歪な罅 2
ギルバートはゼフに、手持ちの幻酒を交換条件に詳細な情報を要求した。
ようやくカウチから起き上がったゼフは、ニヤケ顔で保管庫の中に入ってゆく。入隊時から変わらない、保管庫に貴重品から食材まで何でも叩きこんでおく癖に、ギルバートは肩を竦めて待った。
今は副長になり個室だが、新兵の頃の大部屋では同室者からたびたび上官に訴えが上がっていたらしい。
保管庫は、いわば倉庫だ。通常なら、私服や雑貨など季節柄使用しない物をしまうための場所だ。しかし、ゼフにとってそこは金庫であり食糧庫らしく、魔道具と魔法を使って中身を作り変えてしまったようだった。
雰囲気がいくぶん和んだところに、ゼフは品のよい水晶グラスを手に戻ってきた。それに【氷塊】スキルを使って丸い氷の塊を入れると、テーブルの上に置いた。魔法使いとしては、これくらいの技など大したことではない。事に、兵士であるゼフには。
長話になるという合図だと知っているギルバートは、椅子からゼフのベッドの縁に場所を移し、彼が出した二つのグラスに酒を注いだ。
とろりとした艶やかな琥珀色の液体が、光を内包して乱反射するグラスに満たされた。
カウチに戻ったゼフはグラスのひとつを手にすると、残されたグラスの縁に軽くぶつけ、早々に喉を潤し口を開いた。
だが、ゼフが始めた話はギルバートの期待していた内容ではなく、あの忌まわしい魔獣討伐の直前あたりから始まった。
思わず拍子抜けしたギルバートは、口元に持って行きかけたグラスを止めると目を眇めてゼフを見た。
「俺が聞きたいのは――」
「さっきも言ったが、その頃からあんたはおかしかったんだよ。隊長さん。自覚はなかったのか? ロベルトの糞野郎に悩まされてたから、ストレスでどこかぶっ壊れだしたかと思ったぜ?」
「……どうして、そう思った?」
ゼフは背中を丸めてグラスを傾げ、上目遣いにギルバートを見る。
その細い三白眼に、笑いの気配は微塵もない。冷淡な観察眼が、じっとギルバートを凝視する。
「あの任務を、何も訊かずに拝命しやがったからだよ。以前のあんたなら、まずは斥候を出してもらってから、その結果を聞いて行動に移す。それが、いきなり全員でご出発だ。その上、単独で突っ込んで無様に倒れやがった」
「そいつは……すまなかった」
ギルバートは、当時の記憶を頭の中から引きずり出そうと試みた。
ロベルトが原因で、斥候役の部下が二人とも治療院入りしていた。そのロベルトは営倉入りだ。人員不足の上に、頼りにならないわずかな情報。
いつもの俺なら――と思い出し、ギルバートはらしくない言動を取っていた己を記憶の中に見つけた。
「俺やグランフォークが何を言っても聞きやしねぇわ、しまいに逆切れして一人で出るとか言いやがる。綿密な計画と確実な情報の上でしか動かねぇあんたがって、とにかく驚かされっぱなしだったぜ。まったく覚えてねぇのか?」
「いや、記憶している。……んだが、まるで他人事のようで……」
今のギルバートには、記憶の中の自分は違和感どころか別人と言ってもよかった。ゼフの証言すらも、ぼんやりと覚えがある程度だった。
「いつものあんたなら、あれ程度の魔獣なんざ相手にもならねぇはずだった。なのに、無暗に突っ込んでいったと思ったら、あっさり襲われて意識不明の重体だ。笑っちまったぜ」
「魔獣は、逃げたんだよな?」
「ああ、あんな状況でも、あんたは一太刀浴びせたからな」
嫌な記憶だ、とゼフはぼそりと呟くと一気に酒を呷った。
その後は、治療院に運ばれてからの話に移った。意識がまったくない間のことだけに、ゼフの言うままを信じるしかなく、ギルバートは口を挟まずに黙って聞いていた。
無謀な行動の果てに、ギルバートは魔獣の爪に切り裂かれて大怪我を負った。出血は多かったが、致命傷ではないと判断したゼフたちは応急処置を施すだけにして、すぐに基地に帰還した。魔獣が後退してくれたことも、不幸中の幸いだった。
治療院に運び込まれたギルバートを、どこから聞きつけたのか『光の魔女』シーラがわざわざ出張って来て治療し始めたという。
瀕死の重体というわけではないのに、担当についた治療師を脇に押しやっての異名持ちの降臨に、ゼフたちは驚いたと同時に呆れた。
さすがは色男、と。
魔創傷だと判断を下し、目一杯の【治療】と【回復】魔法を行使して、名残惜しげに去っていったシーラに、男たちはギルバートに対して妬みと不満を漏らしたものだ。
だが、ギルバートは一向に回復せず、それどころか意識不明のまま悪化する一方だった。
さすがにおかしいとゼフたちは思い始め、本来担当だった治療師に詰め寄ったが、返ってきたのは「シーラ様の患者だから、手出しはできない」の一言だ。
「あん時は、参ったぜ。そのまんま院長に怒鳴り込みに行くかってな流れにもなった」
「どうしてロベルトが『翠の魔女』を呼ぶことになったんだ?」
「あんたの見舞いに来た第三のランドルフが、そういえばと異名持ちの話題を出したんだ。難病に苦しんでた親が完治して、ロベルトの叔母に紹介したはずだってな」
「ロベルトの……レイゲンス議員の奥方か」
嫌な名前が次々と現れ、ギルバートの眉間が無意識に寄せられる。深まる皺を見て、隊長の心情を理解したゼフはまた薄笑った。
誰も彼も貴族階級と揶揄されてる、いまだ力を持つ特権階級の家柄だ。
事実、ロベルトを筆頭に共和制以前に貴族であり大富豪であった者たちの末裔ばかりで、第三部隊のランドルフ・ローグの家系など、家系図を辿れば旧王家に繋がっている。
そんな筋から助言されてしまえば、ロベルトも無視はできなかったのだろう。憎い相手に貸しを作ると思って留飲を下げたか。
死んだ男に尋ねることはできないが、さぞや悔しかっただろうと他人事ながらギルバートは思った。
にしても、傷害事件まで起こすとは。
「なぜ、ヤツがリンカを殴りつけたのか。そして、なぜ死ななけりゃならなかったのか、だな」
「俺が一番近くにいたんですぐに止めに入ったんだが、ありゃ、本気で殴ってたな。まるで、死んでもいいってぐれぇに手加減なしでな」
「お前たちがいるのにか? もし彼女が死亡していたら、俺たちの部隊は今頃は解散させられて――それ……か?」
ちらちらと何かが閃いては消えていたロベルトの思考の中に、あれこれと繋がる先が見えてきたような気がした。




