66話・本当の滅亡
命がけの戦闘もなく、禁忌の小箱を追いかけて魔素の洞に消えた皇王の亡霊に呆気に取られた私は、肩で息をついているフェルデや洞をじっと凝視しているレイカを交互に見やった。
鬼気迫る勢いで私に協力を迫ったフェルデだっただけに、あまりの拍子抜けな結末にぽかんと口を開けて返事を待つ。
「まだ終わってはいない。あれは、単なる虚仮威しだ。元はといえば俺が据えた洞の番でしかないからな」
「なら、私なんて必要なかったんじゃないの?」
「お前の出番はこれからだ」
剣を鞘に戻しながらフェルデは答え、転んだ私を助け起こすこともせずに塔を出てゆく。
「ねぇ! これから何をすれば――」
「さっさと来い! そろそろ塔が崩れる!」
唇を尖らせながら不服を飲んで立ち上がり、コートの後ろを叩いて埃を落としていた私は、フェルデの台詞に慌てて塔から脱出した。
もう! それを先に言え!
――ごめんなさいね。フェルデは、あの人の体を動かすだけで精一杯なの。
私の横に現れてこっそりと詫びるレイカに、フェルデに向ける感情とは違う苛立ちを覚える。
「……ギルが許してるんでしょう!? だったら私は黙って従うわよ」
――許してくれていると思うのだけれど、許容外なことに対する憤りも感じるわ。それを無理やり押さえつけているのだと……。
「自分の体を他人に好き勝手されてるんだから、当然でしょう? 抵抗せずにいるだけ感謝して欲しいわ!」
あの嫌悪感は、体を乗っ取られた者にしか理解できないだろう。意識を無理やり暗い場所に閉じ込められ、見えるし聴こえるのに何もできないのだ。
意識だけある操り人形のようなもので、日頃どれだけ無頓着に自分の体を動かしているのか思い知る。
それならいっそ【精神操作】をかけられたほうが……ああ、それも嫌だ。
ぶつくさと文句を口に中で呟きながら橋を渡って中庭に出る。
「皇王が消えたために結界が解けた。これで洞は外側から崩れ、共に塔も崩落する」
腕を組んで塔を見上げるフェルデの説明を私は黙って聞いた。
あの腕やあの胸の温もりを知っているのに、同じ声で話しているのに、まるで体温を感じさせない別の男がいる。
早く取り戻したい。
ギル、待ってて。
「崩れるって、何かしたの?」
「魔素の洞が奪われた時、『漆黒の魔法士』はその身を投じて洞を破壊する役目を負わされている。洞は魔素の噴出が止まると同時に自壊し、連鎖的に塔が崩壊する術が仕掛けられているのだ。俺は、術式実行のつもりでレイカを抱いて死ぬ気だったが、護ってくれという遺言に逆らえずトゥーリオの血を結界にして今まで保ってきた」
「その結界が解けたから、塔は崩れるのね」
「すでにトゥーリオ皇国はなく、魔素の洞も止まった……それでも魔法使いや異名持ちは生まれてくる。護る理由もすでに時の彼方だ」
昔はどうだったか知れないけれど、現在は魔素が供給される場所はトゥーリオだけじゃなくなっている。アーデルベルトの霊峰アリスレードはもとより、このグランディオス大陸やアルガース大陸には低い濃度ながらも何カ所か噴出孔が確認されている。
神が振り撒く神力の残り滓だなんだと神話で語られていても、現実は地底から魔素が供給されているだけと各国の学者たちが公表している。
でも、そこまで学のない人々は、やっぱり神力の滓が地の底に溜まって噴き出しているのだと信じている。
それはそれでいい。人は信じたいようにしか信じないもの。
「……これで本当にトゥーリオは地上から消えるのね」
――そうよ。私たちは魔素の洞とガラ山を守護するためだけに存在したの。必要なくなったのなら、後は己が求めるままに生きればいいの。皇国が創られる前の民に戻るだけ……。
気づけば、レイカの姿がだんだんと淡くなっていっている。
神に与えられた役目を終えたから?
「さあ、最後はお前の仕事だ。今代の『翠の魔女』よ」
不意に足裏がむずむずしだし、微震が起こっていることを知らせてくれる。
「レイカが消えると同時に、この地に張り巡らされた障壁結界も解ける。結界前に陣を張る帝国の悪徒らも、お前を捕らえに勢い乗りこんでくるだろう。その前にここを自然の砦に変えろ。お前を守るのはこいつに任せて、『翠の魔女』の力を存分に行使するがいい」
――あなたのお母様が残した鉱石がきっと役立つわ。それが最後のトゥーリオ産の貴石だから。
刻一刻と震動は大きくなり、立っているのが難しくなりつつある。
「もう……会えないのね?」
――私たちは還るべき場所へ還るの。トゥーリオの民が求めた自由を、私たちが願った未来を……思いきりまっとうして。
地鳴りがどこからともなく響き、塔どころか宮殿すらも軋みを上げる。
――神の名の許に、よりよき人生を。
「より深く濃い幸福を」
大昔から続く別れの言葉を告げたふたりは、瞬く間に消えた。
私の前で、ギルががくっと膝を崩す。とっさに両腕を伸ばして体を支えたけれど、私はギルを抱いたまま倒れただけだった。
「ギル!」
「……すまん、重いだろう。大丈夫だ」
激しい揺れと瞬間的な意識の入れ替わりに耐え切れず脱力が起こったようだ。すぐに私を抱き上げて立ち上がったギルは、私を見おろして苦笑した。
髪も瞳の色も戻っている。
そして。
「ショーティー……」
「ぎゃうっ!」
漆黒の巨体が私たちを支えてくれた。
半日しか離れていなかったのに、なぜか懐かしく感じる温もりに挟まれて涙が止まらなかった。




