54話・虚空からの呼び声
やっとプロローグに到着しました。
まだ、リンカの片思いっぽい状態(リンカの立場では)です。色男ギル隊長の気持ちは?
と、その前に、残された部隊員たちのほうに視点が変わります。少しの間ですが、じれじれしながら待っててください。
断崖の際に隠された半円の穴の底には、左右の斜面に穿たれた上方に向かってどこかに続く石階段の洞と、毒蔦に覆われた岩壁があった。
落とし穴の上部は長い葉を持つ雑草が幾重にも垂れて、曇り空から漏れる陽の薄明かりすら届きにくくなっている。光や火の魔法が使えない私たちでは、天幕に備わった野営用の魔道カンテラを使うしかなく、燃料魔石が心許ない今はすこしでも自然光がある内にと辺りを虱潰しに調べて回った。
とはいっても、穴の底は狭い空間だ。崖と洞以外は硬い土の斜面でしかない。これといっておかしな細工は見つからず、あとは毒蔦を排除したあとの白茶けた色の崖の岩壁をじっくりと観察するだけだ。
顔を近づけて表面に視線を滑らせ、埋もれた秘密の仕掛けを探して冷たい岩肌に何気なく手のひらを押し当てた。
「え!?」
突如として壁面を光の筋が真っ直ぐに上部へと走り、足裏に響くような微振動が生じだした。
「なんだ? 何が起こった!?」
「わ、わからない! 壁に触ったら、急にっ!」
それは息を呑むような光景だった。
光の筋に沿って岩肌に亀裂ができ、振動を伴ってゆっくりと口を開けだしたのだ。まるで岩壁自体が二枚の扉になったように、各々左右に分れてゆく。
私はギルに庇われながら穴の隅に避難し、細かい瓦礫が降る中で黒々とした空間の出現を呆然として見守った。
「……実体を混ぜた偽装障壁だと?」
ギルの放心したような呟きを、太い腕の中で耳にする。
「何? それ……」
「よく見ろ。俺たちを叩く落石はこんなもんなのに、目に映っているのは……」
ギルはそう説明すると、片腕を前に出して手のひらを上に向けた。
震動と共にぱらぱらと降ってくる瓦礫は、ほとんどが砂粒ほどで大きくても小指の先くらいの破片が時折混じっているだけだ。けれど、私たちの眼に映っているのは、拳大の石がいくつも岩肌を蹴って転げ落ちてくる光景だ。
気持ちを落ち着けて凝視していると、じょじょに判ってくる。
拳大の岩は、地面に接触する直前に消えてなくなっている。次々と落下してくる瓦礫であっという間に狭い穴の底は埋まりそうなのに、何も変わらない状況に冷静ならすぐに気づくはずだ。
「まぼろし……?」
「そうだ。偽装魔法にわずかな現実を混ぜて幻惑を見せ、混乱させる仕掛けだ。知っている者なら静かに待つだけでいい」
ギルの説明になるほどと、目の前で展開される事象に目を見張った。
震動と落石の幻惑に混乱した侵入者は、おのずと穴から逃げ出すだろう。だから落とし穴は浅くて傾斜をもたせて、混乱の内に脱出しやすくしてあるんだ。
「じゃあ、あの岩壁は? 触ったけどごつごつした感触があったわ」
「蔦の生えた部分だけに、岩盤に似た感触になるよう石や砂利が貼り付けてある。接触を合図に震動を起こし、貼り付けられた瓦礫を振るい落とす仕組みになっているんだろう。本体は障壁が張られているだけだ」
すでに震動は止み、土埃が舞い立つくらいで落石の幻惑も終了している。
私たちは被った土埃を払い落としながら身体を伸ばし、警戒しつつ岸壁の狭間に口を開けた闇の空間に近づいた。
「うみゃおぅ」
四角く開いた漆黒の向こうから、思いもよらずショーティーの鳴き声がした。
なんだろう……。まるで私を呼んでいるような。
「ショーティーが先に入ったのか? ならば危険はない……のか?」
ギルが私を片腕に庇いながら、先に足を踏み出した。
さすがに足元が不確かでは危険回避もできないと、ギルは用意だけはしておいた魔道カンテラを出して灯りを灯した。
岩山の洞窟の内部のように、ごつごつとした岩肌が剥き出しの空間が広がっていた。それにしても広く、外よりはいくぶん暖かい。空気の通りが悪いせいで埃っぽく湿った臭いはするけれど、肌を切るような寒さがないだけマシだった。
すこしずつ進むたびに、先でショーティーの声がする。案内役らしく進む方向を示してくれているらしい。
なんだか、とても奇妙な思いにとらわれ、私は歩きながらギルを見上げた。
「ショーティーが、なんだかおかしい……」
「ああ、まるで道を知っているようだ」
真っ暗な先を真っ黒な猫が先導する。
時おり闇の中できらりと光るのは、ショーティーの瞳だ。進んでは足を止めて後ろをついてくる私たちを振り返って声を上げている。
私たちは小さな灯りの円ですこし先を確かめながら、ショーティーの目と声に導かれた。
「あ、出口みたい……」
やがて進む先に、自然光らしい光が見えた。
光に向かって、ショーティーの小さな姿が跳ねるように駆けてゆく。逆光の黒い毛玉は、もう私たちのことを忘れているらしい。
疲れた足に鞭打って、私たちもその後を追いかけて走った。暗闇に長くいると、薄曇りのわずかな陽光でも恋しく思えてくる。
ギルのざらつく皮が固くなった手が、私の手を自然に握っている。
もしかしたら、もうすぐこの手を離さなければならないかもしれない。そう思い至って、ふいに心が重く沈んだ。
寂しさと恋しさがぐるぐるとせめぎ合い、乱れる呼吸に合わせて唇が震え出す。
目的の場所。終着点。先へはトゥーリオの民しか進めない。
アーチ型に掘られた開口部を走り出ると、いきなり強い風と樹々のざわめきに出迎えられた。
「あれか!」
そこは庭園跡らしく、廃れ朽ちた花壇や東屋が雑草と落ち葉に埋もれていた。
その向こう側に、豪奢な門が建っている。朽ち果てた庭園の中ほどに、時の流れを無視した輝きをいまだに保つ門柱だけが存在していた。
ああ、とうとう着いたんだ。
ショーティーが一声鳴いた。
――ここにおいで。
誰かの声が私を呼んだ。
私はギルを追いこして足を進め、門へと引き込まれるように近づいていった。
離れた指先は、冷たい風の中でゆっくりと冷えてゆく。
「リンカ!」
引き留める声に、はっと我に返って足を止める。背を向けたまま、私は最後の言葉を告げた。
無事にこの場に着けたのは、彼がいてくれたから。
「ギル。護衛してくださってありがとう。心から感謝します。ここから先は、私の領分。あなたは仲間の所に戻って任務を果たして」
「俺も……俺も行く」
絞り出すような声に、私は思わず振り返った。
荒れた金の髪が風に煽られて乱れている。その隙間から、強い決意を滲ませた薄緑の瞳が私を見据えていた。
懐かしいマジュの湖水色の。




