冗談じゃないなら…
私は今、大学の後輩の家に遊びに来ていた。DVDショップで借りてきた映画を一緒に観ている。
同じく映画鑑賞の趣味を持つ後輩の名は、相座晄(そうざあきら)。映画サークルで出会った後輩だ。晄くんは小柄で、同年代の他の男子と比べても背が少し低かった。女子にしては身長がそこそこある私と同じくらい。恐らく、百六十センチ後半だろう。だから、後輩でも私より背が高い男の子が当たり前だった今までとは違って新鮮だった。
「女子は怖いものが苦手ってイメージが強いんですけど、先輩はそうじゃないんですね」
怖いものが苦手なイメージが強いのは女子の方が男子より素直に怖いものを怖いと認めているからでしょ。人それぞれだとは思うけど、男子は誰の前でも強がる生き物なのだと私は考えている。
「面白いし、こういうの好きだよ」
適当に私は答えておいた。
ワンルームの一人暮らし。必要最低限の家具しかなく、晄くんの部屋は殺風景だった。テーブルには麦茶とお菓子を盛り合わせた中皿が置いてある。
晄くんの家で映画鑑賞をすることは初めてではない。大学の友達二人と一緒に晄くんの家で映画鑑賞をしたこともある。その友達も映画サークルで知り合った。趣味を映画鑑賞とし、皆で映画を観て、その映画について考察し合う。シーンの作り方や撮影方法、演出など、その作品のことをじっくり話し合うのだ。同じ趣味を持つ仲間と一緒に映画を観ることの楽しさを知って、四人でよく映画を観るようになった。一人はバイトが忙しくてたまにしか参加できないが、それでも、残った三人で映画鑑賞することも少なくない。
今日もまた、その友達はバイトで不参加だ。そして、珍しく、もう一人の友達も急遽予定が入ってしまい来られなくなってしまった。なので、今回は晄くんと私の二人だけで映画観賞会をすることになった。といっても、特に変わった様子もなく、いつもより広々とした空間で映画鑑賞しているだけだった。
今観ているのは数年前にかなり話題になったホラー映画だ。私は、これと言って苦手なジャンルがない。映画なら大体何でも楽しめるのだ。
「晄くんも割と平気なんだね。これ、怖いだけでなくてかなりグロテスクなシーンもあるのに」
俺は全然余裕っすよ~と笑みを浮かべている。晄くんはとても分かりやすい。目は笑っていなかった。口元の笑いも若干引きつっている。やはり、男の子は強がる生き物だ。でも、それは少し面倒臭い気もした。
怖いシーンは大丈夫らしく、問題なのはグロテスクなシーン。かなり無理して我慢しているようだった。 別にダサいとか言って笑ったりしないから、正直に言えばいいのに。
心中でにそう思いながら、麦茶を口に含んだ。映画に見入ると、ホラー映画にはありがちの大人なシーンだ。確か、これは悲劇を生むフラグのはず。ホラーシーンでくるか、グロシーンでくるか見所かもしれない。横目でちらっと晄くんの様子を見ると、
…あ、祈ってる。
どうやら、晄くんも同じことを考えていたようだ。彼はクッションを抱きしめてグロシーンでないことを祈っていた。後に、この映画について考察し合う時はこのシーンのことを詳細に話そうかな。と、グロシーンであることを密かに願い少しだけ晄くんに意地悪を覚えた。
画面の中、ベッドでイチャつく男女の役者。しかし、やはりフラグだった。女がお風呂に入ると言い出しバスルームへ向かったところ、背後で物音がした。女が不審に思い、ベッドに戻ると男は無残な姿になっていた。
グロシーンだった。晄くんはどうなっていることだろう。ちらっと再び様子を窺ってみる。顔が引きつっていた。観たくないのを我慢して観ている。クッションを抱きしめる手に力が込められてクッションが苦しそうだ。晄くんの怯えている姿を見ていて思わず、笑みが零れた。その笑いに驚いたのか、晄くんが突然、うわっと声を上げた。そして、ドン引いた顔をして晄くんは言う。
「こんなシーンで笑うとか…先輩って猟奇趣味なんですか……」
完全に怯えた様子だ。あらぬ勘違いを生んでしまった。しかし、更に怯える晄くんを見て、我慢できずに半笑い気味で「え?」と聞き返してしまった。別にダサいとかそんな理由で笑っている訳ではなくて。晄くんの怯えている姿を眺めているのが楽しくて、つい。何だか、もっと怖がらせたいとか思っちゃったりもして、決して猟奇趣味でもないんだけど。
女の悲鳴で画面に視線が戻る。男の次に女も無惨に殺されていた。犯人は人間ということになっているが、殺し方や殺した後の死体の様子から、本当に人間なのかと疑ってしまう。犯人の姿は一度も映らず、不確定のままだ。誰も怪しい行動をしない為、犯人の見当すらつかない。そのままクライマックスまで私たちは無言で映画を観ていた。
いつ終わるんだろうと思っていたら、エンディングは突然やってきた。正直、物語の流れ的に登場人物全員が死ぬと思っていた。しかし、最後の一人の男が何かから逃げて襲われる寸前で終わった。
「え…終わり…?」
「みたいですね」
思い切り続編あるだろという思わせぶりな終焉だった。完結しないとそれはそれで微妙な後味だ。最後の男の生存は曖昧なまま。
「すっきりしないな」
私が呟くと晄くんは少し元気な声で言ってきた。元気になったのは映画が終わったからだろう。
「でも、俺的にはこういう終わり方もありだと思いますよ」
その《俺的には》という言葉にどんな意味があるのか気になったが、きっと教えてくれそうにないので訊かないでおいた。グロシーンが苦手なのを我慢して観ていた彼の勇姿を私は心中で讃えた。
「次はどれ観ます?」
借りてきたDVDのケースを漁りながら、晄くんは問うてきた。今日の私の気分はホラー映画って感じらしい。今観たもので晄くんの弱みが分かったからかもしれないけど。また、あんな風に怯える晄くんを見たいと思ってしまった。だから、私は答えた。
「ホラー映画」
晄くんは一瞬固まって、あるかなぁ…と情けない声でDVDを探し始めた。
「できれば、スプラッタ系のホラー映画がいい」
思考が停止したようで、晄くんは少しの間、再び意識が固まった。我に返ると、ロボットみたいなかくかくした動きでDVDケースを漁る。無理なら言えばいいのに。私はとっておきのものを晄くんに渡した。
「…これ、は……?」
「家で観ようと思ってたやつ。他にないなら、それ観よ?」
家族と一緒に観ようと思って借りたものだ。年齢制限がある為、一応個人で観るつもりだったけど、我慢できなくなってしまった。
「…いいですけど」
ケースのパッケージは至ってシンプル。題名からもとてもホラー映画とは思えない。ホラー映画にジャンル分けされていた時は店員が間違えたのかとさえ思った。念のために中身を確認してもらったが、きちんとホラー映画だった。どれくらい怖いかは年齢制限があることで何となく分かる。更に年齢制限のマークに“成人”と表示されていることで確実な怖さを察することができる。晄くんもそれ見つけたようで低い声で言う。
「俺、まだ十九ですよ」
「私は成人してる」
そう、晄くんが成人しているかどうかなんて関係ない。“成人”という表示に好奇心がうずいた。どれくらいのものなのか、映画好きの私はそれを見つけてスルーなんてできなかった。とにかく、その映画が観たかったのだ。そういうこともあって今まで黙っていたのだけど、まぁいいよね、もう。
「先輩が成人していても俺はしてないんですよ」
溜息を吐いて呆れつつも晄くんは、そのケースからDVDを取り出して、先程まで観ていた映画のDVDと取り換えてデッキにセットした。覚悟でも決めたのだろうか。
私の隣に腰を落として再生ボタンを押す。そして、晄くんはぼそっと言った。
「俺、スプラッタ系は得意じゃないんです」
知ってる。
「何で一緒に観てくれるの?」
二人とも視線は画面の方を向いていた。
「そういう集まりですから。今日は二人だけですけど」
少し拗ねたような声も微笑ましくて、これから年齢制限付きのホラー映画を観るとは思えないくらいだった。
「てか、何で今更そんなこと言ったの」
「苦手なんでもしもの時は先輩を頼ろうかと。……俺、成人してないし」
どうやら、かなり年齢制限が成人だということを気にしているらしい。私は二つ返事でいいよと承諾した。歳上の余裕というやつを見せつけようと思ったのだ。
映画が始まって一分も経たないうちにホラーシーンがやってきた。しかし、年齢制限が成人だけあって、ホラーシーンもかなりの高クオリティだった。先程の映画とは比べ物にならない。その所為で晄くんはすぐに私を頼ってきた。プロローグのホラーシーンは物語の始まりを意味深に捉えてもらう為の演出かもしれない。そんな思考をしていた私の左手に柔らかい感触があった。
「頼るの早くない?」
画面から目を離さず、隣で震えている晄くんに言った。返事はない。
少ししてからもう一度、声を掛けてみる。
「ねぇ」
「いや、だって…!こんな頭からいきなりきます⁉……あ、ありえっ、わああっ!!!」
この映画は静かに見られそうもないから家でもう一度見ようと思った。
クッションを抱きしめながら、私の左手を両手で握っていた晄くんは、映画の中盤に入る前には私にしがみついている状態になっていた。年齢制限があるかないかでこんなにも変わるとは思っていなかった。つーか、晄くんがうるさくて映画を楽しめない。この時間はお互いにとっても有意義なものにはならないと今更気づいた私だった。
映画を観終わって私たちは少し休憩することにした。私は全然平気なのだけど、晄くんが限界だった。昼ドラがやっていたので、それで落ち着いてもらおうと私は晄くんに声を掛けた。
「ほら、柴犬」
飼い主と犬の散歩シーンだ。さっきまで涙目で叫んでいたのに、今は心底ほっとしたように胸をなでおろしている。犬可愛いとか呟きながら、ドラマに見入っていた。私からしたら、刺激が足りなくて退屈な内容だが、晄くんがいいならいいかと一緒にドラマを観た。正直、怯えている晄くんも見られないから少し残念だ。
奥様に愛される昼ドラ。泥沼だった。ある意味の刺激で少し脳内がおかしくなった気がする。新シリーズが始まるらしく、そのスペシャルで前シリーズの一挙放送だった。晄くんは意外にもハマっていて、すぐに始まった続編に夢中だった。
内容は至極ありがちで妻帯者が何人も愛人を作り、他の男や女も絡んできてというものだ。一夫多妻制の国なら、何人の女と浮気なんて堂々とできるのに。やはり、禁じられるほど燃えるというやつだろうか。
愛人の一人でもある女子高生は色んな男と遊んでいた。主人公の妻帯者はおじさんなので援交ということになる。同級生の男と一緒にホテルに泊まる。数日経ったようで急に女子高生の彼氏という男が出てきた。二人の話を聞いている限り、ホテルに泊まった男は本命ではないらしい。
徐々に惹き込まれて私もいつしかドラマに見入っていた。
女子高生は本命の彼氏に援交がバレて別れることになる。弱った彼女の心を動かしたのは、後輩の男の子。高三の彼女と高一の彼。歳下だからと言ってずっと子ども扱いしていた後輩は彼女のことを一途に思っていてそのまま二人は交じり合ってしまう。援交相手の男からまた会いたいと連絡を貰うも、もう会えないとけじめをつけた。この回で女子高生との関係は終わる。あくまで主人公は援交相手の男であるから、男の話にすぐ戻った。私的には女子高生の方の物語が気になるけど。
「空先輩ならどうします?」
ドラマに魅入られてか晄くんはそんな質問をしてきた。因みに私の名前は不知火空(しらぬいそら)だ。
「援交をしたままか後輩をとるか?」
「…………」
晄くんは黙ってしまった。このまま沈黙は嫌なので、私はすぐに答えた。
「私はどっちも嫌だけど」
面倒臭そうだ。どっちと関係を持つにしても。物語に出てきた女子高生は男と遊び過ぎた所為で男が傍にいないといけなくなってしまったのだ。そんな彼女と私は違う。寧ろ、そんなものは私にとってしがらみでしかない。友達ならまだしも、それ以上の関係なんて私には耐えられない。強い関係が欲しいだけなら、別に男じゃなくてもいい。女友達でもいいじゃないか。私の恋愛的価値観なんてそんなものだ。だから、どちらをとるかと問われても両方願い下げだった。
「そうですか」
晄くんの声を遠くで聞いた気がした。画面の中で後輩と仲良くしている女子高生を見つめた。そんな姿を目撃した主人公の男はどんな心境なのか。思考してみる。
「……あぁ、でも」
言うつもりはなかった。咄嗟に思ったことだから、そんなに深い意味もない。
「歳下の子と付き合うのはいいかな」
別に恋愛経験がない訳ではない。もう大学生だし。成人してるし。誕生日は半年くらい前だったかな。二十歳になってまだ、飲酒もしてないや。
「どうしてですか」
ずっと画面に目を向けてドラマを観ているから、晄くんがどんな表情をしてそんなことを訊いてくるのか分からなかった。ホラー映画でしがみつかれていた左腕。その感覚も既になくなりかけている。
「歳下に迫られるのは嫌いじゃないから、かな…」
自分でもよく分からない。歳上と付き合ったことはあるけど、歳下とはなかった。なのに、何でこんなことが言えるんだろう。こんな変なことを言ったのも変な思考をしているのも全てドラマを観た所為だ。それでも、ドラマは面白い。続編が気になってしまう。晄くんと会話しているよりも意識はドラマに向いていた。
刹那、私は反射的に晄くんの方を振り向いた。一緒にドラマを観ていたはずの晄くんの右手が私の髪の毛を触る。
「…何」
一瞬で警戒心が芽生えたのを感じた。気を許し過ぎたのかもしれない。きっと、私が変なことを言ったからでもある。
「晄くん?」
普段の晄くんとは違う雰囲気がした。何も言わず、晄くんは近づいてきて、晄くんの身体に気圧されるがまま私は押し倒された。身体が動かないのは晄くんに対する恐怖からじゃない。こんなことをしている晄くんに驚いて動揺していたからだ。
「意外です。空先輩は恋愛には興味ないと思っていました」
目を細めて晄くんは囁いた。いつもの無邪気な彼とは別人で刺々しさを感じる。
「人並みにはあるよ」
「そうですよね。空先輩でも迫られたいとか思ったりするんですね」
晄くんの真っすぐな視線が私を捉えて放さない。私自身も晄くんの目から視線を逸らさなかった。歳下とはいえ、相手は男の子だ。それでも、屈しないのは強みだと思う。
「どいて」
晄くんは私の言葉など気にせず、私の頬に唇を落とした。柔らかい感触と唇の冷たさが頬に広がる。急に不快感が胸中を支配した。抵抗しようとしたが、腕を力強く掴まれて晄くんの身体を制することすらできない。
「冗談でこういうことするのはどうかと思う」
すると、晄くんの顔から笑みが消えた。
「冗談じゃないならいいんですね…?」
そう言って晄くんの顔が近づいてきた。何もできずに私は晄くんと唇を重ねることとなってしまった。