第二章 孤独の歩み
なお、本作は割と伝記的かつSF的な裏設定が多数存在します。おおよその突っ込みどころはそれで対応できているつもりなので、そのあたりの繋がりを意識して読んでいただけると作者が幸せになれます。
第一章 孤独の歩み
「今日はお世話になりました」
「いいって事よ」
Zunftの入り口横で、健二は虎心王に頭を下げた。それを、気さくに受け取る虎心王。
あのインセクト討伐の後、二人は大人しく遺跡を引き上げた。初心者へのインストラクションとしては十分な成果をあげたし、初めての探索で健二の消耗具合を計ったというのもある。回収できたレアメタルは僅かだったが、それでも健二の懐は少しばかり暖かくなった。
「それにしても、意外と高く換金してくれるんですね、遺跡の産出品」
「そうでないと冒険者がオマンマの食い上げだからな。なんでも、産出品は天然の鉱石でも純度が高いんで一般的な鉱石に比べれば換金率がいいらしい。ま、今回は大人しく受けとっとけ。次から自分で手に入れなきゃならないんだから、その支度金って事だ」
「はい」
頷く健二の腰には、真新しいポーチがある。中に入っているのは購入したマガジンだ。そして一緒に、虎心王推奨の道具屋への紹介状もある。
その店は、一般人でも入れるような店だが、やはり紹介状があるとないとでは話が違ってくる。お金を使わない範囲での、虎心王なりの心遣いだ。
「でも、いいんですか?」
「ん? なにがだ?」
「あの指輪ですよ。インセクトの腹からでてきた、あの指輪。本当にもらっても?」
健二は、指の間で光る金属輪を見せながら問いかけた。その指輪は、遺跡でインセクトの腹からでてきたものであり、明らかな誰かの”遺品”だったのだ。
遺品ならば然るべき相手に渡すべきなのではないか、という健二に、虎心王は遺跡の中と同じ、少し悲しげな表情で首を横に振った。
「生きている本人から奪ったんならともかく、お前さんがしとめた相手の腹の中から出てきたのなら、それはお前さんのものだ。遺跡で落としちまった物はもう誰の物でもないのさ」
「……はい……」
渋々と頷く健二。彼がこうも渋るのは、単純に人道的な罪悪感だけではないのだろう。もし自分が遺跡で倒れても、その遺品を弔う事はおろか、それが知りもしない第三者の収入になるだけという無情な冒険者の末路に、思うところがあったのだろう。
「それでは、虎心王さん。私はこれで」
「おう。ま、明日から頑張れよ」
ペコリと最後に挨拶をして、健二がボロポンチョを風に靡かせて夕日の街を去っていいく。アイツどこで寝るんだろうかと考えながら、虎心王はその小さな背中が見えなくなるまで彼の事を見送った。
「……で。聞きたいことがあんだろ?」
「ええ。すいませんね」
虎心王が振り返らずに建物の合間に呼びかけると、答える声があった。陰から姿を見せずに受け答えする声は、若い女性のものだったが、しかし今時声を変えるなどいくらでもできる。実際、虎心王がこうして会話するとき、相手が同じ声だった事など一度としてない。
声の主は、Zunftの影。過去に起きた国連派遣部隊とのトラブルを考慮して、都市の自治体が作った暗部組織だ。その正体を知るのは都市運営のごく一部であり、しかし彼らの恩恵には街の全ての住人があやかっている。話題にもなった不法侵入もZunftの影が調べ上げたことだ。
「彼。どうでしたか」
「まあ、自由意志で逃げ出したってのは間違いない。あくまで俺の勘だが、自覚的にしろ無自覚にしろスパイって感じはしなかったな。挙動に軍事訓練の欠片も見て取れなかったし。普通の、一般人あがりの冒険者にしか見えなかったが」
「そうですか。やはり貴方に依頼して正解でした。貴重な休日をつかってくださった事、感謝します」
「いや、それはいいんだ。こっちも、アンタに知らせないといけないことができた」
「……指輪の事ですか」
「ああ。あの指輪、ざっと見たが……一階層どころか、五階層ぐらい下ったって、手に入るもんじゃなかった」
健二の手に入れた指輪。虎心王の見立てだと、あれはそこらの駆け出しが持てるような代物ではない。特殊な鉱石を埋め込み、その発する特殊な磁場によって精神を安定させるという効果をもった、”マジック”と呼んでいい貴重な代物だ。そんなものを持っているのが駆け出しであるはずがなく、そしてまた、そんな人物が一階層のインセクトの腹に収まってしまうはずがなかった。
明らかな異常でありそれは同時に、異常事態の前触れだ。軽くみていい案件ではない。
「インセクトそのものは確かに階層を行き来するが、それでも上下に数階だ。連中の縦穴そのものがそんなに広くないからな」
「……インセクトにその冒険者が倒された可能性は? 負傷した帰り道で襲われれば、いくらインセクトといえど」
「ならば一階層をうろつく多数の冒険者から報告があがってるだろ。それがないって事は、死体は一階付近にはないって事だ。考えられるのは……」
「インセクトそのものが、何らかの手段で遙か深層まで移動した、か」
「ああ。そうとしか考えられない。んでもって、インセクトが移動できるって事は、他の連中も移動できるって事だ。コイツはちいと、ヤバいぜ」
インセクトは最弱の怪物だが、それでも人の手に余る化け物だ。だが、下にいけばいくほど、怪物達はより強大かつ凶暴になる。そんな連中が無秩序に拡散しないのは、遺跡の構造によるものが大きい。それによって、階層と怪物達の強さの比率はある程度のバランスでもって保たれている。
だが、その前提が崩れてしまったら?
それは地獄が現出するという事になる。遺跡からの産出物が文字通りの命綱である都市にとっては死活問題だ。
「わかりました。こちらでも調査してみます。先日の件が、もしかすると関係しているかもしれませんね。彼らが、いったいどこで、拉致してきた人員を働かせるかは分からないままでしたので」
「おいおい、いいのか、そんな事いっちまって。機密事項だろ?」
「ええ。でも貴方はこんな話を聞かされて、黙っていられる人ではないでしょう?」
「人を無報酬で使うつもりかよ……」
げんなりと虎心王がつぶやくが、返事はなかった。振り返ると、裏路地の入り口に数枚、都市で使われている金貨が置いてある。ルーキー一人の教育代金としては規格外の報酬を、しぶしぶ虎心王は懐に納めた。
これにて、依頼成立だ。
「やれやれ」
健二は帰路についていた。
彼にこの地の家はない。都心から一時間ほど歩いた先にある、かつて住宅街だった廃墟。その一角の、比較的原型を残している廃屋が彼の住まいだ。その家は数ある廃屋の中ではドアが取れていなければ窓ガラスも割れておらず、風と朝露を凌ぐには絶好の場所だった。庭には、野生化したトマトが真っ赤な実を実らせている。それをついでに一つもぎって、健二はがぶりと噛みつきながら立て付けの悪くなったドアを潜った。
風化の度合いがまだ低い廊下を、埃に新しい足跡を刻みながら歩く。行儀悪く歩き食べるトマトは世話を放置されているにも関わらず瑞々しく、旨味もあり、トマトってこんなんだったっけ、と健二は内心首を傾げた。
廃屋は、震災から数年たっても未だかつての住民の生活の息吹が染み着いていた。恐らく取るものも取らずに出たのだろう、まるで生活の一部を切り取ったような状態のまま、それらは静かにゆっくりと朽ちていた。幸いにして現代家屋、それも比較的新しいものだったからか、すぎた年数に対して腐敗具合はほとんどなく、埃さえ掃除すればまだまだ現役で使えそうではあった。
最も、この家屋が本当の意味で元に戻る事はないのだろう。震災から数年、未だに住人が帰ってこないのは、都市部に住みなおしたか、あるいはあの忌々しい死病に倒れたかのどちらかだろう。
「……死病、か」
健二はなんとはなしに、己の手を見下ろす。握って、開いて、握って。骨と皮と肉と、血の詰まった己の体。それは、彼の知る彼の体と変わらない。なのに、今の彼は都市を一定以上離れれば死んでしまうのだ。全身に水泡ができて、古いボロボロのスポンジのように体が崩れて、ぐずぐずの血と肉と汁の塊になって崩れてしまう。そうやって、数万人もの人々が死んでいったのだ。
それは、むしろ外の世界の健二だからこそ、身に染みて理解していなければならない事だった。この都市が奇怪都市となった原因である震災、その後で世界中で起きた謎の伝染病による大量死。そのバイオハザードの中心に、必ず震災からの生存者がいた事は周知の事実。その事が、今もなおこの都市が外界から隔離されている最大の理由なのだ。街という形をとっても、外界と貿易によって経済の流れに組み込まれていてもここは間違いなく、死の監獄だ。
それを知っていても、なお信じられない自分がいる。もしかすると、あの境界線を越えてもなんともないんじゃないのか。今こうしているのは、質の悪い悪夢なんじゃないのか。そんな考えが頭をよぎる。
とてもじゃないが、納得できない。
それでも、納得しなければ生きていけないのだ。そして生きていくためは、考え行動しなければならない。例えそれが博打であったとしても、だ。
この廃屋の片隅で、何日も横になって得た結論を、今またこうして反芻する。
「冒険者、か」
トマトをかじりながら、今日の収入を確認する。僅かな探索で得た収入は、それでも数日の食を彼に約束するものだった。街をさまよいながら見た、店のバイトやZunft勤務に比べれば天と地ほどの差がある。
正直、彼にとっては嬉しい誤算だった。健二が冒険者を選んだのは、身分証明がなくともできる仕事という事が重要で、収入は二の次でしかない。そしてそれよりも、大きな理由がいくつかある。
一番の利点は、力だ。冒険者は、その身分証明もかねて武装の携帯を許される。それは、目にも分かりやすく、確かな力だ。
そして何より、冒険者はZunftの支援を受けるが、Zunftに支配される事はない。その分その自由には責任も伴うが、犯罪行為に荷担する等の極端な行為をしなければ都市で生きていく事は十分可能だ。
税として普段から資金を吸い上げておきながら、いざ助けを求められたときに何もしない、してくれない組織。身に覚えのない契約を盾に人の人生を奪おうとする組織。そんな連中と関わらず、独立独歩で活動できる冒険者という立場が、健二の望むものだった。
「俺は……もう誰にも利用されない。利用させない。俺を縛る奴は、力でどうにかする。そうだ……その自由と責任が、今の俺にはあるんだ」
熱で浮かされたように、拳銃を見つめて呟く。
深刻な組織に対する不審。それが今の健二の行動原理を支配するもの。
彼が被害者の身の上であるにも関わらず都市の庇護を受けず、命を投げ捨てるような職である冒険者を選んだ理由。
そして同時に、多くの先人が選びその多くが半ばにして倒れた道だった。そういった生き方を選ぶ者が、冒険者になるともいえよう。ただ健二は自分のことを客観的に判断できているとは言い難く、そのことに思い当たってはいなかったようだが。さらにいえば冒険者という存在そのものが、Zunftの支援なしでは成り立たないという事実も、今の彼には冷静に考える事ができていなかった。
と、思い悩んでいた健二の腹が、くぅ、と音を立てた。考え込んでいたのもあるが、そもそも今日は初めての探索で死の危険に直面するなど肉体的にかなりの負担を強いられていた。体が不服を訴えるのは当然といえよう。
「腹が、減ったな」
昨日と違って、今日は食べ物がある。取り出すのは、竹を割って作られた原始的な弁当箱。収入の一部を使って、露店で購入してきたものだ。
竹皮で編まれた紐をほどくと、空腹には破滅的な香りが漂ってくる。中に入っているのは、川魚とキノコを一緒に蒸したものだ。中身を行儀悪く摘み上げて口に放り込む。途端に、口の中に広がる幸福。
確かに味付けは塩だけのシンプルなもの、だがそれが淡泊で柔らかな魚の味を引き出し、それに香り高いキノコの風味が加わって別品である。ほんのり感じる甘味はバターだろうか、それが脂身の乏しい川魚に適度なジューシーさを与えている。腹が減っているのもあって、これまで食べたどんな料理よりも美味に感じた。
夢中になって中身を貪ると、気が付けば竹筒は空になっていた。逆さにふっても出てくるのは水の滴だけで、肩を落とした健二は竹筒を枕に横になると目を閉じる。
間髪入れずに襲ってくる睡魔。明日ちゃんと起きれるだろうかを気にしつつも、健二は意識を手放した。
翌日。
遺跡の前に佇む、防弾布をスカーフのように首もとにまいた少年の姿があった。彼は足を厚手のジーパン、上を数枚のTシャツを重ね着した上から厚手のジャンパーを羽織り、いかにも一般市民出身の駆け出し冒険者といった風情である。言うまでもなく、健二である。
昨日の収入と、廃屋から失敬した衣服で装備を新調した彼は、先日までの浮浪者じみた状態からいっぱしの駆け出し冒険者、といった所まで身形を整え直していた。その手には、相棒となったハンドガンに加えて、虎心王推奨の半透明な盾が装備されている。
虎心王推奨の、ポリカーボネート製の盾である。
手にするのは初めてだが、正直かなり頼りないと健二は判断していた。特に向こう側が見えるというのが丈夫な印象を与えないのだろう。とはいえ、堅いのは間違いないようで、わざわざ彼はそれをサンプルに銃弾を撃ち込んでみて確認もした。防具としては、確かに十分な強度があるというのは認めざるを得ない。
「勧めるだけのことはあるって事か」
まだ慣れない盾を、担ぎやすい姿勢を試行錯誤しながら呟く健二。正直、彼としてはやすく装備が手に入るならという判断である、虎心王を信頼した故の行動ではない。
彼が虎心王に従ったのは、虎心王本人が口にするように彼と行動する上でのリスクとメリットを天秤にかけた結果、メリットに傾いたからにすぎない。遺跡内で命を救われたが、だからといって彼を信用できるほど健二の心はウェットではなかった。かといって本質として健二という少年は人嫌いではなく、まさに今の、盾の持ち方をあれこれ変えては重心が安定せずフラフラとする彼の歩みのように、彼の心のバランスは常にグラグラと傾いている。
そんな自分自身の状態を理解しているのか、しないのか。どちらであっても、彼が冒険者である限り遺跡に挑むしかない。そして遺跡は、挑戦者がどうであろうとただ受け入れ、生かし、殺す。
健二は未だ、その事を理解していない。
次の更新は二月七日です。