歪な罅 3
2話更新。こちらは1話目。
「あの魔獣だが、お前の目には確かに魔獣に映ったか?」
ギルバートの妙な質問に、ゼフは相棒の正気を一瞬疑った。
たった今、ロベルトの奇行について話していたというのに、束の間考え込んでいる様子を見せたと思えば、いきなり話題を戻すのだ。それも、ロベルトの死と直接関係があるとは思えない質問だ。
俺の目を疑うだと!? まだ、頭のネジは緩んでるのか? と、ゼフはまじまじとギルバートの顔を見据え、慎重に言葉を選んだ。
「あれが魔獣以外の何に見えた、ってんだ?」
「リンカ――『翠の魔女』に、この傷を魔獣がつけたというなら、こんなふうに一本だけつくのはおかしいと指摘された。深い傷でなくとも、何本か揃った掠り傷があるはずだ、とな」
傷のあった辺りに手をやりながら、ギルバートは淡々と告げた。
それを聞いて、ゼフはがく然とした。
当たり前すぎて、そんな違いなどまったく頭になかった。見ていたのに、見えていなかったと言っていいだろう。
ゼフがギルバートの胸の傷をその目で確かめたのは、怪我を負った直後の応急処置の時だ。
鼻につく嫌な臭いと気配のする靄を纏った大型魔獣の前足が、単身突っ込んだギルバートに振り下ろされたのを、ただ見ていることしかできなかった。隊長らしからぬ無謀な行動の連続に予測がつかず、連携を取ることもできずに手をこまねいていた隙を突かれたのだ。
「やられた!」と本能的に判断し、フォローに入ろうと足を踏み出したその時、ギルバートと魔獣が互いに後方へと飛び退いた。ゼフと他の隊員はすかさず間に滑り込むと、ギルバートを押しのけて魔獣と対峙した。
じりじりと睨みあいが続き、気圧されたか魔獣は流血の跡を残して遁走した。ゼフたちは追跡することなく警戒だけにとどめると、隊長の処置を優先したのだ。
確かにくっきりとした明瞭な一本傷が、装備ともどもギルバートの胸から脇腹にかけて皮膚を切り裂いていた。止血剤が効かず、氷魔法を使ってその場を凌ぐと、早急に現場を後にした。
だが、その一本傷のまわりに他の爪痕らしい物があったかと考えると、まったくそれらしい痕跡を見た覚えはない。切り裂かれなくとも、装備のどこかにそれなりの掠り跡がつくはず。
傷は一本だけ。まるで剣やナイフとやりあった時のような。
「ああ、そういやぁ、確かに掠り跡も傷は一本だけだった……」
視線を中空に投げ、記憶を浚っていたゼフは呟いた。
指摘されれば、おかしいことだと納得できる。
魔獣との戦いは、これが初めての経験ではない。仕事柄、一般人よりも場数を踏んでいるし、多くの魔獣を見知っている。その中に、一本爪の巨大魔獣など皆無だ。
ならば、アレはなんなのか。
「じゃあ、あんたはあれの正体を知ってたのか?」
目の焦点をギルバートに戻して、胡乱げな調子で訊き返した。
ついでに、空になったグラスも前に押し出す。
「リン……『翠の魔女』保護の任務中に、同じような連中の襲撃にあった。やつらは確実に俺を標的にしていた。ハイ・マナ・フィールドのマジュの森でなら、確実に俺を倒せると思って襲ってきたんだろうが」
「でも、あんたはピンピンして、ここに帰ってきた?」
「そうだ。黒い靄に包まれた連中を……五、六人相手にして戦ったが、なんということもなかった」
「あんたなー……。それを早く言え! そいつらは魔獣なんかじゃなく、人間だったんだな!?」
苛立たしげに怒鳴るゼフを見て、ギルバートはしてやったりと満足そうにニヤリと笑いながら頷いた。
真面目と周到さと警戒心の塊のような男だと認識していた相棒が、らしからぬ笑顔を見せたことに、ゼフは内心で驚いた。
負傷以前もおかしかったが、今度は正反対に針が振れたようだ。
明るいとは言い難い貴重な笑顔に、ゼフは気味が悪いと思いながらも口には出さない。いつもの嫌味を投げつければ、負けた悔しさで吐いた悪口だと勘違いされるからだ。
むずつく口を抑えるために、注がれた酒を飲む。
「部隊をではなく、俺個人を殺したいと考えてる奴がいる。呪いや黒い靄なんぞを使う妙な連中がな。そこに、ロベルトがどう係わっているのか……まったく無関係なのか」
「ヤツの死に様だが、ありゃ毒殺だ」
今度は、ギルバートが唖然とする番だった。
この世界は、魔法が存在するため遠距離の殺人や破壊がとても容易く行える。建物の中であろうと密室であろうと、防御していない限りはさまざまな方法が使える。もちろん、魔法だけではなく魔道具の類として武器も多種多様だ。破壊を前提とした殺人ならば、どちらを使っても問題はない。
しかし、自殺や病死に偽装しての暗殺の場合、魔法一択となる。精神や体内に直接攻撃ができるスキルが存在するからだ。
それだけに防衛や防御技術も発展し、対魔法防御も強化された。
その恩恵をもっとも得ているのが、公的施設と軍部だ。中央政府庁や軍本部塔はむろんのこと、犯罪者を収監する拘置所や内部の違反者用の営倉などは、外部からだけでなく内部での魔法使用を打ち消す術が仕込まれている。
それだけに、暗殺方法は単純で直接的な方法に戻っているようだ。
「実行犯は?」
「上層部に揉み消された」
「なっ……だからか、俺に一言もなかったのは!」
ギルバートは、あの惚けた脂肪の怪物を思い出し、また腹を立てた。
やはりもみ消されたのかと憤懣を感じながらも、手の打ちようがないのも確かだ。
「しかし、ロベルトの親はそれなりの立場だろう? 納得したと思えんが……」
「そりゃそうだろ。一般人に圧力をかけて口封じするのとは違う。ヤツの親は権力者だ。が、上層部にもみ消しを命じたのも同じような地位の奴らだ。案外、あの糞野郎は親族にも恨まれていたらしい……」
それを聞いて、苦い気持ちになる。
何が裏にあるのか皆目見当は付かないが、部隊の仲間の前で躊躇なく一般女性――それも異名持ち――を拳で殴りつけるような気性だ。疎ましく思う輩だけでも少なくはないだろうし、実際に暴力を受けた者も親族の中には多いのだろう。
なぜあんな男を軍隊に。
火遊び程度のガキに、凶器を持たせるのが軍だ。躾をする場を間違えた親が悪い。
「なんだ? 糞野郎を憐れんでるのか? 隊長様は」
「いや……。礼の一つも言いたかったと思ってな」
「礼だと!?」
「ああ、碌でもない奴だったが、リンカを……『翠の魔女』を連れて来てくれたことだけは感謝している」
なるほどとゼフは何度か頷き、相棒の命の恩人を思い出す。
それにしても、だ。
「さっきから名前呼びしてるが、あのちっせぇ異名持ちをお気に召したようだな?」
「二度も命を救われた。それに……すこし偏屈だが、面白い娘だった。まぁ、もう会うことなどないと思うが……」
「頭のほうも霧が晴れたようだし、命拾いもした。まぁ、恋の女神は全力で走り去ったようだが……気を落とすな!」
ゼフは、ギルバートの膝を小気味よい音を立てて叩くと、またもや笑いだした。
零れそうなグラスをゼフの手から奪うと、笑い続ける相棒に呆れながらテーブルの上に戻した。
そんなギルバートの予想を裏切り、三日後に『翠の魔女』との再会を果たすことになる。
折しも本部基地内で、特殊第四部隊を不愉快な気分に陥れる噂が流れ始めたところだった。
――『光の魔女』の寵愛を取り合った挙句、第四部隊長が部下を毒殺した――




