第五話:愛しのオネエ様
ガタゴトと揺れる馬車の中で、兄妹二人きり。
ピンと背筋を伸ばした美貌の兄の視線は、向かいにお行儀よく座る美貌の妹へと注がれている。
「さて、ティア。ひとつ確認しておきたいことがある」
「はい、お兄様」
兄の言いたいことが、彼女にはなんとなくわかっていた。
彼女はあの時、言わなくてもいいことまで言ってしまったのだ。
本来ならこの時点でまだ知るはずのない、他国からの同盟の証であるとかそれが遠い場所であるとか、恐らくこの国にはもう二度と戻ってこないだろうこととか。
ヴィラージュ王国の高位貴族、レクター公爵家のご令嬢としては知っているはずのない情報ばかりだ。
彼女の挨拶を聞いていた他の者達はなんら疑問に思うことはなかっただろうが、兄だけは違う。
当然、どこから知り得たのかと問いただされるに違いない、と彼女は緊張を孕んだ表情を兄へと向ける。
が、兄が発した言葉は彼女の予想通りのものではなかった。
「お前は、この世界が何であるのか知っている……転生者、なのか?」
(もしかしてお兄様は……お兄様、も?)
そう考えれば色々つじつまが合う。
ゲームでは妹と疎遠だった彼が、現実では【公爵】としてずっと一緒に暮らしてくれていたこと。
王子を誑し込めと教える代わりに、知識や魔法、剣術まで覚えさせマスターさせたこと。
本来なら通う必要のない学園に通い、人脈を形成し、公爵としても一目置かれるように研鑽を積んだこと。
そして先ほどの夜会に出席予定などなかったはずなのに、可愛い妹の晴れの場だからと無理を通して出席してくれたこと。
どれもこれも、ゲームでの【魔王】ではありえない行動ばかりだ。
じっと返答を待っていてくれる兄に向けて、彼女は「そうです」と小さく頷いた。
途端、ホッと安堵したように表情を緩める兄の顔を見て、彼女はやはり兄も同じなのだと悟った、まではよかったのだが。
「あー、良かったぁ。なんかぜんっぜん顔色ひとつ変わんないから、もしかしてアタシがシナリオ変えちゃった所為で早くも暴走モードとか入ってんのかと思って、正直ヒヤヒヤもんだったのよぉ。一応、アタシって最強の【魔王】なわけだけど、こぉんな可愛い妹ちゃんをあんなビッチヒロインと手と手を取り合って殺すなんて、できるわけないでしょ?ていうか、あれも転生者よねぇ?元々のヒロインの性格って、控えめな健気ちゃんだったはずだもの」
黙って立っていれば誰もが振り向く美貌。
老若男女、頬を染めずにはいられない魔性の美しさを持つ青年公爵は、隠し攻略キャラだけあって声も魅惑のエロボイス……という設定であった、はずだ。
実際、確かに声の質は設定通りなのだが……その緩いオネエ口調が全てを台無しにしてしまっている。
まさか、とクリスティアナは戦慄した。
「まさかお兄様は…………」
「あら、どうかした?」
「……お兄様は、実は『オネエ様』だったのですか?」
「ちょっと。同じ転生者同士だってわかった最初の台詞がソレ?ありきたりすぎて面白くないわね。赤点、落第、やり直し」
【公爵】の仮面を綺麗さっぱり脱ぎ捨てた歴代最強の魔王……であるはずの青年は、これまでの背印潔白さをかなぐり捨てて背もたれにどっかりと凭れかかり、腕と長い足を組んで『可愛い妹ちゃん』をまるで見下すかのようにぎろりと睨みつけた。
その瞳に射すくめられた瞬間、それまで彼に対して抱いていた憧れのような尊敬の気持ちが、今はもう遠いかつて生きていた世界の銀河系の彼方まで飛んでいってしまった……と、後日になって彼女は従者にそう語っている。
オネエ様……もとい、オネエ口調のお兄様が言うには、彼はこのゲームのテストプレイヤーだったのだそうだ。
だから隠しルートを含む男女両主人公の全てのストーリーをプレイ済みであり、どういう条件で分岐するのかも知っていたのだと。
「世界情勢を知るには、やっぱり中心になってたこの国に来るのが一番でしょ?それに、まだ小さい妹を同盟の証として譲る、なんてどこの鬼畜の所業よ。本当ならソレも止めたかったんだけど、先代の時にもう約束されてたことだったから、こっちからは破棄できなかったの。だからアタシがついてきたってわけ」
「もしかして、ストーリー通りに婚約破棄をさせるため、ですか?」
「そうよ。あっちから婚約破棄させれば、約束を反故にしたペナルティはあっちに行くわ。全く、当時の情勢がそうだったとはいえ面倒な約束交わしてくれちゃったものよね、先代も」
「……まぁ、この国は世界最強の魔法大国だという設定ですから」
世界最強の魔法大国、ヴィラージュ王国。
時折気まぐれにおイタをやらかしていた下っ端魔族やそれに便乗した魔物達を片っ端から討伐し、これ以上やるようなら全面戦争だと魔族側に迫ったのが当時の国王陛下。
この国の力を恐れて追随するだろう他国、それら全部を持って攻め入ってこられたら魔族といえどキッと無事ではいられまい……そう考えた先代魔王は、ならばもし我が手元に『姫』が生まれたらそちらの王子に差し出そう、それを同盟の証としようと他の魔族の反対を押し切り、勝手に約束を交わしてしまったのだ。
約束破棄に関するペナルティは破棄を言い出した方が負う。
つまり今回の場合、ヴィラージュ王国は今後一切魔族の国に手出しできないばかりか、そこでしか育たない貴重な作物を譲ってもらうことも、物見遊山で観光に行くことも、魔族と関わることもできなくなる、というペナルティを負ったわけだ。
互いに不干渉、という条件をつけたことで、魔族側からも関われなくなってしまったが、そこはそれ。
「アタシの代になってから、おイタやらかすような子がでないようにしっかり躾しといたから、まぁ大丈夫でしょ。魔物はじっとしてないだろうけど、そっちはアタシらの管轄じゃないものね。その辺もちゃぁんとあの国王には伝えてあるから心配要らないわ」
「お兄様って……」
「なあに?見直した?惚れ直した?」
「……実は色々考えておられたんですのね。ただのんびり、好き勝手に生きておられるだけかと思っておりましたわ」
「あんた本気でムカつくわね。どうしてこの溢れんばかりのお兄様の愛がわからないの!?」
こうしてやる!と手を伸ばして髪をぐしゃぐしゃとかき乱すあに。だがその瞳は言葉に反してとても穏やかだった。
そうこうしているうちに公爵領が近づいてきた。
クリスティアナの知る情報では、公爵家で働く使用人は全て下級魔族であるとのことなので、この兄があえて違うことをしていなければ邸ごとそっくりそのまま魔族の国へ転移できるはずだ。
後は、領民達が驚いて騒ぎ出さないように、外見上全く同じ邸を置いておけばそれでいい。
その程度のことは、魔王でなくとも中位以上の魔族であれば簡単にできる。
そろそろ関所に差し掛かるか、といったところで不意に不愉快そうに眉根を寄せた兄……ヒルデベルトが、御者に向かって停止を命じた。
「お兄様、まさか……」
「そう、そのまさかよ。あの王太子、ここまでバカだとは思ってなかったわ。確かに、この国を出るまではアタシ達は【レクター公爵一家】なわけだけど……わざわざ魔導列車を飛ばしてまで先回りしてるなんてね。魔力と国庫金の無駄遣いだわ」
クリスティアナも気づいていた、この馬車を取り囲むようにして殺気を隠そうともしない輩が少なく見積もっても30人……恐らく全員が金で雇われたならず者だろう、とわかる。
本職であれば気配くらい隠して当然であるし、騎士であっても殺気を駄々漏れにさせるなどありえない、もっと言うなら彼らは捨て駒だ……依頼者を明かさずに雇うなら、ならず者が精一杯のところだろう。
「どうせ、あのビッチちゃんが我侭言ったのよ。『クリスティアナ様があれで諦めたなんて思えない、あたし怖くて眠れなぁい』とかね。ここであんたを怒らせて、シナリオ通りに攫ってもらおうって算段でしょ」
「……それはどうにもおかしいですわ。攻略対象のお兄様が一緒にいるのに、どうしてそんな無茶を…………もしかして彼女、お兄様のことに気づいていないのですか?」
「でしょうね。ゲームの記憶がなまじっかあるだけに、あの場にいるのが【魔王】だなんて思ってなかったんでしょ。だから、アタシの美貌にぼーっとなっちゃうことはあっても、近づいては来なかった。だってレクター公爵は、魔王の妹を監視する役割のただのモブなんだもの」
もしあの場にいたのが、狙っている最後の攻略対象者である魔王だと気づいていたなら。
そうしたらきっと、派手に驚くなり「シナリオになかった」と嘆くなり、気に入られようとクリスティアナからのいじめをアピールするなり、何かアクションを起こすはずだ。
だが彼女は、ヒルデベルトも言っていたように彼の美貌に見蕩れることはあっても、終始あの取り巻き達の傍を離れようとはしなかった。
つまり、ゲーム画面にちらりと出てきたきり見切れてしまった黒髪黒眼のモブなど、はなから眼中にありませんということだ。
(残念すぎますわ、ヒロインさん……同じ転生者でもこうも違うものなのですね)
元々そういう趣向だったのか、それともイケメン逆ハーレムができるとわかって有頂天になってしまったか。
とにかく彼女は、他者を蹴り落としても己の欲望を優先させることを選んだ。
その時点で、彼女の未来に光はない。
そしてもし、流れのままに彼女が王妃になることがあったとしたら、その時はこの国も終わりということだ。
そんなことを考えている間に、間合いが詰められたのか馬車がガタガタと音を立て始める。
元々移動の際には風の抵抗を極力なくすため周囲に結界を張っているのだが、その結界の外側からの攻撃が始まったらしい。
ヒルデベルトはやれやれという呆れ顔をちらりと覗かせると、また真顔に戻って「仕方ない」と扉に手をかけた。
「面倒だけど、ちょっと出てくるわ。本当ならアタシが出るまでもないんだけど……自分達が何をやろうとしたのか、思い知らせてあげないとね」
「あぁ、つまり『俺TUEEEE』パフォーマンスで牽制しておく、ということですわね」
「……合ってるけど、その言い方やっぱムカつくわー」
とにかくあんたは出て来ちゃダメよ、と言い置いてヒルデベルトは勢いよく馬車の外へと身を躍らせた。
一対多数、という数の暴力じゃないかというほどの差はしかし、実際は魔王であるヒルデベルトによる圧倒的な力の差で、あっという間に片がついてしまった。
彼が馬車を出た瞬間待ってましたとばかりに襲い掛かるあらゆる属性魔法や武器の数々。
それらを身じろぎひとつせずに眼前で弾き飛ばしただけでなく、きっちり攻撃を放った相手に向けてカウンターで報復を食らわせる。
そうして一瞬の後に自業自得で地面に転がったならず者達に向けて手を伸ばした彼は、軽くその手を一振りして男達をいずこかへ消し去ってしまった。
馬車に戻ってきた彼は、イイ笑顔でこう語る。
「大丈夫、殺してないわよ。生かさず殺さず、でも証言できる程度にして王宮の謁見の間に飛ばしてやったから、今頃運がよければ国王と対面してるかもね。あいつらを雇った黒幕がその場にいてくれれば、さぞかし面白いことになるんでしょうけど……なんにせよ、これに懲りてもう手出ししてこないといいわね」