41話・夜の煌き 闇に月と星 1
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夜空を見上げると、宝石箱をひっくり返したような満天の星。その片隅に大小ふたつの月が、やや重なって浮かんでいる。
赤みを帯びる小さなラクルタスと、青白く大きなレグダス。神話の中で活躍する白銀の髪の兄と赤い髪の弟の名が、大昔の人々によってふたつの月に付けられた。
天に召されるまで片時も離れず国のために共に戦った英雄兄弟の名は、離れることなく天を巡る月たちには似合いだったのだろう。
私は部屋のテラスにひとり佇み、灯りを消した夜の闇の中で月と星を眺めていた。
『月の魔女』ロンドは、月光と魔力を練って方陣を編む能力に長けていた。闇属性魔力を使って魔方陣を描き、漆黒の空間を変幻自在に形作る。
ふたつの月が染みわたるような冴えた月光を地に注ぐ夜、ロンド婆ちゃんは躍るように床の上を回りながら陣を紡ぎ、朗々と秘文を詠唱う。歌声は一晩中響き渡り、大きく開け放たれた窓からマジュの森へと流れる。
そして、夜明け間近になると、森の深い処から秘文は闇の糸を巻き取って戻り魔法陣の中に編み込まれてゆく。
亜空間の繋ぎや漆黒の影、人の目を惑わす何かを。
私が持つ空間倉庫もそのひとつで、鞄の中の影を利用して術者と許可を得た者以外を拒む無尽蔵の入れ物を作った。その最たる方陣が、マジュの森にある家を隠す【隠形】だ。
人々はお金に糸目をつけずに『月の魔女』の細工物を求め、世の中はすこしだけ便利になった。
けれど、ロンド婆ちゃんは「都合の良い物」は商品にしても「お客の欲を満たす物」だけは頑として引き受けなかった。
闇は時の流れや変化を拒絶し、入れた時のままに物を保存する。一度編まれた方陣は、術者が死んでも消え去りはしない。そこが魔力だけを使用する魔法や魔道具とは違う。
扱いを間違えれば途端に危険な物に早変わりする。泥棒が姿を消せる方陣を手に入れたら? 軍部が無尽蔵に物が入る倉庫を持ったら?
厳しい戒めを己に課して、『月の魔女』は注文を受けた。
どんな作用も変化も許さない永遠の闇の空間。
それは、禁忌の小箱を隠すのには絶好の“場所”だ。
「私が囚われても、箱をここから引き出さないかぎりは使えないのよね。私を殺せば、箱は永遠に闇の中を彷徨うだけで、この世界から消えたも同然」
ぽつりと呟くと、足元でミャッと黒猫が鳴いた。
「なのに、なんで君は無事なの? どうやって亜空間倉庫に入ったのよ!?」
謎の黒猫が、私の鞄の中から現れた。
アーデルベルトのマジュの森の家で留守番をしているはずの、私の大事な小憎らしい相棒だ。
案内された宿の部屋には、先行していたギルの部下たちも全員が戻っていた。個性的な面々だけれど、初めて顔合わせをした時と比べてると、本人も装備もどこか草臥れていた。
疲れの見える護衛隊に気づいて、私は旅のために用意していた疲労回復薬と外傷治療の軟膏を進呈した。私のために負った傷や疲れだから、是非とも受け取って欲しかった。
『翠の魔女』の薬を手に瞠目している彼らに、私はわざと胸を張って『試供品です! 効き目に納得したらお声をかけてください。安価でご提供します』とわざとらしく宣伝した。
返ってきたのは笑いと『よろしく』の声だ。
それが嬉しくて、女性たちに特別美容薬を渡そうと鞄に腕を突っ込んだ。
出てきたのは素朴な化粧瓶じゃなく、真っ黒な子猫だった。
私もだが、その場にいた全員が呆気に取られて硬直した。
「ショーティー、お前……」
最初に驚きから復帰したのは、飼い主の私ではなくギルだった。
彼が思わずといったふうに猫の名を呼ぶと、鞄を飛び出した黒猫は飼い主ではなくギルに飛びついて甘え始めた。グルグルと喉を鳴らしてギルの胸元に頭を擦りつけている。
なぜなの?
ショーティーが飛び込むのも被毛を撫でまわすのも、私の特権じゃないの?
その大きな手のひらで撫でるのは――。
ギルの胸に甘えるショーティーを見て、私はなんだか胸の中がもやもやした。悔しいような情けないような羨ましいような、とても複雑な感情。
私がなんとも表現しがたい表情を浮かべたせいか、ギルは珍しく動揺してみせた。胸にしがみつく猫と私を交互に見やり、黒猫をどうすればいいのかと、あの大きく皮の厚い手が中途半端に黒猫の脇腹に回されている。
私の涙目を見た時以来かも知れない彼の焦りっぷりは、部下たちの好奇の視線を集めたようだ。いつも沈着冷静な隊長が小娘と子猫に動揺させられているなんて、面白い見物なのかも。
個性的な面々を部下に持ちながら見事に統率してみせるギルは、隊長崇拝うんぬんの誤解は消えても人タラシであることは間違いなかった。
魔物らしき生き物までタラシてるしね。
「ショーティー! どうやって入ってたの!?」
戻ってきそうもないショーティーに、私が今言えるのはこれだけだ。
ただの鞄じゃないんだ。あんな恐ろしい空間の中に、いつ入り込んだの?
「お前、どこであの鞄に……」
ギルも記憶していた。森の出口まで案内してもらい、そこで私が留守番を言いつけて手を振って別れたのを見ていたのだから。
「ミャウ!」
ギルの顔を見上げて甘えた声で返事をするが、誰もそれを翻訳するなんてできない。
でも、なぜギルに応えるの?
私の声が聞こえてないの?
ギルも、いつまで抱いてるのよ!
「モテる男は違うねぇ。主人の鞄の中に隠れてまで追ってくるなんざ、カワイイじゃねぇの? 隊長」
「言っておくが、こいつはオスだ!」
「女どころか男まで……」
「あのシーラにつき纏われてた時より、ずっと嬉しそうに見えるわよ~?」
隊員たちが好き勝手に囃し立て、ゲラゲラと声を上げて爆笑した。
私は笑う気にもなれず、がっくりと肩を落としてソファに座り込んだ。
気分がすぐれないことを理由に、私はショーティーをギルに預けたままで自室に引き上げた。
飼い猫が他人に愛想を振りまく姿を見て拗ねたとみんなは気づいただろうが、さすがに大人な彼らは冷やかすことなく黙っていてくれた。
護衛のために同室になったエマさんは、落ち込んでいる私の代わりに明日からの打ち合わせのために居間に残っている。
出ていこうとした私の手を、さり気ない仕草で優しく握ってきれた彼女の手の温かさにすこしだけ励まされた。
「でもねー、私ったらどっちに嫉妬してしまったのか、自分でもわからないんだよねぇ」
当分会えないと思っていた相棒に会えた嬉しさと、主人の立場を蹴り倒してくれた愛猫に対する恨めしさ。
でも、もっと悔しく感じたのは、ギルの胸に素直に甘えているショーティーを優しく撫でるその手を見た時だ。
黙って撫でさせる愛猫を見て、私はふいに妬ましく思った。
「ああ! もう! 彼は護衛なのよ、リンカ!」
私は、自分に言い聞かせながら寝台に飛び込んだ。
あれが猫じゃなく他の女性だったら……?
もやもやが膨れあがる。
「護衛だから、大切にして貰えてるだけなの!」
毛布に顔を埋めて唸る。
なんなの? この感情は。




