第二十一話:兵どもが夢の跡
異世界から召喚された勇者シーナは去っていった。
酷く、悔しそうに。
恨みがましい目でカイトを何度も睨みつけながら、だがレイナに促されて半ば引きずられるようにして。
「…………お前が死んでれば良かったのに」
去り際、そんな負け惜しみを吐いて背を向けた彼は、パチンと鳴らされた指の音でハッと心臓の辺りを押さえ、勢い良く振り返った。
そこには、冷ややかな笑みを浮かべる魔族の姫の姿が。
「貴方が今後、他者を呪う言葉を発するたびにその呪いは己に戻ってくるわ。長生きしたかったら、発言に気をつけるのね」
「なん、っ」
「なんで、ですって?……いいこと?己の従者を貶められることは、主にとっても屈辱となるの。覚えておきなさいな」
ではごきげんよう、と彼女はドレスの端をつまんで一礼した。
もう用はないから去れ、と言外に告げて。
それまで姫に敬意を表して控えていた警備兵達も、その言葉と共に元通り配置に戻っていく。
松明は再び煌々と辺りを照らし始め、いつまでも呆けている侵入者達を追い返そうと迫ってくる鬼人族達から逃れるように、最初に我に返ったレイナがシーナとイリスの首根っこを掴むようにして、じりじり後ずさっていった。
シーナはカイトを睨みながら。
いつの間にか元に戻ったイリスは真っ青な顔で震えながら。
レイナは強く眉根を寄せて屈辱に耐えながら。
彼らは、結界の外に出て行った。
三人の姿が見えなくなったところで、クリスティアナはパチンと指を鳴らして砦付近の結界を修復する。
ナナも両親と共に何度も頭を下げながら帰って行ったことで、後は任せるわと彼女はイザークにそう伝えて身を翻すと、カイトを連れて一気に王城へと転移した。
戻ってきたのは、壁の絵にしか見えない扉の前。
「…………聞いても、よろしいですか?」
「いつになく弱気ね、なぁに?」
「さっきの、呪い返しというのは……本当に?」
「ああ、そのこと。そうね……カイト、貴方【コトダマ】という言葉を聞いたことがあるかしら?」
「えぇと確か……あぁ、そういうことですか」
言霊というのは、日本において古来より『言葉には魂が宿る』と信じられてきたその霊的な力のことであるらしい。
良い言葉には良い力が、悪い言葉には悪い力が宿ると言われ、だからこそ言葉に出す時は気を付けなさいと言い伝えられてきた。
今では簡単に他人に対して「死ね」だの「殺す」だのと言い放ってしまう者が多いが、クリスティアナはそれを逆手に取って『悪い言葉を言った場合それが己の身に返ってくる』という言霊をシーナに放ったのだ。
「プラセボ効果、というやつね。要は、それが実現するかどうかじゃないの。彼がどれだけあの言葉に恐怖を感じてくれるか、心に刻めるか、大事なのはそこだけよ。まぁわかりやすく実感できるように、あの時だけは最低レベルの衝撃波を彼の胸にぶつけたけれど……今後それがないことで、偽りだったのだと安心しきってしまわないことを願うわ」
「そうですか……」
「安心した?それとも残念だった?」
「さあ……どうなんでしょう。けど、もう会いたくないなとは思ってますよ」
「そうね。それはわたくしも同感よ」
もう休みましょうか、と振り向いた窓の外は早くもしらじらと明け始めていた。
「ティア、ちょっといい?」
忙しい執務の合間をぬって執務室を抜けてきた魔王ヒルデベルトが、徹夜明けに通常通り兵士の訓練に参加してきた妹を呼び止めたのは、そろそろ日が傾いてきたかという午後のこと。
怪訝そうな顔で振り向く彼女に、彼は言葉少なに今さっき報告されたばかりの情報を伝える。
「…………そう、ですか。わかりましたわ」
「で、どうする?」
「どうもこうも……わたくしには関係のない話ですもの」
「ま、あんたがそう言うなら別に構わないけど。後悔しないようにしなさいよ?」
「わかってます。ご忠告痛み入りますわ、お兄様」
と軽口をたたきながらも、クリスティアナの表情は優れない。
余程ショックな内容だったのだろうが、斜め後方に控えたカイトにはその内容が聞こえておらず、だからこそどうして彼女がこんな憂い顔なのかその理由がわからずにいる。
じゃあね、とヒルデベルトが軽く手を上げて去って行くのをカイトが見るとはなしに見送っていると、彼の主は小さくふぅっとため息をついて
「少し出かけてくるわ。すぐに戻るから、控えの間で待っていてちょうだい」
「お供しなくても?」
「ええ。……一人で行きたい気分なの。それじゃ」
言うなり、返事も待たずにどこかへ転移していってしまった。
彼が従者として傍について以降、時々『待っていて』と置いて行かれることはあったが、このように返事も待たずにまるで逃げるように転移してしまうのは初めてのことだ。
それだけ先ほどの報告に何か思うところがあったのだろうが、従者という立場からはそれを追求することなどできず、ましてや主の兄であるヒルデベルトに直接確認することなどできるはずもない。
彼にできるのは、言われた通り主の部屋の隣で控えて待つことだけだった。
────── 歌が、聴こえる
カイトは、ゆっくりと目を開けた。
主を待っている間にいつの間にか寝入ってしまっていたようで、肩に掛けられた温かな感触に彼は慌てて体を起こし、主を探してきょろきょろと辺りを見回す。
「…………あ」
「あら、起きたのね。まだ寝てて良かったのに」
「申し訳ありません……いつお戻りに?」
「少し前かしら」
扉があいたままだった続き部屋……つまりは主の自室、そのバルコニーに立ってこちらを見ているクリスティアナと目が合い、彼は恥じ入ったように俯きながら控えの間を出た。
そんな彼を来い来いと手招きして傍に呼び、彼女はそっと視線をバルコニーの向こう……魔王城の敷地の外へと戻す。
懐かしむように、悼むように、哀れむように、その紫紺の双眸が細まった。
「…………今日ね、あの国の最後の国王が処刑されたそうよ。といっても、最後の王族らしく特別に服毒での自害を許されたそうなのだけど」
あぁ、とカイトはここでようやく主の憂い顔の理由に思い至った。
これが……クリスティアナの元婚約者の死が、彼女を思い悩ませた原因であったのだ、と。
かの国……ヴィラージュ王国は、旗頭となった北の辺境伯を中心とした平民や下級貴族達の反乱により倒れ、今は民主化への道を模索している途中だという。
贅沢を極め国王やその側近達を唆しては我侭放題に暮らしていた【王妃】は真っ先に断頭台にかけられ、誰の子か知れない腹の子供と共に命を散らした。
そんな彼女の我侭を何でも聞き入れていた王の側近達……一部では王妃の愛人と囁かれていた者達も、これまでに犯した罪を暴かれ、突きつけられ、そして順番に処刑されていった。
そして最後に残された国王テオドールは、残された最後の王族として亡き王妃の分も含めて私財を全て没収され、それらは被害を被った者達への補償にあてられた。
その後前国王夫妻……つまり彼の実の両親の殺害を指示した罪、王妃の無駄遣いを止めるどころか増長させた罪、真面目に国のために尽くしてきた者達を疎んで冤罪をかぶせて処刑した罪、私利私欲のために魔族との契約を反故にして国の経済を回らなくさせた罪などで幾度も裁かれ……何度も証言台に立たされ、そうしてようやく自害を認められ一人静かに毒をあおって息を引き取ったのだそうだ。
「彼は最後にこう言い残したそうよ。自分が死んだら、王妃の隣に埋めてくれないか、と。……それを聞いて、ホッとしたの。わたくしが婚約破棄されたのは、ゲームのシナリオの所為ではなかったんだ、って。彼女の気持ちはともかく、彼は本気で彼女を愛してた。結果的にそれは破滅に繋がったけれど、でも無駄ではなかったのね、きっと」
(そうだ、あの歌は…………レクイエム、だ)
クリスティアナはまた静かに歌い始める。
遠き地より、鎮魂の祈りをこめて。
その祈りをかの国へと届けたいという一心で、カイトは陣を出現させてそっと指先で鍵盤をなぞった。
普段は全く音を奏でない鍵盤が、今日は彼の想いに応えてまるで本物のピアノのように優しい旋律を奏で始め、それに呼応してクリスティアナの声も高くどこまでも伸びていく。
定められた相手を愛したばかりに、罪を重ねてしまった愚かな王子。
愛を求めすぎて欲張りになり、自分を見失って欲に溺れてしまった哀れな令嬢。
彼らに踊らされた側近達、真っ当な意思を持っていたばかりに排除されてしまった前国王夫妻とその側近達。
そして、末端であるばっかりに多くの被害を被った国民達。
どうか彼らに、安らぎを。許しを。祈りを。
高らかに、切なげに紡がれる旋律は長い時間途切れることなく続き、それは魔族の国だけでなくカイトの魔力に乗って世界各国へと届けられた。
その声を、音を耳にした者達は声の主をこう称した。
『魔王城の歌姫』……と。
本来「アリア」というのは独唱曲という意味ですが、このお話ではわざと「歌姫」という言葉を当てはめてます。




