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その都市、現実にして幻想  作者: SIS
7/16

第六章 刎首する者



「デストロイヤー・マンティス……! 十階層の”死を撒くモノ”……!」

 椿が呻くように怪物の名を口にする。聞きとがめた健二が、聞きなれぬ響きに問い返した。

「な、名前があるのか?! 怪物なのに!?」

「名前というより忌み名のような物デス。コイツはそのあまりの危険性、残虐性、何より階層に見合わぬ戦闘力で数多の犠牲を積み上げてきた怪物デス!」

「呑気に喋ってる暇はない! くるぞ!」

 金属を削るような耳に痛い雄叫びをあげて、死を降り歩く者……デストロイヤー・マンティスが突進してくる。その動きは巨体に見合わず滑らかで早い。滑るように近づいてきたマンティスは、こちらの近接武器の間合いから僅かに遠く、銃を使うにも中途半端な絶妙な距離から鎌を振り上げた。横薙で一網打尽にするつもりだ。

 巨大な鎌が、いましがた一人の男の人生を奪った凶器が、次の犠牲者を求めて暗闇にギラリと光る。

 死ぬ。

 殺される。

 そう強く意識したとき、手にもった盾がずしりと重くなった錯覚を健二は覚えた。

「っ!」

 その時反射的に健二が取った行動は、前に出ての味方全員を守る構えだった。自分でも何故そんな事をしたのかわからない。直前までマンティスの威容に恐怖し足がすくんでいたのに。ずきりと右手の中指が痛む気がした。

「健二サン!?」

「坊主、無茶だ!」

 当然、交戦経験のある二人が下がるよう叫ぶが、健二の耳には届かない。だが興奮のあまり聞こえなかったわけではない。

 健二にはわかっていた。あの鎌の大きさから推測される攻撃範囲だと、椿はかわせるかもしれないが負傷している三人が間違いなく巻き込まれる。健二の攻撃力がないに等しい以上、ここで彼が損害を引き受けるのが定石のはずだ。

 ずきりと右手の中指が痛む。

 鎌が迫り来る。タイミングをはかりながら、健二は何故自分がこんなに合理的に動けているのか、違和感は覚えたが疑問には思わなかった。恐怖と混乱がリミットを越えて、振り切れてしまったのかも知れない。

 ギロチンというよりもプレスカッターを思わせる刃が迫り来る。まともに受ければ、健二の持つ合金製の盾でも一発でへしゃげてしまうだろう。だから、受け止める寸前、健二は盾を斜めにそらした。ポリカーボネート制の覗き窓から鎌の動きを見極めて、バレーでボールをレシーブするように受け止める。

 ずきりと右手の中指が痛んで……すさまじい衝撃が、健二を襲った。

 これまで、赤蟻の突進を散々受け止めて基準が高くなっていた健二だったが、この衝撃は流石に想定できるものではなかった。まるでトラックに押しつぶされるのにあらがっているような、まるで自分がプレス機によって破砕される瞬間の金属板になったかのような、絶対的絶望をはらんだ圧力。盾の表面からは、グラインダーにでもかけたかのような火花が盛大に散った。

 永遠にも思われた時間は、実際には刹那の事。靴の踵をセンチ単位で削り落とされながらも耐えきった健二がはね飛ばされるように吹き飛ばされ、代わりに軌道を反らされた鎌が、メイスの男の頭髪を数本断ち切って彼らの頭上を通過する。

 その隙を、健二が文字通り体を削って作った隙を。

 己の全てを殺意に傾けた侍が、逃すはずはない。

「セイヤァッ!!」

 白刃が閃く。宙に投げたランタンの明かりの下、緋色の着物を翻す少女の手には、二つの大太刀。それは寸分の狂いなく、意図的に刹那の時間差でもって挟み込むようにマンティスの延びきった腕をくわえ込む。狙いは、屈強な甲殻と甲殻と繋ぐ関節部分の、柔軟な皮膜。普段は肉厚のそれでもって斬撃をもくわえ込むその守りが、今だけは振り切った腕が延びきっていたがためにぱんぱんに張りつめており、刃は容易くその筋を裂いた。

 それでも刃が裂いたのは半分ほど、切断にはほど遠い。だがそれで十分。

 ぶちぶちと皮膜と筋繊維が裂ける。豪腕でもって振り回される鎌の破壊力が、そのまま間接を破壊しにかかる。外骨格故に間接の接合を破壊されればそれを押し止める手段はなく、そのまま自らの強力によってマンティスは武器の一つを引きちぎられた。支えを失った鎌が、ブーメランの如くうなりをあげて飛び、壁面に突き刺さって洞窟を揺らした。

「ヨシッ!」

 快哉をあげる椿。だが、戦果確認に振り仰いだその瞳に写されるのは銀色に煌めく円錐。

 とっさに半身を捻って、切っ先を避ける椿。だが直後、彼女の赤頭巾が引き裂かれて、多量の血が宙に舞った。

 腕の一つを破壊されても、マンティスの動きには全く動揺の欠片も感じられなかった。機械仕掛けのように淡々と、殺戮行動を続行する。だが、そこには明確な悪意と知性があった。まるで待ちかまえていたように、攻撃後無防備を晒していた椿めがけて、突撃槍が過去の犠牲者をくわえ込んだままに突き出したのだ。その犠牲者の顎が、槍そのものを回避した椿をひっかけたのも、決して偶然ではないだろう。

 どさり、と地面に転がった椿の体の下から、じわじわと血が広がっていく。その反対側では、盾を手にしたまま健二が壁にたたきつけられたまま動かない。残されたメイスの男からは二人の顔が見えない位置関係のため、生存はわからない。だが、ここでメイスの男が殺されれば同じ事だ。

 耳をつんざく勝ちどきをあげるマンティスを前に、メイスの男はちらりと背後を振り返った。若輩の二人は、完全ではないが体力を回復させているものの、マンティスの気迫に飲まれて動けないでいる。

「お前等! あっちの坊主を助けにいけ」

「おやっさん!?」

「いいからいけ! ここは俺がやる!」

 彼らが固まらないよう最低限の指示を下し、それを最後にメイスの男は目の前のマンティス以外の全てを意識して忘却した。完全に戦闘のために意識が最適化され、仲間の仇に対する憎悪、生死の不明な若者への不安すら消え去り、ただ獣のような闘争心と冷徹な思考だけが彼の脳髄を満たす。その腕に縄のような血管が浮かび上がり、ぱんぱんに膨れ上がった。

 勝ち目はある。あの少年と女侍の奮闘によって、敵は主武器を一つ、失っている。それは攻撃手段の喪失のみならず、体のバランスを大きく損なっている事も示す。機動力を失った相手など、懐にさえ潜り込めば、あとはこのメイス一本で十分。

「おぁああ!!」

 雄叫びをあげてマンティスめがけて突進する、一人の人間。それをマンティスは顎をならしてあざ笑い、残された鎌を振り下ろした。人間の死角である頭上からの攻撃を、メイスの男は直感だけを頼りに回避する。間近に振り下ろされた鎌が床を砕き、散弾銃のように石を飛び散らせるのを腕で顔を庇い、さらに突進。その先に待ちかまえているのは、先ほど椿を倒した銀の円錐だ。無数の死骸を貫いて補強した突撃槍が、小さな人間一人に狙いを定める。

「……いいぜ! 殺せるモノなら、殺してみやがれ」

 不適に叫ぶが、しかし彼にはわかっている。あの円錐、見た目は只の悪趣味だが、その実体は人間を殺すために極限まで合理性を高めたものだ。円錐の刺突なら回避できるが、そこに連なった赤蟻の頭によって攻撃範囲を高めているため、そもそも人間の瞬発力では回避できないのだ。かつて彼が戦ったデストロイヤー・マンティスはそのような装備はしていなかった。この妙な洞窟に現れたことといい、変異しているのか。

 頼れるのは、己の腕と相棒のメイスのみ。これであの槍をさばけるかどうかが、運命の分かれ道。

「さあ、こい!」

 マンティスが槍を腰溜めに構え、男がメイスを眼前に振りかぶる。

 両雄、激突。まさにその瞬間。

 冷や水を被せるように、連なった銃声が響いた。

 無数の弾丸が、マンティスの複眼を撫でる。狙いが浅く距離もあった弾丸は、目を覆う半透明の外郭すら貫けずに弾かれたが、それによって生じた火花はマンティスの気分を害するに十分だった。彼は銃撃の元へ意識を向ける。

 射手は、倒れていたはずの健二だった。彼は、助け起こそうとした若い冒険者の手から銃を奪い、マンティスめがけて発砲したのだ。

 マンティスは首を巡らせると、健二と目をあわせる。次の瞬間、まるで鳥の羽ばたきのような身軽さで、マンティスは身を踊らせていた。いままさに激突せんとしていたメイスの男が、驚愕に目を見開く。こんな速度で動ける怪物だったとは把握していなかったのだ。

「まずい……!」

 怪物の目によぎった嗜虐的な輝きに、メイスの男が呻いた。もしあのまま激突していれば想定していなかった機動力の前に殺されているのはメイスの男だっただろう。健二の牽制のおかげでそれは現実にはならなかったが、今度は注意をひいてしまった健二が殺される。

 それをわかっているのかいないのか、健二は焦りも恐怖も消え失せた平坦な、哲学者のようなさめた視線で襲いかかってくる怪物を見つめている。その瞳に映るマンティスは変わらぬ無表情だったが、それを根拠に感情のない生き物だと判断するのは不可能だろう。

 マンティスは、人とは違う知的生命体である。昆虫ににているが、その本質は全く別の、娯楽を理解するほどの高等生命体。その言葉を、有り様を、人間は理解できない。

 だが同時に、マンティスにも人間の言葉は理解できない。振り下ろされる鎌の下で、健二が呟いた言葉など、彼の意識にも届かなかった。

「間抜け」

 斬、と刃が走り抜けた。

 鋼を割り、肉を裂く音が響く。マンティスはまだ鎌を振り下ろしていない。きょろりとマンティスが首を巡らせた直後、その体を支える左側の足が、まとめて半ばから断ち切られた。

 崩れ落ちる巨体。地響きが轟き、立ち上がる砂煙の中に、緋色の着物の姿。

「つばーーー」

 椿。名を呼ぼうとした健二の声が、不意にとぎれる。メイスの男や二人の冒険者も、困惑に目を見開いた。

 先ほどの攻撃による負傷か、椿は着物の肩口を引き裂かれて真っ赤に染めて、特徴であった赤頭巾を失っていた。その下に隠されていた彼女の素顔に、一瞬戦場であるにもかかわらず健二は見入った。

 金の髪。

 砂埃と血にまみれてもなお輝く、美しい金の長髪。その下からのぞく素顔は、どこか日本人らしい柔らかさを備えた、浮き世離れした白人の少女。一瞬だけ彼女は健二に視線をあわせたが、まるで恥じるように自らそらすと髪を払い、マンティスに向き直った。

 刃の少女が太刀を構える。手に持つ刃は、ニ刀から一刀に、形状も音叉を思わせる異様な形状へと姿を変えていた。見れば、それは二つの刀の刃を、専用の特殊な鍔にはめこんで無理矢理に両刃のブロードソードにしたものだという事が伺える。

「……燃えなサイ、”日輪サン・サークル”」

 椿が刀の銘を呟く。二刀のその真の姿の名を。

 マンティスが吠えた。片側の足を全損し、大きく重心のバランスを欠いた状態で巧みに鎌を振り回す。それを椿は身軽にかわし、合体太刀を両手で振りかぶった。そんな彼女に、槍のニ撃目が迫る。

 先ほど自分を捕らえた槍に、椿は合体太刀を翻して真正面から迎え撃った。靡く金の髪の下で、壮絶なまでに無表情のまま瞳が爛々と輝き、その様はまさに死狂い。

「ブシドーとは……」

 その神速のすり足が、紙一重で槍の切っ先をかわす。先ほど以上にギリギリをかすめた槍の巻き起こす風圧で、乱れ髪が舞い散った。だがこのままでは先ほどの繰り返しにすぎない。続けて襲い来る死骸の牙に、太刀がひらめいた。

「死す事と見つけタリ……」

 流れるような二刀流の連続攻撃とは違う、居合いを思わせるコンパクトで鋭い斬撃が瞬く。振り抜いた太刀の柄を素早く握り替え、太刀を返す必要のない合体太刀による、超高速連斬。あまりの早さに斬撃音すら重なって聞こえる。

 健二は知る術もないが、それこそ椿の振るう超攻撃型斬術の一つ、無限光斬。一瞬の間隙も空けぬ連続斬撃は、鋼鉄の隔壁すら両断する。

 そんなもはや人の領域を越えつつある魔技を疲労した椿であったが、だがしかし、相手の格が高すぎた。鍛え抜かれた鋼と技術は赤蟻の躯など霞のように粉砕してのけたが、その向こうに存在する銀色に輝く槍を断つには足りなかった。

「ァアアッ! ガッデムッ!」

 すさまじい火花が爆発のように散り、攻撃の反発で椿の身体が大きく弾き飛ばされる。宙で体制を立て直し、両足から着地した椿だったがダメージは確かなようで、膝をつき合体太刀を取り落とし、そのまま両手を床についた。喘ぐように、細い背中が過呼吸で上下する。

 対して、マンティスは健在。まるで自らの威を誇るように、槍を振りかざす。その背後にメイスの男が飛びかかったが、振り返る事なく鎌の峰で薙払われて洞窟に転がった。

「そんな……」

 若い冒険者が、絶望したように呟く。その隣で健二にアサルトライフルを奪われていた男が、倒れ込んで尻餅をついた。マンティスが彼らを高見から見下ろして、あざ笑うように牙を鳴らした。

 その顔面に、再び銃弾が叩き込まれた。

 健二だ。彼はこの状況にあって、ただマガジンを交換し、再び引き金を引いた。ぎょろりと、マンティスの複眼が彼を見据える。

「坊主……よせ……逃げろ……!」

 うめくような声にも動じず、健二は弾切れになったアサルトライフルを持ち主に突きつけるように返すと、自らのハンドガンを引き抜いた。安全装置を外して両手で構える。

 マンティスが残された足で身体を引きずった。巨体がずるずると地響きを伴って、健二に向かって壁のように押しかかっていく。気圧された冒険者二人が泡をくって逃げ出すのを横目に、健二はへしゃげた盾を拾い上げて、片手に銃をもったまま真正面から向かい合った。そのまま、引き金に指をかける。

「……頭を打ってさ。その拍子に思ったんだ」

「坊主?」

 パァン、と銃弾がマンティスの甲殻に弾かれる。それでもなお、二発、三発と引き金を引き続ける。

「俺が最初に戦った赤蟻と椿と戦った赤蟻、そしてここで戦った赤蟻。全部強さが違ってた」

 突然の話に、周囲の冒険者が困惑した。意味が分からない。

 だが健二にとっては、しっかりとした筋の通った話だ。今の健二なら理解できる。あの、一層で出会った赤蟻があり得ないほど弱体化していた事も、その理由も。そしてそれが何を意味するかも。

「当たり前だ、本来あいつらは一層ではいきられない、あがってくる前に死に絶える。それがなんで生きて一層をうろついてたのか」

 マガジン一つを撃ち尽くし、空になったそれを排出、すぐにマガジンを叩き込み、再びトリガーに指をかける。

「簡単な話だ。アイツらはこの通路をたどってショートカットしてきたんだ。だからぴんぴんしてたんだ。だけど、それはこの通路が安全だって訳じゃない」

 マンティスが吠えて、鎌を振り上げた。凶悪な刃が、ランタンの火に照らされてぎらりと光り、振り下ろされた。健二は逃げない。彼の手に握られた盾が、ぎらりと鈍色に輝いた。

「ここは、遺跡じゃない」

 甲高い金属の悲鳴が響く。

 鎌を振りかざしたマンティスと、それを盾で受け止めた健二。写真のように動かない両者の間で、ビキビキと砕ける音がする。

 盾は、変わらずそこにある。ならば、この音は。

 びしりと白銀の鎌に亀裂が入る。それは植物が地に根を張るように広がっていき、やがてぼろぼろと欠落を始める。その果てに最後に一つ甲高い音をたてて、鎌は完全に崩れ去った。

 驚愕か、憤怒にか。動きを止めたマンティスに、健二が銃の狙いを定めた。先ほどまでは通じなかった弾丸、しかし今は。

 白銀の欠片を振りまいて、分厚い装甲が弾けた。ギッ、と声をあげてのけぞるマンティスめがけて、さらに連続で弾丸が叩き込まれる。両腕の付け根の部分、左の複眼、腹部と次々と頑丈だったはずの甲殻が容易く打ち抜かれ、青紫色の血が迸った。

 それを目の当たりにして、我に返った若者二人が手にしたアサルトライフルの引き金を引いた。ハンドガンとは比較にならない段幕が、瞬く間にマンティスの全身を打ち据える。今度こそ、明確にマンティスは苦痛の悲鳴をあげてのたうった。

「知恵をもったのが仇になったな、虫。自分を傷つけた相手をなぶろう、なんて考えなきゃよかったのに。でなけりゃ、こっちはとっくに全滅だった」

 ハンドガンは弾切れ、連射で手に持てないほど加熱してしまったそれを地面に投げ捨て、健二が盾をもって近づく。頭から血を流しているにも関わらず、その負傷を感じさせないしっかりとした足取り。

 向かうマンティスは、アサルトライフルの連射を全身に浴びて血を流し、倒れ伏している。デストロイヤー・マンティスはきわめて強大な怪物だ。本来生息している階層すら、その実力に見合わないほどの。故に彼らは常に、肉体崩壊ギリギリの領域で活動しており、その生命限界は常に臨界状態にある。そんなマンティスが、化け物の生存範囲である遺跡の外にでて、あまつさえ交戦によって損傷を受けた。限界を短時間で突破するのはごく当然の結果だ。

 本来ならば、デストロイヤー・マンティスは足の一本や二本、短時間で再生する能力をもっている。故にマンティスは、自らに手傷を負わせた生意気な小動物達を遊び殺す事で鬱憤をはらそうとしたのだろうが、それ故に限界を越えてしまっていたことに気がつかなかった。もはやかつての圧倒的な力強さは失われ、死にかけの虫のように手足をひくつかせるだけだ。

 だが、それでもマンティスは怪物だった。

 ぎらり、と残された複眼に光が灯る。力なく投げ出されていた槍が不意に持ち上がり、不用意に近づいたとみられた健二に振り抜かれた。死を装っての不意打ち。

 それを健二はまるでわかっていたかのように盾を構え、その刺突を正面から受け止めた。

 衝突音が響き、両者が動きを止める。

 健二は鎌を受け止めたまま、マンティスは槍を突き刺したまま。生き残った周囲の冒険者達は、固唾をのんでそれを見守った。

 やがて。

 ずるり、と槍が力なく崩れ落ち、盾の表面にひっかき傷を残すようにして地に転がる。その持ち主は、すでに複眼から光を失っていた。

 それを見届けて、健二は一言つぶやき、そのまま崩れ落ちた。

「盾……ぐっじょぶ……」

「ええ、good job」

 その身体を、柔らかく受け止める繊手。健二が首を上げれば、彼を微笑んで見下ろす笑顔。金の髪、隠されていた碧眼は見覚えが薄いが、その控えめで寂しげな面影にはあの赤頭巾が重なって見えた。

「椿……」

「はい。ご苦労様でした、健二サン」

 完全に身体に力の入らない健二の身体を引き上げるようにして肩を持つ。そんな彼女に、仕方ないとばかりに身体を預けた健二は、同じように生き延びた面々と目をあわせた。

「よ。ご苦労さん」

「あ。あ、ああ……。助かった、のか? 俺たち」

「多分な」

 健二が苦笑すると、若い冒険者はためらいながらも状況を把握したのか、仲間と顔を併せて笑みを浮かべた。が、すぐに我に返ってメイスの男を助け起こしにいく。

 幸い、メイスの男は意識もはっきりしていたようで、同僚に助け起こされるようにしながらもその表情はしっかりとしていた。彫りの深い顔に不器用な笑みを浮かべて、彼は健二に感謝を述べた。

「すまんな。助かった、ルーキー。いや、命を救われておいて、ルーキー呼ばわりもないな」

「いいさ、事実だ。……仲間の事は、傷み入る」

「仕方ないさ。こういう商売だ。……それで」

 チラリ、とメイスの男がその隻眼で椿をみる。薄闇の中でも映えるその金髪に、男が眉を潜めた。

「あんた、外国人だな」

「…………ッ」

「……? いや、それがなんだ?」

 俄に立ちこめる剣呑な雰囲気。無言でにらみ合う椿と冒険者達に、この場面でそのような展開になる事が理解できず、健二が戸惑ったように声を上げる。

「おい待てよ、椿がいなかったら俺たち全員死んでたぞ。そもそも、お前らを助けようといいだしたのは椿だぜ?」

「て、健二サン!?」

 困惑の声を上げるが、健二はもともと見捨てるかどうかで迷っていた人間だ。それが助けにいくのを決めたのは、彼女の信頼のまなざしを浴びて恥じたからであり、実質彼女が彼らを助けたに等しい。

 だがそれを告げられてもメイスの男の態度は軟化する事はなかった。

「助命に感謝する。それは事実だ」

「あんた……!」

「いいんデス、健二サン」

 先人として一角の敬意を払っていた相手の不義理な対応に健二が声をあらげるが、それが暴発する前に椿が止めに入った。何故だ、と彼女をにらみつける健二に、椿は目と鼻の先で困ったように笑って首を横に降った。その笑みは、諦めと傍観に満ちていた。

「仕方ないんデス。私は日本人ではナイ……あの、かつてこの都市に要らぬ地獄を招いた者達と同じ、外国人なのデス」

 それは、椿が語ってくれた話の顛末だった。それを聞いて、健二は全てを理解した。

 メイスの男はわかっているのだ。椿に何の責任もない事を、彼女が命をかけて助けてくれたことを。それがわかっていて尚、彼は椿を拒絶するしかできないのだ。かつて受けた裏切りの、あまりの傷の深さ故に。それを知っていたから、椿は赤頭巾で顔を隠し、一人で生きていた。

 そう、一人だ。

 頭の奥をガンと殴られたようだった。お金がない? 武器に使い切った? そんな事を、椿は自分から一言として口にしなかった。健二が勝手に勘違いしただけで、椿はその幸せな勘違いを訂正しなかっただけだ。

 何故か?

 決まっている。この、哀れで愚かな新人に、先人としての責任を、果たそうとしてくれたのだ。誰も感謝しない事をわかっていて。

 混乱と自省と恥ずかしさに、健二は言葉を失った。そうするうちに椿と健二、そしてメイスの男が率いるパーティーは無言のままに道を引き返し、無言のままで地上に戻った。

 そして駆けつけてきたZunftの人員に事のあらましを伝えて、そのまま無言のままに分かれていったのだった。


「…………」

 気まずい、と健二は内心で唸った。

 帰り道。椿と健二は無言のまま、身を寄せ合うようにして線路を辿っていた。だが、朝と違い、彼らの間に会話はない。もくもくと、なにかに突き動かされるように足を動かす。一度、無人トラックが通り過ぎていった時に足を止めたが、それ以外はずっと無言で歩き詰めだ。

 そのまま延々と沈黙が続くのではないかという疑問。だが、それは不意に破られた。

 椿が苦痛に呻き、足を止める。その肩口……簡単に包帯で止血したはずのそこから、かなりの勢いで血が再び広がり始めてるのを目の当たりにして、健二は滑稽なほどに慌てた。

「あ、だ、大丈夫か!?」

 おろおろと椿の肩口を支え……その細さにあっけにとられる健二。先ほどまで支えられる側だったので気がつかなかったが、考えるまでもなく椿は健二とそう変わらぬ少女である。大太刀を振り回す様で忘れていたが、肉体的には彼より遙かに華奢なのが道理だった。

「あ、いや、その。緊急時だから、その、ごめん」

「……プッ。ふ、フフフ、フフフッ」

「ちょ、ちょ、笑うなっ」

「ごめんなサイ、でも、でもおかしくっテ……」

 くすくすくす、と笑う椿に、心配したのに、と健二は顔を背けてむくれた。だが、この様子だと傷はそう深刻でもないのかもしれない。考え直して彼女の肩を支えて歩き始めた彼に、笑いを止めた椿が、ぼそりと呟いた。

「貴方は、私の髪の色、嫌わないんデスネ」

「……いや、それは」

「わかってますよ。健二サン、外からきたんでしょう?」

 言い迷う健二に、あっさりと椿は看破していた事実を告げる。その断言に健二は一瞬動揺したが、しかしすぐにそれを沈めた。よく考えるまでもなく、健二はこの都市について無知にすぎた。少しみればわかることだった。

「ああ、そうだ。だから別に俺は……」

「その気持ちは嬉シイ。でもわかったでショウ。この都市において、黒髪でないというのがどういう意味カ。そして、そんな人間の近くにいる事が、どういう事カ」

 突き放すような口調だった。

「それは……」

「お互いに、楽しい時間を得ラレタ。一時の寂しさを癒セタ。……それでもういいデショウ。やっぱりここで分かれましょう、私達。今すぐ引き替えして、酒場をのぞけば、きっと今日の冒険者達が休んでいるハズ。彼らに申し出れば、健二サンならすぐにデモ……」

「君は、どうするんだ」

「別に。これまでと何モ」

 いいままで通り、一人で。誰とも交わらず、廃墟で人目をしのんで夜を明かす。そして日が昇れば、生きるか死ぬかの遺跡探索へ。

 そんな不毛な人生を、なんの気負いもなしに、椿は肯定した。まだ二十も生きていないであろう少女が。

 それを。健二は肯定するべきか、否定するべきか迷った。

「……なあ」

「なんでショウ」

「別にさ。椿さんの生き方を否定するのも、肯定するのも……多分、俺にはできないと思う。俺は俺で、椿さんは椿さんだし……特にさ」

 ごくりと唾を飲んで。健二は恥を承知で続きを口にする。

「情けない話だけど、ここで俺の言葉で椿さんの主義を曲げるって事は、椿さんの人生の一部に俺が責任を持たなくちゃいけないって事になるんだと思う。本当に情けないけどさ。俺は多分、それを背負えない」

「……」

「だからさ、椿さんを否定するとかそうじゃなくてさ。ただ、俺の話を聞いてほしいんだ。何で、俺がこの町にきたかって事」

 そして健二は語り始めた。自分の過去を。

「気がついてると思うけど。俺はこの町にすんでた訳じゃなくて、それにそもそも自分の意志でここにきた訳でもないんだ」

 そうして、彼は、この都市にきてから誰にも話したことのなかった自分の事を語り始めた。

 健二は、都市の外……未知の驚異に汚染されていない世界の住人だった。怪物も、ウィルスの恐怖も知らず、毎日のように朝がきて、昼を過ごし、夜が来る、そんなサイクルを疑わなくて良い世界の住人。そのはずだった。

 しかしそれは一晩で一転した。健二を愛し、養ってくれていた両親の事故。入院手続きをすませ、明日からの事に頭を悩ませる健二を待ち受けていたのは、実家の前でたむろする見覚えのない柄の悪い男達だった。

 聞いた事のない、莫大な借金。覚えのない契約書。恫喝してくる男達から辛うじて逃れた健二は、当然助けてくれるものと最寄りの警察署に駆け込んだ。

 だが、結果は彼が都市にいる事が示している。市民を守るのが仕事のはずの警察は、関わり合いになるのをおそれるように健二をぞんざいに扱い、理不尽な契約がまるで健二の意志で行われたかのように断定して逆に彼を問いつめるような事まで口にした。当然、警察がそんな対応だから、他の人間が彼を助けてくれるはずもない。それどころか、ヤクザ者に追い立てられる彼に面白がって石を投げるような者までいた。そんな状況ではうかつに両親の元へ顔を出す訳にもいかず、やがて彼は捕らえられた。

 結局、最後まで、何一つとして罪を犯していなかった健二を助ける者などいなかった。

 健二にとってそんな世間の対応は、世界そのものに裏切られたに等しかった。

 正しい事をしていれば報われる。警察は、市民を守る事が仕事。困っている人がいたら助けよう。そうあれかし、と育てられ、それを常識としてきたのに、その全てが虚構だった。

 やがてヤクザ者に監禁された健二は、同じような立場の者達と一緒にトラックに押し込められて都市まで連れてこられ……そして、自警団とヤクザ者達の乱戦のさなかに逃げ出した。ヤクザが健二達さらってきた市民を何に使うつもりだったのかは知らないが、どうせロクでもない事なのは間違いだろう。

 聞き入る椿の隣で、健二はうまく言葉にできないように、もごもごと言葉を濁した。

「だから、さ。なんていうか、その、だな」

「……大変だったんデスネ」

「お、おう」

「ナラ。なおさらノ事。私とはこれっキリ……」

「だから! 俺にとって、そのな! 世間の人間なんて、薄情な奴ばっかりで、ビタ一文意味がない存在って言うか、その、だな……ああもう、じれったい!」

 突然健二は声を荒げると、ばっと椿と正面から目と目をあわせた。え、と固まる椿の両肩をがっしと掴んで、彼は一度しか言わないからな、と前置きした上で叫んだ。

「見知らぬどうでもいい他人と! 一緒に命張って、助けてくれた椿さんとが同じな訳ねえだろ! いいか、他人なんてどうでもいいんだよ、俺は! うわあああいっちまったうわあああ!!」

 自分の叫んだ内容の青臭さに自覚があるあまり、健二は突如奇声をあげると全速力で線路の上をつっぱしった。盛大に枕木の残骸にけっつまづいて、そのまま転がっていく。ガゴンガゴンと盾が跳ねて異様な音を立てていた。

 無理もない。聞きようによっては、ほとんど告白まがいの内容だ。黒歴史に認定するに十分すぎる。

 そんな一人コントを披露している健二を、椿は呆然と見送って、何秒もたってからようやく、その顔を真っ赤にするのだった。


次の投稿は、二月十五日です。

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