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2話・難題は、いつも向こうからやって来る

三話目。

「実はね、お願いがあるの……」


 診察を終えて内服薬をお渡しし、新たに淹れ直されたお茶で一息ついてそろそろお暇しようと腰を上げた時だった。レイゲンス夫人がなにかを決心したかのように表情を強張らせ、上ずった声で告げた。

 診察の最中、何度も物言いたげにちらちらと私に意味深長な眼差しを向けてきたが、あえてこちらから問いかけはせずに流していた。レイゲンス夫人の態度から察するに、ここで気を回して余計な厚意を示しても、ろくでもない状況を招くだろうことは予想がついた。

 私がここに来たのは彼女の診察と薬を渡すためだ。それ以外は、許容外ですと無視を決め込んでいたのに。

 案の定、切羽詰まった「お願い」の声に、隙を作ってしまった自分に心中で舌打ちした。

 そして、すぐにお願いの内容に思い至った。

 ロベルトとの出合い頭の場面が、脳裏を駆け巡る。

 あまりにも失礼な態度に腹が立って、重要な部分を忘れていたことがとっても悔やまれた。


『こんなガキが件の薬師だと!?』


 確か、ロベルトはそう言ってレイゲンス夫人を責めたのを聞いたはず。

 あの台詞から推測できるのは、なんらかの事情からロベルトは叔母に私のことを確かめに来た。でも、叔母の思わぬ塩対応に気分を害して去りかけ、そこにタイミングよく『件の薬師』である私にばったりと……。

 不意打ちだったせいで警戒を怠った自分が腹立たしく、無意識に眉間に皺を作っていたらしい。夫人が申し訳なさそうに目を伏せるのを見て仕方なくソファに戻った。


「ロベルトの所属する部隊の隊長様がね、任務中に大変なお怪我をしたらしいのよ。政府軍の人だから、何かあれば政府軍の治療院へかかるのは当然なのだけれど……」


 そこまで話を聞けば、もう先の見当はつく。

 叔母と甥っ子の剣呑な別れにわずかな期待を持っていたが、人の好いレイゲンス夫人が重病人を見捨てられないことくらい長年の付き合いで理解していたはずなのに。

 でも、できることなら政府機関と関わりたくないし、できなくても絶対に関わりたくない。

 私の複雑な心境にかまわず、レイゲンス夫人の話は続く。


「なんでも、私のように高度な治療を施して貰ってもまったく完治しないそうなの。それで、長患いしていた私が元気になったと聞いて、それを確認するために訪ねて来たらしいのだけれど……ねぇ?」


 ああ、多分に意味が込められた「ねぇ?」が放られた。これを聞き流すか真摯に受け止めるかが、私の運命の分かれ道だ。

 人徳のあるレイゲンス夫人のことだから、これを断ったからといって私を解雇することはないだろう。でも、今まで私たちの間にあった信頼に、気まずさなんておまけがくっついて来るだろうと予測はつく。

 それが辛い。でも、無理なものは無理。


「申し訳ありませんが、あの様子ではロベルト様に信じていただけなかったみたいですし、治療が必要なご本人がいくら私を必要としてくださっていても、回りの方々に非協力的な態度を取られては……」


 ぬるくなったお茶で喉の渇きを潤し、意思は変えないと眼力を込めて夫人を見返し、これ以上ないほど真っ当な理由を述べた。

 とある私的事情から、私は権力者を大変嫌っている。

 中央政府議会のお偉方や中央軍関係者などの、いわゆる特権階級に属する連中だ。

 では、なぜその立場にあるレイゲンス夫人に雇われているのかというと、『信頼できる筋からの紹介による、真っ当な性格の顧客』だからという理由と、ぶっちゃけ仕事をしないわけにはいかないってのが本音。

  だって、私の()()を知って仕事を依頼した人たちのほとんどは、私に対面するなりロベルトと同じ反応を示すのだ。

 治療薬師の力量よりも、まずは外見に難癖をつけて疑ってかかる。

 その最悪な連中のひとつが、軍属なんていう『力は正義!』な巣窟(セカイ)の住人だ。

 上流階級の高慢さとはまた別の意味で、絶対に避けて通りたい相手リストに常時ベスト一桁入りしている。

 連中は暴力が仕事で、私は人を健康にするのが仕事だ。仕事ひとつとっても相反するのに、軍部とは過去に忌まわしい因縁があるんだ。

 そんな連中を相手に、仕事をする気なんて起こらない。

 断れ! 断固として拒否するんだ! と脳内で自分を叱咤激励するけど、目の前で切なげな哀しみの表情をされてしまうと言葉がでない。

 白磁の細指が絡まり合って祈りのポーズを取り、私を上目使いに見つめてくる。


「駄目かしら?」

「ええ……私とは相性が悪いと思います」

「どうしても?」


 お年を召していらっしゃるのに、なに? このレイゲンス夫人(人妻)の愛らしさは。

  ああ、長年これで旦那様の溺愛を……。あざとい!

 私は肩を思い切り下げて重い溜息を漏らすと、やんわりと苦笑した。


「条件があります。まずは甥っ子さんを説得して、私の案内と護衛を頼んでください。もし、彼やご同僚が私に何らかの無礼や危害を加えた時点で、私は即座に帰ります。それで、よろしいですか?」

「ええ! 結構よ。ロベルトの説得はまかせてね!」

「了承が取れましたら、ご連絡ください」


 それが、私が出せたぎりぎりの譲歩案だった。

 これ以上は、本当に無理。

 この提案ですら、レイゲンス夫人との今後のお付き合いが切れることを覚悟して、どうにか絞り出したものなのだ。

 どんなに私の苦労話を話して聞かせても、同じ立場で同じ苦労を経験しない限り完全に理解してもらえることはない。

 ましてや、夫人は生まれてからずっと護られるべき環境にいるのだから。

 帰宅の道すがら、ずっと脳裏をトラウマの原因になった記憶が巡っている。

 どれも、相手からの謝罪は一切もらっていない。だから、なおさら染みついて取れないのかも。

 ひゅんひゅんと軽い音を立てて、魔道車(マギ・カー)が私の横を通り過ぎていく。

 その音は、家に着いてベッドに寝ころんでも、耳の奥から消えなかった。


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