34話・旅立ち
旅というものに、私は夢を持っていた。
アーデルベルト共和国で生まれ、幼くして母を失いロンド婆ちゃんに育ててもらった私は、マジュの森の家で清貧と言ってもいいくらいの質素な生育期間を過ごしてきた。
幼心にうちは貧乏なんだと思いこみ、ロンド婆ちゃんには贅沢じみた我が侭は言わないようにしていた。
そんな生活の中で唯一の楽しみは、ロンド婆ちゃんを訪ねてくる商人の小父さんが話してくれる遠い町や中央の様子だった。ロンド婆ちゃんと商人さんの雑談は、たぶん情報も含まれていたせいか難しい単語が多かったが、それでも幼い私にはキラキラした楽しい場所に思えてならなかった。
大きくなったらお金を貯めて、いつか中央へいつか海の向こうへ旅に出るんだと夢を膨らませた。
まぁ、大きくなると同時にいろいろと現実を見て、夢はすこしずつ萎んでいったけれどね。
独立と共に凹んだ夢は、次の海の向こうに持ち越した。
「リンカ様、どうしました?」
「……エマーシェさん、どうか様付けはやめてください」
「でも、陛下の――」
「仕事を依頼されただけの一般人です。それでも私に様をつけるなら、エマーシェ様とお呼びしなくちゃ」
「それは困ります!」
「では、リンカで!」
ああ、話が逸れた。
私の想像というか妄想の中の旅は、馬車に乗って風景を楽しみながらゆっくり進むって感じだったのだけれど、海の向こうに渡っても夢は夢のままで終了した。
それもそうだなと、現状を見て思う。
だって、ここは魔道具開発の一大拠点を持つカルミア王国だ。
それも観光ではなく、先を急ぐお仕事の旅路だ。
だから、乗っているのが馬車ではなくギル所有の高級魔道車なのは、仕方のないことなんだ……けれど、ずっと期待していただけに落胆が大きくて。
「では、リンカさん。どうしました?」
「異国の旅に夢を馳せていた幼い頃が……なんだか懐かしくて」
きっと遠い目をしている私の心情に気づいたんだろう。
リカルド国王が付けてくれた案内人兼護衛の女性エマーシェさんは、助手席で何度も頷きながらクスクスと笑った。
今朝、荷物を整理して出発の準備を終えた私は、シェルク様に呼ばれて談話室に向かった。
そこにはリカルド国王と、私より二、三歳年上の亜麻色の髪に琥珀色の目をした女性が待っていて、エマーシェと名だけを紹介され案内人兼護衛だと説明を受けた。
護衛? と首を傾げたら、なんと女性騎士見習いなのだと教えられた。いずれは騎士に昇格して王太子妃付きの騎士になるのが目標で、男性騎士に負けず劣らずの腕前なのだとか。
長い髪を綺麗に編み込み、男装に近い女性騎士用の制服を着こんだ姿は、その姿勢の良さもあってきりっと凛々しい従者のようにも見える。
あまりの格好の良さに惚れ惚れと眺めながらよろしくとお願いすると、エマーシェさんはにっこりと優しい笑顔で挨拶を返してくれた。
どんな人が来るかとドキドキしていただけに、柔らかい雰囲気の女性だったことにほっとして、長くなりそうな旅路がすこしは楽しめるだろうと思えた。
そして、いちばん大事な荷物をシェルク様から受け取り、それを空間倉庫に収めた。
カルミアの『光の魔法士』による【浄化の印】を施された布に丁寧に包まれた小箱は、『翠の魔女』の許に来てしまった。
リカルド国王とシェルク様を前に旅立ちの挨拶をし、緊張に高鳴る胸を押さえて玄関に出ると……。
「な……なんで馬車じゃないの……? 旅って言えば馬車じゃ……」
無意識に漏らした呟きは、横に佇むエマーシェさんだけに聞こえていたらしい。
彼女も馬車とまでは思わなかったが、まさか高級魔道車が現れると予想していなかったようだ。
「私は、軍用魔道車だとばかり……」
朝日に輝く車体を呆然と見つめていた私たちに、またもやギルが窓から顔を出してニヤリとしたのだ。
早いことはいい。仕事だからね。
依頼内容から察するに、そんなに簡単には済ませられない気がするし、厄介事は早く終わらせたいもの。
それに、もっと難しい問題を抱えている私だ。
『翠の魔女』の追跡者は確実にカルミアに入ったという。なら、標的の私が、守りの堅い王都を出た今が絶好の機会だろう。のんびり観光なんて言ってられない状況下で、護衛のギルが足が速い乗り物を選ぶのは当然のこと。
いつか、まったり旅をしたい。そして、お気に入りの場所を見つけて薬屋を開くんだ。
「ところで、他の護衛さんたちは?」
この魔道車には、私とエマーシェさんと運転手のギルの三人だけ。
空中を滑空する魔道車は、とんでもない速度で滑空して行く。でも、どこを見ても追走する魔道車はいない。
私はてっきり全員揃って出発するんだと思っていたんだけれど、王都から旅立ったのは私たちだけだったのには拍子抜けした。
「他の連中は、今夜の宿泊地に先回りしている」
「へぇ……」
どんな人たちがギルの部下なんだろうと、密かに楽しみにしていたのに、顔合わせは夜になるらしい。
「どうだ? 令嬢気分は。護衛がすくなくてその気にならないか?」
気のない応えを返した私に、ギルがそんなことを言う。
「ご令嬢はこんな草原地帯を走りません!」
そうなのだ。出発直後は後部座席で優雅な令嬢気分を味わいながら、通窓の外を通りすぎてゆく林や貴族街を眺めていたけれど、あれから二刻は過ぎている今、視界のどこを見回しても丈の低い草が生い茂る草原が広がっている。
時々何かがいると目を凝らせば、被毛の長い草食家畜が群れて放牧されている。
まだまだ遠い山脈を眺め、私は溜息をついた。
いいのかな。出だしからこんなに楽をして。




