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1話・最悪な出会いときっかけ

二話目。

 ピカピカに磨かれた高級魔道車(ハイ・マギ・カー)が、風切り音を立てて滑空して行く。

 官僚や政治家の住む高級住宅街である特別区に入ると、当たり前に見られる光景だ。

 さまざまな色の大きなマギ・カーが、上にも下にも行き交っている。大半が地面を走るマギ・カーだがそれらには下級の役人が、時おりその上を滑らかに飛んで行く高級車には権力者たちが乗っている。

 特別区の住人や来訪客のほとんどがマギ・カーを使うため専用道は幅広く取られており、その両脇に申し訳程度に設けられた歩道を行く人の姿は滅多にない。徒歩で特別区を移動する人は、区内のお屋敷に勤める使用人か街区の商売人あたりに限られる。

 私もご多分に漏れず街区の商売人の立場で、これから大事な顧客であるレイゲンス夫人のお宅にうかがうために、自前の短い足をせかせかと必死に動かしていた。

 専用のハイ・マギ・カーまで欲しいと思わないけれど、一度くらいは乗ってみたいなぁと、空中を走ってゆくハイマギ・カーのぴかぴかなお尻を追いかけた。


 特別区の中央道に沿ってしばらく進むと、やがて渋みのあるスモークゴールドの高い塀が見えてくる。長々と続くその塀に沿って歩き、ようやく正面門の前に到着。

 その向こうには季節の花が咲き乱れた前庭が広がり、花々に埋もれるように洒落た白い邸宅が建っている。そこが目的のレイゲンス邸だ。


「こんにちは。治療薬師のリンカ・レンショウです。定期診察と調剤にまいりました」


 門の手前で立ち止まって一息つき、詰所前に立つ門番さんに声をかけながら身分証のカードをかざす。

 少なくとも月に一度は顔を合わせる彼は、蔦が絡んだ意匠のシックな門扉越しに私を見ると、人の好い笑顔で門を開けて迎えてくれる。

 だが、本日はどうも様子がおかしかった。笑顔ではあるけれど、寄った眉間になんとも複雑な感情が滲んでいた。

 なにごとかと首を傾げながらも急いで玄関に向かうと、見慣れた老齢の渋い執事さんが私を出迎えてくれる。開かれた扉を潜って螺旋階段のある広い玄関ホールに立った途端、邸内に満ちた妙な緊張感に気づいた。

 おかしな気配に執事さんを見返したが、彼は表情を崩すことなく黙って先を歩きだした。こうなっては下手に問うこともできず、私も口を閉じて従うしかない。

 嫌な感じだなぁと思いながら静まり返ったホールを抜けて、ドアが並ぶ廊下に差しかかった時だ。いきなり向かいから投げつけられた耳障りな大声に、思わず足を止めた。


「お前は、何者だ!」


 伏せていた顔を上げて執事さんの肩越しに前を見ると、厳つい図体の男が険しい顔で近づいてきた。

 その瞬間、私が抱いた感想は「薄汚い……」だ。  

 横柄で礼儀知らずな態度と風体が、あまりにも繊細で優雅な雰囲気の邸宅に似つかわしくなくて、驚きのあまりまじまじと男を観察してしまった。

 焦茶色の髪は艶もなく野放図に伸ばされ、無精を通り越して汚らしい髭面は陽に焼けて赤黒く、傭兵崩れか山賊かと疑いたくなるほど薄汚れてくたびれた戦闘服を着こんでいた。

 そのだらしなく開けられた襟元に、中央政府軍の剣とワンドが交差したエンブレムの襟章が光っていた。政府軍関係者だと知って内心で舌打ちをしたが、極力顔に感情を出さないよう気を引き締めた。


「私はレイゲンス夫人に雇われております治療薬師です。今日は定期診断と調剤に参りました!」


 男の怒声に負けないよう声を張り、目に力を込めて真っ向から睨み返した。

 斜め前に立った執事さんが慌てて私を庇おうと間に入ろうとしたが、男は無造作に腕を振って廊下の端に押しやった。それでも負けずに無作法を非難し、私の身分を保障しようと言い立てている。

 しかし男は私の前から退かず、頭の頂から足先までを無遠慮に眺め回した。


「叔母上! なんだこれは! こんなガキが件の薬師だと!?」


 男はわずかに顔を後ろに反らし、冷淡な視線だけは私に固定したままで叫んだ。

 おばうえ――ということは、この男はレイゲンス夫人の甥ということになる。あの嫋やかなレイゲンス夫人の縁者とは思えない無頼ぶりに、私は眉間を(ひそ)めた。


「ロベルト! 私の大事なお客様になんて失礼をっ。これ以上無礼を働くなら、もうこちらへは来ないで!」


 せわしい足音と共に眉を吊り上げたレイゲンス夫人は客間から走り出て来ると、彼女らしからぬ厳しい声で非難した。

 ロベルトと呼ばれた男は小さく舌打ちをすると、眼光鋭く私を一瞥すると大股で通り過ぎていった。すぐに、背後から扉を乱暴に閉めたらしい盛大な音が廊下まで響いた。

 なに? あれ……。

 呆れを通り越して、言葉も出ない。


「リンカ、ご免なさいね。あの子が来るとは思っていなかったの……」

「いいえ。大丈夫ですよ。前を塞がれただけで、他に何もされてませんから」


 レイゲンス夫人は厳しい形相を解くと、いつもの優しく儚げな表情に戻ってメイドにお茶の用意を指示し、診察室代わりの居間に私を招いた。

 胸元に切り替えのあるゆったりとした室内ドレスに、亜麻色の長い髪を緩く編んで左肩から垂らした姿は、なんとはなしに憂いが漂っている。お年にしては長身でほっそりとした彼女が落胆する(さま)は、顧客と薬師の関係でしかない私ですら男に苛立ちと憤りを覚えた。

 いまだ病床にある夫人の許にあんなに小汚い恰好で現れて不快にさせ、しまいには来客に無礼を働いて不安にさせるなんて!

 豪華で座り心地が最高なソファに向かい合って腰を下ろし、やっと落ち着いて挨拶を交わすといつもの流れで問診を開始したが、私の胸の中から憤りはすぐには消えなかった。


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