29話・猟犬は護衛犬を装う
寝苦しい夜を過ごして朝を迎えた私は、朝日が昇った直後に起きだすと普段着に着がえて部屋を出た。
私付きの侍女さんを捜して王都の朝市に行きたいと告げ、誰かに案内を頼めないか尋ねた。お屋敷に勤める使用人の朝が忙しいのは知っている。だから、侍女さんではなく御者や馬番の人に、行きの道案内だけでも頼めないかと思ったのだ。
すこし困惑を見せた侍女さんは、おずおずと上に確認を取るから待っていて欲しいと言い置くと、私を残して奥に消えた。
書置きしてひとりで外出する手もあったけれど、道も知らない場所では迷子になるのは決定だ。
何しろこの国に来て以降、外出は必ず玄関からすぐに馬車の中だったし、平民街は小窓から遠目にそれらしい町並みを眺めただけ。
方向しかわからないまま歩きだしても、この林を抜けるだけでも私には大変だろう。右往左往した挙句、いきなり湖にどぼーんじゃ笑い話にしかならない。
唸りながら廊下をうろうろしていたところに、侍女さんが笑顔で戻ってきた。
怖い顔をしたギルバートを従えて。
彼を見た瞬間、内心で盛大に舌打ちした。
早朝から顔を合わせるには、昨夜の件もあってキツイものがある。気分転換も兼ねて朝市にと考えていたのに、寝不足の原因にずっとついて歩かれるなんて。
「平民街へ行きたいそうだが、朝食後ではだめなのか?」
「あの……朝市に行って薬の材料を購入したいんです。観光に来たわけじゃないのはわかってるんですが、仕事のためにもどんな薬草や鉱石があるのか確認したくて」
朝市は早朝から始まる。採れたて捌きたての材料を店頭に並べ、新鮮な内に売り切る。早く行かないと確かな品は入手できない。ことにカルミア王国の市場には何が出ているのか、とても楽しみにしていたのだ。
「なら、俺が案内する」
……爽やかな早朝の活気あふれる朝市を、不機嫌ありありな男を連れ歩く私。イイ男なのに、眉間の皺と吊り上がった目が台無しにしてる。
それでも侍女さんの視線がずっとギルバートに注がれている。心なしか目を輝かせてうっとりしてますが、軍人の不機嫌顔でも乙女心に響くのね。
「お願いします。なるべく早く戻りますので」
少々の優越感に浸りながら、急ぎ足で外出の用意をして玄関前に向かった。ギルバートの姿を捜してきょろきょろしていると、私の前にすーっと紺色のマギ・カーが停車する。
「早く乗れ」
運転席の窓からギルバートが顔を出し、私は急いで後ろの座席に乗り込んだ。
わーっ。ひとつ夢が叶った。高級魔道車よ! 豪華な馬車でお姫様気分も夢のようだったけれど、やっぱり現代に生きる庶民の夢はこれよね。
ピカピカに磨かれた高級皮革の後部座席にゆったりと深く座り、優雅な仕草で脚を組んでみたり。身に纏っているのが庶民向けワンピースと頑丈なブーツなのが残念だけどね。
「なぜ、後ろに乗る?」
「上流階級のご令嬢感を味わいたいので」
「……今、流行りなのか?」
「局地的流行です。主に私を中心に」
ギルバートは前を向いたまま、ふっと小さく含み笑うとそれ以上何も言わずに車を発進させた。
ほんのわずかな浮遊感の後、滑るように走りだす。林の中だけに高度を取れず、地面からすこしだけ浮いての走行。でも、馬車よりもずっと早くて、道沿いの樹々は後ろに消えてゆく。
ギルバートの運転技術は信用している。マジュの森から中央まで軍用魔道車に乗せてもらったけれど、彼の運転はとても快適だった。
「これはシェルク様の車ですか?」
「俺の車だ。この国の宰相殿から頂いた。それと……敬語で話すのはよしてくれ」
「えー……年上の男性に馴れ馴れしくできません。それにしても、凄いですね。ぽんと高級魔道車を下さるなんて」
「では『翠の魔女』殿に失礼があってはならないので、私も敬語で会話いたしましょう」
この瞬間、私は助手席に乗り込まなくて本当に良かったと思った。ぶわっと鳥肌が立ち、あまりの気色悪さに身を縮めて悶える。
異名持ちは、立場的に敬語で話しかけられる場合が多い。あのシーラの態度で知れると思うけれど、法の上では平等を謳いながらも、特殊な上位階級扱いをされている。
ただ、私は例外中の例外で、そんな扱いはされたことありませんが。だから、冗談でも敬語で話しかけられるなんて精神にくる。
鳥肌が収まらない腕を撫でながら、涙目で訴えた。
「やめてください! やめて! はいはい。わかりま……わかったわ。普通に喋るから」
「ああ、是非そうしてくれ。それと、ギルでいいからな」
「もうっ……。ええと、ギル。宰相様って、あのお爺ちゃんのこと?」
頑張れ、リンカ。今だけの我慢だ。
己を奮い立たせながら、とにかく話題をすり替えた。
宰相様だ。宰相……って、昨夜シェルク様が言ってたお方だ。シーラが魔法攻撃した相手であり、無謀にも私が庇いに走ったお爺ちゃんだ。
「そう、宰相ジャルジェ殿だ。先王から引き続き宰相に務めておられたが、もうすぐ退任だそうだ。リンカが登城するのを待っていると、伝言を頼まれている」
「お城かぁ……お返事しなきゃならないんだよねぇ」
ああ、思い出してしまった。
この時間だけは忘れておきたかったのに。
商人街と貴族街の間にある馬車置き場に高級魔道車を留めさせてもらうと、私たちは徒歩で平民街へと向かった。
王城の正面門から伸びる大通りに立ち並ぶ貴族御用達の高級店を素通りして進むと、商人街の店先がだんだんと庶民相手の商品と値段設定に変わってゆく。店舗は前面が開け放たれて、売り物を山にした陳列台が所狭しと並び、買い物客が集まっている。
雰囲気はがらりと変わり、街に庶民の賑わいが溢れている。
行き交う人に朝市の場所を尋ね、私たちは駆け足で向かった。平民街の中央辺りある大通りを横切る路地だという。人の波を掻き分けそれらしい十字路に到着した私たちは、王都の朝市がとんでもなく大規模だったことに驚きたじろいだ。
教えてもらった場所は、どう見ても大通りを横に突っ切る大路地だ。荷馬車も無理なく走れる大路。大通り以上に溢れる人々……。
「ここの庶民の路地と、私の知ってる路地の規模が違い過ぎる……」
「……リンカ、本当にここで買い物をするつもりか?」
圧倒されたまま佇む私に、凄腕軍人は心なしか弱気な声で問いかけてきたのだった。




