4話・後悔は遅れた頃にやってくる
寝不足でどん底な気分の私とは裏腹な快晴の空の下、魔道列車は中央軍統合指令本部の最寄り駅へと時刻通りに到着した。
最寄り駅というが軍本部からは徒歩で片道四十分もかかり、迎えの話がなかったら即お断りしていたと思う。
一応は礼儀として顧客訪問用の外出着に、医療関係者の制服扱いの濃紺ローブを纏ってきてはいた。でも、このローブを黒い髪の私が着ると、とても陰気臭く見える。
その印象を少しでも払拭したくて髪を肩先に触れるくらいにしか伸ばさないのだが、今度は幼い子供のような印象を持たれる結果となった……。美貌はいいから、もうすこし身長が欲しい。
華美にならない程度の化粧と訪問着は社会人の嗜みだと自分に言い聞かせるが、野暮ったいローブで病人に会うだけなんだよね。
誰に対しての嗜みなんだと呟きながら、人の波に乗って出口に向かった。
駅舎を出てコンコースを見まわすと、悪目立ちしまくっている巨体が濃緑色の軍用マギ・カーの横に立っているのが目に入る。あからさまに不機嫌な顔で腕組みをし、無差別に殺気まで漂わせている。
ロベルト・アーベルングを認識した瞬間、私は送迎まで頼んでない! と叫んで踵を返しそうになった。それを総動員した理性と根性で抑え込み、彼に負けず劣らずの仏頂面で近づいていった。
これ以上は何も言うまい。
心身共に生気を削りに削られてよろめきながら、広々とした敷地の端に建つ軍直轄の治療院に到着した時の解放感! それくらい、獰猛な魔獣と一緒に詰め込まれた個室は生きた心地がしなかった。
でも、護衛ならぬ監視魔獣の案内で連れてこられた病室は、魔獣とふたりきりの車内以上に戦場最前線だった。
白い壁に囲まれた清潔な重病人用の個室は、軍装から剣呑な気配をにじませた屈強な男たちによって占拠されていた。
高級ファニチャーからシックな応接セットまで完備された広い特別室なのに、とっても狭くて息苦しい。
苛立ちと不審を隠しもせず周囲に撒き散らす彼らは、この病室に収容されている患者の同僚たちだ。確か、特別な部隊の隊長が患者だと聞いているから、この男たちは部下なのだろう。
四人が病室の出入口の外と中を警備し、病床の左右に滅菌結界を挟んで二人の警護がついている。六人が六人とも、感心してしまうほど強面隊員ばかりだ。武力以前に、顔面の迫力だけで警護には十分に思えてしまった。
ぴんと張りつめた雰囲気の中を、患者が横たわるベッドに近づいて行く。
それにしても、患者の担当治療士どころか治療院関係者のひとりも現れないのはなぜなんだろう? 外様の治療士が入る場合、治療過程の説明や監視も兼ねて誰かしら立ち会うはずなんだけど。
疑問に思いながらもその辺は後回しにして、まずは診察だと腹を括った。その結果によって、関係者を呼んでもらえばいい。
余計なことは考えず、患者を最優先しよう。そのために私は呼ばれたんだから。
すっごく不本意だけど。
いくつもの鋭い視線に晒されながら、緊張に震える指で治療用マスクと滅菌手袋を装着し、淡い青色の光を放つ滅菌結界の中の患者の側に立った。
患者の全身をさっと見分し、白い病衣の前をそっと開ける。
患者も部下同様に長身で、惚れ惚れするような均整の取れた逞しい体躯の男だった。もとは野性的な色男だろう容貌を険しく歪ませ、意識が混濁した状態で発熱と発汗に苦しんでいた。
彼の苦痛の元凶に手を伸ばし、そっと医療用固定ベルトをめくり上げる。
患部を見た瞬間、私はぐっと息を詰めた。
ベルトの下から現れた傷は、医療従事者にはおなじみの『魔創傷』だった。けれど、それはただの魔創傷ではなかった。
目の前に横たわる逞しい体躯の男の胴体には、邪神の一撃と揶揄される最凶最悪の忌まわしい傷口が長々と伸びていた。
「なぜ、こんなになるまで放っておいたんですかっ。担当の治療師をすぐに呼んで下さい!!」
あまりの最悪な状況と焦燥感に、私は思わず声を荒げた。
爛れた傷口から、悪臭と共に黒々とした膿が垂れている。魔性を含んだ紫紺の膿が、呪いによって腐り果てているのだ。このまま放置すれば、密度を増した呪いの膿が患者の肉体を徐々に腐らせてゆく。
医療者の間では、稀有な症例であり誤診率が最も高い外傷のひとつである『呪魔創傷』だ。
まわりを囲んでいた連中は私の声にすぐに深刻な事態だと察知して、患者の脇に立っていたひとりが病室から飛び出していった。
担当治療士が駆けつけるまでの間、私が手を出せることといったら黒い膿を拭き取って生体部分に広がらないようにするだけだ。診察は承ったが、治療に関しては担当治療士が立ち会わなくてはならない決まりになっている。
まだかと焦れながらも、慎重に膿の付着した除去布を始末をしていた時だった。私を案内してきた男ロベルト・アーベルングが、いきなり私の肩を鷲掴むと凄い力で揺さぶってきた。
両肩に走った痛みと、振り回すような勢いに足元がふらつく。
「何だ! 隊長の怪我がなんだってんだっ。おい!」
あまりの乱暴な言動に、他の同僚たちが止めに入りかける。大声での注意と叱責が耳に届き、ロベルトに伸ばされた手が視界の隅に映った。
「か、患者さんは呪いを受けてます。魔は魔でも、誰かが患者さんを――きゃっ!」
「隊長が呪いにだと!? バカを言うなっ。そんな訳あるかっ。この薄汚いニセ魔女がぁっ!」
怒鳴り声と共に、頬に焼けた鉄でも押し付けられたかのような激しい熱を感じた。
でも、それが何なのかを確かめる前に壁に向かって吹っ飛ばされ、何かを巻きこんで落下し、頭のどこかを打ってすとんと意識を失った。
まただ……。と、意識が落ちる寸前に、私の中の誰かが溜息を漏らした。