第二話:恋は盲目と言うけれど
「さて、と。それじゃ、先月半ばに風の魔法を使ってシンシアの制服を切り裂いた事件については、どう釈明してくれるわけ?先に言っておくけど、訴えがあったその日に風の魔法が学園の敷地内、もっと言えば中庭で感知されたことは既に明白だし、その魔力が君のものだったこともわかってる。可哀想に、シンシアはよりにもよって男子生徒にその醜態を見られてしまったんだ。シンシアの柔肌を拝むなんて、そいつらの記憶も消してやりたいとこだけど……現段階は貴重な証言者だからね。それで、どうする?」
「どうする、と仰いましても……」
「あはははっ、どうにもできないでしょ?そうだよねぇ、だって魔術師団とこの学園の魔術科が合同調査した結果なんだもの」
今度こそ終わりだ、とデルフィードをはじめとするシンシアの取り巻き達は内心ほくそ笑んだ。
この時点で既に王太子との婚約破棄など遥か彼方、生意気にも自分達に立ち向かってこようとする公爵令嬢をやり込めたい、その一心である。
が、またしてもクリスティアナは彼らの意表をついた。
彼女は視線を彷徨わせ、そこに学園の魔術科担当の女性教師を見出すと「ユリエラ先生、お話よろしいでしょうか?」と許可を求め、彼女が近くに寄ってきたところで
「わたくし、正直困っておりますの。どうか先生、わたくしが風の魔法など使えないということを、証言してはいただけませんでしょうか?」
と、首を傾げながらそう頼み込んだ。
と、これに声を上げたのは王太子テオドール。
彼は幼い頃から付き合いのあったクリスティアナが、まだ学園に入る前に風の魔法を使っているのを見たことがある。
だからそれはおかしい、と主張したのだが。
「これは入学して間もない、総合教育の時期に参考までにと教えられるものなのですが、複数の属性魔法を扱える者は、器用貧乏と申しますか……どの属性も中途半端に習得した状態で卒業、ということになりかねないのです。学園で学べる時間には制限がありますし、習得よりもまずは制御方法を学ぶことから始めないと、暴走の危険性もありますので。ですから、そういった生徒には学園にいる間は属性の制限をかけさせてもらっているのです」
これです、とユリエラはクリスティアナの左手を掲げ持ち、そこに鈍く光る銀色の腕輪があることを示した。
この腕輪こそ、最初の属性判定の時に複数属性に適性ありと判断されたその場で嵌められる、属性制御の魔法式を組み込んだ魔道具である。
生徒がこれを外せるのは、魔術科担当の教師が持つ魔法の鍵を使わないと無理であり、更にその鍵を使うのは当の教師本人でないとエラーが出てしまうという徹底ぶりだ。
「今現在、レクターさんが使えるのは水と光の魔法だけです。……確かに該当日に検出された魔力は彼女のものでしたし、属性も風でした。ですが……それはおかしいのですよ。彼女にこの腕輪を嵌めたのは私、外せるのも私だけです。でもその該当日前後1ヶ月は、隣国に出張しておりましたの」
「……だが、使われた魔力は確かに」
「ええ。ですから考えてみたのですが、魔術科の最初の授業で『苦手属性の魔石を作る』という作業を行いましたの。思えばその時だけですわ、私がレクターさんの腕輪を外したのは。その時に作られた風の魔石……今思えば、あれが2ヶ月前に紛失してしまっていたのは、今回の事件への布石だったのではないでしょうか?」
紛失、の言葉に再び場がざわめく。
ユリエラの言葉が正しければ、シンシアの制服を風魔法で切り裂いたのはその窃盗犯である、ということになるのだから。
「と、ここまでが魔術師団からの調査依頼にお答えした内容です。……とはいえ、さもレクターさんの仕業とでも言うような言い回しをされておられましたが」
「ふんっ、そんなの当然だろ。風の魔石を盗んだのも使ったのも彼女自身、これなら使えないはずの属性が使えたっておかしくないんだから」
「確かに。ですがそれですともっとおかしな話になってしまいますね?今回検出されたのはレクターさんの魔力を基にした風の属性魔法……そして僅かですが、それに混ざってシンシア・フュオーラさんの魔力も感知されていたのですよ?どうしてその事実を隠匿なさろうとするのです?」
「隠匿だなんて人聞き悪いな。そりゃ、突然魔法を使われれば当然反射的に防御くらいするでしょ。その時の魔力が検出されたからって、どうしてシンシアを疑う必要が?」
デルフィードは、かつての恩師に対しても全く怯まない。
それどころか、やんわりと指摘してくるユリエラの言葉を真っ向から否定し、自分は間違っていない、間違っているのはそちらだと大上段に突きつけてくる。
しかし、ユリエラは残念そうな表情で頭を振った。
「…………防御したのであれば、それ相応の大きさの魔力が感知されたはずです。それに、もしそうなら反発しあうことはあっても、混ざることはないと断言できます。今回は綺麗に混ざり合って検出されたのですから、何らかの理由でレクターさんの魔石を入手したフュオーラさんがその魔石を使用した、と考えるのが妥当ですわ。勿論、こんな初歩的なことは、魔術師団のエースである貴方には言うまでもないことでしょうが」
お疑いなら他の魔術科教師に確認していただいても構いませんわよ?
そう言われてデルフィードは他の教師へと視線を向けるが、一様にうんうんと頷いて返されてギリリと悔しそうに歯を噛み締める。
先ほど、ヒューイの時も聞こえた控えめな嘲笑が、今度はデルフィードを襲う。
それもそのはず、魔術科をトップの成績で卒業した彼が現役魔術科教師から『魔石を使う際の初歩的な注意事項』をすっかり失念し、見当違いの方向にドヤ顔で敵意をぶつけていたのだから。
歯噛みしたまま、彼はヒューイの下がったあたりまで一旦引き下がる。
そして次に前に進み出たのは、騎士科の前年度卒業生であり騎士団長の息子でもあるジョージ・エプソン。
「悪あがきもここまでだ。シンシアの母君の形見、そのカメオブローチを盗んで焼却炉に放り込んだ挙句足で踏み躙った……その罪は重い。俺がもし裁判の担当官なら、間違いなく極刑を言い渡しているところだ」
途端、堪えきれないような笑い声が上がる。
行っておいでと妹の背を押した後はずっと傍観を決め込んでいたはずの、若きレクター公爵である。
この無粋な笑い声を咎めるかのようなジョージの視線に、彼は「いや、失礼」と軽く詫びてから視線をシンシアへと向けた。
「ねぇ、君。……確か、フュオーラ准男爵令嬢だったかな?」
「は、はいっ!どうぞシンシアとお呼びください、公爵閣下」
緊張しきった口調で、だがそのあまりの美貌に意図せず頬を染めながらそう言ったシンシアに、彼は「そう」と応じて笑みを深めた。
「そのブローチを盗られた時のことだけど、よく思い出して?私が知る限りではあの学園の寮は部屋の主以外が入室できないように、魔力認証の魔道具を使っているはずなんだ。それなのに、何故か君の部屋に何者かが侵入し、形見のブローチを奪って行った。……おかしいとは思わないかい?」
「あ、あのっ、あの時わたし、学園に忘れ物を取りに戻ってて。その、慌ててたので、部屋の鍵をかけ忘れたみたいなんです。それで、戻ったら部屋が荒らされてて……同室の子が、長いくるくるとカールした黒髪を拾ったからって。証拠になるかもしれないから、保管しておいたんです、けど」
「その黒髪を鑑定した結果、クリスティアナ・レクター嬢のものだと判明した。つまりはそういうことなのですよ、公爵閣下」
「ふぅん、それは益々おかしいな」
つっかえつっかえ、必死に言い募るシンシアと、得意満面という顔でまとめに入るジョージ。
それを聞いてなおも、レクター公爵は「おかしい」と言い切る。
「私が学園を卒業してからある程度年数が経っている。今現在の状態に詳しい者の証言が欲しいのだが……そうだな、ではそこの……そうそう、騎士科の制服を着た黒髪の君、では君に聞こう。この学園の寮では全ての部屋がオートロック製だと思っていたんだが、今は違うのかな?」
「いいえ、閣下。今現在でも、寮監の部屋を含む全ての部屋がオートロック製となっております」
「そうか、どうもありがとう」
オートロック製、と言うのはその名からもわかるように、例え部屋の鍵をかけずに扉を閉じてしまっても、しばらくすれば自動的に鍵がかかるという便利なシステムのことだ。
その間に誰かに侵入されないようにと、扉が閉まってからロックされるまでの時間はわずか1分。
もしその間に誰かが部屋に入り込んだとしても、目的のものを探して1分以内に部屋を出なければ、ロックされてしまった扉は中から開けることもできなくなる。
そうなってしまうと、部屋の主が戻ってくるのを待つしか部屋を出る方法がなくなってしまうのだ。
懇切丁寧に、わかりやすく説明されたそれに、ようやくシンシアは顔色を変えた。
彼の言う「おかしい」の対象が、自分の主張だと気づいたのだろう。
「で、でも……っ、わたし、だって、そんな、知らな……」
俯き、ついに涙声になってしまったシンシアの肩をそっと抱き寄せ、よしよしと宥めるように髪を撫でてやるテオドール。
他の四人は恨めしそうにそれを見ながら、ちらちらとレクター公爵に敵意のこもった視線を向けている。
が、彼はそ知らぬ顔で妹に向かって笑いかけ、「手伝うのはここまでだ。後は出来るね?」と元通り一歩下がった。
再び矢面に立ったクリスティアナはふるふると小動物のように震えるシンシアには一瞥もくれず、先ほど思い上がった発言をしたジョージを咎めるような視線で射すくめた。
「もし裁判の担当官であったなら、と先ほどそう仰いましたが……もし万が一、天地が引っくり返るようなことがあって貴方がその任につかれたのなら、公正に裁かれるべき者が無実の罪に苦しんだり、軽度の罪が重罪であるかのような裁かれ方をされてしまいそうですわね。だって、その程度の証言と証拠だけでわたくしを『極刑』にすると仰るのですから。……そうそう、極刑の意味はご存知かしら?」
「ふざけるなっ!その程度のこと知らずに騎士が務まるわけがないだろう!」
「良かった。安心しましたわ」
ジョージは、クリスティアナが最後につけくわえた言葉にだけ憤慨して見せたが、実はその前の言葉こそ彼の騎士たる資格を疑うような、侮辱ともとれる内容だったことに気づかない。
そして、ここでクリスティアナが初めて小さく微笑んだその裏側に、彼ら……シンシアと愉快な取り巻き達を嘲笑する意味合いが含まれていたことにも、気づけずにいた。