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その都市、現実にして幻想  作者: SIS
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第三章 真紅の衝撃




 湿った石造りの階段を降りて、健二は再び、遺跡の一階層に舞い戻った。怪しげな蝋燭の明かりの下で、彼は気持ちを引き締める。

「さて、と」

 どうにも最近、独り言が増えた。健二はそんな風に考えながら、首もとに巻いていた布を解いて手に取る。裏には、チョークで何事かが描かれている。

「……情報収集の大切さを身にしみて思い知ったな。まさか、最初に渡されるこの特殊繊維の布が、地図の下地だったなんてなぁ。意地が悪いっていうか」

 なお、記録に使うチョークはZunftで言えば無料で貰える。地図の紙がそんなもので出来ているのは万が一にも破れないためと、懐にいれる事が多いため万が一の致命傷防止に役に立つから、との話だった。

 黒い布に白で描かれた道順。記憶を頼りに虎心王とたどった道を示したそれを確認すると、健二は遺跡へと踏み行った。

 あの時とは違い、虎心王はおらず、右手には貧弱な銃一つ、左手にはいまいち信用ならない盾が一つ。なんとも頼りない布陣だが、やるしかない。

 一歩一歩を、覚悟と共に踏みしめて歩く。

 そんな事をしていてはすぐに精神力が底をつくだろうが、それでも健二はそうせずには入られなかった。曲がり角の度に今度は一人で向こうを確認し、盾の影に隠れながら道にでる。時折、遠くから銃声が聞こえてきて、その度に彼は壁を背に盾を前に翳して身を竦めた。単発であったり連射であったりと銃声は様々だったが、それらは決まって長続きせず、三十秒もまてば途絶えていった。何故途絶えたのか、それを考えるのがおっくうになって健二は頭を振ってそれを忘れた。

 もし彼が一月ほど早く、遺跡に潜っていたのならその違和感に気が付いていただろう。だが、彼は今日が二度目のニュービーで、かつ今更気がついても間に合うはずがなかった。

「……まずいな」

 足を止めて休みながら、健二は一人呟いた。思ったよりも体力の消耗が大きい。記憶を頼りに描いた地図はところどころ間違っていたというのも、負担に輪をかけている。一度足を止めてしまうとそのままずるずると腰が落ち、彼は通路の真ん中で壁際に座り込んだ。

 ある程度気を抜ければいいのかもしれないが、それをするには前回インセクトに殺されかけた記憶が鮮烈すぎた。気を抜いた瞬間、あの銀色の顎が喉元にかかっているのではないかという妄想が、常に彼を追い立てていた。

 頭では分かっているが、こればかりはどうしようもない。

 やはり予定を変更するしかない、と健二は判断した。本来なら地図にある程度新しいルートを記録したら戻るつもりだったが、この疲弊具合では命取りになりかねない。前回、虎心王がインセクトを倒し、指輪を手に入れた区画まで移動できたらそこから折り返すべきだと考え直して腰を上げる。

 その時だった。チキチキという何かのこすれる音が聞こえてきたのは。

 音量としては僅か。距離すらも分からないそのささやきに、しかし健二は過剰反応し、結果としてそれが彼を救った。

 ほぼ反射的に両手で構えた盾。透明のポリカーボネートの装甲を通しての魚眼レンズのように歪んだ視界で、彼ははっきりとみた。薄暗くはっきりとしない遺跡の通路の闇の奥から、赤色に光る装甲が一瞬で距離を零にするのを。

 深紅の胡乱な複眼と盾の装甲ごしに目が合う。だがそれは本当に一瞬の事で、健二の思考が動き始めるよりも早く、透明な盾に真っ白なひび割れが走り、盾にプロレスラーの腕が生えてぶん殴ってきたのかと錯覚するかのような衝撃が彼を襲った。

 健二の足が地を離れる。そのまま彼は受け身もとれずに、ごろごろと鞠めいて遺跡の堅い床を転がった。その回転の合間、ガン、ガンと盾が石の床にぶつかり、硬質な音を立てた。不意に何かのでっぱりに強く背を打って、健二は肺から息をはいた。回転が止まる。

 静寂が戻る。

 健二が苦しそうに息をする音と、何かがチキチキと音を立てている以外、何もない。遠くで、カランと石の転がる音がした。

 何が起きたか分からない。健二は必死に深呼吸を繰り返しながら、盾にすがるようにして身を起こした。奇怪都市製のポリカーボネート製のライオットシールドは、突撃してきた何かを受け止めた上半分が蜘蛛の巣状にひび割れ、真っ白に変色している。それでも砕けず、健二を向かってきた何かから守ったのは賞賛に値するだろう。

 その、突撃してきた何か。それは、健二からわずか数メートル程のところで、逆さになって蠢いていた。

 一言でいえば、インセクトの色違い。銀色ではなく血のような暗い赤色をした巨大な蟻が、逆さになったまま起きあがれずに足をカサカサと蠢かしていた。周囲には甲殻の破片であろう赤い飛沫が散乱しており、何やら触覚のようなものも一本、ごろんと転がってもいた。

「インセクト……じゃ、ない」

 呆然と、一向に起きあがれる様子のない蟻を見つめる健二。が、彼はすぐに我に返る。今は起きあがれないからいいものの、あんなのが起きあがって襲ってきたら今の彼では逃げることもままならない。彼は懐をまさぐって拳銃を取り出した。人肌に温まった生ぬるい鉄塊は、握りしめる指には温かった。

 眼前には、今だ逆さになったままカサカサと足をかき乱す巨大な蟻の姿。脳震盪でも起こしたのか、起き上がる事もおできないでいるらしい。……だがもしあれが起き上がってきたら、健二に成すすべはない。この遺跡で、初めて蟻と遭遇した時の事が頭に過る。あの時、虎心王の助けがなければ。健二は確実に死んでいた。

「お前が……お前の方が!」

 殺されないためには。今、殺すしかない。

「お前が!!」

 至近距離で銃を構える健二。この距離、例え素人であっても外しようがない。狂ったようなリズムで、15発の銃声が鳴り響いた。起きあがれない蟻の甲殻に、金属版を叩いたような音をたてて次々と9mm弾が穴を穿つ。

「死ね! 死ね! 死ねぇ!」

 ガチガチガチ、と球切れになった拳銃のトリガーが音を立てる。マガジンを投げ捨てるように交換し、さらに引き金を引く。

 やがて、手持ちの弾丸のおよそ半分を使い切って、ようやく健二は我に返った。手の中には、やけどしそうな程熱い拳銃と、およそ半分の重さになった上にぼろぼろの盾。そして全身に飛び散る返り血。眼前には、輪郭が崩れるほど蜂の巣にされた蟻の残骸。もはや生命の片鱗も感じられない躯を前に、健二はくたりと腰を落とした。

「……は、はは。やった。やったぞ……!」

 かすれた声で、力なく笑う。通路の壁際まで這っていって、背中を預ける。視線を上げれば、反対側の壁のあたりに爪で削りとばされた盾の上半分が転がっているのが見えた。手元の残りに目を向ける。

 この盾がなければ、この局面は乗り切れなかった。そもそも、初遭遇時の突進を盾で防げなければ、健二は壁の染みになっていた可能性もある。

「……いいな。うん、盾いいな!」

 笑顔で盾を掴んで頭上に翳す。傷だらけでひび割れて白く変色、もう反対側も見通せない有様のポリカーボネートの盾は、しかし歴戦の勇者のように光り輝いて見えた。

「盾、最高!」

 そうしてここに、一人の盾信者が誕生したのだった。


 一方、地上ではある騒動が起きていた。

 遺跡一階に続く昇降口。そこに人が集まるのは常の事だが、今日は様子が違っていた。遺跡の奥から担架で次々とけが人が運び出され、手負いの冒険者が仲間に肩をかりてどうにかといった体で歩く。そんな彼らの流す血で、出入り口は真っ赤に染められていた。

「こいつはひでえな」

「死人もかなり出たらしい。何があった?」

「意識の残ってる奴の話だと、階層に不釣り合いな化け物が出たらしい」

「上位冒険者の連中はまだか? 低階層での物量戦がないと出荷資源が足りなくなるぞ」

 ざわざわと冒険者ではない遺跡関係者も含めてざわめく。

 そんな時だった。

 突然、遺跡の入り口から何かが飛び出してくる。悲鳴を上げて逃げまどう民衆をよそに、それは力なく地面に重力に引かれてたたきつけられ、床を新たな色で塗りつぶした。

「な、なんだぁ?」

 しばらくあって、飛び出してきた物が地面に横たわったまま動かないのを見て取って、勇気のある者からその正体を確認するために近づいていく。

 それは巨大な蟻だった。だが、一階層で出現する銀色の大蟻ではなく、血のような暗い赤色の巨大蟻だ。それは絶命しているのかぴくりとも動かない。よく観察すれば頭から腹部の先までひどく鋭利な何かによって切断されており、それが致命傷と見て取る事ができた。その鋭い切り口は為した者の腕前をうかがわせる。

 カツン、と石畳を叩く足音が響いた。顔を上げる民衆の前に、遺跡の中から今まさに、一人の人影が日の下に姿を表す。

「それが一階層に出現していた怪物デス」

 現れたのは、紺の頭巾で顔を隠した一人の侍だった。緋色の和服を靡かせて音もなく歩く。だが、口にするのは鈴を鳴らすような可憐な少女の声色。ややイントネーションの変わった発音が、どこか不可思議な雰囲気を醸成している。

 この都市において、ちぐはぐな装束の者は珍しくもない。が、その中であっても少女の佇まいは、かなり変わっている方だった。だが彼女が唯奇妙な出で立ちだけの人間ではないという事は、その腰に差された二本の大太刀と、和服に染み着いた返り血が物語っている。

「こいつは、あんたがやったのか?」

「エエ。Zunftから調査の依頼を受けていて、二階層で遭遇しまシタ。間違いなく、十回層前後の怪物ですネ。幸い、かなり弱っていたようデスガ」

「ほかにはどのぐらいいた?」

「分かりマセン。一度、徹底的に洗い直したほうがいいと思いマス」

「ああ、分かった」

 その場にいた中の代表らしき男がうなずき返し、続けて化け物の死骸に目を向けた。彼ら一般市民がまず見る事のない深い階層の化け物の死体は、同時に貴重な研究資料になりうる。ただの死体だからと彼が自由にできる訳ではない。

「と、それよりもこの死体の扱いなんだが……あれ?」

 男が目をしばたたかせる。確認を取ろうとした相手……和服の女侍は、しかし忽然とその姿を消していた。どっちにいったのか周囲にも訪ねるが、しかし誰もその姿が消えるところを見ていなかったようで、誰もが首を振る。

「なんだ……? 何か急いでたのか?」

「顔も隠していたし、発音もなんか変だったし、何か隠すような事のある人間だったんじゃないのか?」

「ばっか、そんな奴をZunftが放置して、あまつさえ依頼までするかよ」

「ほら! お前等、さぼってないで仕事に戻れ! そこの、ぼうっとしてないでZunftに伝令、伝令!」

 しばしば残された人々は奇妙な女侍について語り合ったが、所詮談笑の域を出ることはなく、それぞれの仕事に戻っていった。場を仕切っていた男も、放置された死体を回収すべく、負傷者を運んで戻ってきた若衆に指示を出し、荷車を用意させる。と、そこで彼は、蟻の死体にひっかかっていた妙な物に気がついた。

「……金の糸?」

 蟻の甲殻の棘にひっかかる、金色の糸。つまみ上げてみると、それは人の髪の毛のようだった。日系人がほぼ九割を占める都市内では珍しい。

 何故、こんなものがここにあるのか。男はしばし考えるが答えがでる事はなく、荷車をもってきた青年の声にその疑問は棚上げにされ、そして永遠に思い返される事はなかった。


お疲れさまでした。次の投稿は二月九日です。

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