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59話・石が望むもの 3

 闇が動いた。

 どろりと粘ばりを持つ闇が渦を巻き、次第に凝縮されてゆくのが手に取るように解る。しまいに闇は黒々とした一塊になり、漆黒の何かに変異した。

 奇妙なことに、今しがたまで私を支配していた恐怖と震えがぴたりと消えた。自分の身に起こった反応に、体に回していた手を離して顔や腕を擦った。震えは消えたけれど、その異様な状態に鳥肌が立った。

 震えを止めたいと、怯えを抑え込みたいと、本能的に願いはした。でも、それは意志だけで簡単にできることじゃない。ギルのような訓練された軍人ならいざ知らず、庶民でしかない私にはこの場の恐ろしさとは別の怖さを感じた。


「何?……私に何かした?」

『うぬの怖れを吸い取ってやっただけのこと。いつまでも恐慌状態では煩わしいだけだ。感謝するのだな。それよりも、対はどうしたと問うておる』


 闇の中で揺らめく漆黒の声は、だんだんと人の声に近づいている。岩を擦り合わせたような耳に痛い雑音は薄らぎ、老成した男の声に変わっていった。


「対とは『翠の魔女』の? それだったら、この世にはいないわ」

『おらんわけがなかろう。うぬが存在しておれば、対は必ずおる』

「違うの……昔から『翠の魔女』に対はいないんだって」


 私は強制的に奪われた恐怖と震えに割り切れなさと気持ち悪さを感じながらも、追及することは諦めて問いに応じた。


 『翠の魔女』に対はいない。

 ロンド婆ちゃんや保護局の局員に、何度も何度も確認した。

 『星』に『月』がいるように。

 『白』に『黒』が在るように。

 『光』に『闇』が添うように。

 きっと私にもいるのだと思っていた。

 それだけに、否定された時は悲しくて泣いた。

 母も父もおらず、縁者すらどこにいるのかわからない。

 ロンド婆ちゃんも「こんな姿だけどね、あたしはすぐ死ぬかもしれないんだから」と、事あるごとに言っていた。

 薄皮が剥がれ落ちるように近しい人たちが去ってゆく。

 だから、ずっと寄り添っていてくれる対を夢見ていたのに。


『ククッ……グハハッハハッ!! なんという愚かさ!』


 私の答えは、漆黒にとって納得のゆくものではなかったらしい。蔑みを含んだ哄笑を轟かせ、愚かと断じてきた。


『翠の魔女がここまで愚者に成り下がろうとは、神祖もさぞや嘆いておるだろう』


 神経を逆なでする物言いに、腹立たしさより薄気味悪さが勝る。

 私のまったく関知しないことを並べ立てて、無知を愚か者だと笑うのだ。

 いったい、こいつは何なのだろう?


「あなた……何者なの? 無知を笑われるのは仕方ないけれど、今の世の常識が()()なってしまったことまで私のせいにされても困るわ。それに、私は仕事として小箱を届けに来ただけ。それ以外は――」

『届けに来ただけだと?』

「そうよ! 返せと言われたから届けてくれと依頼を受けただけ! ここまで来ることができるのが、私しかいなかったから依頼を受けただけ! 返せと騒いだのはあなたなんでしょう? さあ、受け取りなさいよ。渡し終えたら、さっさと帰るわ!」


 恐怖や怖れと言った感情を吸い取られたとしても、だからといっていつまでも向かい合っていたい相手じゃない。【忌避】が働かないことから死の予感はないにせよ、このまま幽閉され続ける可能性もないとはいえない。

 動くこともままならない闇の中で、ずっと生き続けられる確証なんてないのだ。


『馬鹿めが! それは無理といっておろうがっ。半身のうぬには何もできん! その証拠に、我の許まで近寄れぬだろう?』


 漆黒の罵倒は続いている。

 小馬鹿にしきった挑発に、私はよろめく足を叩きながら立ち上がった。

 不気味さがじょじょに苛立たしさに変わり、隠れて縮こまっていた私の本来の気性が顔を覗かせる。

 ギルから見たら、危なっかしくて熱しやすい短気な性格だ。自覚があろうがなかろうが、それが私なんだから!

 鞄の中に手を突っ込み、いつもの流れで防御と強化のタブレット剤を口に放り込んだ。ガリガリと音を立てて噛み砕き、次にあの苦く嫌な味のする飴を含む。

 

()ほこへはってははい(そこで待ってなさい)!」


 恰好つかない不明瞭な宣言を合図に、漆黒の塊に向かって床を蹴った。

 恐怖を奪ってくれて、ありがとう。怖がりの私の最大の難関を排除してくれて。


『ほう……』


 驚きというより、感心したとでもいいたげな声。

 それにすこしでも近づきたいと、私は手にしたアイテムの中のふたつを同時に前へとに投げつけた。

 闇だけじゃないモノに支配された空間で効果があるのか判らないけれど、何事も試してみなくちゃ。


 ひとつは光を放つ液剤。カミナリゴケの生体液を抽出して、発光物質だけを集めた物。使えば半日は灯りとして使える。

 でも、漆黒にすぐに吸い取られて、一瞬だけ輝いた光の中に何も映らなかった。

 もうひとつのアイテムは、魔翠晶鉱。

 私の手のひら大の鉱物は、恐ろしく値の張る希少鉱だ。

 独立する時に、ロンド婆ちゃんからお祝いの品として譲り受けた。今となっては魔女の遺産だけど。

 魔翠晶鉱は重い衝撃音をたてて石畳に転がると、ぼんやりとした黄緑色の光を放ちだした。

 そこに漆黒の闇が迫るが、光は消せない。それどころか黒く伸びた触手たちをつぎつぎと呑みこみ出した。


『なんだ?……これは』


 今度こそ、漆黒を動揺させることができた。

 その隙を逃さない。敵が光と瘴気吸引に気を取られている内にと、私は飴を噛み砕いてからあらん限りの力を脚に込めて走った。

 実体はあるのか。触れることができるのか。

 思いのほか広い塔の内部を、ただ必死に縦断した。


「うぐっ……!!」


 けれど、もうすぐだと確信しながら空いた片手を伸ばした先に、次の障害が存在していた。

 勢いが止まらず衝突し、後ろに刎ね飛ばされる。

 飴の大半が口から零れ、体から急速に力が抜けてゆく。


「なんで、こんな所に結界が……」

『我をここに留めるための楔よ。それゆえ、我はここに在る。半身のうぬには通れぬ。禁忌の小箱を納めたくば、その壁を破壊してくるのだな……』

「ここまで来て、もうダメだっていうの!? なんでよ!」


 気づけば大声で喚いていた。

 得体の知れない化物に馬鹿にされ、珍しい玩具でもつつくように転がされて遊ばれている。

 悔しい。


「わた……私に、つ、対なんていないのに、どうしろって言うのよ!」


 鞄から引き出した禁忌の小箱を持った手を、思い切り振り上げると見えない結界に向かって投げつけた。

 と、次の瞬間、扉がある方向から盛大な破壊音が響くと共に塔が揺れたのだった。


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