48話・忍び寄る光
「高くはないけれど……」
落ちたら溺死は確実かなと、深緑の川面を見下ろして息を呑む。
絶壁の間に渡された頼りなく古い吊り橋と、その下を流れる谷川を不安な気持ちで眺めた。
泳ぎに自信がないわけじゃないが、厚い防寒具を着込んだ身で急流を泳ぎ切れるほど上手でもない。加えてこの寒さだ。入水時間が長ければ凍えて限界はすぐだろう。
ギルたちは、万が一の事を考えて命綱を張ることにしたらしい。
橋の両側に一本ずつ太めの金属ワイヤーを両岸に通し、そこにフックのついた命綱を引っかけて渡るのだそうだ。これなら、足を滑らせたり橋板が抜けても命綱で落下はまぬがれる。
支柱を太めの樹の脇に埋め、そこから伸ばしたワイヤーを樹に巻きつけて向こうへ渡す。
カンカンと支柱を叩く音が山中に響いて、敵に気取られないかと心配になった。
「浮遊系魔道具があればなぁ」
「飛べてもひとりだけだろ? あんな高価なモンを人数分ってわけにいかない」
エリクがハンマーを振るうかたわらで、ローレンが童顔を渋面に変えてワイヤーを手にぼやく。副隊長さんとジャル・ロウは、ワイヤーの端を持ってすでに対岸に渡り始めている。ファミーナさんとギルは、私とエマさんに命綱とフックをベルトで取り付けてくれている。
ギルの腕が私の胴にベルトを回すために密着するだけで鼓動が早まるのを感じ、こんなちょっとした接触ですら意識する自分があまりにも単純すぎて嫌になる。
ギルは護衛なんだからと何度も唱え、赤面しないようにと顔を逸らした。
おのずと視線は、粗末な作りの吊り橋を足取りも軽く渡ってゆく副隊長さんとジャル・ロウの背中にとまる。見ただけでも背筋がひやりとして、すぐに視線を横に移した。
険しい目つきのロイが周囲を警戒し、ショーティーまでもが神経質に唸りながらウロウロと巡回している。バレているのに相変わらず小さいままの姿でうろつくから、まったく迫力なくてけん制にもならない。
ローレンが、ギルと対岸の副隊長さんに腕を上げて設置完了の合図を送り、同じ合図がジャル・ロウから返ってきた。
「よし。渡り始めたら躊躇するな。まずはエリクとエマとローレン。続いて俺とリンカとロイが渡る。最後にファミがショーティーと来い。ワイヤーはこのまま放置だ」
「了解!」
ギルの指示確認に残った全員で頷き、吊り橋の際に並んだ。
激しく打つ鼓動を何度も深呼吸をして落ち着かせ、エリクとローレンがエマさんのフックをワイヤーに掛けて進み出したのを見送る。
私の腕ほどの太さのハンガーロープは消耗と風化であちこち綻び、それを補助するつもりだったのか蔦で編まれたロープが重ねられているけれど、こちらもすでにぼろぼろだ。橋板を乗せている吊り材すらも心許ないほどに細り、板自体も欠けたり反りかえって割れたりと……怖ろしい。
そんな状態の吊り橋だから、全員が一度に橋を渡れなかった。ふたりないし三人が渡り切ったら次の――というふうに決め、不測の事態を考慮してカバーできる隊員と組ませる。私は前にギル、後ろにロイがフォローについてくれる。
エマさんたちが渡り終えたのを見て、次は私たちだと気合を入れた。
ゆらゆらと揺れている吊り橋に、怖気づきそうになる。
「副隊長さんたち、よくもこんな所を……命綱なしで渡っていったわよね。すごい……」
「あいつらは魔法士で風魔法が使えるから、足元が崩れてもすぐに落下することはないんだ」
「へぇ……。でも、ギルも魔法を使えるわよね?」
「俺の場合は――まぁ、それは後でな。取りあえずは無事向こうに到着することだけ考えろ。何があっても俺が護る。俺の背だけを見て付いてこい」
「う、うん。あ、はい……」
これから大変なのに、別の意味で心臓がバクバクし始めたじゃない!
胸の内で思い切りキャーッ! と叫んでおく。じゃないと、照れのあまり思わず口から叫び声が漏れそうだったから。
そして、唱える。ギルは護衛。私を護るのが任務なんだから。
「じゃ、ロイ! 行くぞ!」
私の混乱など知らず、ギルは私の後ろに待機したロイを振り返って声をかけ、フックをワイヤーに掛けると前に踏み出した。
続いて私も手にしたフックを掛け、深呼吸をして朽ちかけの橋板に足を乗せた。
背後で、ショーティーがギャウギャウと珍しく喚くのを聞きながら、怖気づきそうになる膝を叱咤してギルの背中を追った。
ぎしりと綱が軋む音がして、小さな揺れが何度も起こる。二歩三歩と板を渡り、足元に移りそうになる視線を必死で前に固定していた。
カツン。
脇でおかしな音がした。なに? とそちらに顔を向けた直後、ワイヤーに掛けてあるはずの命綱に腕ごと胴を拘束され、後ろから手袋越しの手で口を押さえられた。
ゆらりと視界が揺れ、両足が板を離れる。
「ヒッ!……ぐぅっ」
「ロイ!! 何を!!」
ファミーナさんの怒声が響き、私の体は誰か――背後を護ってくれているはずのロイに担ぎ上げられていた。
「ロイッ 貴様、なんのつもりだ!」
「うる、煩い!! 俺に命令するな!!」
前からギルの声が近づいてくるのを感じ、頭を振って口を押さえている手を振りほどこうとしてみる。でも、ふいに襲ってくる揺れに身体が竦んで、抗うことすら無意識に躊躇してしまう。
もし、私が暴れたせいでロイが足を滑らせたら……。彼は命綱をつけているかもしれないけれど、私はすでに外されている。それも拘束のためのロープ代わりに。このまま川に落ちたら……。
「この、この女さえ……いなけりゃ!」
「この馬鹿!! なにをする気だ!」
え? なに? と状況が判らないまま動きを止めていると、突然私は空中に放り出された。
ぐるりと回る視界に、陽の光と橋のワイヤーが離れてゆく光景が映る。
そして、私に向かってギルの腕が伸びてくるのが見え、彼の名を呼ぶ間もなく急激な落下に悲鳴を上げた。
そして、苦しいほどの抱擁と、水の衝撃。
――冷たいっ――




