魔王様、優雅じゃない一日
魔王様の朝は早い。
学校の夏休みに合わせて少しだけお休みを貰ったはずが、身の錆というか誤爆というか、返上されてしまったので、寝坊は許されないのだ。
「ん……」
魔王様の居室は歴代の人間が過ごしやすくしようと頑張った結果なのか、壁紙から調度品に至るまで美しく煌びやか、贅沢の限りを尽くしている。
その広すぎる部屋には花の形をした魔法のランプがほんのり灯り、重たいカーテンが開かれるまで室内を優しく照らす。
さらに天蓋が外界との空間を遮断しているため、時々、朝がいつのか忘れてしまう。
暗闇は、借金取りから逃げる手段だったからなぁ。
物音を立ててはならない、声を上げてはならない、息をしてはならない。
馬鹿親父は狙ったようにその時だけ帰ってこないから、あの薄くて敗れそうな扉を叩かれる音は本当に嫌いだ。
まぁ、馬鹿親父がいても意味ないけど。
「いいにお……い」
天蓋の隙間から香る、コーヒーの匂い。
しろすけは宰相のくせに食事から給仕、魔王の世話まで何でもやってしまうエキスパートなもんだから、いつも起きる時間と同時に、甘いコーヒーを淹れてくれる。
ミルクと砂糖は多め、コーヒーは薄め。
寒ければジンジャーやブランデーを、気分が乗らない時はチョコレートやナッツを、ほんの少し溶かす大人のコーヒーは、魔王城に来てから初めて知った。
【王様セット】で防御壁を張った防御壁は朝と同時に切れているので、しろすけが朝から居室にいるのにも慣れている。
最初こそ警戒したけれど、慣れって怖い。
そもそも、目覚まし時計の無い世界だから、しろすけに起こして貰わなければ学校も遅刻しているだろう。
目覚ましくらい開発できるか日本から持って来ればいいのに、高位魔族は基本自由な起床と体内時計で十分らしく、魔力の少ない低級魔族が面白半分に持つくらいらしい。
スマホや腕時計を持っていない私には、公共の場の時計って、結構大事なんだけどな。
これだけはどれだけお願いしても、用意してくれなかった。
「おはようございます、陛下。どうぞこちらを」
「はよー」
天蓋が開けられると、朝日がまぶしい。
いつもどおり肩にショールを掛けられ、コーヒーを受け取る。
今日もミルク多め、砂糖多め、ソーサーの上にはオレンジチョコレートが一欠けら。
飲み終えると身支度。
寝室の隣にあるバスルームは贅沢な作りで、時間があればシャワーだけではなく湯船にも浸かる。
お風呂から出ると、いつもどおり制服に着替えて隣室のダイニングへ移動するのだが、その前に必ずしろすけが小言を言いながらも、楽しそうに髪を乾かし丁寧に梳かすのだ。
しろすけ自身、髪の毛が長いから、きっと手入れはマメにしているだろうし、几帳面な性格から考えると私の大雑把具合が気になって仕方ないのかもしれない。
美容院代が無いんだから、テキトーは仕方ないじゃんかよ。
その間に私は赤マントを羽織りながら、予定表に目を通す。
宣言どおり、明後日から城外の視察がビッチリ組まれているのを見ると、くろすけの犠牲は無駄だった。
「陛下はまだ学生のご身分でいらっしゃいますから、予定は短めに組んでおります。ご学友とのお付き合いも出来るよう、今日と明日は予定を空けておきました」
「そらどーも」
急に行こうと言っても難しいだろうから、明日行けるか聞いてみるかな。
管理人室にある電話を借りるついでに、ちょっとブラブラするのもいいかもしれない。
今までなら考えられなかったことが、日常になりつつあることに安心する反面、頼りきりのダメ人間まっしぐらコースを進んでいるという恐怖もある。
本当に自分、卒業して自立できるか?
3年後の貯金を元でに遠くの大学に通い、安いアパート借りて、その頃には日本でアルバイトも出来るだろうか。
自炊だけは、絶対に無理だけどな。
「じゃあ出かけてくる。ついでにちょっとブラブラ散歩してくるから、帰りは夕方になるかも」
「お迎えにあがりますよ」
「いらね。悪目立ちするし。あと、遊びに行った帰りも迎えはいらないから。そうじゃなくても貴美花にまだ詳しい事話していないのに、仰々しいお迎えとか来たら、本当に身売りしたと思われるじゃん。だから来ないで。むしろ来るな」
しかも日本人じゃない外国人(正確には異世界の魔族だけど)でオネエ寄りの美人さんが、高級車でお迎え来るとか、悪目立ちしかしない。
貴美花に至っては、お金に物を言わせて身元調査させるかもなぁ。
魔族というのはバレないにしても、なるべく異世界と関わらせたくない。めんどくさいから。
「畏まりました。いってらっしゃいませ、陛下」
毎朝聞いているはずなのに、こそばゆい言葉だ。
ここに、魔王城に、帰る場所がある。
「いってきます」
私はしろすけに手を振りながら、謁見の間にある魔方陣へ飛び乗った。
管理人のジジイから電話を借りて貴美花に連絡を入れると、急だけど明日遊びに行くことになった。
往復は貴美花の護衛も兼ねて家から車を出してくれるそうなので、お言葉に甘えさせて貰う。
普段から制服着用で1日過ごす私にとって私服は貴重品、水着は購入済みなので、マンションから徒歩圏内にあるショッピングモールへ行くことにしたのだが。
「高いな……」
赤札見ても、予算よりだいぶ上だ。
出来るだけ出費を抑えたいのに、どこをどう探しても、高すぎた。
気力体力を根こそぎ奪う熱気に疲れてモールの広場、噴水前のベンチへ腰かけると、大勢の親子連れが目に入る。
普通の親子は、手を繋いで、一緒にお出かけして、笑って過ごすものなのだろう。
幸せそうに見える姿が眩しくて、目が痛い。
「アホくさ」
帰ろう。
ここに来ても、楽しいことは何もない。
自分が異物のように感じるくらいなら、来なければ良かったのだ。
そう思い出口へ向かおうとした所、誰かとぶつかった。
「悪い……あれ?山田さん?」
見上げると、そこには同い年くらいの男子が驚いた顔でこちらを見ていた。
しかし、どう記憶を探っても、見覚えが無い。
でも相手は私の名前を知っていて、ショッピングモールにいることに驚いている。
もしかして、貴美花関連で恨みを買って名前が出回っているのか。
あれは、外面はとにかくすんばらしいからね。
「そうですか。ではごきげんよう」
「待って、待って」
逃げるが勝ちと思い立ち去ろうとしたのに、腕を掴まれ動けない。
学生なら年も変わらないはずだが、手の大きさも力強さも、全く違う。
「俺、クラスメイトの杉野。変質者じゃないから!覚えてないの?」
知らねー。
学校も必死こいて通っていたし、今も休み時間は予習復習と課題で潰れているし、昼休みは貴美花に連行されるので、クラスメイトの顔と名前は一切知らないし関わっていない。
むしろ関わろうとしてくるのは貴美花とお近づきになりたい人か、貴美花と一緒にいるのがムカツクとクレーム入れてくる人だけなので、覚える気も無かった。
近づいてこない人達は貴美花にばれない様、コッソリ地味に嫌がらせしてくるのがこれまでの定石だ。
「山田さん、今日は買い物?俺もクラスの奴らと来てるんだけど、良かったら一緒に回ろうよ。いつも学校じゃ物静かで、話すきっかけが無くてさ。一度話したかったんだよね。この機会に遊ぼう」
手を掴まれたまま引きずられる。
団体さんと合流なんて冗談じゃない、そもそも急いでいるんじゃないのか。
「いや、私帰る。手、放して」
抵抗しているのに、男子は笑ったまま引きずり続ける。
「遠慮しなくていいよ。山田さん最近急に可愛くなってさ、みんな話したいと思っていたんだ。ほら、すぐそこだから」
男子が指差したのは、フードコートの一角。
確かにグループで座っている席はあるが、夏休みボケしているのか、そこそも名門校の生徒とは思えない風貌の団体だ。
巻き添えで補導されたら奨学金が無くなるから、近づきたくない。
「放せ」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと話すだけだし、クラスメイトと親睦を深めるのって義務っしょ」
そんな義務知らねーよ。
掴まれた部分が痛い。
「放せ!」
大声が喧騒に消えていく。
来るんじゃなかった、魔界のショッピングモールは不思議と夢が溢れて楽しかったのに。
空を飛ぶ竜族、笑い声、しろすけとくろすけの3人で買い物して冷やかしして、面白かった。
こんな、日本のショッピングモールは嫌いだ。
チリチリとしたものが全身へ巡り、指先に熱が貯まる。
これは、魔法を使う時に良く似た感覚、まさか器に入っている魔力が反応しているのか。
異世界で得た魔力を、日本で使うなんてことが出来るのだろうか。
暴走だけはヤメテ!絶対!魔族へジョブチェンジはまだ嫌だ。
「そこまでです」
背後から、強く抱きしめられた。
クラスメイトと名乗る男子は吹き飛び、柄の悪い団体さんの中へ落ちていく。
こんなショッピングセンターに、真っ黒で来たら悪目立ちするじゃんよ。
背後の真っ白だって同じだ。
「外はもう十分堪能致しましたでしょう」
「帰るぞ、バイト陛下」
でも、安心の色だ。
「うん」
何か怒声が飛んでいるのも、騒いでいるのも、全部この腕の向こう側。
私は安心して目を閉じた。
ブックマーク10名様になりました!ありがとうございます。
だらだら続くお話ですが、これからもよろしくお願い致します。




