36話・『翠の魔女』とトゥーリオの民 1
なんだかいい匂いに促されて目覚めると、同じ部屋に泊まったはずのエマーシェさんとファミーナさんの姿はすでになかった。
私に用意された部屋は女性護衛もあって、ベッドが二台並ぶ夫婦者用の寝室と子供用の狭い寝室が続く部屋が取られていた。
子供部屋でいいと言う私にファミーナさんとエマーシェさんは護衛の意味がない! と窘め、黙ってファミーナさんと同室で眠りについたのだが、無人のベッドに驚いて飛び起きた。
寝坊したかと慌てて着替えて洗面をしているところに、エマーシェさんが戻ってきた。
なんでも斥候隊が夜明けと共に宿を発ち、その後にギルとファミーナさんと三人で打ち合わせと情報交換をしていたのだそうだ。
「朝食ができたから起こしにきたの。ゆっくり眠れた?」
「はい。……それにしても皆さん、早いですね」
「先発隊はこんなものよ? 本隊が到着する前に現場を下調べしておかないとならないんだもの。他国であっても……他国だけに念入りにね」
「エマーシェさんは?」
「エマでいいわ。私は地図代わりだから、必要ってことで」
本日のエマーシェさんことエマさんは、私と同じような平民の娘が着るような厚手のワンピースに皮製の黒いボディスを着付け、髪を可愛らしく編みこんですっきりとみせている。
なのにだ。袖を捲り上げて腕を組み、足を開いて立っている。
きっと日常でも男装に近い服装で過ごしているんだろう。ドレスを着ても癖が抜けないらしい。
私はあえて指摘せず、素知らぬ顔で彼女の後に従って食堂に向かった。
一級宿らしく、私たちのような団体さんは大広い個室で食事ができるようになっている。
中央に大きなテーブルが備えてあり、さまざまな料理が大皿に盛られて所狭しと置かれている。好きな物を好きなだけ取って食べる。スープなどの温かな物は、個室付きの給仕さんに注文すると個別に持ってきて貰える仕組み。
へぇーと感心しながら、四人が固まった大テーブルの一角で朝食を始めた。
給仕が運んでくれた湯気の立つ穀物スープを飲んで、まだ眠気が残る体を目覚めさせる。卵を丸くふわふわに焼いた料理を口にして、目を見張った。
あまりの美味しさに、顔がにやける。
そんな幸福を味わっているさなか、唐突に出てきた『トゥーリオの民との会見』の予定に、私はパン籠に伸ばした手を止めた。
「え? トゥーリオの民と会うんですか?」
「リンカが来る前に旧トゥーリオに行かされた人だ。現地に関する情報を集めに行ったところ、『翠の魔女』に直接会って話したいそうだ」
私は食事を一旦止めてギルに向かいあった。
彼は無表情だったが、隣に座るファミーナさんとエマさんが微妙な表情で私を見ていた。
たぶん、私が快く会見すると思っていたのだろう。なのに私は答えに詰まり、不安そうにギルを見ている。
「……その人は、なぜ私に会いたいと?」
「詳しく説明してくれなかったようだが、ただ何も知らないリンカにトゥーリオのことを話して聞かせたいのだそうだ」
なるほど。私は母を亡くしてしまったせいで、トゥーリオについての知識はロンド婆ちゃんと歴史の書籍からしか得られなかった。その上、私自身が本当にトゥーリオの血族なのかすら確信が持てずに育ってきたのだ。
滅亡時に国から逃げ出した生き残りが、子々孫々何かしら語り継いでいても不思議じゃない。
何も知らないらしい『翠の魔女』が来るとなれば、同じトゥーリオの民として伝えておきたくなるのも心情。
「解りました。お会いします。ただ、ギルに立ち会いをお願いしたいんですが、いいですか?」
「良いも悪いも……俺でいいのか?」
「護衛としてついていてください」
「了解した」
ギルは表情を変えることなく、私の頼みを受け入れてくれた。その代り、意外そうに私を見ていたのはエマさんだ。
リカルド国王から依頼内容を聞いているのだろう。通常なら、事情を知っているエマさんを付き添いにと望むのが妥当だ。
しかし、私はギル以外まだ誰も信用していない。現時点で、もっとも頼れる相手はギルしかいなかった。
ただし、耳にした内容は漏らさないよう約束してもらうつもりだ。だめなら、ギルには部屋の外にいてもらおう。
それからいろいろと確認事項をやり取りし、私たちは宿を後にした。
ファミーナさんが運転する軍用魔道車に乗り、今度はちゃんと地面を走る。
魔道具の生産国であっても、贅沢品となれば一部の貴族や富裕層しか手が出せない。王都に近い小都市までなら高級魔道車も通れる道幅に整備されているが、他はいまだに馬車が主な交通機関だ。
「エマさん、カルミア王国は魔道列車を運用しないんですか?」
後部座席に座る私の横で地図を広げていたエマさんに、そっと小声で尋ねてみた。
こんなに広大な国土を有する国なのに、なぜ? と思う。
すると、彼女は薄く苦笑いした。
「この国は、国民すべてが統一した意志を持っているわけではないのですよ。侵略戦争の名残はいまだにありますし、民族的な問題も……」
「そうなのね……。こんな大きな国だから、魔道列車が敷かれればいろいろと楽になるのにと思ったけど……」
「国王陛下の政策であるというだけで、はなから拒絶を示す者たちも多いですし――これから訪ねる地域もそのひとつです」
すっと頭が冷えた。
そんな所へ私が行って大丈夫なのか。カルミア王家の人間じゃないけれど、私は異国人だ。
これはのんびり魔道列車がどうだこうだなんて言ってられない。
「大丈夫なんですか? 異国人の私が行って……」
「心配ない。反政府派だのというわけではないし、リンカは会見を申し込まれた立場なんだ」
私たちの会話を聞いてか、助手席に座るギルが話に入ってきた。
前を向いたままだからギルの表情は伺えないけれど、悪い雰囲気じゃないみたいだ。
それに、先発隊がすでに訪れているんだし。
「そうです。異国人であること以上に、『翠の魔女』であることのほうが彼らには重要でしょう」
エマさんは、ギルの助言に迷いを振り払えたのか力強く断言した。
そこまで『翠の魔女』であることが重要って……。
もう皇国は亡くなったのに。




