72話・神の加護
「ようやく帰れる……」
遠ざかってゆく軍用魔道車の車列を見送りながら、私はさまざまな想いがこもったながーい溜息を漏らした。
アーデルベルトでは滅多にお目にかかれない箱型魔道車が、長々とした隊列を組んで山道を下りてきたのにはびっくりした。上りは見かけなかったとギルに問うと、古城宿の側は消音魔法を掛けて真夜中に通り過ぎたのだという。
どうせならあれが欲しかったと呟くギルに、黙って頷きながら苦く笑う。
捕虜を詰め込んだ車列が森林地帯に消えると、今度は私たちの出立だ。往路とは違い、帰りまっすぐに王都へと向かう。
古城宿に預けていたギルの魔道車の後部座席に乗り込み、ファミーナさんの横に座る。エマさんは、カルミア軍の指揮下に戻って捕虜収容車の一台に乗っていった。
そして、運転手の横の席には……。
「で、なぜ、副隊長さんが? 隊長の代行であっちに乗るとかじゃないの?」
「そんなに俺が嫌いかい?」
「この三日間、私はすこしも心が休まりませんでしたが?」
本当に心休まることのない日々だった。
エマさんが一緒にいる席には寄ってこないのに、私がひとりになるとどこからともなく忍び寄ってくる、神出鬼没なローデン副隊長さん。ギルがいない内に裏事情を知りたいという無駄な熱意に、私は「隊長に訊いてください」と繰り返すだけだった。
ただし、ギルにはしっかり苦情を入れるつもりでいた。
顔を合わせた瞬間に猛抗議するつもりで目を尖らせ走り寄った私を、なぜか色気駄々漏れの微笑みを浮かべたギルは、自然な挙動で抱き込んできた。いきなりの先制攻撃に頭が真っ白になり、噴火寸前だった不満がしゅるしゅると鎮火。
なんでこんなに安心できるんだろう。この腕の中は。
抱くように肩口を包む手の熱さを感じて、溜まった不満も疲れも吹き飛んだ。
高まる鼓動に上擦りそうになる声を抑えて、部隊の皆に軽く事情を話しておいたほうが良いと助言をした。好奇心が抑えきれなくて、嗅ぎまわっているヒトデナシがいるからと。
異名が開放されたからなのか亡霊フェルデが去ったからなのか、副隊長さんが指摘していたように、確かにギルの中の枷のようなモノは消えた。
見え隠れしていた不安定さが解消された後のギルは、まるで冴え冴えとした抜身の剣のような気配を纏い、任務完了の確認が取れるまで捕虜たちを怯えさせた。
ところが、ギル自身はまったく自覚していない様子だ。
長年引きずってきた憂いが消え、封印されていた『漆黒の』能力を行使できるようになっただけで、気分的にはスッキリしたが人格まで変わったようには感じない、と。
そんなわけ、あるはずはない。
「あのね。異名が開放された瞬間にギルの魔力は正常化したの。今まで滞っていた魔力があるべき流れに戻ったのよ? それも只の魔法使いのじゃなく、異名持ちの魔力が」
「それは、そうなんだろうが……」
私の助言に考え込み出したギルの腕から抜け、私はそっと部屋に戻った。
その日、私とエマさん以外の人たちは、任務完了と無事の再会を祝ってお酒を酌み交わし、夜を明かしたという。
「嬢ちゃんがさっさと種明かしをしてくれりゃ、俺は静かに過ごしてたんだぞ?」
「ギルから了解を得ていないのに話せるわけないでしょう! しつこい男は嫌われますよ?」
「ローデン副隊長、あんたの負けよぅ? 本格的に嫌われたくないならぁ、帰国までは黙ってなさ~い」
魔道車が動き出す前から始まった私と副隊長さんの険悪な舌戦に、ファミーナさんは朗らな笑い声を立てると、ふんわりとした口調で副隊長さんに追い打ちをかける。
「ちっ、しゃーねぇな!」
舌打ちが返り、また笑いが起こる。
そんなふうに帰路は和やかな雰囲気に包まれた。
二晩を護送隊と共に野営で過ごし、その後は宿を取ってゆっくりと体を休めると早朝から王都に向かってひた走った。
この時、ギルと交代で運転をするために副隊長さんが同乗したのだと知って、素直に謝罪した。目を丸くして絶句する副隊長さんに、ちょっと溜飲が下がる。
懐かしささえ感じる王都の街並みを眺め、無事に生きて帰ってこれたんだとようやく実感が湧いた。
城下町を通り過ぎ、貴族街を突っ切って外城門に到着。衛士に通門許可書を見せて、王城前の広い庭をぐるりと巡る。
ガラ山付近はあんなに寒かったのに、ここは春真っ盛りの暖かさだ。南寄りの平地であり、湿り気を含んだ暖かな風が海洋から吹き込むせいかな。色とりどりの花々を堪能し、王城の正面玄関に降り立った。
出迎えてくれたのは、宰相ジャルジェ様と数人の仕官。
今日は長旅の疲れを癒し、カルミア国王との謁見は明日にと告げられて、城内に用意された客間に案内された。
私たちはそこで解散となり、部隊員が待つ宿舎に向かうギルの背を見るともなしに見遣る。たぶん、私の目に寂しさが浮かんでいたのか、ギルは無言で背中を撫でてくれると去っていった。
思慕に揺れる胸を無意識に押さえながら、私は豪華な客間へと足を運んだ。
広々とした湯殿に浸かり、軽食をいただいて寝台の上に転がったところで意識が途切れた。
――すべては、過去。
異名は神からもたらされた加護だけど、誇りこそすれ特別視されるようなことではないの。なぜなら、あれは神の恩寵ではなく贖いだから。この世に住まう生き物たちを、有害な魔素から護るために縛られた種族に対する罪滅ぼしでしかないの。犠牲の上で成り立つ加護に首を垂れる必要はないわ。
――まだ、トゥーリオのような一族はどこかに存在している。血を生贄にして魔素を抑え込み、人々の世から隠れる者たちが。自由を得たお前たちは、それらのために祈ってやってくれ。
声がする。遠く微かな囁きが。




