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その都市、現実にして幻想  作者: SIS
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第七章 奇襲


 健二達の冒険から、数日が過ぎた。

 ある冒険者達によって解明された、遺跡の異変。本来存在しないはずの通路が後から増設されていたというこの事態は、多くの冒険者を震え上がらせた。

 Zunftはただちに凄腕の冒険者を護衛につけた土木業者を遺跡に送り、ただちに一階層につながっていた通路を封鎖にかかった。その作業はすぐに終了したが、依然として広がっている通路の規模、起源ははっきりとせず、いつ次の通路が開くのか、どうすれば事態が終了したといえるのかは可能性の中の話であり、都市は不安と困惑に揺れ動いていた。

 そんな中で、遺跡の異常事態を突き止め、さらに危地にあった同僚を救い出した若き冒険者の名は、瞬く間に都市に広がる事となった。人々は嫉妬と羨望をのせて、彼らの名を口にする。

 向坂健二。

 鋼鉄の盾をかざす、年若き守人の名を。


 さて、そんな話題の人物である健二と、その相棒である椿であったが、名が売れたことで彼らの生活にどんな変化があったかというと……。

 断言できる。何も変わらなかった。

 そりゃあそうである。もともと健二は冒険者になって日が浅く、新人にちょっかいを出したがるような輩にからまれたりした事はあったとしても元々名前が売れていない新人である。さらに言えばイレギュラーな事態で得た資金を盾にそそぎ込んでいるので装備も新人に毛が映えた程度を越えておらず、見た目もぱっとしないので記憶にも残らない。

 つまり、そもそも健二が噂の”向坂健二”である事に気がつかないのがほとんどであり、結局、ちょっと期待しつつも健二と椿は誰の目にも咎められる事もなく日々を気ままに過ごしていた。


 しゃりしゃりしゃり。

「……朝か」

 定期的に響く、背筋を凍らせるような金属の擦過音。すっかり日常になったその音に、徹夜は毛布の中で目をさました。

 寝るときも手放さない盾を抱きかかえたまま、もそりと半身を起こす。寝ぼけ眼で這いだすと、枕元においておいたタライに張っておいた水で顔を洗う。キリリとした冷水で、殴られたように一発で目が冷めた。

 隙間から光の差し込む部屋を出て、居間に顔を出す。

「うーし……椿、おはよー」

「ハイ、おはようございます、健二サン」

 ボロボロのちゃぶ台の前でにっこり笑うのは、金の髪を露わにした素顔の椿だ。寝起きから美人の顔とくれば目福のはずだが、朝食の代わりにちゃぶ台に乗っているのは砥石と大太刀である。山姥か、と慣れた健二でも内心つっこまざるを得ない。

「おはよ……おまえ、前からいってるけどやめてくれよそれ。夢に見る」

「朝の始まりは道具の手入れから、デスヨ」

「それはわかるが、もう少し静かにやってくれ……」

 ちゃぶ台の傍らに健二も腰を卸し、自分も盾の手入れを始める。寝ている間についた手垢を乾いた布で拭き取り、ワックスの缶から適量を取り、刷り込むように磨き始める。

 愛用の盾は、赤蟻撃破の報酬で買った盾がまだ現役だ。マンティスとの戦いで大小さまざまな傷がついてしまったが、それがよい味になっている、と健二は思う。盾とは、戦って傷つくものである。

 そんな盾をワックスで磨く事になにの意味が、という素人もいるが、盾が傷つくべきなのは戦いでであって、日常の扱いの杜撰さで傷がつこうものならそれはただの恥である。それに表面を磨き込んでおけば、受けた時の受け流し易さが段違いなのも体感済みである。

 手入れすればするほど道具はそれに応えてくれる。なら愛情をそそぎ込めるだけそそぎ込むのはあたり前の事だ、というのが健二の主張だった。

 そのまま黙々と、二人の早朝は道具の手入れですぎていく。

 手入れの後は、ようやく朝食である。

 食事の中身は、干した魚と米を荒く突いた餅である。椿がライターで廃屋につもっているチリを集めて燃やし、それを健二が集めてきた枝で大きくすると、囲炉裏焼きの要領で魚と餅を枝にさして焼き、できあがるまでの間にまた道具の手入れを始める。

 調理に焦りは禁物。道具を一通り手入れして串をみてみればちょうど食べ頃。魚は皮は焦げ目がついてぷつぷつと弾け、肉は脂がにじみ出て美味しそうなてかりを帯びている。餅も、黒い焦げ目がつきほかほかと湯気を立てている。

 これはたまらん、と二人してかぶりつく。魚は海風を浴びたのを思わせる強い塩気が、濃い脂に絡んで白身の淡泊な味わいを盛り上げる。その濃い味が、味噌もタレもつけていない餅とよくあう。

 冒険者家業を初めてから、正しくは椿と組んでからの定番メニューである干し魚と餅。この組み合わせには都市の食糧事情が関わってくる。

 死病の拡散防止の為、都市は近辺が完全に封鎖されているがその範囲がかなり狭く、都市内では基本的に食料の自給が基本的に不可能。外部との交易によって食料を輸入しているとはいっても、その量には制限がかけられており都市の人間全てが腹一杯食べる事ができる量とは言い難い。

 だが、幸いにして都市は三角州のうえに立つ沿岸都市である。そして、海方面ではウィルスが海流にのって拡散する事を考慮してかなり広大な隔離領域が確保されており、そこでの漁は足りない食料を補うに十分な漁獲量を確保している。もともと存在していた養殖用の設備がそのまま生きていたのも大きく、魚介類は重要な食料源なのだ。

 そして、もう一つ都市を支えているのが、日本古来の農業だ。米は元々、小麦や大麦といった人類史を支えた作物の中でも、面積あたりの収穫量が突出している。さらに元々、都市近辺は地産地消で米を栽培していたというのもある。無論、もともと存在していた耕地では到底足りないため、山を開墾して棚田を作った事で去年からようやく大量生産できるようになったところである。その過程においては、レアメタルを用いた農具が大いに活躍した。ただ、炊飯には綺麗な水と安定した火の元がいるため調理は都市側で行い、市民に供給するときは扱いやすい餅などの形に加工するのが大半である。

 魚と、米。ようは日本古来の食事が、都市での都合に併せて変化しただけの話である。

 さて、熱さにほふほふと息をはき、水をぐいっと飲み干せば朝食はそれで終わりである。ただ、まだ都市にいくにはやや早い。となれば、お腹もふくれてやる事は一つである。

 常に和服の椿をよそに、健二は部屋の隅に投げてあった装備一式を手に取る。デストロイヤーマンティス戦で手に入れた資金で購入した、改造軍服だ。改造、といっても随所を金属で補強し、腰回りにマガジン用のポシェットを増設した程度のものだ。そのポシェットに、防御力向上と体重を疑似的に増やして吹き飛ばされにくくする為に金属製のインゴットを入れている。値段がそこそこはっただけあり、以前着ていたジャケットなんかとは比べものにならないぐらい頑丈で、健二も良い買い物をしたと自負している。さらに武装面では、砕かれた以前の盾の残骸を組み込んだ防盾付きアサルトライフルも加わった。

 それに対して椿は、いつもの着物に拾ったヘルメットという珍妙な姿である。あまりにもミスマッチで健二としては頭痛を覚えるレベルの格好である。

 ヘルメットそのものはあのトンネルから出る時に一階層に転がっていたのを緊急避難としてかぶったはずだったのだが、何故か椿は気に入ってしまったらしい。

「じゃ、頼むわ、椿」

「ハイナ」

 盾を手に庭に出る健二に、椿も太刀を一つだけひっさげて後を追う。荒れ放題の庭先に、一株だけ真っ赤なトマトを実らせているの横目にしながら、二人向かい合って盾を構える。

「タイミングハ?」

「いつでもどうぞ」

 軽く申し合わせる、その言葉終わりに椿の姿が霞んだ。

 腰を落として踏ん張る暇もない。盾ごしでも十分な衝撃に、為すすべもなく健二は背後に吹き飛ばされて壁で強かに背を打った。

「ごふっ」

「アッ。ご、ごめんナサイ! いつでもいいって言うカラ……」

「い、いや、いいよ。これぐらいじゃないと訓練にならない」

 せき込みながらも立ち上がる。盾に寄りかからないのは盾信者の信念故か。本当にいいのかなあと首を傾げながらも、椿はひゅんひゅんと手首で太刀を振りかざして、構える。

 さて、二人がなにをやっているかというと、まあ特訓である。

 この二人で探索する場合、椿と健二の力量さが開きすぎている為にまず先に健二がへばってしまう。そのあたりを考えて、彼は攻撃をほぼ完全に捨てて椿の攻撃力をいかす為に防御役をやっているのだが、いかんせんつい最近までただの一市民であった彼では、怪物相手に身を張って耐えるというのは難しい。

 それでも塀相手に押し相撲などで訓練を続け、ある程度自信がついてきたという事で椿に実戦を想定した相手になってもらったのだが、ごらんの有様である。

 再び椿が太刀をふるえば、バゴンッ、と立ててはいけないような音を立てて健二が吹き飛ばされた。全く堪えられていない。それでもすぐさま受け身をとって立ち上がるあたりは、成長してきたともいえる。初めて受けた日はそのままノックダウンされて起きあがれなかったのだから。

 健二が四度目に吹き飛ばされたのを見て、椿はこのあたりでいいか、と鞘に刀を納める。チン、という音に会わせたかのように上下逆さまで塀に張り付いていた健二がずり落ちた。

「あー、そろそろ体も暖まったでしょうし、町にいきマスカ?」

「お、おう。さすがにこれ以上はヤバい。腰痛でまた町にいけなくなったらまた飯抜きだ」

「モウ。その時は私がご飯だけ買ってきますから」

「相棒にだけそんな事させられるかっての。いちちち……」

 流石に弱音がこぼれるが、それでも盾を担いで身を起こす。寝床にしている廃屋のあるあたりは完全に廃墟なので、食料一つにしても都市までいく必要がある。今は多少の蓄えがあるが、それでも引きこもって悠々自適、という訳にはいかないのが悲しい現実だ。

 ……実際の所、健二一人なら都市で暮らすのは訳ない。探索家業をしている者の為の宿泊施設があるからだ。だが、そこは学生寮のようなもので、暮らしていればどうしたって詮索は避けられない。つまりは、都市においては爪弾きものの椿はどうしても、そこでは一緒に暮らす事はできないのだ。

 そしてそんな事情を知って、健二は利用しないことを即決した。

 現代人らしさを残した生活と、キャンプじみた廃屋での不便な暮らし。天秤にかけて後者を取った事に、なんだかんだいって健二は後悔していない。

 ただ、一つ気になるとすれば、その事を椿がどう捉えたのか、という事である。正直、一つ屋根の下で美少女を二人暮らし……というシチュエーションには甘い妄想もない訳ではなかったのだが、現実に体験してみると背後からの熱視線が以外と怖かったりする。本当に、本当に健二はそういうつもりはなくて、あくまで自分の発言に責任を取りたかっただけなのであるが……。

 飛躍した考えを追い払い、思考を切り替える。このあたりはそろそろ慣れてきたものだ。

「それに保冷剤も山口さん達に返さないとな。罰金取られちまう」

「あはは、ソウデスネ」

 山口智子は、配給店で売り子をしていた幼子連れの女性である。元々都市にすんでいた一般市民で、このご時世にあっては心配になるほどのお人好しだ。なんせ、初対面の健二達に、貴重品の保冷剤の貸し出しを許可してくれた相手である。そして保冷剤がなければ健二達の食糧事情がどれだけ寂しいものになったかは想像に難しくない。

「ま、重役出勤で今日ものんびり仕事にしますか」


「いらっしゃいまーせ」

 カランカラン、とベルの音が鳴れば、太陽に輝く昼の世界から一転、薄暗い陰気な室内に世界が切り替わる。雰囲気にあきらかにあってない軽い声を上げて応対する女性役員に愛想笑いを返して、健二は冒険者応対スペースに武具を鳴らしながら歩いていく。隣に椿の姿はない。

 ここはZunft支部。健二はある人物に呼び出されて、一人でここにやってきたのだ。

「よぉ」

 そんな彼を呼び止める声。覚えのある相手に、健二が足をとめて、それに併せて椿がその後ろに並んだ。その、まるでガードマンのような仕草に声の主は苦笑を浮かべ、ゴトン、と真昼から呷っていたビールのジョッキをテーブルに戻した。

「五反田さん」

 健二を呼び止めたのは、隻眼の男性。かつて遺跡外の洞窟にて健二達が救助した、メイス使いの男だ。あの時、戦場にて情報交換する余裕などなかったが、別れ際に互いの名前ぐらいは交換していた。

 彼の名は五反田ゴタンダ。遺跡都市成立以前からこの地で暮らしている、筋金入りの都市の住人だという。健二にとっては、大先輩という訳だ。

 とはいえ、健二にとっては椿を拒絶した相手である。そんな複雑な心境の健二の事を把握しているのか否か、五反田はまるで馴染みの仲間にするような気軽さを装いつつ、彼らをテーブルに招いた。用事の事もあり少し躊躇った健二だが、時間に制限がある訳でもない為、遠慮がちに席につく。

 不意に、支部内のざわめきが遠のく。

 おそらく、意図的に”そういう風に”家具が配置されているのだろうと健二はあたりをつけて、五反田に向き直った。

「しばらくぶりです」

「まあな。そちらも壮健なようで何より。最近、遺跡には潜っていないのか?」

「数ヶ月分のスリルは楽しんだので。そういうそちらは昼間から、というのは少しどうかと」

「冒険者はやめたよ」

 思わず二度見する健二。そんな彼の反応を気にする事なく、五反田はジョッキを空にすると深く息を吐いた。

「何故……?」

「何、遺跡に潜らなくても生きていけるだけの蓄えと、稼ぎの宛は元々あったんだ。それでも冒険者なんて続けていたのは、後進の為と、あとはまあ少々の未練さ。だがあの洞窟で長年連れ添った仲間を纏めて失い、俺自身も深手を追った。潮時だと思ったのさ」

「……」

 健二と五反田のつきあいは長いわけではない。引き留める言葉も、肯定する言葉も健二には思い浮かばない。ただ自分よりも何十年も長く生きた先人の判断に、黙って聞き入るのみだ。

「あの時の連中は?」

「自立していったよ。今は知り合いと新しいチームを組んで遺跡に潜っている。元々俺は知り合いの知り合いって間柄でな、死んだ仲間の方が奴らと近い関係だったのさ」

「フム。復業したのですカ。あんな経験の後でよくもまあ続ける気になりましたネ」

「そういうあんたらこそ、まだ遺跡に潜る気があるというのがびっくりだがな。……はは、そう睨むな、ボウズ。新人があんな化け物とやりあってトラウマにならなかったってのを誉めてるんだよ。ま、これから大変だろうが頑張れよ」

「……そちらはこれからどうするんですか?」

「おうよ。伊達に長く生きちゃいねえ、コネとかツテってのは無いこともないのさ。ま、Zunftの元で新人教育でもするつもり「あんのかそんなの!?」……お、おう?」

 ガタッ、と腰を上げる健二に、五反田がきょとんとする。

「? いや、お前さんも受けたはずだろ、Zunftの初心者講習。遺跡での鉄則や簡単な戦闘訓練とか色々。冒険者の質を一定に安定させるために必ずやってるはずじゃ……」

「初耳だ……!」

 ぐったりと今度は机に倒れ込んでうなだれる健二。

「あ、あー。ご愁傷様というのか、こういう場合……?」

「……ま、まあ。それはいいとして。そろそろ本題に入ってほしいんですが。こっちも暇じゃないんで」

「それもそうだが……お前らに紹介したいやつがいる」

「紹介?」

「おうよ。って、肝心の本人は勝手にどこかにいっちまいやがったが……」

「失礼ね」

 聞いたことのない声がした。まるで、氷を削って作った風鈴を鳴らしたような、心地よく、それでいて本能的な恐怖と警戒を呼び起こすような、そんな声だ。

「誰だ?

「あら。ご挨拶ね」

 健二の警戒態勢を歯牙にもかけず、声の主は悠々と人垣を抜けて姿を表した。

 白髪の混じる灰色の髪と熱意のない冷めた瞳が印象的な十代半ば、健二と同年代の少女。

 襟元を大胆に開いたYシャツと破れたジーパンに、アーマージャケットを雑に羽織った傭兵崩れのような衣装。背中に背負うのは背丈より長い布に包まれた何か……おそらくライフル。同じ軍服でも、いまだ着られている感じの抜けない健二と違って、すっかり馴染んだ、”慣れている”気配。

 ちらりと除く素肌……胸元には、凄惨な古傷の後が黒々と除いている。それは彼女の美を損なうのではなく、まるで勲章のようにむしろその有りようを引き立たせているように健二には思えた。

 間違いない。この少女は、椿と同次元の凄腕だ。

 さらにいえば、身につけている装備に近接武器がない。それはつまり、背負ったライフル一つで遺跡を生き抜いてきたという事である。虎心王もいっていたように、銃一つで遺跡を生き抜くのはきわめて困難だ。それを成す、という事は、彼女が尋常ではない射撃技術をもっていることの証明でもある。

「この人は?」

「ああ、紹介がま……」

「自分で言うわ。玲子レイコよ。契約相手なら玲でも構わない」

「玲子さん、ね。契約? うちはちょっとその手の話は勘弁していただきたいんですけど」

「違う違う、そういうんじゃねえ」

 半ば本気の健二の言に、五反田が苦笑いで首を振る。玲子、と名乗った女ガンマンも無言で首を振り、その”契約”とやらを説明し始めた。

「言い方が悪かったわね。私はフリーの冒険者なの。かといってソロではなくて、特定のパーティーに契約を結んで戦力として参入する方式で活動しているわ」

「つまり、傭兵のようなものってですか」

「まあ、そうね。五反田の所とはついこないだまで契約してたんだけどね、今はフリー。仕事をはじめようかと思ったら、そう悪くない契約相手がいると聞いたから来てみたんだけど」

 そこで言葉を着ると、玲は品定めをするように健二を見つめた。黒い瞳にじっと見つめられて、健二は居心地悪そうに身じろぎをする。美人に見つめられて照れたとかではなく、なんだか銃口を急所に狙いすまされているかのような悪寒がした為だ。

 そんな健二の反応に何か納得したように頷き玲子は白髪を書き上げながら目を反らした。

「へえ。噂には聞いてたけど」

「どんな噂なんだよ。まあ、そういうのはどっちにしろ勘弁。俺にはすでに相棒がいるんで」

「その事なんだが、坊主。お前、まだアイツと組んでるのか」

 アイツ、というのが誰の事を指すのかは、言うまでもない。健二が目を細める。

「お前さんがどういうつもりでアイツと組んでるか、まあわからないでもない。だがな、言っておくぞ。早いうちに……」

「そういう話なら、今回の件は無かった事にさせて頂きます」

「おい、待て。お前が考えているほど、単純な話じゃ……」

 俄かに二人の間で空気が剣呑としたものになる。放っておけば諍いになりかねない空気に、割って入ったのはもう一人の当事者だ。

「なんか話が見えないのだけど、今回は縁がなかったって事でいいのかしら、これ」

「悪いけど、こっちとしてはそういう事になるな」

「そう。まあ、貴方のパートナーがどんな人間かは知らないけど、私よりはマシでしょうね。五反田さんも余り押し付けない方がいいわ」

 彼女はそう告げて、背を向ける。最後に、捨て台詞のように言い残して。

「私なんて、味方の背中を撃つ、なんて言われてるもの。それよりマシよ?」

「え……」

「それじゃあね、期待の新人さん。いつか一緒に仕事をしましょう。チャオ」

 一方的にまくしたてて、玲子はスルリと人混みに紛れてその姿を消した。狐に摘まれたような表情で、健二が目をぱちくりとさせる。その横で、五反田がやれやれとため息をついていた。年期の入った仕草だった。

「あんにゃろ。偽悪的なのもほどほどにしておけと」

「えーと……?」

「まあ、なんだ。本当に味方の背中を撃つようなクソ野郎なら、Zunftが放置しておくはずもない。そういう事で納得してくれ」

「はぁ」

「まあ、俺も少し強引だったな。とはいえ、気が変われば連絡してくれ。玲子とはいかないが、まあそこそこの奴を紹介してやる。いいな」

「そうします。それじゃあ、この後も用事があるので、俺はここらで」

「おう。長生きしろよ」

 傍目には、たちの悪い冗談のような別れ文句。それに、健二は苦笑すると頭を下げた。

 不器用な人だと、心の中でつぶやいて。

「五反田さんこそ」


 五反田との話を終えて、Zunftを後にする。

 彼の申し出は、間違いなく善意だったろう。少なくとも、椿と組んでいる事は、この都市においてデメリットが多い。今なら健二の装備も充実してきているし、理性的に考えればコンビを解消すべきだろう。おそらく、椿もその事に関しては何も言うまい。

 だが、そういう問題ではないのだ。意地というか、筋の問題というか。

 少なくとも、誰かに言われたから、を理由になんかできない。路地裏でひっそりと健二の事をまっていた椿を目にして、その思いは一層強くなった、ただそれだけだった。

「お待たせ」

「……ア。健二サン……」

「なんだよ、情けない声だして。俺が戻ってこないとでも思ってたのか? 全く」

「アア、イエ。そういう訳ジャ……。ウフフフ」

「なんだよ急に。気持ち悪いな」

 口ではそういうものの、相棒の機嫌が良い事に悪い気はしない。

「さ、さっさとお仕事しようぜ」

「ハイナ」


 その時だった。


「揺れ……?」

「地震ですカネ?」

 ぐら、と足下をおそったふらつきに、健二と椿が足を止める。同様に揺れに感づいた人は多かったようで、周囲の通行民もまた、足を止めて周囲を見渡している。建物からぶらさがる立て付けの悪い看板が、カタカタと音を立てた。

 足を揺らす余震は、次第に収まっていき、やがて静寂が戻ってくる。

 誰も動かない。

 広い車道と、その両脇の歩道と、塀のように立ち並ぶ建物達。ただ、風の音だけが、人々と町の間を駆け抜けていく。

 長い静寂。そして。

「なんだ、何事だ!?!」

「見ろ、建物が!」

 足下を断続的に襲う揺れ、不意にあがる土煙に人々がざわめく中、街の一角の廃デパートが突如として崩壊を始めた。突如として吹き上がる濃い土煙に、近くにいた不幸な通行人が飲み込まれて、消えた。

 それも一つではない。間隔をあけて、一つ、また一つと建物が土煙をあげて、地中に沈むようにして崩壊していく。吹き上がる土煙を追うように顔をあげた健二は、通りの向こうからも同じように煙が吹き上がっているのを目の当たりにして瞠目した。

「なんだ……何が起きてる!? って、椿!?」

 まだ微かにのこる揺れをものともせず、椿が駆けだした。彼女は近くのまだ無事な建物の壁面に足をかけると、重力をものともしないかのようにそのまま駆け上がっていく。むろん僅かなひっかかりを捉えての動きだろうが、とても同じ人間の動きには思えない。

 見守る健二の前で数秒で三階建ての建物の屋上に登り切った椿が、素早く周囲を見渡す。

 二つ三つどころではない。数えただけでも20を越える建物の崩壊が確認できる。

 それだけではない。歴戦の戦士である椿に感知できる、この気配。街という平穏の象徴を満たしていく、不快な気配。

「これは……昔と同ジ……!」

 一方、椿に地上に取り残された健二は、意外と落ち着いていた。腹をくくったとも言う。

 何かしらの異常が起きている。それは彼にも理解できた。だが一体何が起きているのか。

 背中に背負った盾をおろすべきか、そう彼が判断しかねていた時。

「……何か聞こえないか?」

「何って、何が」

 不意に通行人の一人が異音を訴えた。ざわめく町人を目にして健二が耳を澄ませば、確かに妙な音が聞こえてくる。 

 どちゃり、どちゃり。何か、湿った重量物が、何かに打ち据えられて立てるような音だ。一体どこから聞こえてくるのか、と振りあおいだ健二は、崩壊した建物があげる土煙で目を止めて、血相を変えた。

「……まさか」

 そんな事があるはずがない。ただの考え違いだ。そんな風に感情が理性の出した結論を否定する。

 ずきり、と指輪をはめた指が痛む。

「不味い……全員逃げろ! 早く!」

「え?」

「なんだ?」

 健二の上げた声、血相を変えた叫びに対する人々の反応は、しかし鈍い。それどころか注目を集めてしまったが為に、人々は皆健二の方へと向き直ってしまっている。そう、土煙の近辺にいた人々も、皆、”ソレ”に背を向けてしまっていたのだ。

 その、背後。土煙の向こうに、ゆらりと揺れる陰。それはやがてはっきりと煙ごしにも見えるほどその陰影を増す。2mを越える、明らかに人ではない何かのシルエット。

 どちゃり、と湿った足音が、妙に耳に響いた。

 そこでようやく、市民の一人が背後の異常に気がついた。彼ははっと振り向き、そこで表情を凍らせて立ち尽くした。

 そこにいたのは、当然人間ではなかった。

 2mを越える体躯の、二足歩行するトカゲ、としかいいようのない異形が、のっそりと佇んでいた。その前進は細かな鱗にびっしりと覆われ、丸太ほどの太いしっぽがゆらゆらと揺れている。特筆すべきはその格好で、まるで原始人のように、その手には無骨で荒削りな剣と盾が握られ、腰には何かの毛皮が巻き付けられている。これでトカゲではなく毛深い人間であったのなら、どこかの博物館に飾られている模型にも見えたかもしれない。

 巨大蟻、八本足の武器をもった蟷螂。遺跡を知ってから、健二は様々な化け物を見てきた。

 だが、これはその中でも別格だ。特別、ふざけている。道理に反するにも、程がある。

 吐き気を催す嫌悪感を覚えながらも、健二はアサルトライフル片手にかけだした。

「逃げろ!」

「あ……あ」

 市民は逃げない。逃げられない。異様な異形を前にして恐怖に凍り付いてしまっている。

 そんな彼に、トカゲ人間は感情の全く感じられない一瞥をくれ。

 そのまま一太刀で、袈裟懸けに市民の体を両断した。

 一泊遅れて、街に悲鳴が響く。

 それは、何十にも、幾重にも、街中から響きわたっていた。

次の投稿は、二月十七日です。

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