3話・【翠の魔女】なる異名持ち
グランディオス大陸とアルガース大陸、その間にアーデルベルト大陸を挟んでこの三大陸が世界の中心とされている。
グランディオスもアルガースも多数の国家がひしめく広大な大陸で、沿岸沿いの国などは近海に散る諸島を占有するため、延々と争奪戦を続けているらしい。
物騒な二大陸に挟まれたアーデルベルトは、大陸と胸を張って言い切るほど大きくもなく島というには広すぎる微妙な規模の大陸で、昔はたくさんの集落や村などに分かれて地域社会を形成していたけれど、三百年前に両大陸から一気に攻め込まれたのを契機に共和制を主軸とした一国に纏まった。
アーデルベルトは大陸名でもあるが、その時から一つの国家名にもなった。
双子豆のような形をしたアーデルベルト共和国は、中心の窄まった部分に政治・経済・軍部が集中する『中央都市』と呼ばれる首都が置かれ、豆の部分に『代表と側近たち』が治める地方都市や郡に分けられて、農業や漁業、工業や鉱山などさまざまな産業で発展している。
平野らしい平野は中央都市周辺だけで、他は起伏に富んだ地形と温暖な気候による恵み豊かな大陸だ。まさに、上から見ても横から見ても双子豆のような形をした大陸国家。
だから、海を越えた他国からは陰で「豆の国」なんて呼ばれ、「いつか食ってやる」なんて今でも狙われ続けている。
大陸といえど、こんな小さな国がなぜ両大陸から攻められて墜ちずにすんだのか。
確かにアーデルベルトの民たちが一致団結した結果ともいえるが、本質的な理由はまた別にある。
魔素と魔力、そして魔法。
人は生まれた瞬間から、空中に漂う酸素と魔素を同時に体内に取り入れる。酸素は生命活動を魔素は身体育成を助け、馴染んでくると魔力に変換できるようになる。成長と共に魔力は体内に蓄積され、六歳前後から魔法として体外に放出する準備ができる。
魔法とは、魔力を基にして自然に関わる現象を起こす技であり、魔力の蓄積量に応じて技の規模も威力も変化する。
ほとんどの人々は、持って生まれた属性に合う生活に役立つ程度の魔法しか使えないが、大量の魔力を蓄積できる体質の人が人口の一割ほど存在し、彼らは魔法使いと呼ばれて職業選択の際に優遇されやすい。
ことにアーデルベルトの地は他の大陸以上に魔素が濃く、それが素因なのか魔法使いの出生率が高い。
そして、稀に神様が特別な加護を授けた者と伝えられている『異名持ち』が生まれる率も高かった。
高度な魔法のスキルを生まれ持ち、それに見合うだけの魔力吸収ができる特異な性質の者たちだ。どこの国も自国民として欲するが、その出生数すらアーデルベルトが独占している。
多くの魔法使いと異名持ちたちがアーデルベルトを外敵から救い、今の繁栄を守ってきた。
だが、それも百年前までの話だ。
今では希少で有用な異名持ちは国や政府に登録申請をすることが推奨されていて、認定を受けた異名持ちたちは世界共通の保護条約に護られることとなった。
――何人なりとも、神の加護を持つ者を害するなかれ――
保護条約の条文の頭には、そう書かれている。
私のとある私的事情というのが、この異名を持って生まれたことだ。
【翠の魔女】
なんとも優雅な雰囲気を感じさせる異名が、私に授けられた神の加護だ。
私の場合、動植物全般の生命活動の調整を、魔力と自然物を材料にして整えることができる能力だ。
薬草や薬樹、宝石や魔石、魔鳥や魔獣の部位を主な材料にして、薬剤の精製や調剤、鉱石や動植物性毒素の加工や分解、果ては土壌改良や森林保持などさまざまな高位スキルを持っている。
ここまで多種多様なことができるのは、【翠の魔女】という神の加護が滅多にない最上位のランクという事情からくる。
だから、私はなんの迷いもなく成人と同時に治療薬師の道を選んだ。治療士よりは薬師に傾いている能力が多いためと、あまり人前に顔を出したくなかったから。
それでも、この職業選択は思いのほか苦難な道を私に強いた。数えきれないくらい何度も後悔して、農耕指導者か自然区管理人の道へ転職しようかと何度も迷った。
その最たる原因は、私の容姿だ。
異名持ちの証となるものは二つ。
一つ目は、生まれながらに身体のどこかに現れる、異名の核となる属性紋章の刻印。
二つ目は、たぐいまれなる美しい容姿だ。
一つ目はともかく、二つ目の特徴に私はまったく当てはまらない。
実際のところ、私以外の異名持ちたちは本当に華やかで美しい容姿をしていて、ありとあらゆる美の形容がぴったりハマる魔女や魔法士たちばかりだ。
彼らに対して、私は漆黒の髪に焦茶色の瞳と色白だけれど薄くて冴えないご面相。凹はあっても凸が少ない、スレンダーなどというのもおこがましい貧相な体格。可愛らしいと褒められたことはあっても、美しいなんて冗談ですら言ってもらったことなどない。
この一風変わった容姿は、単に今は亡き国の固有民族の血が色濃く出ただけなのだが、コレが原因で大半の依頼人が本当に異名持ちなのかと疑ってくる。
上流階級者は権力をかさにきて脅してくるし、軍の脳筋どもは筋肉にものを言わせて威圧してくる。
現に、過去に何度か大被害を被った。
それに嫌気がさして、今では信頼できる顧客からの紹介でしか患者に会わないようにしてきた。
まぁ、下手に崇拝されたり色気を出されるより、私の腕を重用してくれて適切な距離感でお付き合いしてくれる患者さんのほうが大事だから、この容姿もすこしは役立っているかも。
私の仕事は容姿や色恋を売ることじゃなく、あくまで治療薬師ですから。
それでも、何度か振りかかった災いは、今でも私の中で傷となって残っている。
それだけに、レイゲンス夫人からの依頼に難色を示したんだけど。
「ショーティ、ねえ聞いて?」
飼い猫のショーティがベッドの上に掻き上ってきて、寝転んでいた私の顔の横で丸くなった。
三年前に、故郷で拾った子猫。ずたぼろ瀕死の状態で、ただ必死に助けを求めて鳴いていた、さまざまな色の毛がが混じり合って黒くみずぼらしい毛色の子猫にしか見えなかった。今では元気に飛び回る艶々な黒猫に。
ただ、三年も経っているのに、いまだに私の両手を広げた大きさから変わらないのが不思議だ。ご飯をあげてないんじゃないかと誤解されるから、そろそろ大きくなってよ。
小さな鼻をちょんと指先でつつき、翠の瞳を覗きこむ。
つい先ほど入ったレイゲンス夫人からの連絡内容が、重い頭の中をぐるぐると巡る。
あの不遜な甥っ子に条件を呑ませ、最寄駅まで迎えを寄こす約束まで取りつけたと。
落胆の溜息が、愛猫の背中に零れ落ちる。
「嫌になっちゃうわ。また、あの忌々しい政府の軍部と関わらなきゃなんないみたい。助けてー、ショーティー」
「ニャウワウワゥ……」
返事なんだか欠伸なんだか分からない声をあげて大きく口を開いたと思ったら、私の愚痴なんて完璧に無視をして目を閉じてしまった。
耳元でゴロゴロと鳴るショーティの喉声を聞きながら、私はもう一度溜息を漏らした。