60話・石が望むもの 4
「な、何?」
石の塔が大きく揺れた。
私が禁忌の小箱を自棄になって投げたと同時だっただけに、その影響かとたじろいだ。
たかが小箱ひとつがと思いはしても、禁忌なんて不吉な飾りを頭につけた箱だ。どんな禍が起こるか知れない品を粗末に扱ってしまった直後だけに、一気に血の気が引いた。
けれど、そんな杞憂もすぐに消えた。
「リンカ! 無事か!?」
今まで聞こえなかったギルの叫びとショーティーの雄叫び。そして厚く頑丈な扉を打撃する轟音が、暗い塔内に轟く。とにかく扉を叩き壊して私を助けたいのだ。
すこしでもギルたちに近づきたくて、扉の側まで走り寄った。
「無事よ! 大丈夫!」
頼もしい支えに助け上げられ、絶望が霧散する。喚きすぎて枯れた声を張り上げてギルの問いかけに応えると、扉への攻撃が激しさを増した。
巨体に戻ったらしいショーティーが体当たりするたびに塔は揺れ、合間にギルの剣が扉の隙間をこじ開けようとしている。塔が揺れるたびに扉はギシギシと嫌な音を放ちはじめ、魔翠晶鉱が発する光とは別の灯りが入り込んできた。
明かりの点が線になり、木片と共に塔内の石畳に散らばる。
自分の状況を忘れてふたりは大丈夫なのかと心配し、はっとして背後を振り返った。
魔翠晶鉱の頼りない灯りでははっきりしないけれど、漆黒は黒い蔦を必死に伸ばして、魔翠晶鉱と放り出された小箱を捕らえようとしている。塔を破壊しようとしている者たちよりも、目の前の獲物に意識が行っているようだった。
「そこに何がいる!? 魔獣か? 亡者か?」
「判らないの! 真っ黒で形のない……でも意思を持ってる何かがいて、『翠の魔女』の対を連れて来いって言うばかりで……」
「待っていろ!」
今の内だ。魔翠晶鉱と小箱に気を取られている隙に。
「リンカ、扉から離れろっ。今、ショーティーが――」
ギルの警告に従ってすかさず扉から離れて壁際に逃れた。
ショーティーの長い雄叫びが上がった次の瞬間、二枚の扉が吹っ飛んだ。耳が痛くなるような衝撃音が塔内を揺るがし、すぐにひとりと一匹の大小の影が滑り込んできた。
「怪我はないか?」
「ええ。あちこち汚れてるけど、今のところは怪我はしてない」
馴染んでしまった太い腕に抱き込まれて、不覚にも安堵のあまり涙が滲む。恐怖や怯えは取り払われても、寂しさや不安は消えてはいなかったらしい。
「それにしても……あれは、何だ?」
ギルは腰に吊るしたカンテラを手に持ち替え、闇の奥を照らした。しかし、かわらず漆黒の何かとしか判らない。
存在自体は感じることはできても、小さな灯りや魔翠晶鉱の光では全体像を目にすることは不可能だった。
ショーティーが金の眼を光らせて唸りながら、黒い蔦が躍る辺りをうろつく。
「ショーティー! 箱と魔翠晶鉱を取り返して来て!」
「ギャウッ!」
返事らしい声で応じると、ショーティーの輝く双眼がふいに掻き消える。漆黒ではない黒い塊が密かな足音を立てて蔦から距離を取り、物凄い速さで目的の物の側を横切った。
「グルルル……」
『な、な、何を! 我の宝を!!』
魔翠晶鉱と小箱が一瞬の内に消えたことで正気付いたらしい漆黒が、動揺を露わに喚いた。
「いつまでも放置しているあなたが悪いのよ!」
ショーティーが距離を取り、漆黒が襲ってこないのを確かめてから私たちの所に戻ってきた。小箱は口に銜え、魔翠晶鉱は長い尻尾で巻き取っていた。
『う……うぬは……なんなのだ? 緑の魔女と称しながら対も見定められぬ半身のくせに!!』
「知らないわよ! 翠の対が誰なんて聞いたこともないし!」
『ほほう。異名すら知らんのか。それは――うむ? 何だ? 側におる者は……気味の悪い気配をしておるが、生きた人間か?』
ようやく私以外の人間が現れたことに気づいたらしい。
私は魔翠晶鉱と小箱をしまうと、ギルの手首を掴んだ。
「結界に囚われたあなたに、気味悪いなんて言われる筋合いはないわ! あなたこそ、いったい何なの!?」
掴んだギルの手を引いて、ぽっかりと口を開いた出入口に向かってすこしずつ後退する。
このまま打開策なしで塔の中に留まっていても、時間の無駄に思える。自棄になって暴れたせいで、頭も体も疲れ切ってしまっているし、一旦ここは退却してギルに事情を説明しないと。
そう思って脱出のためにじりじりと退いていた足が、漆黒の一言で止められた。
『我は――我は、この国の皇王なり』
◇◆◇
私とギルは苦しい呼吸を何度か繰り返し、埃の積もった椅子の上に崩れ落ちた。
あれからギルとショーティーに引きずられるようにして中庭を突っ切り、回廊を横切ってどことも知れない部屋に飛び込んだ。
皇族が自害しただけの割には室内に何もなく、白水晶の壁に造りつけられている座面だけの椅子や棚が残されているきりだ。
がらんとした室内で、これ以上立っていられずに埃を払う気力すらなくして座り込む。
「こ……皇王って。あれが!?」
「惑わされるなっ。あれが勝手にほざいているだけだ。それより、何があったか話してくれ」
お互いに水筒を出して喉を潤すと、ようやく息が落ち着いた。
夜も深まっているのに空腹を感じず、ギルが水筒と一緒に出した携帯食を見て首を横に振った。
「あれが何かは解らないの。ただ、小箱を返しに来たって言ったら、『翠の魔女』だけじゃ足りない、対と共に来いって告げられて」
「魔女の対? いないのか?」
手にしたカンテラを椅子の端に置き、ギルも腰を下ろす。
灯りの中を埃の粒がキラキラと舞うのをぼんやりと見つめながら、ギルの問いかけにふっと苦笑した。
ショーティーが喉を鳴らしながら、大きな尻尾で部屋の隅の埃を払うのが視界の端に映る。
「いないの。『翠の魔女』には対がいないってのは常識だって、長く生きていたロンド婆ちゃんも言ってたわ」
「しかし、すべての異名には対がいると聞いているが……」
「大昔は存在していたんだけれど、もう生まれることはないんだって。女神の加護を持ちながら、魔性に冒されて神を冒涜する道を選んだから――だって」
「異名は……?」
灯りの中のギルの顔に視線を戻し、問いに答えようと唇を動かした。
ごくりと喉が鳴り、唇が震える。
「異名は『夜の魔法士』。魔性に冒されてからは『漆黒の』と自称していたと」
お腹の底から嫌な気持ちが湧き上がる。
私の答えにギルは切れ上がった目を細め、ふと顔を上げた。
その目は、壁を通してあの忌まわしい物が捕らえられている塔を望んでいる様子だった。




