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その都市、現実にして幻想  作者: SIS
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第五章 潜れ! 地下遺跡



 遺跡への入場はすんなりと済んだ。

 急な話では会ったが管理は徹底しているようで、Zunftで発行されたパーティー証明書と椿の持つZunft履歴書の提示で、お役所仕事らしく何事もなく遺跡に降りる事ができた。

 だが順調だと思っていた健二の思いこみは一階層への敷居をまたいだ瞬間に消し飛んだ。

「……なんだこれ」

「あ、分かりますカ」

 袖で顔を隠して呻く健二に、椿が感心したように呟く。だが健二からすれば、気がついて当然の状況だった。

 押し寄せてくる、ぬめりとした血なまぐさい空気。背筋にぞくりとしたモノを感じさせる、言語に尽くしがたい、違和感に満ちた静寂。

 二度にわたって健二を受け入れた遺跡とはまるで違う、死と苦痛に満ちた空気に、健二は思わず息を飲んだ。

「なんでこんな事になってるんだ……?」

「サァ? それが分からないから、Zunftも封鎖しているんじゃないデショウカ。もし原因を突き止められたら大金星ですネ」

「そんな冒険をするつもりはないよ……」

 拳銃と盾を腕に持ち、遺跡の中に踏み込んでいく。その前を哨戒するように椿が先に出た。

「取り決め通り、斥候は私ガ。健二さんはカバーをお願いしマス」

「了解した」

 うなずきあって、遺跡の中へと進んでいく。地図に従って、未記入の部分を埋めることを優先して探索する。

 ちなみに今回、地図は健二の物を使用している。椿は当然、一階層の地図など完璧に埋めているのだが、それでは健二の地図も埋まらないし、経験にもならない。そのため、椿の申し出で、今回は彼の主導で探索する事となったのだ。

 流石に一度見知っただけにこのイレギュラーな状態であっても椿の足取りに迷いはなかった。それどころか探索を続ける内に彼は椿の腕前を誤認していた事を思い知る事になる。

 椿は一流ではない。超一流の冒険者だった。

「きましたヨ!」

 何度目かの接敵。いつも真っ先に気がついて声をあげるのは椿の方だった。健二からはまだ遺跡の暗がりしか見えない状況で、彼女がすらりと大太刀を鞘はしらせる。

 そしてそれに会わせたように、通路の向こうからシャカシャカと歩み寄ってくる暗い赤色の影。あの赤蟻だ。その姿を認識する前から、健二は拳銃を構えていた。椿の警告に併せて戦闘に突入するのはもう初めてではない。慌てることなく金属製の照準器にその姿を重ねて引き金を引く。

「牽制する!」

 バンバンバン、と乾いた音ともに遺跡の暗がりに銃火の閃光が煌めく。

 あくまでも牽制の一撃。元々ダメージを与えられるとは思っていなかった銃撃だったが、それでも銃弾だ。それなりの殺傷力は備えているはずのそれは、突進してくる赤蟻の歩みを刹那すら遅らせる事なく甲殻に弾かれたどころか、チキン質の甲殻の滑りを帯びた光沢に傷一つつけられない。

 ちっ、と舌打ちをならす健二を後に、椿が太刀を両手に踏み込んだ。

「参りマス!」

 抜き身の太刀を煌めかせて、椿が疾走してくる赤蟻に正面から踏み込んだ。たとえ知性を持たない昆虫であっても、その刃の煌めきに驚異を感じ取ったのだろう。赤蟻がガチガチと顎を鳴らして威嚇する。その顎前に、椿は戸惑う事なく身を晒した。

「左ノ月輪」

 シャアンと金属同士が擦れ合って、背筋を凍らせる澄んだ響きが遺跡に木霊する。

 鳴らした楽器は、鍛え抜かれた刃と刃。椿の振るった太刀が赤蟻の大顎とかち合い、そして流れるように切り裂いた音だ。まるで良く研いだ彫刻刀を木に走らせるようにして、赤い甲殻が袈裟懸けに両断される。

 顎ごと頭部と胸部を斜めに切り裂かれて、尚赤蟻は止まらなかった。突進してきた勢いそのままに、椿の華奢な体をその体躯で押しつぶそうとする。その複眼からは、いかなる感情も苦痛も読みとれない。

 だが、すでに勝負は決まっている。

「右の群雲、花に風。ソレコソ武士道」

 二撃必殺。一撃目で致命傷を受けた段階で、赤蟻の運命は決まっていた。その巨躯を、椿の右の太刀が縦に割断する。

 赤紫色の鮮血を振りまいて、即死した赤蟻の死骸が二手に分かれて地面に転がる。その間に挟まれて、太刀を鞘に納めて残心をする椿。その姿は、完全に無防備だ。

 だから即座に追撃にかかったもう一体の赤蟻の突進を受け止めるのは、健二の役割だ。

 暗闇にマズルフラッシュと見まがう火花が弾ける。赤蟻の大顎と、健二の盾がせめぎ合って立てた、衝撃の火花だ。

「うぐっ……?!」

 盾の後ろで、健二が呻く。先日と違って、超合金の盾は赤蟻の突進をしっかりと受け止め、変形もしなかった。だがその一方、衝撃をもろに受けた健二はそのあまりの重さに呻いた。全身の骨がきしむような嫌な感覚に冷や汗がでる。

 それでも、突進は受け止めた。だが赤蟻は足を床に着け、力任せに盾を押しやろうとがむしゃらに顎を突き立ててくる。その一撃一撃が、まるでツルハシを打ち立ててくるようだ。不規則に加わってくる強烈な圧力に、盾を構えるバランスが崩されそうになる。

「だ、駄目だ……受けきれない……」

「健二サン、流シテ!」

 そこに、かばうべき椿からの指示が飛ぶ。それに従、タイミングを計って斜めに受け流せば、ずるりと滑る感じとともに衝撃の向きが変わるのが分かった。消失した圧力に素早く身を翻した健二と入れ替わるように、椿が赤蟻の前にでる。

「タァッ!」

 ギギン、と二連の太刀筋が閃く。冴え渡る剣技によって、首と腹部のつなぎ目を両断された赤蟻が、バラバラのパーツになって床に転がった。頭と腹を失った胴体はそれでも三対の足をカサカサと蠢かせ続けているが、直に動かなくなるだろう。

 生命力が高いってのも考え物だな、としりもちをついたままそれを見やる健二に、椿が手をさしのべる。

「健二サン、ホラ」

「あ、ああ。すまない。受けきれなくて。よっと」

「いえいえ。健二さんの経験を考えると、受けられる方がおかしいのデスヨ。とりあえず、ちょっとそこで休んでてくだサイ」

 椿は苦笑すると、太刀を納め胸元から小太刀を取り出した。それを振るえば、赤蟻ニ体の腹が速やかに裂かれ、内容物をあふれ出し始める。それを慣れた手つきでまさぐり、レアメタルを取り出すと彼女はさっさと腰の巾着に納めた。

「はい、回収完了デス。もう歩けますか?」

「ああ。迷惑はかけない」

 本当はまだちょっときつかったが、健二はそれを隠して強気に頷いた。

「それにしても、これで赤蟻何匹目だ? ちょっといくらなんでもおかしいだろ……」

「えエ。本来はもっと下に生息している怪物なのデスガ。何故それが生きて、それもこんな元気に一階層にいるのデショウ。これでは、とても下位の冒険者が冒険など出来まセン」

「ああ、やっぱそうだったのか。……。こういう事って、今まで一度もなかったのか?」

「いえ、過去に一度だけ、このように遺跡内の怪物が急激に強くなった事はありまシタ。デスガ、その時は理由がはっきりとしていたノデ……」

「へえ、前にもあったんだ。どんな原因だったんだ?」

 それは軽い好奇心から放たれた言葉であり、間違っても悪意の類があった訳ではない。

 しかし、健二の問いに、椿の雰囲気が頭巾の上からでもわかるほど明確に落ち込んだ。

「あ、あれ。何かまずい事を聞いた?」

「……イエ。そうですね、健二さんがどういう経緯でこの街に来たのかは知りませんが、最近冒険者になったというなら知るはずもありマセン。……お話シマショウ」

「い、いや、つらい話なら別に無理しなくても……」

「イイエ。この都市に住まうなら、できれば知っておいた方がいい話デス。……それに私も、はなした方が気が楽になるかも知れまセン」

 歩きながら話しまショウ、と椿は先にいってしまう。その背中の寂しさに、健二は戸惑いながら後を追った。


 それは大震災が起きてから、半年程が経過した時の事だと椿は語った。

 当時、都市は謎の死病によって隔離され、インフラも完全崩壊した状態で酷く荒廃していたらしい。それでも、今ではオリジナルイレヴンと呼ばれる十一人の最初の冒険者の活躍により遺跡からレアメタルが産出する事実がもたらされ、外部との交易の為の交渉がなんとか形になろうとしていた。

 そんな中、国連からかなり大きな部隊が、突如として都市に派遣された。派遣目的は、復興支援。事実上、都市への来訪は社会的な死を意味するために、最初都市の人々はその挺身隊に感謝した。

 だが、すぐにそれが嘘であり、間違いであったと市民は知った。

 その部隊は国連派遣であったものの、その大部分は中央大陸のある国家の私兵に等しく、そしてその目的は復興支援などではなく、遺跡から産出するレアメタルだった。

 彼らは充実した最新装備をもってして、当時遺跡探索を行っていた冒険者やZunftの起こりとなる集団を危険因子として隔離し、市民を暴力でもって従えた。そして多数の現代兵器の火力をもって、まるで鉱山を発破するかのように遺跡での採掘作業を開始したのだ。

 それまでの努力でなんとか形になりかけていた交渉を潰され、築き上げてきたなけなしの生活を踏みにじられ、糧となるはずだった遺跡のレアメタルを独占された市民達の反発は強かったが、問題の部隊はきわめて暴力的かつ刹那的な思考の集団であり、反抗には多大な流血を伴った。無論、全ての部隊がそうではなく、米国をはじめとする他国籍の部隊が彼らを諫めようとする場面もあったが、それで止まる相手ではなかった。

 また、元々都市部は情報封鎖の対象であった為に、国連部隊の妨害もあって彼らの横暴を外界に伝える事もできず、人々は過剰なストレス下にあった。どういう訳か、携帯電話をはじめとする弱い電波は外界に通じず、また届かず、そして通信可能な設備は全て押さえられていたのも大きかった。

 そんな中、遺跡にてあるトラブルが起きる。生息していた怪物の急激な強大化、それによる現代兵器の無力化。ただ炭鉱を掘り返すような単純作業に準じていたはずの国連部隊は、たちまち生死をかけた戦いに飲み込まれ、あっけなく壊滅したのだ。

 これについては、今でこそ原因がはっきりと判明している。理由は、国連部隊の行った現代兵器による過剰火力の投入だ。それは怪物を殲滅すると同時に、遺跡に手痛いダメージを与えた。結果、もたらされた過剰なストレスによって遺跡の生態系そのものが激変。まるで遺跡そのものが生きていて彼らの暴虐に怒るかのように、桁外れに強大な、いわゆる免疫をもった怪物が誕生したのだ。

 そして最悪な事に、当時の国連部隊はそれを理解する事ができなかった。故に彼らは愚直にさらなる大火力を投入し、いたずらに怪物を強大化させ、ついには遺跡から叩き出されてしまう。地上に溢れかえる、過去とは比較にならぬほど強大な怪物達を前に、事態を招いた大多数の部隊のとった手段は一つ。

 逃亡したのだ。

 復興支援の名目で来ていた部隊が、例え題目であったにしろ復興させるべき地域をさらに荒廃させ、何の責任もとらずに、ただ逃走した。無論、全ての部隊が撤退したはずもなく、アメリカ兵や自衛隊、EU兵は果敢に応戦したのだが、それでも大多数の兵士がわき目もふらず遁走したのは事実である。

 後に残されたのは、あらがう以外に選択肢の残されぬ市民達と、僅かな兵士だけだった。


「……といった感じデス。故に、今回は違うと断言できますネ。この事件以降、階層に見合わぬ過剰火力の投入は、Zunftによって徹底的に検閲されてマスカラ」

 最後にそう安心させるようにつけたして、椿は話を終えた。

 その話ならば、健二にも覚えがあった。ただ、外にいた健二は、国連が政府の要請に応じて部隊を派遣し、防疫の不手際で感染者がでた、という風に話を聞いていた。確かに、武装した部隊を国内に招き入れる事への反発はあったし、そのあとの撤退があまりにも急で、かつ感染被害を出した事など不可解な事も多く、それに対する疑問の声は外でもあった。それがまさか、真相がそのような事だったとは知らなかった。

 本当なのか疑う気持ちはある。だが、その出来事が余程耐えがたいのか袖から除く腕から血の気がひく、を通り越して真っ白になっている椿を見れば、少なくとも彼女自身の認識を疑う気にはなれなかった。

「あ、ああ。よく分かったよ……でもその、大丈夫か?」

「ええ、大丈夫デスヨ」

 とてもそうは見えないんだが、と健二は口の中で呟いた。しかし、本人が意地をはっているのを指摘しても意味がないだろう。

 こういう気まずい時は話題を変更するに限る、と健二は地図に目を落とす。印と、目の前に広がる通路を見比べて、次はどこにいくか考えた。

「っと、椿さん。次、右に行こうと思うんだが」

「了解しまシタ。あ、デモ」

「なんだよ」

「そっちは確か行き止まりですヨ。まあ、ちゃんといってみるに越したことはないんですガ。いや、しかしここに来たのも久しぶりですヨ。左にいっても下への階段では遠回りですし、一度地図を埋めた経験者は絶対にこっちまできませんカラネ」

「そういうところもあるのか。教えてくれればいいのに」

「何事も経験デスヨー」

「はいはい。行き止まりか、わかってるなら無理にいく必要もないよな。今は状況が変だし」

「それもそうデスネ」

 頷きあって、左に進もうとする二人。

 その後ろ髪を、風が擽った。

「?!」

 バッ、と振り返る二人。背後には、行き止まりにつながっているはずの通路が、薄暗く延々と続いている。

「……行き止まり、だよな」

「その筈、デス」

 互いに確認する。だがそこで、再び風が吹いた。さっきよりも強く、はっきりと。そして間違いなく、風は通路の奥から吹き込んできていた。

「椿さん、余裕は?」

「全然いけマス。健二さんハ?」

「オッケーだ。……行くぞ」

 明らかな異常の予兆に、いっそう慎重に、二人は通路を進む。進めば進むほど、通風ははっきりと存在感を増していく。

 やがて数分も歩いて、椿の言う行き止まりが見えてくる。壁面というより、窪みのような、まるでモグラが途中で掘るのをやめたような中途半端な形で、通路が途絶えている。

 その一角に、穴が開いていた。ちょうど人一人が潜れそうな、明らかに後から開けたとおぼしき穴が。そして通風はあきらかにそこから吹いていた。どこかにつながっている証拠だ。

「……ワォ」

「ビンゴかよ」

 予想はしていたし、期待もしていた。だがいざ目の前にして二人の口からこぼれたのは困惑の感情だった。健二がコンコンと盾で穴の横を叩くが、崩れる様子はない。定着しているようだ。

「……あるのか、こんな事」

「ありえないデス! もしこんなのが許されるなら、遺跡探索は到底家業として成り立ちませんヨ!」

「だな。って事は人が開けたって事か? ここ、あまり人がこないんだろ?」

「それも可能性は低いデス。遺跡は、内部からの衝撃に滅茶苦茶頑丈なんデスヨ。さっき話したでしょう、国連ノ横暴。あの時だって、ダイナマイトで発破しても完全には崩れなかったンデス」

「内部から、ね……」

 かがみ込んで、健二は穴の出口をいろいろと探ってみた。成る程、遺跡の壁面だったとおぼしき層は、感触は石なのに鋼鉄のような密度を感じる。だがその向こう、壁の中だったと思われるところは、只の土のようだった。

「……多分、だけど。あれだよな。同じ堅さの壁があったとして、その向こう側に土が詰まってるのと、空洞になってるの……どっちが壊すのが楽か、って話だよな、これ」

「遺跡の外から掘られた穴だって言うんデスカ……?」

「あくまで多分、だけどな」

 コンコン、と土の部分を叩いてみる。それは遺跡の壁ほど不条理な強度をもっている訳ではなかったが、さりとて簡単に崩れてくる訳でもないようだ。どことなく、何かでコーティングされているような感じがする。例えるなら、ツバメの巣や、トックリバチの巣のような感じだ。泥に何かを混ぜ合わせて強度をあげているかのような。

 少なくとも、人の仕事ではないだろう。

「いや、しかしこれが原因なのは間違いないんだろうけど、どこにつながってるんだ、コレ」

「少なくとも十階層よりは下デショウネ」

「……やっぱ、やめとくか?」

 健二が撤退を進言する。臆病風に吹かれたのではなく、現実的な難度が跳ね上がった事を考慮しての事だ。それを聞いた椿も、頭巾越しに顎に手をやって考え込む。

「そう、ですネ。少なくとも、これを発見しただけでもZunftにとってはきわめて重要な報告ですシ……無理は」

 その時だった。

 穴の向こう。どこまで通じているか分からないトンネルの向こうから、複数の悲鳴とおぼしき声が届いてきた。

 椿とはっと顔を見合わせる。耳をすますが、悲鳴はその一度きりで続けて聞こえてくる事はない。だがよく聞けば悲鳴ではない、叫ぶような声が微かにまだ聞こえてくるではないが。

 どうする、と健二は自問する。恐らく悲鳴の主は、トンネルを発見し、それから奥に進んだ先客達だろう。そしてそれはすなわち、健二にとっての椿のような凄腕を引き入れて、それでもなおカバーできない異常に遭遇したという事だ。

 助けに行くべきではない、と彼の理性が訴える。冒険者として不要なリスクを犯すべきではないし、何よりここで健二達が助けにいって戻れなければ最悪このトンネルの報告が遅れ、さらなる犠牲者、さらなる被害が都市に生じる危険性がある。冒険者としての義務として、ここは一度引き、Zunftにトンネルの事を伝えるべきなのだ。

 だが。それはあの悲鳴の主達を見捨てるという事だ。少なくともまだ生きていて、それであらがっているであろう、彼らを。

 引くべきか、引かざるべきか。

 健二は悩んで、悩んで。ふと、椿の意見を仰ごうとして彼女を見た。いや、もっといえば迷ったが故に、彼女の意見にすがろうとしたのだ。頭巾越しに、彼女と目があう。

 彼女は、ただ健二の意見を待っていた。共にパーティーを組む身として、遺跡のおける道を任せた身として、ただ彼の意見を待っていた。

 行くなら行く。引くなら引く。

 それは消極的な考えからではなくて、短い間だがパートナーとして信じると決めたからこその考えである。健二とは違う。

 だから、それを目の当たりにして、健二は……。

「……ああ、クソッ!」

「健二サン!?」

「ここで見捨てたら、冒険者とか、そういうのの前になんていうか、人間じゃねーだろ! こういう場合! 悪いか! 悪いよな! どうせ温室育ちの甘ちゃんだよ俺は!」

 盾を構えて、健二はトンネルに潜った。後を、泡を食ったようなあわてぶりで椿が追う。そんな彼女に恥ずかしくて顔を会わせる事もできず、健二はトンネルを邁進する。

 すぐに真っ暗になって道が分からなくなった。

 思わず足を止めた彼の横で、ぼっ、という音の後、暗闇を照らし出すように光が灯った。椿が、携帯ランタンに火を入れたのだ。提灯のような形状をしたそれを腰にぶら下げて、椿が頭巾の向こうで微笑んだ。

「恥ずかしがらなくていいと思いますヨ。そういう人間らしいのって、悪くないと思いマス」

「……」

 椿の言葉に、健二はそっぽを向く。

 彼女は勘違いしている。健二が恥ずかしかったのは、組織なんて信頼できない、頼れるのは自分だけ、一人でいきるために冒険者になる、などと嘯いておいて、結局それまで生きてきた社会の欺瞞に満ちた価値観に縛られてなにも変われていない自分を恥じたからだ。

 それでも。勘違いであっても、椿の気遣いが、嬉しくなかったわけではない。

 実際のところ、健二からみて椿は怪しい部分の多い人間だ。多すぎるといってもいい。それでも実際にこうして遺跡で死線を共にすれば、疑わずにすむ事もわかる。彼女が健二を陥れる人間ではないという事だけは、少なくとも。

「急ぎまショウ。先は私が勤めマス」

「ああ、その、頼む」

 その後は無言で、先をいく椿の後を健二が追った。

 道は複雑に入り組んでいて、ところどころに落とし穴かと思うような縦穴があったりと奇怪な構造だった。それを、椿は暗闇でも見えているかのように、危なげなく駆け抜けていく。道順などわかりもしなかったが、幸いにも声を頼りに近づけば近づくほど、武器を打ち鳴らす音、奇怪な鳴き声といった目印が増え、大きくなっていった為に迷う事はなかった。

「あれデス!」

 椿が、ランタンを掲げて叫んだ。明かりの指し示す先に健二達とは別の明かりがある。その明かりの元で、無数の数え切れない赤蟻に囲まれて壁を背に応戦する三人の冒険者の姿。いずれも男性で、無精ひげの浮かんだ顔を苦悶に歪めて赤蟻の顎と必死に競り合っている。

「健二サン! 支援を!」

「ああ!!」

 足を止めて拳銃を構える。バンバンと発砲すれば、それはいくつかはずれるものの何発かが赤蟻の比較的柔らかい腹部を撃った。だが流石に貫通どころか凹ます事もできない。だがそれで十分だった。こちらの存在を認識したであろう赤蟻は、人のように振り向く事こそなかったものの一瞬挙動を止める。

 そこに、椿が殺戮の旋風となって切り込んだ。

 ニ撃必殺ではなく、とにかく相手に手傷を負わせる目的の、太刀による薙払いニ連。赤蟻数匹の足が纏めて宙を舞った。

 無論、赤蟻も黙ってはいない。即座に反撃しようと反転し、その直後に背後から胴体を叩き潰された。

「感謝する!」

 声をあげるのは、追いつめられていた冒険者の一人だ。彼は手にしたメイスを赤蟻の死体から持ち上げ、別の赤蟻めがけて振り下ろした。それを顎で受けとめた赤蟻の首を、椿の太刀がはね飛ばす。その背後をねらった襲撃を、今度は健二が割って入ってガードし、彼を冒険者達がカバーする。

 気がつけば少数の冒険者を数で囲っていたはずの赤蟻は、逆に挟み撃ちにされる状況に陥っていた。こうなれば、いくら赤蟻達が常軌を逸した怪物であってもどうしようもない。前にも後ろにも、強靱な生命力をもった彼らを絶命させうる使い手がいるのであっては、本能に頼った動きしかできない彼らが殲滅させられるのは、時間の問題であった。

 やがて最後の一匹を椿がまっぷたつにするのと同時に、冒険者達は精魂尽き果てたように倒れ込んだ。カラカラと彼らの使っていたランタンが床を転がり、ふっと火がかき消えた。

「ぐ……ぁ……ふぅ……」

「助かったぜ、ボウズども……あんがとよ」

 倒れた冒険者の中、一人だけがなんとか膝をついて身を起こし、健二達に礼を言う。先ほどの赤蟻を一撃でしとめたメイス使いだ。彼は武器を杖のようにしながらもかろうじて自分の力で体を支え、自分たちよりも遙かに年若い少年少女に頭を下げた。

「おかげで命拾いをした……だがずいぶんと無茶を」

「わかってるさ、そんな事」

 口をとがらせる健二。彼はが苛ただしげに赤蟻の死体を足蹴にするのをみて、メイスの男は苦笑を浮かべて「そうかい」と笑った。

 そんな彼を椿が冷静に品定めをする。年の頃は30過ぎ、上下を軍人が着るような厚手の衣服を纏ってその上から金属製の重鎧を纏っている。その下には隠しきれない無数の手傷。右目には眼帯をはめていてその下から見える傷をみると隻眼か。装備の質、肉体に刻まれた負傷、それらを考慮すれば恐らくこの中年男性は椿と同レベルの実力帯だろうと判断する。

 続いて、地面に倒れたまま自力で起きあがる事もできず、健二とメイスの男に助け起こされている二人。彼らはまだ若い、二十代前半か。装備は皮の衣服に金属防具を会わせる都市特有のスタイルで、剣とアサルトライフルを揃えた基本に重きを置いたセッティングだ。武器の磨きも悪くない。が、輝きからして既製品。近接武器を使えるようになっているところをみれば健二ほどのぺーぺーではないが、かといって中級者と呼ぶにはまだ青い。通じるのは五階層というところか。

 素早く算出した彼らの総合戦闘力を考慮して、椿は頭巾の向こうで目を細めた。

 おかしい。彼らがいかに赤蟻が強敵といえどここまで疲弊している事態が。数に押されたと考えることもできるが、この熟練者らしきメイスの男がそのような事態を許すとも思えない。

 そこでふと椿は彼らの装備を見ていて、違和感を覚えた。

 足りない。

 メイスの男は純前衛、倒れている二人は中衛より。パーティーを構成する上でバランスが崩れている。そういうチームという考えもないわけではないが、おそらく違うのではないか、という不安が頭をよぎる。それを声にすべきか迷っていると、先に椿が口を開いた。

「残りハ」

「椿さん?」

「チームの構成にはセオリーがありマス。セオリーというより、それは遺跡で生き延びるための血の鉄則。他に前衛がいた筈です……少なくとも一人!」

「…………」

 椿の問いかけに、メイスの男は口を噤んだ。状況を把握した健二が、困惑に眉を潜める。

 その時だった。倒れて意識を失っていたと思われた若者が、かすれた声で問いに答えた。

「ふた……りだ……。しんがり、を……」

「馬鹿、言うな!」

「やはりデスカ……」

 椿が確信を得て頷き、メイスの男がくっ、と呻いて顔を反らす。蚊帳の外の健二は、ひたすら困惑するだけだ。

「どういう、事だ?」

「彼らは本来五人のメンバー、うち三人が手練れのパーティーだったという事デス。恐らく余程のイレギュラーに遭遇し、前衛二人が足止めをしてそこの三人が離脱スルモ、ここで赤蟻に追いつかれた、という事デショウ。口にしなかったのは……彼ら也の矜持と見受けられマス」

「……ああそうさ。ここで助けて貰っておきながら、むざむざあいつらの助けまで頼めるか。連中の矜持にも関わる」

「認識の相違デスネ」

 つまる所、何の縁もない相手にこれ以上の危険を負わせたくないが故に、メイスの男は殿に残った仲間の事を黙っていた。これはそういう話だった。高潔な冒険者の、矜持の話。

「……なんだ、それ」

 それに、健二は困惑する。

 あり得ない。そんな綺麗事、この遺跡という地獄にあっていいはずがない。人は汚い生き物だ。利がなければ手を取り合わず、簡単に裏切って人を貶める。そしてその汚さを自覚しているからこそ、表向きは清廉を装うのだと。

 かつて健二がそうされたように。

 自分自身がたった今、衝動のままに目の前の男達の為に命を張った事を忘れてそんな事を考える健二。そのあたりを素直に受け止めるには、彼は些か捻くれすぎていた。

「さて、どうしますか、健二サン」

「え?」

「助けにいくのか、いかないノカ。判断ヲ」

 健二の懊悩など知らないといった風で、椿が指示を求めてくる。心なし、三人の冒険者を救助してから椿の口調が堅いというか、冷たいというべきか。他人の目があるからなのかも知れないが、その突き放すような口調はかえって健二に落ち着きをもたらした。

「俺は……」

 今日、遺跡に潜ってから幾度となく健二に問いかけた選択肢が、今また、彼に問いかける。

 いくべきか。いかざるべきか。

 懊悩の果てに、健二は答えを口にしようと。

 不意に。遠くから、音がした。

 ソレに一番早く反応したのは、やはりというべきか椿とメイスの男だった。椿は太刀の柄に手をやりながら素早く振り返るとランタンを翳し、メイスの男は懐からハンドガンを引き抜く。それらの一連の動作を目の当たりにして、健二が遅れて銃を構えた。

「……な、なんだ?」

 困惑したような健二の問いかけに、しかし椿も男も答えない。椿の手にしたランタンが、光源のない遺跡の一角をじっと照らし出している。

 その光の中に、よろよろと歩み出てくる影が一つ。影は一歩、二歩とふらつくように歩きながら、力なく顔をあげて健二達と目を会わせた。

「あ……」

 影は、人間だった。

 プロテクターとコンバットスーツで固めた全身に刀傷とおぼしき重傷を負った、30過ぎと思われる男。あらゆる装備の概念が混在する都市では珍しい近代の兵士を思わせる装束は平時なら目に頼もしく映ったのかもしれないが、見る影もないほどずたずたに引き裂かれ、疲労と出欠にか落ちくぼんだ眼窩も虚ろ、死相も露わに辿々しく歩む姿はどこかゾンビのようだった。

 その有様に気圧されてしまう健二だったが、はっと我に返ると彼は銃を片手に駆けだす。手当しなければ、というごくありふれた判断の行動だったが、それに椿とメイスの男が声をあげた。

「行くなっ! 止まーー!」

「健二サン! 逃ゲテェ!」

 制止を求める声に、何故、と健二が足を緩めた。そして彼は見た。

 駆け寄った怪我人の背後にぼう、と浮かび上がった巨大で歪で致命的な何かを。

 その輪郭を見極めるよりも早くそれは闇の中に消え、直後。眼前で立ち尽くしていた怪我人の胸から、何かが激しく尽きだした。

 ぴっ、と。健二の頬に、生暖かい何かが飛び散る。

「   え 」

 健二の足がとまる。

 怪我をしていた男は、口から大量に血と泡を吹き出しながら、胸元を押さえた。そこから突き出すもの……巨大な鎌のような銀色の何か。突き破られた胸元から、次から次に溢れ出すように血が流れ出していた。

 ぐ、と銀色の突起物が、まるでひっかけるかのように角度を変え、怪我人ごとランタンの明かりの外へと消えていく。闇の中に消え去る直前、怪我人が助けを求めるような視線で健二を見つめ、血にまみれた手をのばしたが、それはすぐに見えなくなる。

 堅い物と湿った物を纏めて砕いたような、何重もの異音が響いた。

 一定のリズムで響くそれとは別に、雨が降っているかのような大量の水滴音が闇に響く。何の音。何かの音。

 完全に忘我してそれに聞き入っている健二の手を、暖かい指が掴んだ。

「健二サン!」

 椿だ。彼女は健二が茫然自失しているのを見て取ると、「すみまセン!」と一言謝り、彼の体を横抱きに抱え上げた。不意に視界が急激に傾いて平衡感覚を失った健二が我に返って慌てるが、椿はかまわず素早くメイスの男の元まで下がると、いささか乱暴に健二を地面に投げ出した。

 そして素早く抜刀。その背後で、健二は「いててて……」と洩らしながら、頭をさすりながら顔をあげた。その前に、庇うようにメイスの男がゆっくりと歩みでる。

 その顔は、恐怖と絶望と、想像を絶する怒りで歪んでいた。

「アイツだ。アイツのせいで俺たちのパーティーは壊滅し、そして仲間は命を落とした」

「アイツ……?」

 ズン、と地面が揺れる。

 地震? 違う。地震はこんな揺れ方はしない。まるで水面に立つ波紋のように、一定の方向から伝わってくるような揺れ方は。

 ズン、ズンと振動はさらに続く。やがて、その震源が、ゆっくりと明かりの下にその全容を新たにした。

 その姿に、健二が呻いた。

「……何の冗談だ……」

 困惑と拒絶を込めた人の子の嘆きに、キシシシシ、と人ならざる存在が歯をすりあわせて答える。それは、まるで笑っているようだった。

 現れたのは、赤蟻など比較にも鳴らないほど巨大な昆虫のようなナニカだった。銀色の甲殻。全高4mに届こうかという巨躯。全体的な雰囲気はカマキリに似ている。だが、断じてそれはまともな生物ではない。

 普通、昆虫というのは三対六本の足を持つ。だがこの怪物は、ニ対の足で地面を歩き、ニ対の腕を威嚇するように掲げていた。それだけなら、実際は昆虫ではない、とでも説明できる。だが、この怪物がそんな科学の範疇にはないという事を示すかのように、その腕はあり得ない特徴を誇っていた。

 上の一対、これは蟷螂の鎌を思わせる形状。いったいどれほどの獲物を引き裂いてきたのか、幾重にも重なった複雑な形状の刃は、斑に変色し元の銀色をとどめていない。左の鎌には、まだ真新しい血がべったりとついている。

 そして下の一対。鎌ではなく通常の昆虫の節足に近い形状をしたそちらの腕とよべる部分。先端に二つにわかれた鉤爪をもったその足は、器用に細長い棒を支え持っていた。まるで、槍のように。

 いや、はっきりと言おう。それは間違いなく、槍であり、武器であった。なんらかの金属を磨き上げたかのような光沢をもった、馬上槍にも似た形状の武具。その切っ先には、まるで団子のように、赤蟻の頭がずらりと串刺しにされている。その中に、血の滴る人間の腕が混じっていた。

 健二の理性が、軋みをあげた。

 赤蟻や銀蟻はまだ、生物学的にそんな逸脱してはいなかった。まだ納得できる姿形をしていた。だが、こいつはなんだ? あきらかに生物学の範疇を飛び越えた、遺伝子の頸城から解き放たれたようなこの異形は。

 そして何よりその異形もさる事ながら、しとめた獲物の亡骸をまるで見せつけるかのようなその様子には、ぎらぎらと輝く複眼から感じる確かな視線には、猿や犬とは比較にならない高い知性を感じる。残虐な、邪悪な知性の存在を。

 椿が呻くようにその名を口にする。

「デストロイヤー・マンティス……! 十階層の”死を撒くモノ”……!」


お疲れさまでした。次の投稿は二月十三日です。

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