第七話:【聖女】の憂い
ヴィラージュ王国、シンシアサイドです。
「えっ、勇者召喚?それってどういうこと?」
(どうして女主人公がいるのに勇者召喚なんてあるの!?やっぱりあそこでわたしが攫われなかったから!?)
通常ルートだと『クリスティアナとは婚約を破棄した』とさらりと流されるはずの婚約破棄イベント、それが断罪イベントとして大々的に発生した段階で、【魔王ルート】に突入したことはわかっていた。
そのルートに入ると断罪イベントの終盤、突如魔族としての力を解放されたクリスティアナがシンシアに対して牙をむき、攻撃を加えようとするがそれをデルフィードに阻まれたことで激昂し、ならばとシンシアを魔王城まで攫っていってしまう。
それなのに実際のクリスティアナは終始冷静で、断罪されるもひとつひとつ証拠を突きつけてそれを論破し、後半逆にテオドールが断罪されるような格好になってしまった……その時点でおかしい、とは思ったのだ。
それに、クリスティアナの監視としてついてきているだけの役割だった公爵も、ゲームの設定だった【父】ではなく【兄】としてそこにおり、更には兄妹仲が良さそうに寄り添っていたのも気にかかる。
クリスティアナの【兄】といえば魔王だが、彼は魔族の国クロイツェルを離れられないため、その場に居るはずはない。
ならちょっとしたバグだろう、と軽く考えたシンシアはクリスティアナを怒らせるためだけに、テオドールに泣きついた。
彼女の信奉者は意外と多い、だからこそ今後間接的に何かを仕掛けられるかと思うと怖くて眠れない、どうしたらいいの、どうにかできないの、と。
シンシアはただ、クリスティアナを怒らせてシナリオ通りに攫ってもらいたいだけだった。
その涙ながらの訴えを聞いたテオドールは、クリスティアナもレクター公爵も侮っていた。
双方の目論見より大きく外れ、ならず者達は瀕死の状態でよりにもよって謁見の間へと送りつけられ、どうせバレないだろうと高を括っていたテオドール及びその取り巻き達は、それぞれの親達によってしばしの謹慎を申し付けられた。
シンシアだけは監視の必要ありと判断されたため、王宮内に留め置かれたが。
それでも、同じ王宮内にいるテオドールと接触できないように、基本的に部屋から外へは出られない軟禁状態となっている。
の、だが。
連絡を取ろうと思えばやりようはある。
今シンシアが耳に当てている掌サイズの四角い物体は、持ち主の魔力を糧として登録された相手とのみ通話できる【通信機】である。
元々はこの世界と隣り合っている【地球】という名の異世界から、次元の狭間を介して落ちてきた『落ち人』というまんまなネーミングで呼ばれる人達が、あちらの世界で機械と呼ばれるものをこちらの世界の研究者に伝え、そして改良に改良を重ねて商品化したというシロモノだ。
そういった便利な魔道具はこれ以外にも、魔力を補充してレールの上を走る魔導列車や、魔力パターンを識別して解錠するセキュリティパネルなど、動力が魔力であること以外はあちらの世界にあるようなものばかり。
そしてあちらの世界の記憶があるシンシアもまた、この『携帯電話』に良く似た通信機を最初に見た時は、危うくその名称を口に出しかけてしまった。
その『携帯』を通じて今通信が繋がっているのは、王太子テオドールである。
彼は、以前学生時代にデルフィードが見つけた古い召喚記録のことを簡単に説明し、表向き謹慎していると見せかけておいて裏ではその準備を進め、謹慎が解けたらすぐにでも召喚を行うことをシンシアに伝えた。
『落ち人のことは知っているだろう?彼らはこことは違う、ちょうど裏側に位置する世界から落ちてくる。その次元の狭間に出来る道は一方通行で、こちらからあちらには渡れないという。その所為でこれまで召喚を行った例が我が国ではないし、実際できないものだと言われていたのだが……デルが他国でその記録を見つけてくれたのは幸いだった』
「でっ、でも!……でも、その、そこまでしなくても、ね?だって、その、喚ばれる人は、来たらもう帰れないんでしょ?そんなの、可哀想」
(冗談じゃないわ。勇者なんて呼ばれたら、ストーリーが男主人公サイドになっちゃうかもしれないじゃない!)
男主人公サイドのストーリーの基本は、勇者として召喚されて最終的に魔王を倒すことだ。
だが攻略するキャラによって、そこに外交だったり内政だったり冒険者としてのレベル上げだったりとストーリーが分岐していき、そして女主人公の時と同様にハーレムルートからの【隠しルート】も発生する。
この隠しルートの場合、ヒロインとなるのは【魔王の妹】クリスティアナである。
彼女は物心つく前から道具のように人間社会の中に放り込まれ、王子の婚約者として仕立て上げられていたものの、その婚約披露の場において魔族であることを王子に酷く罵倒され、ショックのあまり魔王城へと逃げ帰ってしまう。
そんな彼女を恥とした魔王によって塔のてっぺんに閉じ込められた彼女は、夜な夜な魔力を纏ったその美声で歌を歌い、それを聞きつけた旅人によって【魔王城の歌姫】と噂されるようになる。
と、ここで現れるのが勇者召喚された高校男子だ。
彼は、王子の罵倒による婚約破棄を理由として、これまで休戦状態だったヴィラージュ王国に攻め入ってきた魔王の軍勢に対抗するため、隣り合った世界から喚ばれた。
そしてその力を持って魔王軍を打ち破り、ついには魔王城まで辿り着いて閉じ込められていたクリスティアナを開放し、力を合わせて魔王を倒す。
魔王が倒れた後はエンディングとなり、クリスティアナが新たな魔族の王、勇者がその伴侶となって魔族の国を治めていく、という後日談が流れる。
男主人公サイドでも女主人公サイドでも、互いの選ばれなかった主人公がチラリとでも出るシーンはない。
つまりもしここで男主人公のストーリーになってしまったら、シンシアの逆ハーも、いずれ王妃になる未来も、贅沢三昧で優雅な暮らしという夢も、どうなるかわからないということなのだ。
「それに、デル君だってテオだって謹慎中なのにそんな危険なことして……もし上の人にダメだって言われたら、今度こそどうなるかわからないんだよ?ねぇ、だからそんなことやめて?」
『シンシアは優しいな。……だが大丈夫だ、デルが言うには魔力の強い人間が十人ほどいれば事足りるそうだし、召喚自体はそれほど難しくもない。喚ばれる者にも条件をつけ、天涯孤独な身の上の者としておけばいい。だからシンシア、心配せずに待っていてくれ。今度こそ、お前の憂いの元を断ってやる』
「えっ?あの、そうじゃなくて」
『すまない、そろそろ見張りが回ってくる時間だ。……おやすみ、また明日』
「ちょっと、テオ!?」
プツン、と音声が途切れた通信機は、それきり何の音も発しなくなった。
腹立ち紛れにその通信機をベッドの上に放り投げ、シンシアはゲーム上で語られる勇者召喚の経緯について、もう一度思い出していた。
勇者召喚が行われるのは、魔王がこの国に侵攻してきたからだ。
この国の者では魔王を倒すことが出来ず、異世界より招かれし勇者のみがそれを成し遂げられると神託が下りたため、やむなく国王は勇者召喚の儀を執り行うことに決めた。
ちょっと待って、と彼女はそこで思考を止めた。
まだ魔王はこの国に攻め入ってはいないし、ならば勇者召喚をしようとしたところで国王が許可を出すはずがない。
しかもやらかそうとしているのは、現在謹慎中の者ばかりだ。
許可どころか、それを計画したとわかった時点で今度こそ罰を与えられ、厳しい処分を受けるかもしれない。
冗談じゃないわ、と彼女は顔をしかめる。
最終的には超絶美形の魔王を攻略するつもりだが、それでもこれまで頑張って築き上げた逆ハーを手放すつもりなど、端からない。
それに、今彼らにフェードアウトされたらシンシアは孤立無援となる。
そんな状態で魔王城に乗り込めるはずなどないし、うかうかしていると男主人公に主役を取って代わられてしまうかもしれないのだ。
(どうにかしなきゃ……どうにかして、召喚をやめさせられないかな……)
そんなシンシアの焦燥を嘲笑うかのように、彼らの謹慎処分が解ける日がやってきた。
そして、彼女の予想を超えたことを彼らはやらかしてしまった。
国王の許可を得ることなく、報告すら後回しにして、夜のうちにさっさと勇者召喚の儀を済ませてしまったというのだ。
『成功したようだ。シンシアも見においで』
そんな通信が入ったことで、彼女は早朝だというのに慌てて部屋を飛び出して行き、そんな彼女の監視兼護衛についていた騎士とメイドが後を追い、騒動に気づいた者が国王に報告を上げて次々と追跡の列に加わり。
辿り着いた先……王宮の敷地内にある魔導研究所の屋上において、彼らは一様に息を呑んだ。
床に描かれた大きな魔法陣、その周囲をぐるりと取り囲むように等間隔で人が倒れている。
白装束を身に纏った彼ら、彼女らは息をしているのかしていないのか……ピクリとも動かない。
そんな彼らの終着点、月を背にしてぼんやり立っているのはこの儀式の責任者、デルフィード。
そしてそのデルフィードの斜め後方に、テオドールをはじめとする面々が座り込んでいる。
魔法陣の中央……まだ色濃い魔力の残渣が纏わりつくそこには、きょとんとした顔で座り込む学生服の少年と、倒れ伏したまま動かない長い黒髪の少女。
(……えっ!?召喚されるのは主人公だけのはずなのに……なんで女の子が!?)
そこに驚いたのはシンシアのみであり、駆けつけた他の者は顔を真っ青にしたりへたり込んだり怒りに震えたりと、彼らがやらかしたことに対して何らかの反応を示している。
「ここは……どこだ?俺は確か、学園祭の準備をしていたはずなのに」
その場に座り込んだまま、少年はぐるりと周囲を見渡してそう告げる。
主人公に声はついていなかったが、その台詞はゲームのものと同じだった。
シンシアの悪い予感が益々強くなる。
「君は勇者として選ばれたんだ。その身に漲る力を感じないかい?それは勇者としての力だ」
「これが…………勇者の力……」
「どうやら感じるようだね。ではようこそ、勇者殿。我がヴィラージュ王国へ」
「はぁ……もうなにがなんだか……」
混乱したりわめき散らしたりするかと思いきや、意外と少年はあっさりと現状を受け入れてしまった。
ただまだ事情が良くわかっていないからか、しきりに頭を振ってまじまじと周囲を取り囲む者達を見回していたが。
「待て、デルフィード。こちらの少年が勇者だというのはわかったが、ではこちらのもう一方は?勇者というのは一人ではないのか?」
「さあ、それがどうにも……僕は、勇者としての適性のある『真面目で品行方正、義理堅く正義感に溢れた、漲る魔力と特異な能力を持つに相応しい天涯孤独の少年』と指定したはずなんだけど」
ちょっと能力を探ってみようか、とデルフィードが未だ倒れ伏す少女に向かって一歩踏み出した、その時
「ま、待ってくれ!!そいつに触ったら穢れる!!そいつは、俺達の世界の【魔女】なんだ!!」
少年の必死の告発に、デルフィードの足がピタリと止まった。
周囲も何事かと少年に目を向ける中、彼は俯き加減に隣に寝そべる少女が実はここに来る直前まで戦っていた【魔女】であること、もし殺してしまったら呪いが降りかかるためおいそれと手が出せないことを告げ、何処か遠くに飛ばして欲しいと頼み込んできた。
その言い分がおかしいと気づいたのはシンシアのみ……だが彼女も記憶持ちだとは知られるわけにはいかないため、黙って少年をただ睨みつけるしかできない。
勇者として認めたからなのか、それともその訴えが真に迫っていたからか、デルフィードは一度テオドールに指示を仰ぐように視線を向け、頷き返されたことでわかったと少年に向かって了承の意を示した。
「元の世界に送り返すことはできない。だけどせめて、魔族の国に送ることでやつらに呪いがかかるようにしよう」
手を伸ばし、身動きひとつしない少女を見据えて呪文をひとつ。
青い光がその身体を包み込んだかと思うと、不意にそれはいずこかへ消え失せた。
誰かをどこかへ転移するという魔法は非常に魔力を使うため、彼はその場にへたり込んでしまう。
代わりに、テオドールが前に進み出て少年に向かって小さく微笑みかけた。
「改めてようこそ、勇者殿。歓迎しよう」