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45話・見つめる双眸

 もうもうと舞い立つ土煙の中から、何かの獰猛な唸り声と悲鳴が続いていた。

 私たちが森の中に逃げ込むために、先行した副隊長さんが攻撃魔法で土煙をわざと立てて煙幕代わりにする手筈だった。計画は上手く進んで、私たちは無事に逃げ込めた。あとは目晦ましが効いている内に近づく敵を排除しながら森の中を移動して先に進む予定だった。

 ところが、予定外の障害が割り込んできた。得体の知れない魔獣らしき生物の参戦。雄叫びからそれなりの大きさだと推測できるけれど、いまだ姿を視認できていないだけに恐ろしい。

 それに、なぜか襲撃者だけを狙って襲っているらしいのが、まるで私たちを援護してくれているようで不可思議だった。


「俺とジャルは護衛! 他は散開!!」


 様子を窺っていた隊員たちにギルの号令が飛ぶ。

 私とエマさんが腰を浮かせて前方を確認している間も、ファミーナさんが周囲を警戒してくれていたが、ギルの声に隊員たちと共に素早く私から離れていった。

 まだ魔獣による蹂躙が続いている空き地に警戒を集中しながら、隊員たちは藪の中へと姿を消した。ファミーナさんと交代して護衛についたギルたちに従い、私とエマさんは山道沿いに森の中を進む。

 密生した下草と倒木の転がる道なき道を、気を張って耳と目を凝らしながら坂を登る。なだらかな勾配だけれど足場の悪さに歩みは鈍い。加えて、魔獣がいつ気を変えて私たちを追ってくるかと不安で、足を進めながらも背後が気になってしかたなかった。

 それに、ショーティーを見失い、そのまま置いて逃げきたことが心残りで胸が痛かった。ここはマジュの森じゃないのに。あの子が迷子になって……もし、魔獣に見つかってしまったら……。

 

「あれは……なんなのでしょう?」


 エマさんが我慢しきれずに、前を行くギルに問う。

 乱れる息を呑んで、私もギルからの答えを待った。


「あれはリンカの猫だ――たぶん」

「へっぶっ!!」


 上げそうになった奇声をエマさんが手のひらで押さえてくれて、漏らさずにすんだ。亜麻色のほつれ髪の間から彼女の厳しい睨みが向けられ、私は必死に頷いて手をどけてもらった。

 この人は何を言っているんだろう? とギルの背中を見やり、エマさんをちらっと横目で見た。始めの問いかけ以降、エマさんは琥珀色の目を細めて無言で何かを考え込み始めた。

 私の胸の辺りまで伸びた藪を掻き分けながら進んでは止まりを繰り返し、襲撃現場からそれなりの距離をかせぐ。森の中を歩くのは慣れているけれど、だんだんと日が陰っていく見知らぬ森の中を進むのは正直恐い。

 ギルたちやエマさんが側にいるとはいえ、身体中がきしみ出して疲れを感じ、この先どうするのかを知らないままなのは辛かった。

 ラグールたちはどうなんだろう。

 それに、あの魔獣が私の愛猫ショーティーだなんて。


「泉が見えてきた。今夜はあそこで野営だ」


 声に引かれて足元に落としていた視線を上げると、わずかに差し込む陽を受けて水面を輝かせた小さな泉が前方に現れた。

 本当に小さな湧水のたまりで、偶然行き当たらなければ見つけられるような場所じゃなかった。ジャル・ロウが先に立って泉に近づき、周囲の確認を始めた。


「ここが集合場所ですか?」

「そうだ」

「こんな所に泉があるなんて、案内の私すら知りませんでした。よく、見つけましたね……」


 エマさんの感心したような声を耳にしながら、体から緊張が抜けるのを感じて足を縺れさせた。ふらついた私を「おっと」と呟いてギルが受けとめる。

 気がつけば防寒具の中は熱気が篭って汗が浮き、力が抜けた拍子に気持ちの悪さと急激な冷えを感じ、それと一緒にいろいろな感情が膨らんできて――涙がこぼれた。


「ラグールたちは? ショーティーがさっきの魔獣って? ギルは知ってるのに、どうして私だけ何も知らないの? どうして――」


 私の中で、何かがぱちんと弾けた。

 溢れ出た気持ちは、もう抑えきれなかった。我慢していたつもりはなかったのに、疲労感と心細さがきっかけになって無意識に堰き止めていた枷が一気に外れた。

 だめ。口を閉じるの。ギルたちが困るわ。エマさんだってジャル・ロウだって、困惑してるじゃない。


「リン――おい、リンカ!?」

「私は……何も知らないまま、こんな所まで来て……」

「リンカさん!?」

「シーラやトゥーリオのこともシェルク様たちの思惑も……気づいたらみんな私を素通りしていったわ! 私……私はただ説明を聞くだけ。だ、から、一生懸命……自分が中心にいるわけじゃないって、わた、私にはもう関わりのないことだって言い聞かせてきたっ」


 一度零れだしたら止まらなくなった。戦慄く唇は理性を蹴飛ばして言葉を吐き、両目からは情けなさと悲しみが流れた。

 もう動けなかった。膝が崩れて草むらにしゃがみ込み、まるでギルに縋るような格好で呟き続けた。


「解ってるの……。何がどうなって、どうして私がこんなことをやってるのかも、理解してる。嫌なら、不満があるなら依頼を断ればよかたって……でも」

「すまん、リンカ。お前があまりにも素直に呑みこむから……大丈夫なんだと」


 ふいに、心地よい温もりと嗅ぎ慣れない匂いに包まれた。

 涙でけぶる視界は暗く、耳元で囁かれる謝罪に私ははっとして頭が冷えた。

 私こそ何を言ってるんだろう。頑是ない子供みたいな戯言を。


「……ギル?」


 自分がギルの厚い胸の中に閉じ込められて――抱きしめられている事実に気づき、冷え始めていた体がかっと熱くなるのを覚えた。


「野営の準備を終えたら、リンカが納得するまで話そう。それまで、待ってくれるか?」

「え? あ、うん。いいの? その……軍規に反するんじゃ?」

「機密は無理だが、抵触しない範囲でなら差し障りはない」

「う……うん。お願い…します。ごめんなさい。いきなり……」


 限界を超えた感情を吐き出し終えて平静に戻ると、今度は穴があったら入りたいほどの羞恥心にみまわれた。

 きょろきょろと辺りを見回し、なんとも切ないげに私を見詰めるエマさんと目が合い、慌てて泣き顔を手の甲で拭った。


「エマさん、ごめんね……」

「何ということはないわ。リンカは疲れてるのよ。ちょっと我慢し過ぎたから。ね? 辛い時は辛いって言って?」


 背中をぽんぽんと子供をあやすように叩かれ、私は強張っていた肩から力を抜いた。落ち着いた私に気づいたギルはゆっくりと私を腕の中から解放し、いつかのように頬をさらりと撫でて腕を降ろした。

 頼れる腕が離れると、途端に寒さが戻った。頬の熱は、最後まで未練がましく残って私を困らせた。

 己の我がままな癇癪に戸惑ってまたぺしゃりと座り込んだ私を、一緒に腰を下ろしたエマさんが背中に腕を回して抱き寄せてくれた。


「みゃう……?」


 両手で包めるほどの黒い毛玉が下草の影から現れて、途方に暮れている私を覗きこんできたのを見て、また別の憤りが湧いてきた。


「ショーティィィッ!!」




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