57話・石が望むもの 1
ショーティーが迷いなく先へと進む。まるで、マジュの森を案内している時のように、長い尻尾を上げてゆらゆらと揺らしながら。
何かを確実に知っている黒猫を、十分不審に思っている。なのに、この得体が知れない黒い生き物を、私はどうしても拒絶できずにいた。
拾った当初からおかしな猫だと承知していたせいかもしれないし、元は残虐な巨大魔獣でも絶対に私を裏切らずにいてくれるからかもしれない。
だから、私は迷うことなく愛猫の後に従って追いかける。
埃まみれの狭い廊下を過ぎると、今度は回廊に囲われた中庭に行き着いた。夕霧に霞む広い中庭の中央には、風変わりな様式の塔が異様な気配を放って建っている。
私たちは息を呑んで立ち竦んだ。
回廊に四角く切り取られた中庭は、流れる霧のせいもあってか塔から向こうはすでに闇の中に沈んでいる。残されたこちら側は、わずかな斜陽に照らされて夢幻の空間を現していた。
繊細で美しい回廊の造りや装飾もあって、最盛の頃は本当に夢の中のような庭園が皇族や賓客の目を楽しませたのだろう。在りし日の姿は、そこかしこに倒れ伏す草花からも忍ばれる。
けれど、私たちが驚いたのはその風景だけじゃなかった。
「あれは……何?」
私は、無意識の内にギルに尋ねてしまっていた。
目が捉え、それが何の形をしているのか頭では理解しているのに、呑み込んで認識するのを心が拒否している。背筋を氷が滑り落ちたかのように悪寒が走り、喉奥から苦い物が逆流しそうだった。
明らかに今、【忌避】が発動している。
「なんだってんだ? なんで、あんな……」
ギルも衝撃を受けた様子で、絞り出すように呟いた。
この中庭も結界の外にあった庭園のように、すべてが枯れ果て無残な様相を晒していた。きっと色とりどりの高価な花々が咲き乱れていたのだろうが、それらが形を保ったまま変色して横たわっている。
その中に建つ塔は回りを幅広な水路が囲み、唯一の入口らしい扉の前に橋が架けられている。
そして、私の歩幅で十歩ほどの橋の欄干上に、それらは整然と並べられていた。
草花同様に茶焦げ茶色に変色し、乾いて萎びた大小さまざまな生首の列。それら石橋を挟んで向かい合い、等間隔に並んで扉までの両方の欄干を飾っていた。
竦んだ足は回廊から踏み出すのを拒み、震え出す。
もっと早く陽が暮れていればよかったのに――そんな勝手な思いが湧き上がる。
なのに、慄いている飼い主を放って黒猫は橋に向かって歩いてゆくのだ。
「ショ、ショーティー!」
追いかけようにも足が前に出ない。腕を伸ばして黒猫を呼ぶが、小さな肢体はすぐに枯れた草花の中に消えていった。
「俺が先に行って見てくる」
「でも、なんだか危険な気配がするの!」
「これも護衛の務めだ。大丈夫、見てくるだけだから。俺が戻るまでここにいろ」
そう告げると、ギルはカンテラを灯して走り出した。
陽はもう建物の向こうに沈んでしまい、中庭は夜を迎えてしんと静まり返っている。その中を、カンテラの光とギルの枯草を踏む足音が遠ざかってゆく。
闇の中に薄れてゆく頼もしい背中に、だんだんと心細さと不安が募る。【忌避】が塔自体を拒んで危険な場所だと警告しているのに、ギルとショーティーを止められない自分の意気地のなさが恨めしい。
必死に力を入れて一歩一歩足を踏み出す。
――今はまだ、近づいてはだめ!
中庭の地面に足をついたと同時に、また脳内に声が響く。
その声は、【忌避】以上に私の動きを戒めた。
「でも、行かなくちゃ! これは私の仕事なのよ! 何が起こったとしても、本来は私に振りかかるはずのものよ。ギルが受けていい災いじゃない!」
叫んだ途端、急に足が軽くなった。すかさず地面を蹴ってギルの後を追う。
ここに来るまでもそれ以前も、怖いことなんてたくさん経験してきた。
心を刺す恐怖も身の危険も容赦なく襲ってきて、怪我もしたし泣き喚きもした。
だからって、今ここで同じように座り込んでいいはずはない。ギルが実を挺して守ってくれても、それに甘んじていいのは旅の間と帝国の暗殺者の前だけだ。
ここは私――『翠の魔女』リンカ・レンショウに課せられた依頼の目的地なんだから。
「ギル! 近づかないで! 進むのはそこまでにして!」
「リンカ、来るなと言っただろう!」
「馬鹿なことを言わないでよっ。ここは私が受けた依頼の地なのよ。仕事をしないで終われないわ!」
夜霧を掻いてギルに追いつき、橋の手前で足を止めさせた。
あえてカンテラを持つ手を掴んで引き寄せ、臨戦態勢のギルを覗きこんで怒鳴った。
「しかし、こんなおかしな場所にお前を――」
「だからってギルを犠牲にするわけにはいかないのっ」
「犠牲って……お前は……」
「そうでしょう? 何が起こるか判らないのに先に行かせるなんて。犠牲が気に入らないなら、囮? 生贄? 人身御供?」
「リンカ、俺は軍人だ。それなりに凄惨な現場を経験してきた。俺とお前じゃ、俺が先に偵察に行くのは当然の流れだ」
「でも――」
「グルルル」
互いに説得しあう私たちの間に、またもやショーティーが割って入った。どこに消えたのかと思っていたら、ギルの側をうろついていたらしい。
「……言い方が悪かったわ。ごめんなさい。でも……」
「ああ、勝手に付いてきておいて……俺も悪かった」
「うん……行くなら私も一緒に。ひとりで先に行かないで」
「了解」
カンテラの狭い灯りの内で、私たちはしっかりお互いを見合って頷いた。
こんな気味の悪い場所に、ひとり待たされるのも先に行かれるのもご免だ。いくら血を引く子孫でも、この光景は嫌悪しかわかない。
自滅を謀った時に皇族自体がなしたことなのか、はたまた他者の手による悪行なのか。
「じゃ、行きましょう」
深呼吸をして腹を括り、ギルの手を取ってカンテラで橋を照らす。
「うっ……」
人工的な灯りの輪の中、欄干に並んだ首たちは苦悶の表情で私たちを出迎えた。




