65話・夜と漆黒 5
カルミア王国が大陸の覇を狙い、次々と小国を飲み込んでクラウス山脈へと進軍していた頃、トゥーリオ皇王とサンスーン帝国の使者の間で秘密裏に会談の場が設けられた。
使者が差し出した書簡には、禁忌の小箱の譲渡を条件に帝国が庇護するといった内容で、時の皇王は一も二もなく了承した。
ただ、小箱は塔内で『漆黒の魔法士』により厳重に保管されており、たとえ皇王の勅命であっても管轄外と一蹴されるだけだと告げると、使者は『漆黒の魔法士』の弱みを聞きだした。
愚かな王は、それをあっさりと答えてしまったのだ。
――フェルデの弱みは私であると。私を攫ってフェルデに追わせ、塔から離れた隙に別の者に奪わせればと計画し、皇王は小箱ひとつでトゥーリオが助かるならそれに越したことはない、誰も命を落とすことなく内密に終わるならと簡単に受け入れたようなのです。でも……。
「小箱の石を扱うには『翠の魔女』が必要だとは告げなかったせいで、俺を塔から引き離した帝国の連中は、小箱を手に入れた合図があがると用なしとばかりにレイカの命を奪って捨てたのだ! 俺の! 目の前で!」
『漆黒の魔法士』フェルデはその時の光景を思い出したのか、声を荒げて怒りを露わにした。
金と黒の斑な髪を振り乱し、薄緑と黒の双眸に憤怒が宿る。
そんな感情表現ひとつとってもギルとは違い、私は誰を目前に話し合っているのか混乱しかけていた。
「レイカが息を引き取る寸前、塔とトゥーリオを護ってくれと言い残したが、俺はレイカを喪った絶望に侵され我を忘れて荒れ狂った。レイカの亡骸を塔に置くと民たちには塔の崩壊による避難措置を流し、混乱に乗じて皇王と王族に剣を揮った」
「塔に続く橋の欄干の惨状は、あなたの仕業なのね? 酷い! 幼い子もいたのよ!」
――フェルデだけを責めないでっ。あれは、塔を……魔素の洞を護ってと願った私のせいなのだから!
幻のような儚い姿が悲しみに震え、靄の涙を流していた。
フェルデは王族の首と皇王の首で塔や洞に結界を張ると、レイカの亡骸を抱いて自ら洞の中へと身を投じたのだという。
「俺はトゥーリオや魔素の洞などどうでもよかった……。ただ、レイカがこの世を去るなら、俺も共にと願っただけだ。しかし、神は許してはくれなかった!」
――フェルデの漆黒のスキルが死の危機に瀕して発動し、異空間に魔素の洞を移してしまったの。塔からの魔素の氾濫は防げたけれど、代わりに結界として使ってしまった皇王の首が呪詛に変化してしまったの。その魔性を閉じ込めるため、私は神からこの場を離れることを禁じられたわ。
「つまり、皇王の放つ呪詛を解呪しない限り、レイカは開放されないってこと?」
――ええ……。
「生まれ変わることなく未来永劫この場に囚われ続け、俺はレイカの開放を求めて何度も生まれ変わってきたのだ。限りなく確率の低い『翠の魔女』の誕生を待ちわびながら」
ざっと背筋を冷たい何かが走った。
先見の君が見た猟犬とは、ギルでありながらギルではない男だった。
フェルデは私を追い立て、ギルは私を護った。ひとつの身体の中に、猟犬と番犬がせめぎ合った。
「私を追い立てていた猟犬って、フェルデだったのね……」
「そうだ。お前を逃せばまた長い時を独りで待たなければならない。絶好の機会を逃してなるかと急いた結果が紋章の封印。それさえなければ、もっと早く実行できたというのに!」
「やめてよ! そのせいでギルが苦しむことになったってのに、勝手すぎるわ!」
私の非難に、フェルデは色の違う瞳を光らせて嗤った。
「俺をこいつからさっさと追い出したくば、お前が協力すればいいだけだ」
「待っていたのはこっちも同じよっ。当然でしょう!」
私も負けてなるものかと嗤いかえす。
フェルデはレイカを。
私はギルを奪い返すために。
◇◆◇
ぽっかりと開いた塔の出入口は、まるで冥府へと続く呪われた通路の始まりのようだった。
私の手首を掴んだフェルデは、忌々しげに塔を睨むと大股で中へと入った。
「来てやったぞ! 愚かな皇王よ!」
塔の奥に蟠る呪われた皇王に、フェルデは大音声で叫んだ。
『やはりおったか。隠れても無駄と知りながら、憶病なことよ』
嘲笑混じりの返しに、私の手首に絡んだ手が緩む。
と、暗闇にいくつもの光の球が浮かび、初めて塔の中に明かりが溢れた。
体を貸すことを拒んだ私に強制する気はないとレイカは示し、今はフェルデの背後に浮かんでいる。その不明瞭な腕を一振りすると、発光苔に似た緑がかった光球が飛んだのだ。
――臆病者はどちらかしら? 宣戦布告もされていない内からカルミアを怖れ、帝国の罠に自ら嵌って自滅を呼び寄せた皇王よ。
『むっ、その声はレイカか。まだ存在しておったか!』
――神が私を遣わせたのよ。でなければ、すでにこの地は盗掘者たちの手で荒らされていたでしょう。
『この結界を解け! 我を開放せよ。さすれば皇家に行った所業は見逃してやろう』
「愚王よ。お前はここで消え失せる運命だ。皇后を筆頭に皇家の方々があの世でお待ちだろう! 逝くがよい!」
フェルデの宣告を合図に、私は空間倉庫から封印布に包まれた小箱を結界の側に投げた。
小箱は何度か跳ねて転がり、それでも中身を放りだすことなく止まった。
『おおぉ! 小娘、またもや酷い扱いをするかっ。これは、トゥーリオの宝ぞ!』
「馬鹿を言え! 長々と邪悪に染まって忘れたか! そんな物など今では何の役にも立たない産物だ!!」
レイカの手がまた振られると、結界の表面に緑色の蔦が這いだした。同時にフェルデは腰の剣を抜き、結界めがけて走り寄ると斬り付けた。
薄い金属が擦れあうような音がし、結界が粉々に破壊されて消える。返す剣先で、床に転がっていた小箱を弾くように叩き、塔の隅に皇王を誘導する。
憐れな皇王は黒い蔦をいくつも伸ばして、私など眼中にない様子で小箱の後を追う。その度にフェルデの剣が一閃し、禍々しい蔦を斬り飛ばしていった。
――今よ!
私はレイカの囁きに従って本物の小箱を空間倉庫から引っぱり出すと、今まで皇王の後ろに隠されていた魔素の洞に向かって駆け寄った。
すでに枯れかけた魔素の洞は、小さな井戸のように石組の壁に囲まれて口を開いていた。私の肩幅程度の穴なのに、大陸全土にもたらすほどの魔素を噴き出していたという。
こんな塔を造って回りを囲まなきゃ、濃い魔性を帯びた瘴気が山裾へ流れ出るのを防げなかっただろう。
「お待たせしたようね! こちらが本物の小箱よ! 後生大事に抱えて、冥府まで逝きなさい!」
思いきり力を込めて手にした小箱を洞の中へと投げ込んだ。
おおおおおおおおおおおぉぉぉ!!
その瞬間フェルデと向かい合っていた漆黒の塊は、烈風が吠え狂うような地響きと咆哮をあげ、黒い尾を引きながら洞の中に突っ込んでゆく。
凄まじい勢いと圧力に後ろに転がされた私は、レイカが張ってくれた障壁に受けとめられた。
どれくらい深い穴なのか、雄叫びが地の底へと遠く消えていった。
「お……終わったの?」
静まり返った塔内に、私の戸惑いの混じった声が響いた。




