第六話:成り立て魔族と愚か者
「おかえりなさいませご主人様、お嬢様」
「今戻った。変わりはないか?」
「はい。それでは報告いたします」
エントランスで出迎えてくれた見た目美中年な黒髪の執事は、恭しげに一礼してから主の留守中に起こったことを報告し始めた。
王族の遣いだと称する、だが明らかにガラの悪そうな男達が邸に押しかけ、勝手に中に押し入ろうとしたこと。
主の留守中の采配を任されている執事の命令によって、使用人一同『穏便に、傷つけず』をモットーに掲げて、やんわり丁重に敷地内より排除したこと。
「ある程度統率は取れておりましたが、見るからに粗野な素人集団という印象を受けましたので、魔術も使わず【人】として対応致しましたがよろしかったですか?」
「構わない。その連中なら領地の外で待ち受けていて襲ってきたので、丁重に送り返しておいた。すぐに次は来ないと思うが、このままゆっくりしているわけにもいかないな。全員邸内で待機させろ。準備ができ次第転移を開始する」
「かしこまりました」
エントランスに待機していた使用人達が一礼して去って行くのをぽかんと見送っていたクリスティアナ、その肩をぽんと叩いてヒルデベルトは「行くわよ」と促した。
「あんたはまだ魔族式のあれこれなんて知らないでしょ?来なさい、実地で教えてあげる」
クリスティアナは、まだ理性やら知性やらが目覚める前にヴィラージュ王国に『同盟の証』として預けられており、魔族としての能力も自覚もずっと封じられていた。
勿論自分が『魔王の妹』などという大層な立場などとは思いもせず、ただ婚約者だと紹介されたテオドール王子の隣に立つ日を信じて疑わずに、『人間』として生きてきた。
それを卒業式の日に解き放たれ、彼女は一気に流れ込んでくるとてつもない量の魔力と魔族として最低限必要な知識に、混乱してしまった。
婚約破棄の腹立ち紛れに、愛しい婚約者を奪った女を攫って監禁してしまうほどに。
その女が後悔し、泣いて縋り、王子を諦めると言うまで絶対に許さない……そんな怒りは次第に憎しみへと変わり、ある日とうとう魔王城を半壊させてしまうほどの力を暴走させてしまう。
というのが、ゲームの設定上の彼女である。
実際のクリスティアナは、能力は封じるのではなく制御することを覚えさせられ、魔族であることを除いてあらゆる知識を与えられ、婚約者についても『国王と王妃というのは愛で成り立つものじゃない、共に支え合い並び立つ友人のようなものだ』とことあるごとに言われていたため、結局あの婚約破棄の瞬間まで親愛以上の感情は育っていなかった。
今思えば、婚約破棄されることがわかっていたため……むしろヒルデベルト自身それを狙っていたため、クリスティアナが彼に傾倒しないようにと考えてくれた結果なのだろう。
とにかく、能力も記憶も封じられていなかった以上、卒業式の日に突然蘇って暴走というシナリオは崩れた。
代わりに、婚約破棄のショックで前世の『ゲームクリエイター』としての最後の仕事、【魔王城のアリア】の攻略情報だけが蘇ってきてしまい、今世のクリスティアナの人格にそれが入り込んだことで、『どこからどう見てもどう聞いてもクリスティアナ本人なのに、妙に理性的で時々シニカルで無表情がデフォルト』というある意味キャラ崩壊を起こしてしまっているが。
クリスティアナが連れてこられたのは、この時期綺麗な早咲きの薔薇が咲き誇る裏庭。
彼は「まぁ見てなさい」と言い置いてから邸に向かって手をかざし、まるでマジックショーでもするように大袈裟に腕を左から右に一振りする。
ひとつ瞬くまでの間に邸は跡形もなく消え失せ、そこにあったのは不自然にぽっかりと四角形に空いた地面のみ。
クリスティアナは恐る恐る近づき、地面に手で触れて本当にそこに何もないことを確かめてから、兄を振り仰いだ。
「…………これが、転移魔法?」
「んー、ちょっと違うわね。ま、その辺についてはあっちに戻ったらじっくり教えてあげる。ひとまず実地で教えるのはこれの後始末。さすがに邸ごとなくなっちゃったんじゃ、領民は何事かと驚くでしょ?だってこんなこと、『人間には出来ない』んですもの」
だったら邸ごと転移させず、面倒でも使用人一人ひとりが転移し、お気に入りの家具や洋服などの荷物もある程度纏めて転移させればよかったのだが……それをするとなると、何度も何度も転移を繰り返さなければならないし、使用人の中には転移を使えない者もいるのでやはり手間がかかる。
「今は邸があるように幻影を纏わせてあるから、そのうちに元の邸をそっくりそのまま写し取って出現させちゃえば、あとはアタシらが戻るだけで済むってわけ。ティア、あんた屋敷の外観やら内装なんかは覚えてるわね?」
「えぇ。行動範囲にある部屋くらいしか覚えておりませんが」
「充分よ。さあ、思い浮かべて。……邸の外観……思い出の詰まった我が家。毎日アタシを出迎えてくれたエントランス、使用人達の心づくしが感じられる食事が並んだ食堂、お気に入りのドレスが詰まったクローゼット、柔らかな寝心地のベッド……そんな家を腕で抱え込むように両手を広げて……そう、そのまま魔力を注ぎ込んでいくの。ゆっくりゆっくり、イメージが形となるように」
言われるがままクリスティアナは大きく腕を広げて、広い大きな邸を囲い込もうとするかのようなイメージをしながら、そこに魔力を注ぎ込み始めた。
魔力を注ぐという行為自体は学園で初期の頃に習うことだったので、兄の教えのお陰で優等生だった彼女には簡単だった。
瞳を閉じているため、どれだけ力を注げば邸が実体化するのかまだわからないが、ゆっくりゆっくりコップを傾けて水を移し替えるように、そう意識しながら注ぎ続けていたそんな時
「はい、もういいわよ。初めてにしては上出来じゃない」
ぽん、と頭を叩かれて彼女は眼を開けた。
目の前には、先ほど慌しく戻ってきたばかりですぐに転移させられてしまった、懐かしの我が家。
兄に促されてぐるりと一周回ってみるが、外観上おかしなところはないように思える。
兄にそう告げると彼は満足そうにひとつ頷き、そして「仕上げはアタシがやっとくわ」と指を一度パチンと鳴らした。
「今ので、内装なんかは大体整ったはずよ。後任の領主が来ても、多分ちょっと綺麗過ぎるかなくらいにしか思わないでしょ。……って何よ、その不満そうな顔。まさか自分ひとりで完璧に仕上げたかったなんて言わないでしょうね?」
珍しくムッとした表情が顔に出ていたクリスティアナ、その頭をぐりぐりと乱暴に撫で回したヒルデベルトは小さく笑った。
「言ったでしょ、あんたはまだ魔族式のやり方を知らないの。嫌でもこれからあれこれ覚えてもらうんだから、そんな顔しないでいつもの憎まれ口叩いてなさいよ」
レクター公爵領からひとつの邸が消え、そして周囲にそれとわからぬうちに新しく元通りの邸が建った、そんな頃
謁見の間に突然出現した瀕死の男達、そんな異常事態を収拾させるべく宰相や騎士団長らが奔走した結果、上がってきた証言にとうとう国王がキレた。
彼は何食わぬ顔でシンシアを王宮に連れ帰り、一緒に茶会を楽しんでいた愚息を引きずるようにして執務室に連れて来させると、人払いをしてから険しい表情で息子を睨みつける。
「どういうことだ!あの者達は王族の遣いだと称してレクター公爵の馬車を襲ったと供述したのだぞ!命じたのはお前か、テオドール!!」
「待ってください、父上。あのようなならず者、私が知るわけがないでしょう?きっとレクター公爵の自作自演に違いありません。妹の婚約を破棄された、その腹いせにこちらへ責任を押し付けようとしたのでしょう」
実際、ならず者を雇ったのはテオドールではない。
彼が従者に命じ、その従者が下町に出向いて適当に腕の立つ者を雇った、ただそれだけのことだ。
足がつかないように、その従者には相応の口止め料を払って実家に帰るようにと言ってあるし、他にこの計画を知るのは皆シンシアの取り巻きばかりなのだから、そこから漏れる心配もないだろう。
そう高を括っていた彼は、だからこそ平然とした顔で容疑を否認したのだが。
返ってきたのは、深い深いため息。
「…………残念だ。教育方針を間違えたわけではないはずなのに、どうしてこのように育ってしまったのか」
「父上?」
「……先日までお前の従者をやっていた男が、王都を出ようとして関所で引っかかった。男の身分には相応しくないほどの大金を抱えていたからな、念のためにと事情を聞いたところあっさりとお前に命じられたことを白状したぞ。お前が、あのシンシア嬢に怖いだのなんだのと泣きつかれた挙句、その取り巻き達と共にレクター公爵兄妹の暗殺を目論んだのだ、とな」
「そんな!父上は私を信用してくださらないのですか!」
「…………お前がそれを言うのか……恋にのぼせ上がって、あのような将来を担う若者達の集う場で、一人の女性に恥をかかせようとした……もしかするとその女性の将来性も何もかも潰してしまったかもしれない、そんな愚かな行為を自分勝手にやらかしたお前が、『信用』されていると?」
あれは、決してやってはいけないことだったのだ、と無駄と知りつつも国王は語った。
あの場にいたのは王族である彼らを除けば、皆学園の卒業生ばかり。
同じ年代である以上今後一切顔を合わせないということはないだろうし、同じ職場ということもあるかもしれない。
そんな肩を並べて今後の国を支えていかねばならない面々の前で、テオドールは己の欲求のみを曝け出して婚約破棄を宣言し、クリスティアナに恥をかかせた。
ただ婚約破棄をするだけでも恥となるのに、彼女には【聖女】シンシアへのいじめの容疑までかけられた。
そうなると、その真偽はともかく彼女を娶ろうなどと考える同年代の令息はいないだろうし、もし令息がそれを望んでも醜聞を嫌う家がそれを許可しないだろう。
彼がやったのは、つまりそういうことなのだ。
クリスティアナを晒し者にして、将来を潰す……国のために、国民のためにこれから政治を覚えていかなければならないはずのテオドールは、最もやってはいけないことをやらかしてしまったのだ。
結果的に、クリスティアナは他国から留学していたのだから正確には自国民ではなかったし、シンシアへの嫌がらせにしても彼女自らそれが冤罪だと証明したため、彼女への評判が下がるどころかむしろテオドールの人気急降下に伴い、クリスティアナとヒルデベルトが自国を出てしまうことを惜しむ声が高まっている。
それを聞かされ、反省を促されたテオドールはギリリと歯噛みした。
なにもかも、レクター公爵兄妹の所為だ。
彼らが他国へ戻るというなら……国として不干渉だという約定があるのなら、それならその約定に縛られない者を喚べばいい。
(そうだ、デルフィードが前に言っていた。異なる世界から、【勇者】と呼ばれる者を召喚した例があると。それならば恐らく、国の約定には縛られまい)
内心ほくそ笑む彼はまだ知らない。
その勇者召喚という行為が、結果何を生み出してしまうのか。