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55話・翠と漆黒

本篇再開。

ちょい甘です。

 上から落下してきた水滴が、頬に当たって散った。

 びくりと肩が跳ね、思わずたたらを踏む。

 無事に門と結界を通ることができた私は、また薄ぼんやりした明るさしかない空間に気落ちする。

 眩しいほどの黄金に染められた豪華絢爛な宮殿内部を想像していたわけじゃないけれど、先ほど歩いた洞窟の通路と代わり映えしない内部の様子に落胆した。

 手の甲で頬の水滴を拭うと、のろのろと足を踏み出した。


「これは! 涙なんかじゃないんだからね! 水滴! 単なる水滴だがら!」


 一滴だけしか当たらなかった水滴が、なぜか幾筋も頬を伝う。黙っているとなんだか嗚咽まで零れそうで、大声で叫んでみる。

 気持ちが沈んだままなのも、期待外れの内部だったからだと自分に言い聞かせて。


「だって……仕方ないじゃない。ギルは入れないんだし、部隊のみんなだって心配だろうし、ほんとは私の護衛が目的なんじゃなく犯罪者を捕まえるために来たんだからっ」


 力の入らない声で、言い訳を呟く。

 そんな声でさえも天井高く響いていて、まるで吹き抜けの玄関ホールか大広間のよう。でも、上を見上げても周囲を見回しても、薄らボンヤリとしか見えなくて。

 灯りが乏しいため無暗に動けず、壁づたいに奥へと向かうことにした。

 冷たくつるりとした感触は、石積みの建物ではなく研磨した化粧石の板を貼りつけたか、岩山自体をくりぬいて磨き上げたのだろう。そんな力を持っていた皇家が、何の抗いもせずに自滅を選択した理由が思いつかない。

 はぁと冷え切った指先に息を吹きかけて暖を取ると、また一歩と先を急いだ。

 それにしても寒い。

 外気とあまり差を感じない屋内の温度に、むっつりと顔を顰める。

 手袋や肩掛けなどの小物を川に流してしまってからは温熱石に頼ってきたが、ここに到着する直前に使い切ってしまった。

 それからはギルが手を繋いでくれていたから――。

 硬い皮に覆われた温もりを思い出してすぐに頭を振って未練を払うと、思考を戻した。

 いったい、この部屋はなんなんだろう。

 結界が展開されている門柱を通りすぎると、すでにこの空間だった。正面とは違い、皇族が秘密裏に使用する通路だったことから考えるに、この部屋は公の場ではなく皇族が個人的に使用していた場所だと思う。

 それにしては、広すぎる。

 なんなんだろうと頭を悩ませながら、扉ないし出入口はないかと壁沿いに歩いているのだけれど、部屋の隅にすら着かない。


「にゃっ」


 私の先を進んでいたと思ったショーティーの声が、思いもよらず背後から聞こえた。

 あれ? と首を傾げながら足を止めて振り返るのと同時だった。いきなり光源が発生し、辺りは眩しいほどの明るさに満たされた。


「隊員たちには、すでに報告済みだ。ロイも含めて全員無事だし、こちらから合図を送るまで待機を命じておいた。それに、帰りはどうするつもりだ? リンカ」


 いるはずはないと思っていた人の声がすると、人間の脳というのは束の間混乱するらしい。

 想いが募るあまり、白昼夢かまぼろしを見ているのじゃないかと。


「ななな、なんで? 夢?」

「夢でもまぼろしでもないぞ。こいつが引き入れてくれた」

「にゃうっ」


 煌々と照らされた灯りのもとには、さきほど別れたばかりのギルが立ち、私たちの間に毛並みを艶めかせる黒猫がちょこんと座っていた。

 心なしか、偉そうな態度だ。


「ど、どうやって……」

「解らん。結界から戻ってきてどうしたのかと思ったら飛びつかれてな。もしかしたらと抱いて試したら通れた」

「君ってなんなの!? 亜空間といい限定結界といい、なんで素通りできるのよ! 挙句に同伴で結界無効って!」

「おいおい、リンカ――」

「それに、この灯りは何? 誰がどうやって点けたの!?」

「すこし落ち着け」

「もう! 私の決心と我慢を返して!」


 わんわんと声の重なりが部屋中に響き渡る中で、またもや感情を爆発させた私は肩で息をしながらぺしゃりと膝をついた。


「……大丈夫か?」

「大丈夫じゃない……。一生懸命諦めようと思ってたのにっ。この仕事が終われば、お別れなんだって……」

「門の前で離された時、俺が告げた言葉を聞いてなかったのか?」


 とろりとした甘く優しい声が、私の耳を擽る。

 ギルは横にしゃがみ込むと、指の腹でトントンと私の頬を叩いた。


「風がつ、強くて、聞こえなかった……」

「なにもか?」


 なんなの!? さっきまではドキドキだったのに、今度はドドドっと心拍を上げる。急激に頬や額が熱くなっていって……。

 なぜにこんな時に限って明るいのよ!


「い、一度しか言わないとか、なんとか……」

「その後は?」

「ままま、まったくっ!」


 本当だ。そこから先は俺はとか言ってた気がしたが、風に舞い狂う落ち葉の音が煩くて届かなかったのだ。


「そうか……もう一度聞きたいか?」

「う、うん! 是非!」

「でも一度しか言わないと宣言したからな。お預けだ」


 目が回る勢いで頷き続けた私の願いに、ギルはニンマリと男前の顔を悪役面に変えて笑むと、私の頭をポンと叩いて立ち上がった。


「腹立つーーーっ!!」


 もうここは遠慮しない。私は怒っていいはず。

 そう決め込むと、周囲を観察し出したギルの背中を両方の拳で叩きまくった。何度も何度も、怒りのゲージが落ちるまで。

 涙目で鼻を啜りながら拳を振るう私を、ショーティーすらわざとあらぬ方向に顔を向けて、無視を決め込んでいた。


「アンタたち! 私を揶揄って楽しいんでるんでしょ!? 種が違うのに、よーく似てるわ!!」


 私の拳などまったく意に返さず涼しい顔のギルにゲージは更に上がり、とうとうショーティーを含めて喚いてやった。


 その台詞が重要な意味を持っているなんて、この時の私には知る由もなかった。

 早く話してくれれば。私が気づけば。どの可能性であっても、私の胸は痛みを覚えただろう。


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