魔王様、海で泣く
美味しいごはんを食べると、人間は堕落するらしい。
満腹すぎて苦しく、アジアンチックな日除け付きソファにごろ寝すると、もう何があっても動かないと心が訴えてきた。
水平線に沈む夕陽は幻想的でどこか寂しい反面、明日に続く未来が詰まっている。
時々考えるのだ、毎日がこんなに幸せで、明日があると信じていいのかと。
お金の心配も、ごはんの心配もなく、眠るのが怖くないと思い始める自分がスゲーと感じる反面、約3年後にバイトを辞めて独りになった時、自分はどうなるんだろうと不安になるのだ。
大学行って、安定する職に就いて、誰かと恋をして結婚して、子供生まれて、そういう当たり前の未来を想像出来ない。
母親は美容師、父親はお堅い警察官、だったそうな。
それがどう転べば変わるのか。
物心ついた時にはもう、母親は素敵な紳士と恋仲だったし、父親はのんだくれの荒れ放題だったから、担任から聞かされなかったら知らない事実だ。
親がいなくても子は育つ、というか。
1か月1万円生活さながら、切り詰めて切り詰めて、それでも毎日お腹が空いていた。
食費だけでもカツカツなのに、学校で必要なものまで全部揃えろなんて無理過ぎる話で、給食費や教材費が払えなくて担任に家庭訪問された時の夜は恐怖だったなぁ。
児童相談所に通報したのも担任だったけど、結局何も変わらない。
それで変わるくらいなら、子供を売り飛ばそうなんて馬鹿にはならなかったと思う。
でも、中学の担任は、コッソリとパンを奢ってくれたり、もう使わねーと言って文房具(でも新品という)をくれたり、卒業生から制服を譲って貰ったり、そこそこ気にかけてくれるいいやつだった。
我ながらシビアで陰鬱な生活をしていたもんだ、と思う反面、なんだかんだ言ってその担任と、悪友の変態美女・貴美花の存在って大きかったんだと実感。
特に貴美花は金持ちなのに施しでも憐みでもなく、ただ側にいてくれた存在だ。
馬鹿親父と私を買い取る商談をしていた事には、さすがに驚いたけどさ。
でも、おそらく大学は彼女とも離れる。
貴美花は親の跡を継ぐために、某有名大学へ行くんだろうし、私はもっと金のかからない、そして馬鹿親父にみつからない遠くの大学を探す。
本当に、高校卒業したら、独りになるんだ。
ヒトリガコワイ
独りがなんぼのもんじゃい、と思っていた頃には戻れない。
心のどこかで、ていうか4割くらいはこのまま魔王やってていいんじゃね?なんて思っていて、ぬるま湯から出たくない惰性が生まれている。
大学通いながらでも魔王は出来る、魔王城で、みんなで、笑って、美味しいごはんを食べたい。
ここを出て現実に戻れば、魔法は解ける。
もう、扉を叩かれて、89さんに怯える日々に戻るのも、馬鹿親父の顔色を見るのも、周囲の幸せを妬むのも、自分がどん底で生きている事を直視するのも、ぜんぶ全部嫌なのだ。
全て助けてくれる、その手を知ってしまった今、手放したくない汚い自分がここにいる。
「ったい」
胸が痛い。
痛くて、この苦しみを取り出すために引き裂きたくてたまらない。
「……いか、陛下!」
「っ」
目の前が真っ黒だ。
日本人より暗い夜の黒髪、時々感情を見せる黒い瞳、夏にふさわしくない服装は、暑くても乱さない。
しかし今、私の両手を掴んでいる手はいつもの真っ黒手袋をしておらず、人間ぽい普通の手だった。
「くろ……すけ」
「うなされていた。悪い夢でも見たか」
いつものクールな顔を崩して、どこか焦ったように見えるくろすけの顔がおかしかった。
「何でもない。ちょいと居眠りをして寒くなったのかも。テント入ろう」
「おい」
くろすけの手を振り払ってテントへ向かうと、入り口でしろすけが赤マントを持って出迎えてくれた。
浄化魔法で砂やら体の汚れやら取れるそうなので、ありがたく受け取る。
しろすけは、このドロドロに汚い感情も、美味しいと言うのだろうか。
きっと、魔族に良くないとクビにするんだろうなぁ。
そもそも魔族を嫌う人間では駄目だから異世界から人間を連れてくるわけで、当然こんな醜い感情を供給されるのは困るはず。
隠せるのかな、いや、まだ大学行く金が貯まっていないから隠し通して見せる!
魔族のように魔力だけで生きていけないんだから、どんなに綺麗事を言っても人間には金がいるのだ。
自由も未来も、金で買えるのが資本主義ってもんだろ。
「じゃあまた明日。オヤスミー」
「おやすみなさいませ、陛下」
しろすけの向こう、ソファにはまだくろすけがいて、何か考えるように俯いていた。
それを無視してカーテンを降ろす。
「ごめん、くろすけ」
直接言えない弱い自分を許せ。
でも、寂しがり屋のくろすけの傍にいたら、感情が引きずられて吐き出してしまう。
だから距離を取っても、仕方ない。
「おやすみ」
目が覚めると、まだ夜だった。
「眠れん」
いつもならこんな時間に起きることはないし、日中あれだけ遊んだのだから体は疲れているはず……と思ったら、赤マントで浄化と回復してたわな。
一度目が覚めるとなかなか寝付けなく、寝返りしようが羊を数えようが、全く睡魔が訪れない。
諦めてベッドから降りると、テントの外へ出た。
「きれー」
真ん丸お月様は異世界共通で、水面に映るゆらぎまで同じだ。
街中とは違う静寂と波の音、月の光に負けないくらい輝く星の海に、不覚にも涙腺が緩む。
べ、べつに寂しいとか悲しいんじゃないからね!
芸術を理解する感性を持っていたんだなぁ、と自分に驚いた。
綺麗なものを綺麗を感じ、優しいと思うものを優しいと受け止める、それがいつか出来るだろうか。
まだ大人になれない心と体が、背伸びをしなくて良くなる日が。
「早く大人になりたいぞー!」
「なるな、馬鹿女」
「ぎゃあ」
バシャンと盛大な音を立てて転んだ。もち、海の中へ。
真っ黒くろすけ、急に背後に立ったら心臓止まるわ。
「ほら、立てるか。風邪を引くぞ」
くろすけに手を取られて起き上がる……前に、引っ張った。
お前も濡れるがいいさ。
「おいっ」
「うはははは」
そこそこ体格が良いため、私より盛大に音と立てて転んだ。
びしょ濡れでカッコ悪、お互いに海水と砂でドロドロだが、何だか楽しい。
人を驚かせた罪は重いんだぞ。
「しょっぱい。確かに泳いだら大変だ」
肌はピリピリするし、海水が目に入って沁みる。
泳げないから泳ごうとは思わなかったけれど、中に入って遊ばなくて良かった。
本当に、目が痛い。
「お前な、何を焦っているんだ。今が美味しい時期なのに、わざわざ不味くなろうとする必要は無いだろう。子供は子供らしく、だ。俺達にしてみれば、不安定な人間の感情が羨ましい。それを捨てようとするな」
武骨な手が、不器用に髪を梳く。
顔に張り付いていた髪の毛は後ろへ流れ、デコ丸見えだ。
くろすけも同じように髪を書き上げたのに、こっちはオールバックでイケメンのまま。
世の中不公平だよなぁ、おい。
「俺は、もともと泥の中にたゆたう命だった。泥は俺で、俺は泥。それが外部からの神によって意志を持ち、自我を確立したんだ。だが、自我を持つとは孤独を知ることで、俺は寂しさから神の真似事をした。最初は3体、その3体が眷属を増やし、眷属はさらに下僕を造り出した」
くろすけが珍しく饒舌な気がする。
しろすけがいつも話す役みたいなもので、くろすけは必要な時しか話さなかった。
ということは、これは大事な事なんだろう。
「だが真似事は真似事だ。神のように自我を持たせることは出来ず、持っているように作ることしか出来なかった。結果、魔力に左右され、向けられる感情をそのまま写し取る偽りの種族が出来上がった。馬鹿だろう?」
「馬鹿だね!でも、私からしたら羨ましい。確かに悪意に反応するのは困るけど、優しくされたら簡単に優しさを返せるんだよね?それって、私は出来ないから欲しい才能なんだよ。それに、相手の感情がわかるって、すごいことじゃん。私は見抜けないから、疑う。警戒して不安になる。だからすごい。人間の私からすれば、魔族の方が羨ましい」
「なんだ、それ」
「人間のドロドロが羨ましいなんて、そっちの方がなんだそれ、だよ」
海水が目に染みる。
あとからあとから出てくる水は止まらなく、擦っても拭いきれない。
鼻水も出てきた。
日本製のティッシュを下さい、切実に。
「だが俺達には、それが愛おしい」
真っ黒が重なった。
「もぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
気付いたらテントに逃げ込んでいた。
手のひらが痛いのは、たぶんくろすけをビンタしたからだろう。
たぶん、というのはあまり記憶にないから。
海水でずぶ濡れなこともすっかり頭から抜け落ちて、そのままベッドへ潜った。
くろすけが触れた部分が妙に熱くて、心臓は落ち着かない。
このまま過呼吸で死んでしまうのではないかと思うくらい、息が出来ないのだ。
「死ぬ……」
こういうことも、大人になれば軽くウフフアハハと受け流せるのだろうか。
そんな馬鹿なことを考えながら、本日就寝。




