第四話:断罪イベント、失敗
『テオドール』『クリスティアナ』『婚約破棄』『聖女』『シンシア』
それらの単語を聞いた瞬間、彼女の脳裏に膨大な記憶が蘇ってきた。
それは、こちらの世界にはないはずのスマートフォンという通信機器用に開発されたゲームアプリ……その名も【魔王城のアリア】というタイトルの、乙女ゲームとRPGがごちゃ混ぜになったようなゲームの攻略情報だった。
不思議なことに、そのゲーム以外の記憶は全くと言っていいほど思い出されない。
ただ、プレイしていたユーザー側ではなくどうやら創る側、クリエイター側であったようだということは、なんとなくぼんやりわかった。
主人公は男女で選べるシステムになっており、男性であれば勇者召喚された日本の高校生。
女性であればやがて【聖女】に選ばれる下級貴族の令嬢となり、多彩なキャラクターとの親密度を高めながら最終的には好感度の高いメンバーでパーティを組み、ラスボスである魔王を倒せばゲームクリアとなる。
とここまでが大まかなストーリーの流れなのだが、ただストーリーをクリアする以外にもやりこみ要素というものが多々あり、ただ普通にレベルをカンストさせて魔王瞬殺を目指すもよし、途中からできるようになるギルド利用でアイテムコレクターを目指すもよし、攻略対象を一切構わずにぼっちプレイを極めるもよし、とにかく普通のファンタジー系RPGでやれそうなことは大体網羅された、それなりに性能の高いアプリゲームである。
そして、男性であればハーレムプレイ、女性であれば逆ハーレムプレイも可能となる。
特に、自ら剣を携えて魔王討伐に向かう男主人公に対し、【聖女】としてひたすらパーティメンバーの支援に回る女主人公の場合、仲間となるメンバーの能力が重要になってくるため、おのずと能力の高い攻略対象者を一人でも多くパーティに入れるべく、複数の好感度を上げていくという股がけプレイをするプレイヤーが多かった。
勿論、一人に絞って攻略していくだけならさほど時間はかからないのだが、ある程度ストーリーが進まないと好感度も上がらない攻略対象もいるため、股がけとなるとストーリーを進めつつステータスも上げつつイベントも逃さない、というそれ相応の時間と労力が必要とされる。
そうやって苦労したプレイヤーへのご褒美のつもりなのか、それともクリエイター側の単なるお遊びか。
……実際に創る側にいた彼女には、それが後者であることはわかっているのだが。
とにかく、ハーレムもしくは逆ハーレムを完全達成したプレイヤーだけが見られる、隠しシナリオというものが存在していた。
それが、【魔王ルート】である。
瞬き二つ分の間にそんな膨大な情報を脳内で処理したクリスティアナは、三度目の瞬きで現在の状況を悟ってくらりと眩暈を起こした。
(シンシアって、女主人公のデフォルトネーム……!ってことは今この状況ってもしかして隠しルート発生フラグ!?)
やばい、と彼女は顔に出さずに戦慄した。
逆ハー非成立の場合、王太子の好感度が最も高ければこの婚約破棄イベントはさらりと流され、ストーリーはそのまま魔王の城へ攻め込むルートへと進む。
しかし頑張って完全逆ハーを完成させていた場合、この婚約破棄イベントで隠しルートへの分岐に関する選択肢が出てくる。
選択肢は簡単だ、イベントの最初に婚約破棄を宣言する王太子に寄り添って「嬉しい」と選べば隠しルート開通、そうでなければ通常ルートに戻る。
そしてこの世界のシンシアは、既に「嬉しい」という言葉を発したあとだ。
ここは現実の世界……ゲームの強制力などないのかもしれないが……それでもこの隠しルートフラグを立てた以上、【魔王攻略ルート】に入ったことを覚悟しなければならない。
魔王攻略ルートは、その名の通り通常ルートであればラスボスとして立ち塞がる魔王を攻略する、という今時そう珍しくない隠しルートのことだ。
このストーリーに分岐した場合、婚約破棄イベントで王太子に断罪される彼の元婚約者……クリスティアナが実は魔族だったことが判明し、追い詰められた彼女はヒロインを攫って魔王城へと帰還する。
攫われたヒロインは魔王城にある高い塔の最上階に閉じ込められ、その寂しさを紛らわせようと夜な夜な月を見上げながら歌を口ずさむ。
……そう、これがタイトルにある【魔王城のアリア】の真の意味である。
通常ルートだけプレイしたのではタイトルの意味が全くわからず、ただゴロが良かっただけだろうと思われていたのだが、このルートに辿り着いてようやくタイトルの意味に気づいてニヤリ、というのが製作側の意図だった。
それはともかく、そのヒロインの歌を耳にした魔王が彼女に経緯を聞いて同情し、そして力を暴走させた妹を止めるべく戦いを挑む……というのが隠しルートのシナリオである。
その後ご褒美スチルとして、攻略した魔王を含む全攻略対象者に囲まれるヒロインというイラストをゲットできるとあって、このルートを目指すプレイヤーは多かったらしいが……この魔王の妹、能力が半端なく高いこともあって、きゃっきゃうふふな逆ハーエンドを前に全滅→リトライを何度も繰り返す者が続出。
そのうち製作サイドにもクリア不可能だとの苦情が上げられたが、あくまでおまけ扱いのシナリオであるため関知しません、と返した記憶が彼女にも残っている。
つまりクリスティアナはここで断罪され、苦し紛れにシンシアを攫って魔王城へ逃げ帰らなければならない……の、だが。
「すまぬ、公爵。私の管理不行き届きでこのようなことになってしまったこと、まずは詫びたい」
「部下にこの場へ呼び出されたことで、なんとなく状況は察しておりました。貴方からの謝罪は受け取りますが……以前のお約束、勿論覚えておいででしょうね?」
「…………うむ。それだけは避けたかったが、止むを得まい」
「では、今後は互いに不干渉ということで。もしその約定が破られた際は、破った方に罰が課せられること、お忘れなきよう」
国王を前に堂々と背を伸ばし、まるで一国の主であるかのような威厳ある佇まいで淡々と交渉を進めていく、レクター公爵。
その勢いに押されるかのように、先ほどまで威厳を湛えていたこの国の王は、冴えない表情でやや青ざめつつ応対している。
【国王】と【公爵】という立場では考えられないその光景に、ある者は不信感を抱き、ある者は不敬だと怒り、ある者はぽかんと信じられないものを見るかのように唖然とし、クリスティアナは……ただ混乱していた。
(どういうこと?そもそも魔王本人が断罪の場にいるはずないのに。それに、妹と言ってもさほど関わりのない相手だったはず……)
魔王ルートで初めて明かされるのだが、人を襲ったりするのは専ら知能の低い魔物であり、知能の高い魔族はその人より多少長い寿命や人より多い魔力量などを差し引けば、人とそう変わらぬ種族である。
争いを好む者も居れば、平和主義な者もいる。
知識こそ全てと勉学に励む者、剣の道を極めようとする者、何もせずに怠惰に過ごす者、畑を耕して自給自足を楽しむ者、と生き方もそう人と大きく変わることはない。
魔王を攻略するルートだからなのか、魔族は他の獣人などと同じひとつの種族として描かれており、だからこそ平和主義の魔王というものが存在でき、その魔王の年端も行かぬ妹を舞台となる国との同盟の証として王子の婚約者に差し出した、というかなり無理無理な設定がされたこのルート。
設定では腹心の部下を監視のために【父】と偽って傍につけるはずなのだが、実際は魔王本人が何故かこの国の公爵位を得て領地を治めつつ、人質という意味合いもあったクリスティアナを厳しくも優しく見守ってくれていた。
その時点からして、既にストーリーが破綻していると言ってもいい。
ただわかるのは、兄が先ほど国王と話していた【以前の約束】はクリスティアナとテオドールの婚姻を条件に、両国の同盟関係を保つというものだったということ、そしてテオドールからの勝手な婚約破棄によってその約束が破られたということくらいだ。
「お兄様……」
どういうことなのか、これからどうなるのか、さすがの彼女も不安を抱えて兄を見上げるが、公爵は優しげに微笑んでそっと人差し指を口元にあてた。
今は何も聞くな、ということだろう。
わかりましたという意味合いでひとつ頷くと、彼はできのいい生徒を見るような眼差しで頷き返し、そしてその背に軽く手を当ててエスコートの体勢に戻ると、国王と王妃、そしてぽかんと成り行きを見守るしかできない無関係な生徒達に向かって一礼した。
「では行こうか、ティア。……最後に何か言っておくことがあるかい?」
「はい。では最後のご挨拶を」
(ゲームならここで呪いの言葉を吐くところだけど)
当然、今ここに居るクリスティアナ・レクターはそんなことを言うつもりはない。
彼女は兄に倣ってドレスの端をつまんで貴族の礼をとり、静かな声で語り始めた。
「皆さん、栄えあるこの卒業記念の場を騒がせてしまったこと、深くお詫び申し上げます。実は我々兄妹は故あって他国との同盟の証としてこの国に滞在しておりました。ですがその約定も破れたため、これをもって国へと帰還することとなります。遠き国であるため、恐らくもうお会いすることもないでしょうが……陰ながら、皆さんの活躍をお祈り申し上げます」
そして、と彼女は不気味なほどの沈黙に支配された一画……事の成り行きについていけず唖然としているテオドールやその側近達に視線を向ける。
「……殿下におかれましては……このたびのこと、非常に残念に思います。このような手段に出る前に、何故一言ご相談くださらなかたったのか……もし、愛する人ができたから婚約を破棄したいのだと仰ってくださったなら、わたくし喜んでそれに応じましたのに」
「な、っ!?」
「そ、そんなの詭弁です!終わってからならなんとでも言えるでしょうっ!?」
目を剥いて驚きを露にするテオドール、代わりにその隣にひっそりと立つシンシアが悲鳴のような声を張り上げ、せっかく収まり始めていた場のざわめきが再び濃くなっていく。
確かに、とそれに同調する声もないではないが、その大多数は『お前が言うな』的な呆れの声である。
クリスティアナもさすがにこれには呆れた。
どうしてここで空気も読まずに抗議が出来るのか、それが不思議でならない。
ゲームのヒロインとして設定した【彼女】は、それこそテンプレ主人公のように優しく慈悲深く穏やかな気性の健気な少女だったというのに。
(もしかして彼女も転生者?……だとしたら、あえて反抗して攫われたいということかしら?)
それを確かめる術はないが、もしそうだとしてもこの状況でクリスティアナが彼女を攫うはずなどないということが、どうしてわからないのか。
今ここに、魔王が傍に居る時点でシナリオが崩壊しているのだと、どうして気づけないのか。
応じて何かを言いかけたクリスティアナ、その肩に兄の手がそっと乗せられる。
「まだ話し足りないこともあるだろうが、そろそろ行こうか」
「…………はい、お兄様」
逆らうことなど許さない、そんな強制力を持った兄の微笑みにクリスティアナは頷くしかなかった。
背後でまだシンシアの声が聞こえていたが、彼ら二人はそ知らぬ顔で会場を後にして、待たせてあった馬車でまずは公爵領へと向かうのだった。




