心倦む
ロイ・グランフォークは、突如入った任務にうんざりしていた。
本音は、仕事自体に倦んでいると言ったほうが正確かもしれない。
倦怠感が拭えず始終肉体のどこかが鈍化し、感情すら擦り切れかけている錯覚に囚われる。耳が拾う音声がすべてが暗号に聞こえだしたところで、そろそろ長期休暇を申請しようかと考えあぐねていた。
そんな矢先の招集だ。
任務内容を聞いて、内心で溜息を漏らす。これまた面倒な仕事だと思った途端、体内のどこかがまた鈍く疼いた。
特殊第四部隊長ギルバート・カークベルが、密命を受けて極秘任務についていることだけは部隊内に告知されていた。
極秘事項満載の任務に、部隊員全員が揃って任務を命じられることは滅多にない。単身か補佐ひとりをつけた二人体制での遂行が通常で、人員が必要になった時点でようやく呼ばれ、概要と任務が明かされる段取りになっている。
秘匿すべき情報を知る者は、すくないほうがよいからだ。知る者が多くては敵に漏れる確率が増え、どこから漏洩したのか調査するのが困難になる。今回、『相手』が軍部内ということもあって、ことさら慎重な扱いになっていた。
「極秘懸案に、別件が隠れてたとはねぇ」
「まさか暗殺者を軍事施設で雇っていたとは、だな」
「そんな奴に狙われて、よくも死ななかったよなぁ。隊長」
「幸運なのか強運なのか……はたまた、悪運なのか」
任務の冒頭は護衛ではじまった。
ロイは隊長と共に『光の魔女』と呼ばれる美女の護衛につき、同僚であり宿舎が同室の巨漢、ジャル・ロウは、パトロンである軍上層部の護衛に回された。
配置があからさまに偏っている理由は、『光の魔女』ご指名の容姿の良し悪しだというのだから笑える。
ロイは溜息と共に肩を竦めてみせ、ジャルは珍しくいつもの仏頂面を崩して薄笑いを浮かべた。
「隊長がどうかはともかく、俺が不幸なのは決定だな……」
「美人の護衛だってのに、何を言っているのやら」
「隊長の顔、見てみろ。お前以上の鉄面皮がトレードマークだってのに、今は不機嫌丸出しだぞ。あーあ、色男が台無しだ」
「お前も同じだ。すこしは喜んでみせろ」
「無理を言うなよ。まだ対象の前じゃないんだし」
『光の魔女』ことシーラが軍所属の治療院に招致され、治療に特化した能力を持つ異名持ちの配属に、最初は誰もが歓迎し安堵した。すくなくともこれで死人も退役者も減るだろうと。
だが、開けてみれば患者をえり好みしてろくに治療行為もしないシーラに、それでなくとも異名持ちにはどこか懐疑的だった軍人たちはすぐに離れた。今では、一部の見目好い軍人に付きまとって色気を振りまいている事実は軍内部でも有名な話だ。ことに同性の女性士官などは、厳しい眼差しで遠巻きにしている。
そんな状況の中に持ち込まれた極秘任務は、シーラの異名詐称疑惑の解明だ。
ロイが招集された時点ですでに証拠や証言者も揃い、後は邪魔なお偉方や権力者を黙らせるための仕掛けに誘い込むだけだ。
その餌のひとりであるロイは、余計な気苦労をせずにすむジャルを睨んだ。
グランデュオス大陸の列強国のひとつでもあるカルミア王国の訪問と銘打った『光の魔女』一行様の旅は、各所でシーラの理不尽な癇癪にうんざりさせられたが、計画は順調に進んで獲物はすんなりと罠に掛かった。
さすがはお高い餌だと、護衛役から捕縛側にすばやく移行したロイは、同僚が押さえ込むシーラを見て嗤った。あからさまに嘲笑うロイを見たジャルが肘打ちをかましてきたが、ロイは表情を隠さなかった。
隊長のカークベル、第三部隊のランドルフ、そしてロイの三人が、シーラの側でいちばん迷惑を被った腹いせだ。
「せいせいした」と本音を漏らしたロイに、控室で待機していた副隊長のゼファード・ローデンが、薄笑いを浮かべながら「色男は損だよなぁ」と添える。
ロイは、己の顔を手のひらでさらりと撫でた。
特殊部隊に抜擢されるくらいだ。長身の体躯と鍛えた肉体には自信を持っているが、目尻の下がった甘めの容貌は自慢できるほどではないと感じている。とりわけ目立つ薄青の長髪は、辛辣な内面をすこしでも隠すための鎧でしかない。
今回は、それが仇になったと後悔したが、大物の餌の前では霞んでいただろうと副隊長の言に鼻を鳴らして返した。
カルミア国王と『星の魔法士』という餌は、富と権力と美男が殊の外好物らしい偽の『光の魔女』の眼には最高の料理に映ったようだ。喰らっても喰らってもまだ欲する欲望という臓物は、極上の餌を前にして我慢がきかなかったらしい。
しかし、その餌は黙って女に喰われるような手合いではない。一国の主と異名持ちの中でも有数の実力者だ。アーデルベルト共和国では許される行為でも、他国の地では厳罰に処される場合も多々ある。
国王の前で他国の宰相に攻撃した瞬間に、シーラは要人殺害未遂で捕縛とあいなった。
別の部隊員に引っ立てられてゆく容疑者たちを見送り、ロイは終わったと詰めていた息を吐いて体を伸ばした。
「終わったつもりでいるだろうが、このまま別件任務に移行するぞ。怪我や体調が芳しくない者は先に申し出ろ」
「申し出た場合の予定は?」
「容疑者共々本国に帰還だ。まあ、帰っても残務処理があるがな」
黒髪の小柄な少女を抱えてどこかへ去っていった隊長の代わりに、ローデン副隊長が任務完了した隊員を集めて告げる。
「第三に加わって保護局の襲撃じゃないなら、別に構いませんよ」
部隊内でいちばん年下のローレン・アレグが軽い調子で返す。
「任務はまたもや異名持ちの女性の護衛だ。今度こそ本物だから大切に扱えよ。ただし、護衛が本題じゃねぇからな。もしかすると、保護局襲撃のほうが楽かもしれねぇぞ」
その物言いに誰かが苦笑し、他の者たちはがっくりと肩を落とした。
なぜ、体調不良を申し出て帰還を選ばなかったのか。
打ち合わせの時には、心身共にまだ余裕があった。警護する相手がシーラのように壊れた女ではないと知り、攻撃スキルを持たない異名持ちだと聞き、それなら気楽かと請け負ったことを道ながら酷く後悔した。
先行役で宿を取ったり情報を収集したりする任務は、旅気分もあって気分転換になったと思っていた。しかし、魔道車を預けて馬車や騎獣を使って山岳地帯に入った辺りから、ロイの気分はじわじわと沈んでいった。
魔素が薄いせいで、使えない魔道具が多くなる。あれもこれもと増えるたびに、また心のどこかが鈍磨する。強い魔力が篭められた連絡機器が使えないと判った時がいちばん堪えた。
魔素が薄い地域で使用すると、強力な魔力の発生を敵側に勘付かれるのだという。
無力な異名持ちの少女を眺め、もし山中で行き別れてしまったらと想像すると連絡を取る手段が断たれたことは怖ろしい。
こんな少女に、なぜこんなつらい旅をさせるんだと理不尽な憤りが湧き、役に立たない異名でも保護認定されているのかと懐疑心が疼く。
純粋な笑顔で回復薬を分けてくれるが、ロイはその笑顔に妙な苛立たしさを覚えた。
理不尽だと理解していても、止められない。
――ああ、うんざりだ。




