第九話:落ちていた少年
遅くなりました。すみません。
「おや、この少女は【男】ですね」
「…………えっ」
「人族という括りで考えるなら、間違いなく男の身体的特徴を備えております。つまりこの者は、男でありながら女のように化粧で装い、女性用の衣服を身につけて姫様を謀ったわけですが……」
どうします、殺しましょうか?
白衣を身につけた豊満な肢体のその女医は、可愛らしく小首を傾げてクリスティアナを見上げてきた。
仕草もその表情も文句なく可愛いが、なにぶん言っていることが物騒すぎる。
クリスティアナが「探しなさい」とモンドに命じたその小一時間後
魔族領の中でも人族の国との境界に近い【魔木の森】にて、気絶して倒れる少女が見つかったと報告が上がり、では早速と保護を命じて魔王城の敷地内にある医療センターに運び入れたところで、しかし保護した少女は実は【少年】だったと担当の女医に宣言されてしまった。
この医療センターはその名からもわかるように、前世の記憶持ちである魔王ヒルデベルトが即位後に設立したもので、せっかく魔術という便利なものがあるのだからそれを応用して様々な怪我や病気に対応していこう、と日々研究を重ねながら新しい治癒系の魔術を編み出し続けているらしい。
今のところこれほど高度な技術を持つ施設はこの魔王城にしかないが、開発済みで既に効果が保証されている術については、各領土に持ち帰って患者の治療にあてるのも許可されている。
そのために、各領土から様々な種族の医師がこの医療センターに集まっているのだから。
今、少女……もとい、少年を診察したのもそんな医師の一人だ。
名前はユニ、魔王の治める国内でありながら魔族の住まない『獣人族領』出身で、彼女自身も豹の獣人である。
元々獣人族はあらゆる土地であらゆる種族と共存していたのだが、過去に何度か人族と諍いを起こしたことがあり……というか、彼らのその高い身体能力を悪用しようとした人族と諍いになり、結果的に人族が寄り付かないこの魔族領内にコミュニティを築くこととなった。
とはいえ彼女自身はそんな過去の諍いなど実際に見聞きしていないため、人族に対してもそう偏見は持っていないようだが。
ただ、自分達獣人族に居場所をくれた魔族、ひいては魔王には感謝をしているらしく、魔王の妹であるクリスティアナにもこうして忠誠を誓ってくれている、というわけだ。
(……まぁ、男であろうと女であろうと、保護することには変わりがないものね)
害してはダメよ、とクリスティアナはユニに向けて首を横に振った。
【勇者】と共にこの世界に召喚されたのが少女であろうと少年であろうと、イレギュラーであることには変わりない。
ならばまずは、突然放り出されて状況すら恐らくわかっていないだろう彼が衰弱状態から脱するまで面倒を見、その後に能力の解析やら【勇者】についての情報収集ならを行えばいい。
そうユニに説明すると、彼女は不服そうにしながらもわかりましたと治療継続に頷いてくれた。
「それで、彼の状況はどうかしら?」
「転移された先が魔木の森で幸いだった、と言うべきでしょうね。あそこは魔力を糧にする魔木が群生していることで、魔物は近づきませんから。ただ、魔木に魔力を根こそぎ吸い上げられてしまったようで、魔力枯渇と栄養失調、脱水症状を起こしている状態です。体温が高い状態も続いておりますので、何か別の病気も併発している可能性があります。ですからどうぞ、姫様は面会なさいませんように」
「そう、わかったわ。状況が変わったなら逐一報告を上げてちょうだい。後は任せます」
「かしこまりました」
実際、クリスティアナも暇ではない。
これまで与えられてこなかった魔族としての知識を学んだり、魔族の国であるこのクロイツェルを視察したり、更に魔術を扱う練習だったり実力主義な魔族たちへのデモンストレーションだったりと、毎日慌しく過ごしている。
その合間に継続調査を命じてあるヴィラージュ王国の動向についての報告を受け、彼らが召喚した【勇者】の訓練状況などを聞いて魔王である兄と対策を語り合ったりもする。
なので彼女は、ある程度性格や趣向などを見極めて信頼できると踏んだ相手に仕事を一任したりして、徐々に己が抱えるものを分け与えていった。
そのことが結果的に信頼された者の忠誠心を増して、信奉者を増やしていくことに繋がっているのだから、クリスティアナにとってもこれほどありがたいことはない。
少年の治療をユニに任せたところで、クリスティアナは執務室にいるだろう兄を訪ねた。
しかし、予想に反して執務室は空っぽであり、扉の前で立つ警備の兵士が申し訳なさそうに「陛下は剣の訓練中です」と教えてくれる。
それならきっと、魔王専用として特別な結界を何重にも張ったあの強固な訓練場だろうとそこに足を運ぶと、今度は予想通り兄が一人で剣を振るっていた。
彼はクリスティアナの姿に気づくと動きを止め、こっちへいらっしゃいと手招きする。
「……あら、そう。その巻き込まれ召喚された子って、男だったのね。……あぁそういえば、ゲームの男主人公が言ってたわよね、学園祭の準備中に喚ばれたんだって。だったら女装カフェとかそういう悪ノリ系の出し物かしら」
「かもしれませんが、意識がないのでなんとも言えませんわ。治療はユニに一任してきましたから、状態が回復したら話を聞けるでしょう」
「そうね。話を聞かないことには、その子が巻き込まれ系のただの被害者なのか、それとも記憶持ちの成り上がり希望者なのかわからないものね」
そう、クリスティアナが【彼】の保護を命じたのには、同情や心配といった感情的なものもないとは言わないが、それ以上に彼がゲームにはいなかったイレギュラーだからという理由があった。
ただ巻き込まれただけの被害者で、何も力を持たない一般人であったならそれは単に不幸な事故だったと言うしかなく、事情を話して比較的友好的な他国に移住させることが最もいい選択だろう。
もし彼がネット小説のように『巻き込まれただけの一般人、だが勇者よりも凄いチート持ち』かもしくは『本当は彼の方が勇者だった』という状況であるなら、他国には出せないがこの魔族の国でその能力を有効活用してもらうこととなる。
だがもし、最悪のパターン……このゲームの記憶持ちで、勇者に復讐を果たして成り上がるのが希望、更に勇者のハーレムの乗っ取りも目指している、などといった実に扱いにくい人材であったなら……その時はその時で、彼をどうするのか協議して決める必要が出てくる。
人族側、特にヴィラージュ王国などのように己の国の持つ国力に奢り、魔族側を対等以下の存在として見下す者にとってはこのクロイツェルは敵国にも等しいのかもしれないが、圧倒的な力を持つ魔族側からしたら人族など攻略対象外……たまに境界線を侵してきたり、妙な言いがかりをつけてぎゃあぎゃあと騒がしくしてくる隣人に過ぎない。
そんな人族の国に対して何かを仕掛けたいんだと言われても、大概の者は面倒だからと断るだろう。
だがしかし、魔王の妹姫であるクリスティアナが人族の国の王族に裏切られ、冤罪をかぶせられ、危うく極刑に処されるところだったという噂は国中に広がっているわけで。
それを聞いても興味がないと言い切る者も多いが、クリスティアナの信奉者もしくは魔王に忠誠を誓った者達は、ヴィラージュ王国に対してはっきりとした敵対心を抱いている。
つまり、もしあの巻き込まれた彼が何らかのチート持ちで復讐を強く望んでいるなら、このまま魔族領内に留めておくのは大変危険、ということなのだ。
考え込んでしまったクリスティアナに向けて、ヒルデベルトはにぃっと意地悪く笑う。
「とにかく、その子が眼を覚ますまではあれこれ考えてても仕方ないわね。ってことでティア」
「はい」
「ちょうど今、実戦形式の手合わせをしたいなーと思ってたとこだったのよ。相手してくれるわよね?」
今はドレス姿だから、ヒールを履いているから、そういった言い訳はするだけ無駄だ。
魔王である彼が実戦形式の手合わせを望んでいるということは、剣だけでなく魔術も含めた実力が彼と拮抗している、もしくはそれに近い力を持っている必要がある。
クリスティアナはまだそこまでのレベルではないが、少なくとも剣術や体術に関しては幼い頃から鍛えられているため、手合わせしても充分渡り合えるだろう。
「……ドレスとヒールの分は、手加減してくださいませね」
指をパチンと鳴らすと空中に陣が浮かび上がり、その中央から彼女は一振りの剣を抜き出した。
これは彼女が最近ようやく覚えた、異空間から物体を取り出したり格納したりする空間魔術である。
ゲーム用語で言うところの『アイテムボックス』もしくは『インベントリ』といったところだろうか。
「何度見ても初心者向けの野暮ったい陣にしか見えないわ。もっとセンスあるもの作れなかったの?」
とヒルデベルトが呆れて言うように、彼女が使っている陣はゲームや漫画などで出てくるようなオーソドックスな円形の魔法陣である。
多少その円の中身が複雑に入り組んではいるが、あちらの世界でそのテの作品に触れたことのある者ならニヤリとできるような、馴染み深いデザインだ。
クリスティアナがこのデザインにしたのは、ふたつ理由がある。
ひとつは、見た目のデザインに凝りすぎるあまり、実戦時に上手くイメージできなくなるのを防ぐため。
もうひとつは
「なんだ初心者用か、と侮ってもらえたら少しはやりやすくなるかもしれないでしょう?」
ではお手柔らかに、と彼女は剣を構えておっとりと微笑んだ。
少年が目覚めた、とユニから連絡を受けたのはその3日後のこと。
クリスティアナが医療センターに顔を出すと、久しぶりに黒髪黒瞳の姿になった兄、ヒルデベルトがやれやれという顔で彼女を出迎えた。
「お兄様、そのお姿は一体……」
「ああ、これ?単刀直入にゲームの知識があるのかって聞くのもバカらしいでしょ?だからあえて『ゲームと同じ色彩』で会ってみたの。ま、反応はなかったけどね」
彼は元々銀髪にアイスブルーの双眸、クリスティアナは金髪に紫紺の双眸という色彩を纏っている。
ヴィラージュ王国内で兄妹共に黒髪黒瞳で通していたのは、クリスティアナの紫紺の瞳という色合いが珍しいという理由と後ひとつ、ゲームでの魔王兄妹は黒髪黒瞳であったからだ。
その色合いを纏っていないという段階で既にゲームとの乖離が見られるのだが、その辺りについては完全なるゲーム世界というよりはそれに良く似たファンタジー世界、と考えれば一応の説明はつく。
ともかく、ゲームの中の【魔王】の姿で少年に面会し、普段とは違う威圧感たっぷりの仰々しい話し方で『ここが彼の居た世界ではないこと』『勇者召喚に巻き込まれたらしいこと』『勇者として選ばれたのは恐らく彼の学友らしいこと』などを告げ、今後どうしたいか選ばせてやるなどと大上段に言い切ったらしいのだが。
「『そうですか』としか言わなかったわ。端から信じてないのか諦めてるのか……とにかく、あんたも会ってきなさい。会ってみればアタシの言う意味もわかるでしょ」
「そうですわね。ではわたくしはあえてこのまま、お会いしてきますわ」
彼がもしゲームのことを知らないのであれば、ゲームどおりの色彩である魔王に会って驚かなかったように、ゲームとは異なる色彩の魔王の妹を見ても驚かないはずだ。
それならばと彼女は外見を変えることなく部屋に入り、ベッドで上半身を起こして座る黒髪の少年を静かに見下ろした。
長い髪はウイッグだったようだが、その顔立ちは化粧がなくとも線の細いどこか少女めいた印象を受ける。
「…………貴方は」
落ち着いた声音で、彼はこう言葉を紡いだ。
「貴方は、俺を殺してくれますか?」