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17話・渡航

 カルミア王国はグランディオス大陸の南東部に位置し、長い沿岸部と険しい峰を持つ山脈にぐるっと囲まれた大国。

 古より、幾度も名を変えながら血統を継いできた王家が、増やしはしても減らすことは一度もなく領土を守り抜いてきた。

 古い歴史のある王国であると同時に、この世で初めての異名持ち誕生の地としても有名で、カルミアの古語を用いた【グラーディア】の呼び名は世界共通となった。

 しかし、長く続いた乱世が原因で、生を受けた異名持ちたちは次々と戦場に消え、また、権力者たちによる異名持ち狩りなどという非道が横行し、たちまち数を減らしていった。

 アルガース大陸も同様の歴史の流れを辿り、広大な土地に野心を持った者たちが溢れかえっていた時代の弊害だろうと、後世の歴史家は結論付けた。

 それに、異名持ちの出生率は、遺伝によって受け継がれる特殊な素因が影響しているらしく、今も研究が進められているが、前提数を減らしてしまった大陸で増えない原因の一つとされている。


 そんな歴史も関係して、異名持ちを保護するために【グラーディア保護条約】及び保護局が設立されたのだけれど、組織という物は長く続けば続くほど、どこからともなく腐り出すもので。

 利権や私欲が絡めば、強い者は強権を振るい、弱い者は巻かれて暗闇へと堕ちてゆく。

 

 ――人間て、勝手なもんよねぇ。


 私は船のデッキで欄干に凭れ、どこまでも続く青い海の波間をぼんやりと眺めながら、向かう大国に思いを馳せていた。

 乗船しているのは、政府専用の魔動浮遊客船。乗客定員五千名。

 世界最大の収容人数と豪華さを誇る巨大客船なのに、乗船客は私を含めて百人弱。

 私が乗船する予定だったのは、確か一般客が使う定期便の魔道蒸気船だったはず。なのに、乗船ステーションから案内されたのは、特別区域の政府専用桟橋に横付けされていた巨大な魔動浮遊客船だった。

 あれよあれよという間に客室に連れていかれ、そこで初めて事情を知らされた。


「シェルク様、お恨みしますからっ」


 脅しのつもりで告げた「依頼人に交渉してくれ」を、シーラとその後援者たちはサイル局長を使って、カルミア王国の保護局に話しを回したようだった。

 しかし、カルミア側の返答は、シェルク様からの「外交ではなくただの観光なら、どうぞご自由に」だった。

 斯くして、『光の魔女』を中心にパトロン数名と軍のお偉方、それを護衛する二つの部隊を含めた総勢百人弱のカルミア王国視察観光一行は、恥も外聞も捨て去って魔動浮遊客船を借り出し、一路グランディオス大陸に向けて出発したのだ―。

 そこに放り込まれた私。サイル局長は償いのつもりらしい。

 なぜなの?

 私、なんか悪いことした?

 もう怒る気力も湧かない。

 それよりも、目を閉じればアーベルング夫妻のやつれた姿が瞼に浮かび、思いもよらない事態に心が痛い。

 私を傷つけたヤツが、なぜ先に亡くなるの? これじゃ、謝罪すら要求できなくなったじゃない。


「ここにいたのか」

「ギルバートさん……」


 ふいに現れたギルバートに声をかけられて、私は目を見開いて彼を見上げた。

 会う機会を狙っていたのだけれど、それが困難だと知って諦めかけていたのだ。


 『光の魔女』ご一行様の中にギルバートを見つけた時は、シェルク様の言葉が蘇って反射的に「しまった!」と思った。

 でも、ロベルト・アーベルングの不可解な死が胸に蟠っている今、内情を訊ける相手が彼しかいないことに思い至って考えを改めた。

 とはいえ、船が大陸に到着してしまっては、護衛任務のギルバートとはそう簡単に接触できなくなる。この海と客船という囲いの中にいる内に、彼を摑まえなければと思ったのだけれど、初日の夕食時に起った騒ぎで接触は難しいと実感した。


 呆れることに、『光の魔女』シーラはパトロンの意向を無視して、護衛部隊の中からギルバートを含む見目良い隊員たちを集め、己の専属護衛にしてしまったのだ。

 その後、シーラの側から女性スタッフは排除され、気がつけばご一行の接客は、男性スタッフのみに替えられていた。

 そんな状況下で、シーラに敵認定されている立場の私がうろついていたら。どう考えても、碌なことにはならないだろう。私だって、言葉が通じない(おかしな)手合いに、か細い神経を削られたくない。

 結局、何もできずに黄昏ているしかなかったのだけれど、向こうから私を見つけてくれたのは素直に嬉しかった。

 しかし、略礼装の襟元を寛がせて息をついた彼に、隠しきれない疲れを感じ取ってしまっては笑顔を向けるのも憚られた。


「やっと、どうにか休憩が取れた」

「……胸中、お察しします。それにしても、お別れした三日後に再会って奇遇ですねー」

「ああ、俺も驚いた。それ以上に、この馬鹿げた任務にも驚いたがな。しかし……今は、ありがたい」


 珍しく饒舌なギルバートに、私はそこでやっと体ごと彼に向き直った。

 数日しか経っていないのに、彼は私と一緒にいた時よりも消耗している。わずかに頬が削げて陰が差し、目の下にくっきりと隈が浮かんでいる。

 そんな彼を見て、私は問いかけるのを躊躇した。が、彼にはお見通しだったらしく目線で先を促され、私は仕方なく重い口を開いた。

 

「ロベルト・アーベルングが亡くなったと……」

「誰に聞いた?」


 私が声を落として尋ねると、彼は伏せかけた憂い顔を上げて私を見返した。その時だけ、瞳に強い光が点った。

 情報統制でも敷かれているのかと疑ったが、彼の声には純粋な疑問しか含まれていないようだった。


「ご両親に。あなたと別れた後に、集められた関係者の中にいらっしゃって……。留置所の中で亡くなったとしか聞いていないんですが、いったい何があったんですか?」

「それは……」


 話せるのは、彼の短い休憩時間しかない。この機会を逃せば、次に二人だけで会える機会は訪れないかもしれない。

 何を焦っているのか、自分でもわからなかった。

 私とロベルトとの間に起った傷害事件は、表向きには終わっている。後は、ロベルト本人が軍法の許に執行される刑に服せばいいだけだった。

 なのに、彼は。


「牢屋の中で亡くなるなんて、病死か自死か、あるいは――」


 職業意識が刺激されて、脳裏に浮かんだ考えをぽつぽつと口に出した。

 途端に、大きな手がやんわりと私の口を塞ぎ、強い眼差しが私を咎める。


「それ以上は、口にするな。誰が聞いているかわからん。それによって、何が起こるかも……」


 とても自然に口元を押さえられ、私は息を呑んで口を閉じた。

 深刻な話をしているのに、自分の頬に血が上ってゆくのがわかる。払い落とせともう一人の冷静な私が命令するけれど、彼から目が離せなくなっている私は身動きができなかった。


「だが、疑問が残る死だったことは確かだ。俺の周囲もだが、事によってはリンカの周囲も――気をつけろ」


 小声で返された、警告のような囁き。

 口元から離れたギルバートの硬い手のひらは、そのままするりと熱を持った私の頬を優しく撫でて離れていった。

 一気に鼓動が跳ね上がり、今のは何だと問い詰めようとした時には、彼の姿は物陰に消えていった。

 

 客室に駆け込んだ私はベッドに身を投げ、大混乱する頭と熱を持て余してのた打ち回った。


 怖い。色男、怖い。


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