第八章 危急、奇怪都市
「こちらです、Zunft代表」
「うむ」
都市中心から離れた場所にある、かつてのバイパス道路網。その一角の、今は廃棄された山間のトンネルに、無数の人間が集まっていた。
彼らの服装は皆、かつての海軍将校を思わせる黒の詰め襟でそろえられ、軍帽を深く被って表情を隠している。その胸元に輝くのは、彼らがZunft及び都市運営の直属である事を示す銅のバッジだ。
そんな中にあって、複数の黒服に護衛されるように歩く、ローブを被った陰。黒塗りの仮面で表情を隠す彼、あるいは彼女こそが、この集団の統率者。
Zunftの幹部、その一人。Zunftの影と呼ばれる大幹部だ。
それこそ普段からZunftの施設内部に引きこもってまず現場に出てくることのない人間が、こんな山奥に姿を見せている。それは、都市に住まう者が知れば恐慌を起こしかねない一大事だ。
だが、それも仕方有るまい。今、まさに、都市を揺るがしかねない異常事態が起きているのだから。
トンネルの奥へと歩んだZunft代表にも見えるように、投光器の電源が入れられる。それによって照らし出されたのは、崩落したまま放置された瓦礫の壁……ではなく。とってつけたような粗末なバラック小屋と、地面に掘られた大穴だった。
「これは」
「調査の結果、この大穴は地下で進路を変え遺跡に向かっている事が判明しております」
「誰が、こんなものを?」
「……これを」
隣に立つ黒服が差し出した写真を投光器の明かりに翳すようにして見やる。その写真には懐中電灯か何かによって照らし出された、洞窟のような光景が映し出されている。
異様なのは、その岸壁が赤茶色に染まり、何かのゴミのようなものが辺り一面にまき散らされている事だ。ややあって、Zunftの影はその赤茶色が血の跡で、巻き散らかされているのが元は衣服であったろう布切れである事に思い当たって、仮面の下で表情を痛ましさにゆがめた。
「この写真は、地下のトンネルの奥で調査隊が発見してきたものです。その後の追跡調査からおそらくは、我々の把握していなかった市民が、ここで強制労働をさせられていたものと」
「たしか。自警団が対応した……。不審な集団が誘拐してきた市民をどこかに護送しようとしていたのが、数ヶ月前の話でしたか。つまり、そういう事ですか」
「不審な集団、ではなく。大陸系のマフィアだと確認は取れています。恥ずかしながら、我々の警戒網をかいくぐった集団がほかにもあったようです。処分は後ほど、いかようにも」
「そのような事をいっている場合ではありません。なんと愚かな。なんと卑劣な。自分たちが行ったこと、行おうとしている事の意味がわからないのですか、この者達は」
市民を守るものとしての義憤に、Zunftの影の口調が震えた。
先日捕縛された、ヤクザ者達。彼らが、外から誘拐してきた人間を何に使うのか、使っていたのかは不明のままだったのが気になっていたが、まさかこのような事に使っていたなどというのは予想外だった。よもや、遺跡に通じる別ルートのトンネルを掘って、資源を横から略奪しようなどと。
確かに、全く都市の事を知らぬ、知ろうともしない外の人間からすれば、遺跡の資源をZunftが独占しているようにも見えるだろう。そしてそれに対して犯罪組織が独自ルートを確保しようとするのもわからないでもない。
だがそういう話ではないのだ。遺跡の探索は、鉱山を掘るのとは、獣を猟銃で撃つのとは訳が違う。
遺跡に眠っているのは未知の資源などではない。この都市はおろか、人類そのものを脅かしかねない驚異そのものなのだ。それを刺激しないために、そして管理するために、Zunftは冒険者を管理し、探索を管理している。Zunftの影とまで呼ばれる彼女、彼らが、血の鉄則で都市を支配する理由。無秩序な採掘と破壊が、遺跡から何を生み出してしまうのかを身を持ってしっているが為に。
そして恐らくは、このトンネルを掘らせた者も、掘った者もその犠牲となった。遺跡内から逆流してきた怪物達に、逃げる間もなく皆殺しにされたのだろう。一階層から順繰りに慣らしていく冒険者達でさえ死人が絶えないのだ。いきなり、二階層やら三階層に道をつないでも、犬死にするだけなのは道に通じた者なら考えるまでもない。ましてや、外から連れてきた一般市民が、戦力になるはずもなかった。
考えれば考える程杜撰で愚かな計画に尽きる。仮に採掘がうまくいったとして、それをどうやって卸すのか。死病に犯された資源を外に輸出するにはそれなりの手順が必要で、それをどうやって都市の目から隠すのか。どうやって外へ、防衛ラインを越えて持ち出すのか。
いや、逆だ。そもそもどうやって、これだけの人員を秘密裏に持ち込んだのか。外の防衛ラインは、国連駐留部隊が監視しているはず。トラック数台が入るだけなら、監視員に賄賂でも握らせればすむかもしれない。だがこれほどのトンネルを彫れるだけの人員を、どうやって運び込んだ?
そこまで考えて、Zunftの影は頭痛に頭を押さえた。隣の黒服に、素早く指示を下す。
「今回の件は間違いなく外に、国連関係者に協力者がいます。迅速に首相官邸及び国連本部に連絡を。それと……」
「それと」
「先日明らかになった遺跡の異常。これと、このトンネルが関係しているのは明白です。すぐにこのトンネルを爆破封鎖、都市全体に戒厳命令を。状況の確認が住むまで、戦時体制で」
「失礼します! Zunft代表! 緊急事態です!」
大声を上げて、外に待機していたはずの黒服が駆け込んでくる。そして彼のが早口で述べた報告を目の当たりにして、Zunftの影は自らが遅かった事を知った。
「こっちだ! こっちを向け!」
都市部。普段は平穏の場であるはずの商店街で、健二は改造アサルトライフルを手に修羅場に望んでいた。隣には、同じように鉄火場に居合わせた名も知らぬ冒険者が、サブマシンガンを構えている。そんな二人はそろって花壇を盾に身を低くしていた。
と、彼らの睨む角の向こうで、のっそりと歩きながら首を巡らせる影が一つ。
全長2m近い巨大な人影。トカゲ男だ。
まるで獲物を探すように鷹揚に首を巡らせるトカゲ男が、健二達とは真反対で視線を止める。その先には、逃げる男女の姿。市民だ。
「ちっ!」
「近いのはこっちだろうが、クソッ」
無力な市民に優先的にねらいを定めるのはその知性故だろうか、と考え、それはないと健二は否定した。連中の態度は、自分たち冒険者を敵とも思ってないそれだ。単に弱いもの虐めが好きなんだろうと判断して、彼は歯を食いしばった。
「いいからこっちを向け!」
照準を向けて、発砲。まだアサルトライフルの扱いに熟練しているとはいえない健二の照準では収束しないが、それでも何発かがトカゲ男に命中する。
だが、火花が散るだけで有効打はない。
筋骨隆々とした体躯をびっしりと覆う、エメラルドグリーンに輝く鱗の鎧。それが天然の傾斜装甲となって銃弾をはじいたのだ。それどころか、跳弾が射手の方に飛んできて、防盾の上で怖気を誘う音をたてた。
「おいおい、やっぱりアサルトライフルきかないぞ?!」
「だが効果はあった、こっちにくるっ!」
相方の言葉の通り、トカゲ男は銃撃に反応して、視線をこちらに戻していた。感情の伺えないギョロ目が、健二達をまっすぐに捉えている。駆け寄る動きはのっそのっそと一見鈍重そうな動き、だが超重量の巨体が助走もなしにこの速度と考えれば驚異的な速度だ。そしてそれがトップスピードに乗ったとき、どれだけの破壊力が生み出されるか身をもって知っている健二達は、防御を捨てて向かってくるトカゲ男に全火力を投射した。
瞬間的に発生した濃密な火線が、トカゲ男の足先に集中する。立ち上る土煙と、おそらくは痛痒にだろう、トカゲ男はいやがるようなそぶりを見せて歩みを緩めた。
その頭上から緋色の影が、隼のように舞い降りた。
頭上を覆う影に、トカゲ男が緩慢な仕草で顔を上げる。だがその視線が襲撃者をとらえるよりも早く、断頭台のように振り下ろされた一撃が、無防備にさらけ出されていた首もとを捉えた。ゴゾッという、プレス機が金属板を絶つような音をたてて、白刃が鱗を裂いて肉に食い込む。
声帯がないのだろう、トカゲ男は明らかな悲鳴こそ上げなかったが、衝撃にたたらを踏み、あきらかに苦悶ととれる仕草を見せた。が、明らかな致命傷をまるで意に介した様子もないように、すぐさま視線を巡らせ、襲撃者の姿を捉えようとする。
だがその目に映ったのは、無慈悲な二振り目の刃。下段からの逆袈裟の太刀が、食い込んだままの一振り目と重なるように通り過ぎトカゲ男の首を断ち切った。
首を失った体はよたりとバランスを崩すと、まるで土嚢が崩れるような様で地面へと倒れ伏した。ぴくぴくと人にはない尻尾が僅かばかりに震えて、それでお仕舞い。
チン、と鍔をならし獲物をしとめた椿が残心のままに息をはく。ヘルメット赤装束の格好でそれをやる様は壮絶とか凄絶を通り越して夢に見そうだ、と健二は暢気に感想を抱いた。
「ナイス、椿」
「いえ、そちらが気を引いてくれたおかげデス。一撃では首を落とせませんデシタ」
「お、おう……」
健二はやたらと気後れしているサブマシンガンナーを引き起こして、椿とハイタッチを交わす。続いて、ぴくりとも動かない怪物の死体を見下ろして、健二は胡散臭そうにその亡骸を足先でつついた。
「……おう。マジもんだこれ。てっきり人がトカゲの皮でもかぶってるのかと……」
「俺も初めてみるな。なんなんだコイツら」
「14階層の、リザードウォリアーでショウ。直接まみえたことはありませんが、話に聞いたことがありマス」
「え」
椿の述懐に、男二人が揃って間抜けな顔を晒した。二度、三度と亡骸と椿の顔を往復して、呻くような声を上げる。
「コイツも、遺跡の化け物?」
「おいまてよ、なんでそんな化け物が地上に?」
「エエ。何故、怪物達が突然地上ニ。こんな事……あの時の、一度しかなかったノニ」
あの時。
その意味するところを悟って、健二の背筋が凍り付く。
椿の語った、都市成立に至るまでに起きた悲劇。無遠慮な採掘作業が引き起こしたパンデミックによる、地上への怪物の進行。現状は、それにとてもよく似ている。
ただ違うのは、出現している怪物がそこまで強くないという事か。確かに携帯火器の攻撃は通じなかったが、椿の持つ大太刀のような武器は十分に通じる。過去に現れた怪物は、機械化された現代の軍隊を散り散りに追いやったというのだから、この程度ではないだろう。
「なにはともあれ、状況が全くつかめまセン。このまま行き当たりばったりに動いていっても効率が悪い、一度通りにでまショウ」
「それからどうする……そうか、避難経路!」
「ハイ。緊急時に備え、都市内にはシェルターが多数配備されてイマス。そちらに向かいつつ、市民を救助する方向で動きまショウ。そちらの方、構いませセンカ?」
「お、おう……じゃなくて、はいっ。ていうか、貴方さん上級冒険者ですか、もしかして?」
「それほどのものではありませんヨ」
謙遜するヘルメット少女。ヘルメットの上からでも、苦笑しつつも頬を赤らめる様が透けて見えるようである。
それはともかく、椿とも合流できた事で今後の方針も定まった三人は、打ち合わせ通り本通りに向かって移動を始める。途中、2匹ほどトカゲ男に遭遇するも、ガンナー二人係で押さえ込み、椿がトドメを刺すという一連の流れで安定して排除する事ができた。
だがそんな事ができるのは、あくまで武装し、実戦経験を積んだ冒険者の場合の話だ。
移動の途中で、健二達は一般市民が怪物達の手によって、無惨な肉塊に変えられているのを幾度も目にした。
その中に、見知った親子の顔があるのではないか。そんな恐怖が、じわじわと背中に押しかかってくる重さのように、健二の足を鈍らせる。
ふと、柔らかな暖かみに手が包まれた感覚がした。顔を上げた先に、健二は靡く金の髪を幻視する。
「大丈夫デス。きっと、大丈夫デス。そう信じまショウ」
「……ああ!」
信じたところで、現実は変わらない。変えられない。だが、まだ確定していない何かを決めつけて狼狽えるのはただの愚か者だ。今戦うべきは最悪の予想などではなく、目の前の驚異だ。
そしてタイミングよく、先行するサブマシンガンナーが健二達に吉報をもたらした。
「おい、ほかの冒険者がグループをくんでるぞ! 一般市民もいる!」
「グッジョブ! 合流するぞ!」
向かう大通りは目の前だ。賽の目状に区切られたかつてのビル街に作られた商店を三人で走る。サブマシンガンナーと椿が無人の屋外カフェのテーブルを飛び石のように渡り、その横を健二が駆けていく。そうして、最後のビルをくぐり抜けて通りにでれば、視界が左右に大きく広がった。
この町でもっとも大きい大通り。かつては複数の市内電車が道路の真ん中を複数台同時に運行できたという本通りは、いまでも都市の生命線そのものだ。例え車が激減し電車が稼働しなくなった現在でも、その整理された広大な道路、というのは計り知れない価値をもつ。
故に、緊急時の避難経路に利用されるのも当然の話であり。果たして、健二達とは道路をはさんで反対側の歩道には、無数の人間がまるで子を守るバッファローのように円陣を組んでいた。
外周でスクラムを形成しているのは、時代錯誤な防具に身を包んだ冒険者達だ。現代戦闘の鉄則をガン無視した、鋼や皮の鎧に、手にもつのは鈍く輝く剣や斧。その全てが、歪み、欠け、血に塗れている。
その背後に、匿われるようにしている一団がある。統一感のない衣装に身を包んだ老若男女問わぬ人の群……恐らく、避難してきた市民だろう。この緊急事態にあって、彼らは驚く程に静かだった。それが遺跡都市に生きる者としての覚悟がもたらすものなのか、健二にはわからなかったが。
そしてそんな一同を遠巻きに、無数のトカゲ人間が包囲していた。
数は20を越える。巨大な体格がその数でのしのしと歩き回っている様は、すさまじい威圧感を感じさせる。さらにそれだけではなく、彼らはなにやらモグラのような奇怪な生物を鎖に繋いで引き連れていた。ペットか、猟犬か、それとも。今回の唐突な奇襲とのつながりを感じさせる組み合わせだったが、そんな事を考えるのは後だ。
敵の数は多い。だがその殆どは冒険者とその後ろの無力な市民に意識を向けている。弱者をいたぶり周囲への注意は散漫。それは圧倒的強者としての自負がそうさせるのか醜悪な知性のもつ歪みなのか。どちらにしろ今の健二達にとっては付け入る隙に他ならない。
円陣を組んでいる冒険者達と目が会う。その一瞬で、椿とサブマシンガンナーは何らかの情報を得たらしく、心得た、とばかりに頷いて、それぞれの得物を抜刀した。
乱戦になる以上、射線上に味方がいては銃は使えない。椿は太刀を、ガンナーはスタンスティックを。そして、それを見てもそもそも近接武器をもっていない健二は、やけくそでライフルを両手で抱えた。
「仕掛けまス!」
ざ、と駆け抜けた椿が、すれ違い様にトカゲ人間の一匹の首をはねる。もう何匹も切り落としてきたせいか、その手際は鮮やかさを増す一方である。それに続くのはマシンガンナーのスタンスティック。振り返り様にぞんざいな振りでたたきつけられる鈍器をかいくぐって押し当てられた金属棒が、激しいスパークと爆音を上げて電流を迸らせた。ぐるり、とトカゲ男の目があらぬ方向を向き、手足を痙攣させながら倒れ込む。その、無防備に投げ出された頭部に、遅れてやってきた健二が思い切りライフルに備え付けた盾を振り下ろした。健二が予想していたよりも軽い手応えとともに、トカゲ男の頭部が素人目にも致命傷とわかる形で凹む。
一瞬の流れ作業。それとも、三人係でようやく一匹か。そこにきてようやく、冒険者一行を取り囲んでいたトカゲ男達が健二達に対応すべく動き出す。
包囲が崩れる。健二達が突破するにはまだ厚く、冒険者達が反撃に転じるにはまだ固く。だが、それでも完璧な包囲に隙ができる。
そこを、”彼女”はずっと待っていた。
遠雷のような轟音が、突如として日中の地獄に鳴り響いた。猛獣の雄叫びとも、エンジンの唸りとも違う、本当に雷のよう、としかいいようのない、臓腑を底から振るわせるその爆音は、今まで健二の聞いたことのない種類のものだった。
そしてその轟音を伴って飛来したものもまた、健二の想像を越える規格外の何かだった。
ぺしゃりと凹んで、粉みじんに弾けた。
健二が目の当たりにしたのは、まさにそう表現すべき光景だった。さっきまで筋骨隆々とした体躯を惜しげもなく晒していたトカゲ男が、一瞬の間に押しつぶされたように凹む、直後挽き肉になって飛び散る。
その一連の流れを目の当たりにして思わず足を止めた健二の耳に、立て続けに二度、三度と轟音が轟く。その都度、トカゲ男達の体が弾け、へしゃげ、まるで見えない巨人が蟲の手足を引きちぎって遊んでいるかのような凄惨な光景が繰り広げられた。
惨劇は、正確無比にトカゲ男だけを、それも冒険者や市民を巻き込まないように間隔をあけて行われている。味方なのは間違いないようだ。
「なんだ……?」
健二は支援者の姿を求めて頭上を振り仰いだ。その視線の先、偶然にも一番に見上げたビルの屋上に、太陽を背に佇む影がある。
灰色の髪。氷のような冷徹な視線。血と死の熱狂に満ちたこの地において、一人孤高に佇む絶対零度の存在。
玲子と名乗った、あの少女だ。
彼女はその手に長大な金属の筒を抱えて、片足を屋上の枠にかけるようにしてこちらを……健二達の足掻く地上を睥睨していた。その視線がきゅ、と収束したかのような錯覚を健二が感じ取った次の瞬間、ゆっくりと、しかし迅速かつしなやかな動きで玲子が筒を構えた。
全長2mを越える、鉄パイプを組み合わせたかのような無骨な形状。それを細身の少女が振りかざす様は、まるで子供が物干し竿を銃に見立てて振り回しているような奇妙なちぐはぐさすら感じさせる。
だが、健二は知っていた。情報過多の現代文明の、とりわけネット界隈において恐らく誰もが”奇妙な銃””印象的な銃”として目にした事のある、それ。
その名は、デグチャレフ対戦車ライフル。
かつてソ連が運用した、名前通りの戦車を撃つための銃。だが戦車の高性能化によって本来の目的で運用が不可能になり、現在は対物狙撃銃、といった呼ばれ方と運用をされている。
だが、この都市においては事情が違う。外界では存在しないレアメタルから精製された砲身は、従来より遙かに高圧の圧力に耐え、弾頭に使われている金属も、タングステン合金すらしのぐ超硬度を誇る一品だ。そして何より、上位冒険者に見られる不自然なまでの身体能力の発達。
それが合わさったとき、どうなるか。
もはや銃声と呼ぶには凄まじすぎる轟音をあげて、対戦車ライフルが火を吹いた。たかだか50m前後という短すぎる距離を経て、特殊合金弾がトカゲ男に炸裂する。
屈強なトカゲ男の肉体すら、その破壊力の前では脆弱すぎる標的にすぎない。圧倒的なオーバーキルじみた破壊によって、その肉体は原型をとどめないほどに粉砕される。それこそ、花火のように。その拍子に、トカゲ男が手にしていた武器、身にまとっていたアクセサリーといったものが、周囲に向かってクアルトモア機雷の鋼弾のように飛散した。
完全な計算の元で行われたその行為は、冒険者や市民に被害を出すことなく敵のみに牙を向いた。流石にこれには反応してトカゲ男達が防御力の低い顔を守り、動きを止める。
そしてさらに数発の狙撃がトカゲ男を弾けさせ、二次被害からとにかく自分だけは守ろうと足を止め……群全体の動きが止まった。
そこを、歴戦の冒険者達は見逃さなかった。守勢から一転、攻勢へ。トカゲ男達へと、一斉に屈強な筋肉達磨や、剣を抜きはなった青年が襲いかかる。
トカゲ男達は決して弱くはない。徹底して先制に徹し、長期戦を絶対回避しているからこそ今まで被害がでなかったが、連中の持ち味は攻勢における瞬発力だ。だが、自ら視界を塞ぎ、縮こまった相手に遠慮も容赦も必要ない。攻勢に移った冒険者の猛攻によって、瞬く間にこの場に集ったトカゲ男達は殲滅された。
「よう、助かったぜ」
「虎心王さん!?」
安全を確保し、市民の誘導を再開した冒険者一行。近くのビルの屋上に凄腕スナイパーが陣取って警戒を続ける中、その一行に混じった健二達はサブマシンガンナーとわかれ、護衛任務に参加する事となった。そんな中で彼らを待っていたのは、ある人物との再会。
健二に声をかけるのは、筋骨隆々とした巨躯に、盾を手にした冒険者。忘れるはずもない、健二に道を示した大先輩、虎心王だ。思わぬ再会に、健二の言葉尻が跳ね上がる。
そんな、かつてとは全く違う健二の様子に何か感じ取ったのだろうか。虎心王は納得したように頷きながら、相変わらずの豪快な笑みを浮かべてバシバシと健二の肩を叩いた。
「はっはっは、見違えたな坊主! 話に聞いてもしやおまえさんの事じゃあるまいかと思っていたが、本当だったとはな! がっはっはっは!」
「いだっ、いだっ、いだっ!? 潰れる潰れる!!」
「……虎心王さん、そのぐらいデ」
「おうっ。お前さんも元気そうだな、椿。やっと、コンビが見つかったか?」
「そのつもりでは、イマス」
「そうかそうかそうか、はっはっはっはっ!!」
何かがツボに入ったのか、胸を逸らせて大笑い。そのついでにべしべしと丸太のような腕で殴打されて、健二は正直ノックアウト寸前である。
「いやはや、元気でやっているようでなにより。冒険者家業初めて二日目で遺跡の異常だわ、その原因に遭遇するだわ、なかなか波瀾万丈だな! なによりなにより!!」
「何もよくなんかないですよー!」
それだけは欠け根無しの本音である。が、そんな健二の泣き言を、虎心王は歯牙にもかけず笑い飛ばした。
「冒険者なんぞリスク特盛りでこそ、ってなもんよ。それよりも、お前等。探している相手がいるんじゃないか?」
「え……。あ、いや」
「……虎心王さン。何故、それヲ?」
突然の話題の切り替えに、バカ正直な反応を返す健二と、冷静に声のトーンを落とす椿。この辺りの対応力は、どれだけ修羅場をくぐったか、という事だろう。
が、その程度、虎心王にとっては猫の威嚇のようなものである。都市最高クラスの実力者、という肩書きは伊達ではない。さらりと流して、彼は背後の一般市民に声をかけた。
「おーい、お前さん達。探し人が向こうからやってきたぞー」
「え……」
探し人、といわれて、健二が困惑する。いうまでもなく、この町にきたばかりで、かつ人目を避けるような生活をしている健二に知り合いがごく少ない。ましてや、向こうから彼らを探すような相手となると、ほとんどいない。一瞬、あまり愉快ではない可能性に思い当たるが、そこではた、と思い出す。いない訳ではない。
確かに最近知り合った中に健二達の事を案ずるようなお人好しが、二人。
そして人垣をかき分けて顔をみせた女性に、健二は安堵を覚えながら名を呼び返した。
「山口さん!」
「健二さん……! ああ、よかった……!」
山口智子に、山口陽太。健二達がこの都市で知り合った、配給店でバイトをしている親子だ。保冷材の恩は、記憶に新しい。息子の手を引きながら姿を見せた彼女に、健二は心から無事を喜んで手を取った。氷のように冷たく、それでいてべっとりと汗をかいた手は彼女の味わった恐怖を物語り、その上での自分たちを心配した善意に、言葉が出てこない。
「……それは、こちらのセリフです。よくご無事で……」
「それは、こちらの方のおかげです。陽太と一緒に隠れていた私たちを真っ先に見つけて保護して下さって……」
四人分の視線を浴びて、虎心王が照れくさそうに頬をかいた。
「ま、一般市民が隠れそうなところってのはマニュアルがあってな。こういう異常事態への備えって奴だ」
「……」
飄々とそんな事をいう虎心王に、健二は言葉もなく黙り込む。毎日をいきるのに精一杯な健二と違い、虎心王はこんな先の事まで想定して動いていたという。そこは、志の差、人間としての器の違いといってもいいだろう。大成する者は、最初から大成する人間である、というのを改めて比較されて、健二は叶わないな、と舌を巻いた。
その時、だいぶ聞き慣れてきた轟音が、健二の耳を振るわせた。顔を上げると、ビルの屋上で玲子が対物狙撃銃を構えている姿がよく見えた。
同じ姿を、かれこれ数度目にしている。その度にきっとどこかでトカゲ人間が木っ端みじんに爆発しているのだろう。
「不可解っすね」
「どうした?」
「いや、彼女。実は五反田さんからメンバーに推薦されたんですがあの腕前ならもっと大きなパーティー、それこそ虎心王さん相手でもやっていけるんじゃないですか? そんな腕をもっているのに、なんで俺のところみたいな弱小パーティーに推薦してきたのか分からなくて。本人もなんか乗り気だったし」
「ああ……成る程。そういう事情か」
「え?」
「いや、こっちの話だ。……まあ確かに玲子の腕は俺も認めるところだ。事実、彼女の所属していたチーム"オルファンの眼"は、純ガンナー集団にも関わらず25階層を突破した凄腕集団だった」
「純ガンナーって……銃だけで!?」
それがどれだけの無茶かは健二にもいい加減理解できる。今回あらわれたトカゲ人間だって、ふつうに撃ったら銃なんでまるで通じない強固な鱗で全身を覆っている。以前戦った蟷螂だって、弱体化していなければ銃なんて到底通じる相手ではなかった。
「でも、今はソロ活動してるって事は、そのメンバーは……」
「26層で壊滅した。生存者は、玲子一人だったって聞いてる。彼女が孤立してるのは、まあそのあたりが原因だ」
「仲間を見殺しにしたとか、そのあたりの噂ですか」
ムキになったように口調を固くする健二に、虎心王はやれやれ、と肩をおおげさにすくめて見せた。ちらり、と椿に一瞬だけ視線を飛ばす。
「成る程、安心した。いやまあ、そんなとこだな。……一概に、全部でたらめともいえない」
「そんな」
「お前さんは。例えば、さっきの知り合いぽかった奥さんや子供。彼女らが、生きたまま怪物にバリバリかじられているのを、黙って見ていられるか?」
「……っ!?」
「まあ、それはそうだろうな。だがな、そういった最悪の事態が訪れたとき、何をするべきかは君も考えておくといい。少なくとも、玲子とやらはそれをはっきりさせていた、という事だ」
「それは、どういう」
あまりにも抽象的で、はっきりしない虎心王の口調に苛立ったように健二が問い返すが、歴戦の冒険者はゆっくりと顔を横に振り、まるで忠言を告げる賢者のように厳かに、健二に思慮を促すのみだった。
「そこは、自分で考えるんだな」
これ以上は話さない。それを感じ取って、健二は無言のまま歩調を遅めた。入れ替わるように前に出てきた椿が、後ろ髪を引かれながらもベテランとして虎心王に問いかける。……彼女とて、今の会話に興味がないわけではないのだが。
「それで、これからどうしまス?」
「まあ、無難に避難所まで連れて行くのがベストだろう。万が一に備えて、Zunftの連中が作ったシェルターがあってな。その後、冒険者は一度Zunft本部に集合、指示を仰ぐ」
「単独行動してる連中はどうシマス? 声をかけて回ル?」
「そいつらだってZunft本部に自主的に集まるさ。この後に及んで自分の事しか考えられんような奴は戦力にならないし、そもそも生き残っちゃいないさ」
「……突き放したような言い方をするんですね」
健二の、どこか拗ねたような苦言に、しかし虎心王は苦笑しつつ首を振って見せた。
「悪いが、それは俺の限界さ。冒険者ってのはな、死と隣り合わせの職業で、そりゃあもう現実にぼんぼん死ぬさ。だがな、同時に俺たちは死んじゃいけない、可能な限り死を想像して動くべきなのさ。なぜだかわかるか?」
「何故って」
「簡単なことさ、都市は世界から隔離されていて、人員流入が制限されてる。全くの無って訳じゃないが、到底日々失われる命には釣り合わない。だが、それでも冒険者の探索がなければ、都市が生存していくための資源は回収できない。冒険者の損耗は、そのまま都市の寿命につながってる。そして都市の寿命は、そこに住む俺たちの寿命だ。そこんとこを考えて、冒険者ってのはバクチをやるものなのさ」
「……結局博打なんですね」
「人生なんて何事もイチバチさ。ただその確率をあげる努力はせねばならん。神はサイコロを振らないが、俺たちはイカサマでもなんでもするさ」
「……覚えておきます」
頷き返し、今度は歩調を早める健二。アサルトライフルを構えて集団の先に小走りで歩んでいく。そんな少年の後を音も無くつきそう女侍。
年若い少年少女の危うい後姿を、智子は不安そうに見送り、どこか訴えるように虎心王と目を会わせた。それに、虎心王は黙って首を振って答え……不意に顔色を変えて足を止めた。
周囲の冒険者がそれに感づいて、各々が武器を手にする。その中にある、幾名かの歴戦の冒険者達もまた、虎心王と同じく殺気だった余裕の無い顔で周囲を見渡していた。
誰かが叫んだ。
「…………下だ!!」
ズン、と重い響きが、足下を振るわせた。
何かが、土中を高速で移動している。それは深いところから地上にむかってまっすぐに移動してきていて……それを悟った冒険者が、一斉に散った。防御陣形をかなぐり捨てて、状況を把握していない市民の手を引いてバラバラに逃げる。
その最後尾には、健二の姿があった。案の定、状況を理解していない彼は、とにかく目の前の背をおいかけた結果、武装の重さから出遅れてしまったのだ。
不意に、移動する震源が向きを変える。それは狙いを定めたように、健二の足の真下へと。
その足が、不意に浮いた。
健二の意志によるものではない。背後からとびかかった椿が、彼の首根っこをひっつかんでUターンしたのだ。とても青年一人と盾二枚を抱えているとは思えない力強い踏み込みで、背後に向かって全力で跳躍する。
その背を追うように、大地が突如爆発した。
「な……」
「馬鹿な……!」
三者三様の驚愕が漏れるなか、椿は健二を両手で抱えなおしながら背後を見やる。
噴出するように巻き上がる土煙に、アスファルトの破片が切り裂きそうなほどに背をかすめて飛び散っていく。それに紛れて、数名の冒険者が吹き飛ばされているのも見えた。手足が変な方向に曲がってしまっているのもいる。
そんな惨状を巻き起こした何かが、土煙の向こうでゆっくりと身を起こす。
「なんだこいつは……?!」
椿も、見たことは愚か聞いたことのない怪物だった。地上にでている部分だけでも4m以上の高さを誇り、直径は3m近い巨大な釘のような体躯。胴回り、と表現していいのかわからないが、それから推察するに全長は10m以上はあるだろう。その表面は、黒曜石のような輝きを放つ硬質の何かで覆われており、しかし同時にしなやかに波打っていた。
そしてその先には、エメラルドグリーンの輝きを放つ単眼が、複数輝いている。巨体に比較すれば小さな目だったがそれでも人の拳より遙かに大きい。
ぐちり、と巨大な怪物の先端が裂ける。バナナの皮でも剥くように、つきだした肉柱が裂けて巨大な口蓋を晒す……否。
それは口蓋ではない。束ねられていた六つの蛇を思わせる頭が、花開くように頭を擡げたのだ。それぞれ備わった眼は、二つ。六つの双眸が、巻き上げた土砂と、それに混じる哀れな犠牲者達を見据えた。
「やめろ……!」
椿の腕の中でそれを目にした健二が、アサルトライフルの銃口を向ける。だが、彼の悲嘆をあざ笑うように、六つの龍首が、裂けるように牙を剥く。奈落に続く死の道を目にした冒険者達の表情が、恐怖に、絶望に、嘆きに……嘆願に染まった。
助けられない。
健二がそれを理解して引き金を引く指が固まる。その時、複数の銃声が、鉄火場に響いた。
それは怪物を狙った訳ではない。成すすべもなく見上げる人々を狙った訳ではない。ただ、救いをもたらす為に引かれた引き金だった。
ぱっ、と宙に血の霧がしぶいた。その結果を確認する前に、歓喜に逸る魔龍の牙が、犠牲者達をくわえ込んだ。人一人、丸飲みにしてなおあまりある六つのアギトが、獲物をたいらげるのには数秒もかからなかった。
メキメキと音を立てて、丸飲みされながら全身を粉々に砕かれる音が響く。都市のために、人のために戦った冒険者の末路としては、あまりにも無惨で哀れな最後だった。
うぇ、とうめき声を上げる者がいる。知り合いがいたのだろう、血を吐くように誰かの名前を叫ぶ者がいる。それを聞きながら、健二は銃声の主を求めてビルを見上げた。
その視線の先で。
一人の少女が、ハンドガンを手に眼下を見下ろしていた。逆行で、その表情は見えない。それでも、健二は彼女と目があった気がしたし、彼女がまるで取り繕うように力の無い笑みを浮かべたのが見えた気がした。
銃声の数は、六つ。そして、犠牲者達の数も、六つ。
いつぞやの、薄暗いテーブルでの会話が木霊する。
(「味方の背中を撃つ、なんて言われているもの」)
「君は……」
届かぬとわかっていて、健二は呼びかけた。そして当然、彼女はそれを聞き届ける事なく、対戦車ライフルを怪物に向けて悠々と構える。
発砲。
その轟きが、健二と椿にとって最大の敵との決戦の、幕開けとなった。
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