けて【膂力強化薬(ストロング・ドロップ)】です。

 この丸薬を舐め溶かしている間だけ、筋力が数倍から十数倍に強化される頼もしいドーピング薬だ。

 でも、効果時間を伸ばしたいなら時間をかけて丸薬を溶かさないとならないし、そのためには長時間の苦痛を文字通り味わわないとならない。

 まさしくアンビバレンツ・ドロップ!

 本当に酷い味。口内は地獄だ。

 その上、外見変化がもっと極悪。

 いまや、私は小さな筋肉魔獣に成り果てている。

 小柄なくせに、顎から下は筋肉隆々な異形のナニカだ。

 無意識に噛み砕いて飲み込むのを避けるために大きなドロップ錠にしたのだけど、世には出せない。

 なぜなら、軍用に採用されたくないから。

  では、頑張って運びますか。彼が意識を戻す前に。

 お年頃なのに、こんな姿は見られたくありません!


 余計なお荷物を両腕に抱えての家路は、思いのほか早く辿ることができた。

 これもショーティーの道案内が的確だったから。私が重傷者を抱えている状況をきちんと考慮して、足元が安全かつ歩きやすい道を選んでくれたらしい。

 夜になるかと思われたが、まだ明るい内に到着できた時にはショーティーを褒めちぎった。


「ロンド婆ちゃん、ただいまー」


 亡くなった家族に帰省の挨拶をする。

 それが私専用のパスワードだ。

 だだっ広い草むらに、いきなり小さな一軒家が出現した。

 もう何年も帰っていなかった懐かしい家は、どこも変わらずそこにあった。

 煉瓦と木材で造られた二階建ての小さな家は、全体的に蔦科の薬草が絡んで迷彩の役割を果たしている。重魔素(ハイ・マナ)のせいで人なんて近づかないってのに、私が生まれた場所だけに植物たちが張り切ってしまったようだ。

 その証拠に、両手が塞がっている私のために、気をきかせた蔦が蔓を伸ばしてドアを開けてくれたりする。


「フォレンジュ、ありがとう。とっても助かるわ」


 フォレンジュ蔦は皮膚病に効く。おまけに痣もシミも肌荒れにも。

 丸い葉を揺らす蔦に礼を言って家に入ろうとした私の足元を、黒い影が素早く追い抜いていった。

 主の私よりも先にショーティーは駆け込み、玄関を入った先にある居間のテーブルに上がって王様のように胸を張ってふんぞり返った。


「……ショーティーもお疲れ様。道案内と人助け、ありがとうね」


 もう一度感謝を告げると、ふんっと鼻を鳴らした。

 かわいい王様に笑い、そろそろドロップの効果が切れそうだと気づいて二階に上がる。

 私の体の二倍はありそうな隊長さんを横抱きにして階段を上がるのは骨が折れ、慎重に足を進めないと壁や手すりに彼をぶつけてしまいそうだった。

 ようやく一室のベッドに彼を降ろして、ほっと息をついた。すでに薬の効果は切れかけ、最後は走り込んで投げ出すように降ろしてしまった。

 隊長さん、ごめんなさい。手荒に扱ってしまって……。



「……だ」


 かすかな声が耳に届いた。

 無意識に眠りこんでしまっていただけに、知らない男の声に飛び起きた。重病人の看護のつもりが、不自由な姿勢とはいえ寝落ちしてたなんて……。

 私が立てた椅子の音が聴こえたのか、男の声がやんだ。

 どうもうなされて漏らした呻きじゃなく、覚醒間際だったらしい。


「気づかれましたか?」


 もう夜明けが近いのか、鎧戸の隙間から暗い木立の上に紺色に染まった空が見える。

 魔道灯の淡い明かりをたよりに、ベッドの上の隊長さんを覗きこんだ。


「ここは……どこだ?」

「私は治療薬師のリンカ。ここは私の家です。湖の畔で倒れていたあなたを見つけて運びました」


 なるべく理解しやすいように端的に情報を与え、すこしだけ時間をおく。

 軍人さんはことのほか警戒心が強いから、見知らぬ場所にいると知った瞬間に過度な動きをするんだよね。訓練の賜物なんだろうけれど、安静にして欲しい時にそれをやられたら、治療士はたまったもんじゃない。

 気絶した程度なら目をつぶるけど、今の彼にそんな動きはさせられない。


「治療薬師……リ……ンカ――リンカ!? 見つけた! 君を捜していた!」

「ちょ、ちょっと! 動かないで!」


 私の気遣いは、彼の体には仇になったようだ。

 隊長さんはガバッと勢いよく上体を起こすと、覗き込んでいた私の肩を掴んで叫んだ。

 私を、探してた……?

 これって!!

  

 

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